134話 ごめんなさい
おはようございます。一睡もできませんでした。おはようございます。でも眠ったら永遠に目覚めない可能性があったのでこれでよかったのかもしれません。いえよくないです。いっそ目覚めなかった方がきっと。ええきっと。そんな良くない考えを抱えて大事にしてしまうくらい、今のわたしは混乱しています。
昨日ですね。はい。昨日。
あのですね。いろいろあったんです。ちょっと具体的には言及しかねるんですけどいろいろあったんです。わたしはどうしたらいいですか。400字以内でお願いします。配点は七億点です。お得でしょう。ふるってご応募ください。応募してお願いプリーズ。
ベッドに横になったり、起き上がったり歩いたり、しゃがんだりラジオ体操第五を作ったり、一晩中いろいろ考えていました。いろいろって言ってもひとつのことだけなんですけど。それだけずっと考えていられるほと集中力があるわけでもないので横道それまくったという意味でいろいろです。絶えず思考がキリモミ飛行して朝を迎えました。
カーテンを開けました。もう日が昇っていることはわかっていたんですけど、なんとなく一日を始めるのが怖い気がして、ずっと閉めたままでいました。晴れでした。少しぐらい曇ってくれてもいいのにと思いました。なんなら大雨とか猛吹雪になっても。ヤリとか降っても。そうしたら今日、お見舞いに行かなくてすむのに。
昨日、病院のお庭にてふたりでお話しをして。さすがに、わたしでもわかりました。わかって、しまいました。わたしは、オリヴィエ様から、恋愛的な意味で好意を持たれています。
ちょっと、びっくりして。いえ、ちょっとどころじゃなくびっくりして。気づいてからしばらくの時間、たぶん十五分くらい、声も出せなくて。人間てあまりにもショックだと、発語ができなくなるもんなんですね。初めて知りました。
そうですね。ショックでした。オリヴィエ様が、わたしのことを好いている。それがどんな種類のショックなのか、わたしでもうまく説明できないですし、判別できません。ただ、むしょうに悲しくて、夜中に少し泣きました。
今もすごく混乱しています。なぜオリヴィエ様がわたしを。わたしなんかを。その気持ちがぐるぐるしていて、行き場所がありません。それに。
レアさんがいない部屋で。ベッドに座って、わたしは部屋の壁を見ました。オリヴィエ様のポスターが貼ってある壁。わたしにとってオリヴィエ様は、指針で、手本で、思い描く目標で。こうして眺めている別の世界の人でした。愕然とした思いがあります。なにに対してでしょうか。オリヴィエ様に。そして自分自身に。
ポスターの中のオリヴィエ様は、絶えず変わらぬほほえみを浮かべています。わたしに対して怒ったり、なだめたり、手をつないできたり、爆笑したりはされません。だって、写真ですから。
もやもやとした考えの中でも、わたしはいくつか結論を出しました。それはちょっとだけ自分のことが嫌になることでした。でもそれしか思い至らなかったし、考えるにも力尽きてしまって、悲しいけれどそれを受け入れることにしました。
わたしはひどい人間です。それを自覚できて、とてもよかった。最低な気分です。詳細を語りたくも考えたくもありませんが、わたしは向き合わなければなりません。全体的にパードンミー? という感じです。いいかげんにしてほしい、わたし。
それは、わたしが、オリヴィエ様をオリヴィエ様として見ていなかった、ということ。
たとえば、レアさん。きれいで、やさしくて、お料理上手で、ときどきぐーたらのレアさん。
ミュラさん。メガネを外したらだれだかわからなくなるくらいフツメンのミュラさん。字がきれい。仕事早い。マジメ。
美ショタ様。ツンデレ。ツン九割九分。デレはまだ見たことない。生意気かわいい。
メラニーにクロヴィス。カヤお嬢様。サルちゃん。ベリテさんにノエミさん。シューちゃんさんにコブクロさん。
いろんな人とこれまで接してきて、わたしはそんな人たちと泣いたり笑ったりしてきた。
