1st:EP07:オークション
1
【概要】
とても高級なアンティーク家具。
分厚く丈夫な樫材で作られており、内貼りは濃紺のビロード。
鍵付きで極めて堅牢な作りです。
ただ、写真を見ていただければ、おわかりかと思いますが、少し背徳的な意匠が施されえた逸品ですので、所有者を選びます。
なお、転売目的の故買業者等の落札は無効。
直接の受け渡しのみ有効。
価格は百万円より。
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また再出品になろうが、これでいい。妥協は禁物。サイトから弾き出されるのなら、また違うところに登録して出品し続ければいいだけだ。それだけ今はオークション・サイトが多い。まったく便利な世の中になったものだ。
出品者はスマホから顔を上げた無表情な老執事に鷹揚に頷くと『出品OK』をタップさせた。
あとは待つだけだ。
2
そのアンティーク家具に魂を奪われた落札者は、落札価格に忸怩たる思いを抱いた。百二十一万七千円。金に糸目をつけないほどの金持ちでもない自分には大金だ。しかし、なんとか支払えない額でもない。問題は、それを工面するために自分が預かる予算や管理する古美術品のいくつかに手を付けなければならなかったことだ。取り巻きの人々に、いま金銭面の疑惑まで持たれては厄介なのだが仕方がない。この逸品だけは必ず手に入れておきたいという思いは、それほど大きなものだった。
落札者は、受け取り日時などの詳細情報を書き込んだメールをいま一度確認すると、『送信』をクリックした。
あとは待つだけでいい。
3
夏の陽光にそぐわない黒塗りの大型ステーションワゴン車で出品者の住居兼仕事場への長い道のりをやって来た老執事は、指定された裏庭に車をとめると手慣れた仕草で荷台のドアを開け、担架に落札品を載せて表の重厚な門扉まで押していった。
人口6千人に満たない田舎町にしては、かなり立派な建築様式だ。
屋外エントランスの緩やかな傾斜を上がってノックをすると、中から待ちかねた様子の声がしたので、門扉を開けて中へ入った。照明が落とされている広いホールは、奥行きがあるだけでなく、天井も高く、装飾や意匠は荘厳でかなり凝っている。
老執事は左右2列に整然と並んだ長椅子の間を担架と共に進み、ホールの奥で柔らかな微笑みを浮かべている男の前まで来ると軽く会釈をした。
男も老執事と同じように会釈を返し、「写真で見た通りですね。なんと素晴らしい棺でしょう」と感嘆まじりの声を出した。
4
背徳的な意匠が施されえた棺の中に出品者は静かに横たわっていた。
髪の毛がなく、耳元まで裂けた口に鋭い犬歯を持つ出品者の目は棺の暗闇の中で確かに笑っていた。それも無理からぬことだ。強力な催眠術で老執事を操っているとはいえ、今まで新天地へ向かう時にはすべて彼に任せていた自分が采配を振るい、今回はうらぶれた空き家を借りさせたのではなく、すでに人間が用意されている家に自分を落札させ、輸送までさせたのだから。いや待て……自分を落札させたのではなく、自身とその安息所たる棺を、食糧でしかない愚かな人間に奴らの利器をもって競り落とさせたのだ。今では献血センターから日々の糧をかすめ盗ったり、トマトジュースで糊口をしのぐなど、同族や眷属の中には闇の住人の誇りすら、すっかり無くしてしまった愚か者が数多くいるというのに、何という非凡さであろうか。出品者である異形の自尊心は棺の中で小躍りをやめることはなかった。
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さて、担架からの振動がやんだということは、家の中に入ったのだろう。では、開口一番。落札者に何と挨拶してやろうか。「目の前にいるのは、お前の悪夢だ」と言うのは、あまりにもチープだし、「我輩が何者かわかるかな、人間よ」という謎解きめいたものでは芸がなさすぎる。かと言って、いつものように抑揚を効かせた低音で、「グッ~ドゥ・イ~ブニング」と言うには、今はまだ夕方前だ。おっと、そういえば興奮して朝方から一睡もできなかったので、今ごろ飢えを感じはじめてきたようだ。
さんざん考えた挙句、出品者はシンプルかつ、現代風な挨拶をすることにした。
「驚いたかね!」
5
棺の蓋を開け、中から勢いよく現れて挨拶をした出品者は、ひと目ホールを見るなり、壁に嵌め込まれたステンドガラスが割れんばかりの凄まじい悲鳴を上げた。落札者もまた棺から飛び出した異形を目の当たりにして、相手に負けないほど大きな悲鳴を身体から絞りだした。
