132話 墓標はいらない
お昼が過ぎたばかりだからかお庭に人通りはあんまりないんですけど、オリヴィエ様って入院してるの秘密のはずなんですが外に出ていいんでしょうか。まあだいじょうぶだっていう判断なんでしょう。髪をおろされてメガネも外されているので、いつもと雰囲気も違いますしね。お美しいのは変わらないですけど!
「……ソノコ?」
「はい、いつでもいけます問題ないですばっちこいです」
「……なにかな『バ=チ・コィ』とは」
「あっ、すみませんあんまり良くない言葉でした大変失礼いたしました」
わりと煽り言葉なんですよね。わたしってばオリヴィエ様になんてことを。背を正してお行儀よく待てをしました。沈黙が落ちました。いぶかしげなオリヴィエ様もすてき。しばらくそのままでいたら、「私に話があるのではないのですか、ソノコ?」と言われました。えっ。
「オリヴィエ様がわたしに話があるのではなく……?」
「マディア邸で、あなたが言った。公使館に帰ってから私へ話……お願いがあると。昨日は時間をとることができなかった。いくらか遅くなってしまったが、もう時効だろうか?」
あ。……ああああああああああああああ。
――なんてことをわすれてんだわたしはあああああああああああああああ!!!
「――そうでしたお願い! すっごくお願いが! わたしお願いがあるんです!」
思わず立ち上がって言いました。びっくりした鳩がバサッと飛んでどこかへ行きました。オリヴィエ様に向き直ると、驚いたように目をまん丸にされています。どうしよう目が良くなりすぎてサバンナでしか生きられなくなる。五キロ先とかはっきり見えるようになっちゃう。それならそれで。ええ、それならそれで。しっかり向き合って極限まで視力回復しましょう。オリヴィエ様が生き延びられること。それがわたしの目標であり悲願なので!
「あの、なんて言っていいかわからないし、どう言葉を飾ったとしても言いたいことはひとつなので、そのまま言いますね! ルミエラへは、汽車を使わないで帰ってほしいんです」
さらにオリヴィエ様がきょっとーんとされました。ああ、生きているってすばらしい。今一瞬心臓が止まったから生のありがたみが身にしみて半端ない。余生のサバンナではむやみな殺生をせず慎ましやかに生きよう。サバンナでサバイブしよう。「――それは、どういうことなのかな」と、困惑しきった声でオリヴィエ様がおっしゃいました。
「あの。あの……証拠はないんですけど。もしかしたらそうならない可能性もあるんですけど。たぶん、オリヴィエ様はしばらくの間危ない立場じゃないかなって」
動け、動け、わたしのよく回る口。頭みたいに空回りでもいい、どうかオリヴィエ様を説得できるだけの勢いをちょうだい。連ねたってしょせんは言葉だ。泣いてわめいてすがりついてでも、わたしはここでオリヴィエ様をとめなければならない。
「和平協議、だれもが賛成ではなかったことはこの前のことではっきりしました。オリヴィエ様はその締結を確実にするための重要な人物です。ぜったいに狙われます。あの爆発の共犯者だってマディア邸の中だけとは限らない。動く密室になる汽車は、もしいっしょに変な人が乗ったら、すごく危険です!」
早口のひと息で言いました。あんまり考えないで言うのがコツです。だってこれまでずっと考えてきたから。オリヴィエ様はすっと真剣な表情になってわたしをご覧になりました。たぶんわたし今暗闇の中でもハエとか捕まえられるレベルの視力になった。心臓がやばい。吐きそう。ぐるぐると、めまいがするような気持ち。立っているのがやっとで、なにかを感じ取られたのかオリヴィエ様が「座って、ソノコ」と自分の隣を指し示しました。わたしは即座に従いました。
「おっしゃりたいことは、わかりました。まさかあなたからの『お願い』が、そんな内容だとは思いもしなかったけれど。私の無事を真剣に考えてくれてありがとう。うれしいよ」
どうなんでしょうか。これは、蒸気機関車を使わないでくれるということでしょうか。顔をあげてオリヴィエ様を見ると、やさしい眼差しでほほえんでくださいました。そろそろ心眼も開きそうです。そして「テオがさっき、あなたになにか言っていたけれど」と、思い出したように口にされます。
「なんの話なの、気になるな。私にも教えてほしい」
美ショタ様。え。なに言ってたっけ。ああ、病室出る直前に。昨日。きのう話したこと。ええっと。
「ええーと。昨日、美ショタ様にオリヴィエ様のことどう思っているのかみたいなこと、聞かれまして」
「へえ!」
おもしろそうな声をあげてオリヴィエ様が足を組まれました。そして「興味深いな、なんて答えたの」とおっしゃいます。
「ええっと、恩人みたいな方です、と」
「恩人? 私があなたの身元引受人だから?」
「もちろんそれもそうですけど。あの。なんて言うんですかね。行動指針というか。わたしにとってオリヴィエ様って、ずっと目標で、お手本で」
あれ、わたしなんで今こんなこと話してるんだろう。ちょっと首を傾げながら「うん、続けて」とオリヴィエ様がおっしゃいました。
「――なにか迷ったとき、オリヴィエ様ならどうするかな、って、頭の中で思い描くんです。それがわたしにもできそうなら、する。できなさそうなら、それに近いわたしにとっての最善はなにか、考える。そんな風に、今までやってきて。それで、とても尊敬している方です、ということをお伝えしました。そういう意味で、『恩人』です」
沈黙が落ちました。……あれ。あれ? じわじわ、となんとなく、少しずつ指先が熱くなってきました。それを自覚したときに、今度は耳が熱くなっているのを感じました。うつむいて、ひざをながめます。わたし今、きっと顔まっかだ。
……やっぱり、口にする言葉はよく考えてから発したほうがいいです。どんなに空っぽの頭でも。時すでに遅し。言ってしまってから気づくとか。言っちゃった。ご本人に。尊敬してますって。行動指針ですって。
「……あなたは、かわいらしい人だね、ソノコ」
その声と言葉にわたしは再起不能になりました。今ここでここに埋めてください。サバンナでの余生はあきらめます。むり。むり。大いなる自爆ではずかしぬ。のたうち回りたいのを気力だけで抑え込みます。「――あなたからのお願いが、まさかそんな内容だとは思わなかったけれど」と、オリヴィエ様がつぶやかれました。
「私のことを本当に考えてくれての言葉だとよくわかった。帰路については、よくよく準備して、ふさわしい手段をとることにしよう。進言してくれたこと、感謝する。ありがとう」
はーーーーーーー。つめていた息を一気に吐きました。よかった、よかった! 泣きそうな、でも笑いたいような、なんだかふしぎな気持ちです。オリヴィエ様がそんなわたしをご覧になって、少しだけ不服そうな声をあげられました。
「――いや、本当に私を心配しての言葉だというのはわかるけれどね。せつないな。あなたの『お願い』は、きっとデートのお誘いだと思っていたのに」






