108話 わたしは、どうすれば
「メラニー、聞きたいことがあったのだろう」
寄り添うようにベッド際に腰かけて、クロヴィスが小声でささやきました。メラニーはうなずく代わりに少し微笑んで、かがみこむクロヴィスの耳になにかを告げました。
「どちらの出身なのか、と尋ねている」
クロヴィスが代弁してわたしに伝えてくれました。わたしは呼吸を整えて、「とても、とても、遠い国です。日本という小さな島国の、群馬というところに住んでいました」と言いました。
「……あなたの国の話が聞きたいそうだ。よかったら聞かせてやってくれないか」
壁際に控えていたメイドさんが、椅子を運んで持ってきてくれました。わたしはそこに座って、「……なにから、お話しすればいいでしょうか」と悩みつつお尋ねしました。
「どんな人々が住んでいる? あなたのような……あー、小柄な方が多いのだろうか」
「わたしは平均身長よりは少し小さいくらいです。でもわたしより小さい人もいますし、探せばクロヴィスさんくらい大きい人もいます。いろいろです」
「どんな産業がある? アウスリゼとはどのように違うのだろうか」
「そうですね……アウスリゼはレギ大陸にあって、いろいろな国に囲まれた土地ですけれど、日本は四方を海に囲まれた土地です。主に農耕や漁業で成り立ってきた歴史があります」
いろいろな話をしました。走っている自動車やバスは、蒸気じゃなくてガソリンという油を燃料として動いていること。馬車は特定の観光地で特別に走るくらいなこと。電気の説明が難しかった。通信はだれかを介さなくても本人に直接届くこと。ファピーそっくりな野球というスポーツがあること。王様はいないこと。階級もなくて、だからぱっと見では公平で貧困のない国に見えること。平和ながらも、だからこそ抱える問題や課題もあること。
「アウスリゼとは、似ているなと思うところも、違うな、と思うところもあります。でも……比べられないです。おんなじですよ。いろんな人がいて、みんなひっしに生きている。それぞれの立場で、できることをしてる。朝が来て、一日をすごして、疲れて床に着く。ときどき笑って、ときどき泣いて。自分が拾える幸せを、見失わないようにして。そんな人たちが住んでいます。――ここと、いっしょです」
クロヴィスもメラニーも、じっと耳を傾けてくれていました。退屈はさせていないみたいでちょっと安心しました。少しだけメラニーの頬に赤みが差してきた気もします。……よかった。
メラニーが唇を動かして、クロヴィスがそれを聞くために身をかがめました。
「――ひとりでアウスリゼに移住してきたのか、と」
ふっとわたしは言葉を見失いました。けれど不自然じゃない時間ののちに「はい、そうです」と答えました。
「そうなのか。きっと遠い国だろう。ご親族は心配していないだろうか。あなたのような若い女性が単身外国で暮らすなど」
「それは……問題ありません。家族はいません」
わたしが答えるとクロヴィスが一瞬しまった、という顔をしました。なので「――友人たちは、心配しているかもしれないですね。わたしみたいにそそっかしい人間が、ちゃんと生活できているか、気をもんでいるかもしれません」と笑顔で言いました。あきらかにクロヴィスがほっとしました。
「――ありがとう。とてもたのしい時間だった。よかったら、またメラニーにいろいろな話をしてやってくれ」
「わたしなんかの話でよければ、よろこんで」
「メラニー……疲れただろう。少し眠ろうか」
メラニーは唇を動かして、わたしへ向けて「ありがとう」と言いました。あまり聞こえませんでしたけど。そしてそのほかにもなにか言おうとしていたのを、クロヴィスが拾います。
「……メラニーは……歌が好きなんだ。あなたの国の歌をなにか、歌ってみてくれないか、と」
なんと。孫バカばあちゃんに勝手に応募ハガキを出されたNHKのど自慢予選会をみごと敗退したわたしに歌えと。なにを。あいみょんか。ヨルシカか。それともボカロか。
