137話 なにがいいの
拝啓。
こんにちは。みなさんお元気ですか。園子です。
レテソルに来て早四カ月です。春の陽気が心地よい季節になりました。群馬でも同じような時期なのでしょうか。こちらでは月の満ち欠けで一カ月を数えるので、たぶん太陰暦なのですが、そちらの太陽暦とどう違うのかちょっとわからないです。だいたい同じです。なのでそちらではきっと、四万ブルーがきれいな盛りでしょうね。
結局わたしは群馬に住んでいた七年の中で、あの目が覚めるようなコバルトブルーを見たのは一度きりでした。毎年でも見に行けばよかった。いろいろなことが懐かしく思い起こされ、そして少しの後悔がその記憶に絡まります。少し? ええ、少し。思い悩んでもしかたがないことなので、あまり考えないようにしているのです。きっと、みんな元気に暮らしている。そう思うことにしています。
いろいろなことがありました。群馬でも、アウスリゼでも。今そのときを大事にして、ひっしに生きていることはどちらでも変わりありません。不器用で、要領がわるいのもそのまま。なににつけても回り道をしてしまいますが、それがわたしの性分なのでしょう。けれど、いつの日もそんなそそっかしいわたしのことを支えてくれる人がいること。そのことをただ感謝するばかりです。いろいろな人に助けられて、今のわたしがある。
心にかかることがあるとすれば、ただそのことです。たくさんの情けをかけていただいた、わたしの愛しい人たち。なにかひとつお返しすることも、お礼を述べることもできずにここにいるわたしを許してください。みなさん、どうかご健勝で。幸せでいてください。
大きな気持ちでこの状況を受け入れることができたら、どんなに楽なことでしょう。けれど、やはり不器用なわたしの性分で、割り切れないと感じることも多々あります。事実をそのまま飲み込むには大きすぎると思うこともしばしばです。こんなわたしを見たら、きっとみなさん笑うでしょうね。
みなさんひとりひとりの顔を、懐かしく思い出しています。そしてきっとこんな風に叱られるに違いない、と考えて、自分を奮い立たせるのです。どんなときでもみなさんは、わたしの心の支えです。またお会いできるでしょうか。できることならば。
とりとめなく長々とつづってしまいました。群馬のわたしの愛する人たちへ、たくさんの感謝をこめて。
かしこ 三田園子
P.S. たすけてください。わたしどうしたらいいですか。推しが。最推しが。ええと。「では私たちは恋人ということでいいね?」と。はい。えっ。はい。えっ????
「ソノコぉ、だいじょうぶう?」
「いえぜんぜんまったくこれっぽっちも」
心のお便り作戦がぜんぜんうまくいきません。病院からの帰りの自動車の中です。レアさんもいっしょです。介護のために病院へ残ることはされませんでした。なぜかって? そこ知りたい? 聞いちゃう? やめて? わたしも状況飲み込めてないから。
車内にも流れている生暖かい空気。窓開けて換気しましょうか。たすけて。だれでもいい、たすけて。なんで駐車場で待機してたはずの運転手さんまで状況把握してるの。どういう連絡網。糸電話、糸電話なの。見つけたら今度糸切るからね。
「それにしても、さっきの閣下の宣言、かっこよかったわあ」
「ぎゃああああああああああああああああああああ!!!!」
レアさんが! レアさんがいじめる! 触れないでその話題!
「いやあ、俺も聞きたかったなあ。どんな感じだったんです?」
「それがねえ」
「やめてえええええええええええええええええええ!!!!」
わたしの絶叫なんかおかまいなしに、レアさんは両手の人差し指でぴっと眉尻を持ち上げました。
「『今日からソノコが私のパートナーになった。私に関することはすべて彼女に委ねる』」
「ふっぎゃああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
「うっわー、覆面警備全員集めてそれ言ったんすかー」
「そうなのよお。わたしも介護職を解任されて」
「きゅあああああああああああああああああああああああああ!!!!」
「たとえ必要な処置だとしても、閣下に触れていいのはお医者様とソノコだけなんですってえ」
もうやめて!!!! ソノコのいろいろはもうゼロよ!!!! たすけてアンパンマン!!!! なんでアンパンマン? わかんないいいからだれでもいいからたすけて!!!!
全身全霊全力で懊悩していても、車内のにやにやはなくなりませんでした。たすけて。どうしたらいいの。このやりとり公使館に戻っても繰り返されるの。逃げたい。今すぐ逃げたい。夜行列車とか乗ってどこかへ消えてしまいたい。そんなことを考えていたら「ちゃんと逃げないように見張っておけって閣下から言われたから、どこか行こうとしてもムダよお?」とレアさんがおっしゃいました。見透かされている……。
とりあえず病院泊まり込み介護はわたしが全力で辞退して回避しました。病室全体にあふれ返ったほほえまし感がわすれられない。オリヴィエ様は「そうだね。ちゃんと段階は踏むから安心して」とよくわからないことをおっしゃいました。段階ってなに。あの、とりあえず今がなにのどこ段階なのか教えてもらっていいですか? すっごい迷子なんですけど?
ひっしの懇願もむなしく、さくっとレアさんは報告してしまいました。美ショタ様は「ふーん」とおっしゃっただけで興味なさそう。ミュラさんは目をまん丸にして、その目でわたしに「まじ?」と聞いてきました。否定したい。否定したいよ! えっ、したいの? えっ。いやそんなことは。えっ。あっ。ちょっと、ちょっと待って。ちょっと待って。お願い待って。
いろいろもろもろ頭の処理速度が追いついていません。いつもは警備の方がしてくれているアシモフたんとイネスちゃんの夕方お散歩をぶんどって、その場を逃れました。わたしの警備も必要だからってことで結局警備さんも後ろからついてくるんですけど。なんかお仕事増やしてごめんなさいなんですけど。すみませんわたしには時間が。時間が必要なの。
近所の大きめの公園にきました。夕飯どきなので子どもたちの影はないです。わたしみたいにわんちゃんを連れた方が何人か。低めの柵で囲われたドッグランがあるので、そこでアシモフたんとイネスちゃんからリードを外しました。
わたしはベンチに座って二匹の姿を眺めています。薄い色の夕焼けがきれい。ちょっといろいろ考えられなくてぼーっとしていたら、隣にだれかが座りました。
「――宰相殿の、恋人になったの」
アベルでした。その言葉に「ぎゃああああああ」とわたしは突っ伏しました。待って。その言葉はわたしに効く。「あー……まじかー」とアベルがつぶやきました。
「意外と手が早いんだな。……時間かけすぎたかあ」
なにか言い訳を。言い訳をしたい。でもなにも思い浮かばない。それにしてもいろいろもろもろを言及されたくなくてお散歩で逃げてきたのにここでも話題にされるとかかんべんしてほしい。わたしがうなっていると、アベルが「おまえさ、幸せ?」と尋ねてきました。なんだ突然のその哲学的な質問。
「たぶん……?」
「なんで疑問形なの」
「だって、幸せなんて状況よりも気分の問題だし」
どんなにしんどい環境でも、もしかしたら、たのしいことやうれしいことを見いだせるかもしれないわけで。わたしは今いろんな意味でしんどい。いろんな意味で。けれど毎日をつつがなく過ごせているっていうのはすごいことで。幸せ。うん、そうだね。幸せだと思う。
「総合的に見て幸せだよ」
「なんだそれ」
アベルが笑いました。そしてちょっとしてから、すごくやさしい声で言いました。
「――おまえがいいなら、それでいい」






