107話 なにも言えない
お部屋に戻ってラジオ体操第一とうろ覚え第二をしていたら、メイドさんじゃない制服の女性がいらっしゃいました。キッチンの料理長が、さきほどのレシピを元に何種類か作ってみたから試食してほしいとのことです。案内されるままについていきました。見張りさんもカシャカシャついてきました。
通されたのは従業員食堂っぽいところです。恰幅のいいコックさんがいそいそと待っていらっしゃいました。食卓の上には四枚のお皿と、こんもりとパン耳シュガーラスク。作ったなあ。「あんたかあ、ありがとなあ」と握手を求められました。わたしなにしたんでしょうか。とりあえず「こちらこそ!」と返しときました。
牛脂で揚げたのと炒めたの、バターで揚げたのと炒めたの、だそうです。いっこずつ口に入れてみます。意外と牛脂もいけました。バターより軽い感じ。「どれがいい?」と聞かれて、「一番おいしいと感じるのはバターで揚げたやつです。めっちゃ風味がいい。でもわたしが子どものころ食べたやつに近いのは牛脂で揚げたやつかなあ。でも、こちらの文化だと違うかもしれないです」とお答えしました。
「あの……おれも食っていいっすか?」
見張りさんがおっしゃいました。ちょっとそわそわしてます。どうぞどうぞとわたしとコックさんでうながしました。かぶとを脱いで、食卓に置きます。で、右手にはめているやつも外されました。うれしそうにその手を伸ばして数個つまみ、口に運びました。もぐもぐしながらちょっと涙目になってます。無言のまますべてのお皿から試食されました。で、感想を述べられました。
「おれんち貧乏だったんで……これ、すっげえごちそうだったんすよ。年に一回とか。大人になったら腹いっぱい食いてえなって思ってた。叶ってうれしっすよ」
ぜんぜん腹いっぱいじゃないと思うが⁉ つつましやかに食べていらしたが⁉ わたしとコックさんでどーぞどーぞとさらに勧めました。「あざっす」とやっぱりつつましくつまんで見張りさんはもぐもぐしました。
メラニーさんのお友だちがメラニーさんに食べさせてあげたくてプレゼントしたお菓子なんだ、とわたしがかいつまんで説明すると、「あー、すげー気持ちわかる」と見張りさんはおっしゃいました。
「ガキのころなんか、そうそう美味いもん食ったりしませんからね。おれもこれは、風邪こじらせて何日も寝込んだときにかあちゃんが白パン買ってきてくれて。パンがゆ作ってくれて、余ったところでこれも作ってくれた。おれらみたいな貧乏人にとっちゃ、そんな特別なやつなんすよ。きっと、友だちにとっては最高の食べ物だったんだ。メラニー様に食べさせてあげたいって思うくらい」
エモいな! まじでエモいな!
で、見張りさんへ子ども時代に食べたやつと近い味はどれかお尋ねしました。迷うことなく「これ」と指を差されました。おお意外。牛脂で炒めたやつでした。
「ほかのはなんか、もっと美味い。おれがあのとき最高だって感じてたのは、ちょっと雑な味のこれですね」
そして「……ちょっともらってってもいっすか」とじゃっかん上目遣いでおっしゃいました。どーぞどーぞ。コックさんが油紙を持ってきて包んであげていました。思わぬところから現場の意見が聞けました。よかったです。
部屋に戻るとき、案内してくれた女性が見送りがてらそっと教えてくれました。
「おいしかったって、一筆書いて配膳に乗せてくれましたよね。料理長、あれすごくうれしかったみたいで。制服の胸ポケットに入れてるんですよ。それと、軍のみなさんと違う献立を提案してくださってありがとうございます。正直わたしたちも重かったんですよね。料理長も機嫌よく違うのを作ろうと手配してくれるし。助かってます」
思わぬところで人助けをしていました。よかったです。
家令さんがみえて、メラニーがパン耳ラスクを食べたことを知らせてくれたのは、わたしがラジオ体操第三を創り出そうとしていたときでした。メラニーの調子がいいときにぜひ会いたいと言っているとのこと。これはわたしも万全の体調で臨まなければならないと思い、第四も創ることに決定しました。
で、二日後。
午後イチでクロヴィス自らわたしの部屋までわたしを迎えにきました。第四はまだできていません。先だってわたしは午前中に三人のメイドさんの手によってお風呂で磨き上げられました。そんなにばっちいかわたしは。背中の垢すりありがとう。そして用意してくださったちょっといいところのお嬢さんには見えるくらいのワインカラーのワンピースを着ました。髪はメイドさんが編み込みハーフアップにしてくれたので、我ながら口を開かなければ良家のご令嬢でした。おとなしくしておこうと思います。ちなみにたぶんこのときに合わせたんでしょう、ついてくる全身よろい見張りさんの中身はアベルでした。
「本当にありがとう」
クロヴィスが廊下をわたしの歩幅にむりにあわせて歩くのでちょっと挙動不審になりながら言いました。ちなみにクロヴィスの腰はわたしの肩あたりです。ふざけんな。
「菓子の件から、メラニーが自ら食事をしようと努力しているのだ。彼女の今の献立は、あなたが自分用にと提案したものに準拠している。完食はもちろんむりだが、少しでも口をつけようとしてくれていることは前進だ。感謝する」
「えー! ほんとですか⁉ よかったあああああああ‼」
口を開いてしまいました。閉じました。よそ行き顔はすぐに作れないので崩してはなりません。ものっすごく回り道をしたあと、長い廊下に出ました。――ここは‼
体を投げ出そうとしたところをよろい見張りさんアベルが無言でがしっと両肩をつかんで阻止してきました。……見破られた、だと……? でもたしかに良家のご令嬢ごっこ中に五体投地はまずい気がしてきました。――来ました、ありました、一目でわかりました‼ レアさん登場廊下です‼ ひゃっふー‼ そっかー、メラニーのお部屋前廊下だったのねー。そりゃみつけられないわけだわー。場所わかったから今度こっそり礼拝に来よう。
古い両開きの扉でした。よろいじゃない見張りさんがふたりいらして、クロヴィスが「ご苦労」と声をかけると休めの姿勢をとりました。なんとなくまねっこしました。扉が開かれて、クロヴィスが先に入り、わたしの方を見てうなずきました。しっかりアベルもいっしょに入ってきます。扉が再び閉じられると、その中の空気にわたしははっとして息をつめました。
不安を感じるくらいの色濃い病気の気配。ベッドへと向ける足取りが重くなります。自然とうつむいて、事実を直視しないようにしてしまいました。
「ミタ嬢――こちらへ」
クロヴィスの小さな声にわたしはそちらに向かいます。薄いレースのカーテンが天蓋になって、中で横たわる人を守るように隠しています。わたしは許しを得てその傍に近づきました。目に入ったのは、白くて細すぎる手首でした。
「紹介しよう。わたしの最愛、メラニー・デュリュフレだ」
ずるいわたしは、礼をしたとみせかけて頭を下げました。なにかが聞こえましたがわかりませんでした。「顔を、見せてやってくれ」とクロヴィスに言われて、わたしはやっと背をただします。
薄い茶の長い髪。きれいな翠の目。白い、白い顔。やせ細った、わたしの記憶とは違う、姿。
「……はじめまして。ソノコ・ミタです」
わたしは言いました。微笑みを作れているか心配でした。忌まわしすぎる気配を感じて、わたしの心はおびえました。
――ああ、このひとは、きっとしんでしまう。
穏やかな、とても穏やかな瞳でした。クロヴィスも、そしてメラニーも。
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