それなのに。みんな、みんな、血が通った生きている人間なのに。オリヴィエ様だって。ショックで。わたし、ショックで。どうしてこんなにショックなんだろうと思って考えて。オリヴィエ様がわたしのことを好いてくれていること。それがショックなのはどうして? わたしが、オリヴィエ様を、まだゲームの中の人と、心のどこかで感じていたからだ。そう気づいて。
――このときに至るまでわたしは、オリヴィエ様をただ、わたしの『推し』としてしか見ていなかった。
アウスリゼに来て、もう八カ月が経とうとしています。わたしは立ち上がって、ポスターの前に立ちました。物言わぬ写真としばらく向き合ってから、はがして、丸めました。
「なんか、らしくないじゃん」
朝食の席で美ショタ様がわたしにひとことおっしゃいました。ガパオライスみたいなワンプレートごはんです。おいしい。わたしらしいってなんでしょうか。見当たらないので自分探しの旅に出ていいですか。最高にわたしらしくなって帰ってくるので。心ではそんな返しをしていたんですけど、それが口から出てくることはなかったです。ごはんおいしい。
快晴で、わたしが出かけることをさえぎるものはなにもありませんでした。「今日は暑くなりそうだな」とミュラさんが言ったのを耳にして、持病の日光湿疹で外に出られなくなりそうな予感がしてきました。きっとそう。お手洗い掃除をして、対外向け広報文をいくつか作成して、レアさんがいない間、代わりにわたしがやっている経理上の書類チェックなどをしました。
そして、午後。わたしは仮病を使って、部屋にこもりました。
「おい、あんたいったいいくつだよ……」
あきれきった美ショタ様の声がドアの外から聞こえました。今年二十八です。ベッドへ横になって布団をかぶっていたら、階段を降りていく音がしました。なんとか切り抜けました。いろいろな意味で合わせる顔がない今、お見舞いなんかに行けるわけがない。その場しのぎでしかないですけれど、それでもいたたまれない気持ちはちょっとでも出くわすときを先延ばししたがります。そうこうしていたら眠ってしまいました。名前を呼ばれて目が覚めたとき、傾いた日の光が目に入ってきました。
「いつも元気なソノコが、どうしたのお? 今日はあたしが夕飯の主菜作るから、手伝ってちょうだい」
レアさんでした。「おかえりなさい」と言いながら、わたしはベッドから出ました。
皮むきをしながら、むりになにかを聞き出そうとかしないレアさんに、わたしは告白しました。
「わたし、バカなんです」
「部分的に同意よ」
「それに、すんごく考えなしで」
「うーん、半分同意」
「うかつでちょっとどころじゃなく抜けてる」
「まるっと同意」
やっぱり。ですよね。とんでもなく早い包丁さばきで約二十人分の肉を切り分けながら、レアさんは笑いました。病院でオリヴィエ様についている警備の方以外の、こちらに詰めている方の分が含まれているので、そんな量の食材が必要なんです。おかげさまでわたしも皮むきはめっちゃ早くなりました。給食のマダムとかに転職できるかもしれない。
「あのねえ、でも。ソノコは、それでソノコなのよ」
あんまり喜ばしくない宣言がありました。「むりになにか変わろうとする必要はないし、ゆっくりと結論を出せばいいわ。あなたはあなたが高く評価しないその特質も含めて、愛らしいわよ」と言われたので、「ありがとうございます?」と疑問形で返しました。
――さすがに、言えなかったです。わたし、オリヴィエ様のことを二次元のままの感覚で好きだったこと。そして、心の根っこで二次元だと考えていたオリヴィエ様から好意を向けられて、やっと偏った見方をしていたと気づいたこと。
あまりに、あまりに失礼じゃないですか。失礼なんて言葉じゃ覆えないくらい。これまでアウスリゼで過ごしてきた時間はなんだったんだろう。オリヴィエ様とも過ごした時間はなんだったんだろう。わかっていたのに。オリヴィエ様は、グレⅡの画面の中の人じゃない。ショックで。自分自身がショックで。玉ねぎの皮をむきながら、ちょっと泣きました。レアさんは気づかないふりをしてくれました。