「ええっと……アウスリゼの言葉では歌えないですけど……どんなのがいいんでしょう」
「……昔から歌われているものがいいそうだ」
「はい。あー。はい……じゃあ」
歌詞を覚えている民謡か童謡で、短いの。……小二のときに担任の先生が教えてくれた曲。作られた背景を知ってからは、ときどき口ずさむようになった。
ちょっと発声練習してから、小声でわたしは歌いました。
――青い月夜の浜辺には
親を探して鳴く鳥が
波の国から生まれ出る
濡れた翼の銀の色
夜鳴く鳥の悲しさは
親をたずねて海こえて
月夜の国へ消えてゆく
銀のつばさの浜千鳥――
歌い終わってふう、と息をつきました。顔を上げると、クロヴィスが千鳥みたいに目をまんまるにしています。メラニーが目をきらきらさせてこちらを見ていました。腕を持ち上げて、拍手をするようなしぐさをしてくれます。クロヴィスがその手をとり、包み込むように、ふたりで小さな拍手をしてくれました。
「……おどろいた。あなたは歌手なのか」
「まさか。予選敗退です」
「意味はわからなかったが、よいものを聴けた。すばらしかったよ、ありがとう」
「お褒めにあずかり光栄です」
「――さあ、メラニー。今度こそ寝よう」
まくらの位置をずらして、クロヴィスはメラニーを横たわらせました。わたしも席から立ちあがりメラニーへ一礼すると、メラニーは穏やかな笑顔を向けてくれました。メイドさんがすぐにメラニーの側へ行き、わたしたちは退室しました。
「……ありがとう。思いがけず良い時になった。メラニーもよろこんでいた」
「そう言ってくださってありがとうございます」
わたしは、思ったことを言うか言うまいか考えました。そして、重要だと思えることは伝えようと、口を開きました。ゆっくりとわたしに歩調を合わせてくれているクロヴィスを見上げます。
「あの……もしかしたら、わたしは余計なおせっかいすぎることを言ってしまったかもしれません。メラニーさんの食事の件で」
「なんだろうか」
「あの、なんて説明していいかわからないんですが。わたしの国にはカロリーという概念があるんですが」
もしかしたら、高カロリーの鶏の肝臓はメラニーにとって必要なのかもしれないこと。そのことも考慮されたうえで、主治医の先生は食べさせるように勧めていたのかもしれない、と伝えました。少しの間だまって、クロヴィスは「そうか」と言いました。
「彼の処遇をどうするか決めかねていた。一度しっかりと話し合ってみようと思う。わたしは、これまで医者の言葉を疑うことも、そしてその行動に理由を求めることもしてこなかった。だが、そうではいけないとここにきてわかった。彼がこれまでどのようにメラニーに尽くしてきてくれたのか……理解しようと思う」
わたしはその言葉に強くうなずきました。そして、「許してもらえないかもしれないですが……先生へ、わたしの身勝手な言動をお詫びしたいです」とお願いしました。「ああ、ヴィゴ氏に伝えよう」と請け負ってくださいました。
ずっとメラニーのことを……想定以上に状態がよくなかったことを考えながら歩いて、マディア邸内の中央まで出ました。クロヴィスは「では」とそこで去ろうとします。わたしはそれを呼び止めました。
「あの――クロヴィスさん。メラニーさんは」
「ミタ嬢」
はっきりとした拒絶の呼びかけでした。彼はわたしがなにを言おうとしたか理解している表情で、しっかりとわたしの目を見て言いました。
「どうか、言わないでくれ」
わたしもその視線に返しました。クロヴィスの蒼い瞳は、哀願するように濡れていました。
「――言わないでくれ」
わたしは頭を下げ、去っていくクロヴィスの足元を見ながら奥歯を噛みました。――泣いていいのは、わたしじゃない。
『浜千鳥』(1920年)
作詞:鹿島 鳴秋、作曲:弘田 龍太郎
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