選りにもよって、落札者が牧師で、運び込まれた先が教会だったとは不覚にもほどがある。取り引き相手の真の顔がわからないのが、ネットオークションの致命的な落とし穴だったのだ……。少し頭を冷やせば、出品者はすぐさま棺の中に隠れ、老執事に連れて逃げるように指示もできたはずだった。しかし神の家を覆い尽くす強烈な圧迫感と、そこからもたらされる苦痛は、そんなことすら考えつかないほど、出品者の理性を軽々と吹き飛ばした。
恐慌をきたした出品者は、開け放たれた門扉の傍らにいた老婦人を突き飛ばして外へ出るなり、沈みゆく夏の陽光を一身に浴び、またたく間に燃え散ってしまった。
*
数瞬後、正気に戻った牧師は門扉まで行くと、突き飛ばされた老婦人を助け起こして、信徒用の長椅子に座らせて怪我がないかどうか聞いてやった。
この老婦人は半年前に発生した聖歌隊の少年の失踪事件に牧師が深く関与していると公言して憚らないゴシップ好きの騒がしい人物だった。それが昨日までの猜疑心に凝り固まった視線ではなく、尊崇の念を込めた眼差しで牧師を見つめている。
彼女が言うには、少年失踪事件の証拠をつかもうと教会を見張っていたところ、中から異形が逃げ出してきたこと。それが炎を上げて滅び去り、牧師が続いて出てきこと。これらを考え合わせると、おそらく聖歌隊の少年は残念ながら、すでに異形の犠牲となっていたが、牧師が神の御業でそれを斃し、自分のみならず、この田舎町すべての住民を救ってくれたのだということだった。あまりに突飛な解釈ではあったが、牧師はそれを否定せず、もしまだ異形の仲間がいては危険だから、今日はもう家に帰って一歩も外へ出ないように諭すと彼女を送り出した。
6
牧師は信徒席から祭壇を見つめる老執事をはじめは警戒していたが、思い切って声をかけてみることにした。それほど彼の佇まいが悪意を感じさせないものだったからだ。
そこで老執事が生涯の長い時間、異形の操り人形として生きてきたことを知った。同情した牧師がなおも話を聞いていくと、異形の食糧調達のために都会の麻薬業者など、反社会勢力の男女を捕まえては、その犠牲にしてきたこと。だから自分は神に許しを乞うても、決して神の赦しを得られない身であると告白したので、牧師はそれを神への告解と受け取り、赦しを与えることにした。赦しを得た老執事は牧師に心からの謝意を表して頭を垂れた。
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田舎町の家々に明かりが灯るころ、突然、老執事がこの教会には死臭が漂っていると言いだした。牧師は慌てて、教会は葬儀も取り扱う場所でもあるし、悪人の死を見続けてきたので、あなたは神経過敏になっているだけだろうと否定したが、彼は納得しなかった。それどころか、牧師の制止を振り切って、祭壇裏の地下室への階段を走り降りると、作業机の横にある長持ちの蓋をあけた。
中にはミイラ化し始めた少年の死体が横たえられていた。その装束から聖歌隊の少年であることは一目瞭然だった。だが、老執事の意識は、それを確認した直後に途絶えた。血まみれの手斧が牧師の手から滑り落ちてコンクリートの床で、ごとりと鈍い音をたてた。牧師は老執事の死体を脇にどけると、邪な想いを遂げた挙句に殺めてしまった少年の死体を優しく抱き起した。
地下室の明かり取りから差し込む月の光を見上げた牧師は、神はこれを、どう御覧になるのだろうかと半ば懺悔とも取れる言葉を呟いた。
7
ネットオークションは、やはり便利だ。これだけの逸品は、またとないだろう。ホールへ上がり、主がいなくなった棺に少年の死体を横たえた牧師は、完成した美術品を愛でるように、その光景にうっとりと目を細めた。
どれほど自分だけの時間を過ごしたことだろう。背後に、ふと生臭い息遣いを感じた牧師が振り向くと、天窓から差し込む満月の光の中に二本足で立つ巨大な狼が自分を見下ろしている姿に遭遇した。
巨大な狼は裂けた口蓋を器用に動かすと人語を話した。
「驚きましたか」
それは老執事の声だった。
*
その若者は牧師の衣料品を物色して身体に合うのが靴のサイズだけだと知って溜息をつくと、スマホでオークションサイトにアクセスした。昨夜まで着ていた服もズボンも盛り上がった筋肉で身体に合わなくなっていたからだ。
思えば、ここ数十年というもの、口にできたのは主から与えられる残飯ばかりだった。ジューシーさの欠片もない乾し肉のような悪人の死体。そんなものばかり食べさせられた彼の身体は年々、活力を失い、肉体も老人のそれへと変わり果てていた。しかし昨夜は新鮮な血肉を口にして若さと活力を取り戻すことができたのだ。満月でなければ手斧の一撃で死んでいたところだったし、主が自滅してくれなければ、その軛から逃れることもできなかった。そう考えると運がいい。だから今の身体にぴったりの服も早めに競り落とせるだろう。
若者はステーションワゴン車に乗り込むと田舎町を後にした。
了