0. 束の間の魔王
初めての呼吸は血の味がした。
魔界はそういうところだ。
常に争いがあり、血と死体の腐敗臭が漂っている。
弱い者は搾取され、強い者だけが快楽を得る単純な仕組み。
強者だけが全てを得ることができる。
だから全ての魔物は強さを求める。
人型の魔物・アイガも例外ではなかった。
そして現在。
彼がいるのは魔王城最上階、王室。
「よお、魔王サマ。その椅子奪いに来たぜ」
漆黒の鎧に身を包み王座に座る魔物の王。
魔界最強の称号、『魔王』の称号を冠するバロトロスの前だった。
魔王バロトロスは、頬杖をつき悠然と見下ろす。
自分の首を狙う者が現れたというのに、警戒するそぶりすら見せない。
「グリゴールはどうした?」
「下の階にいたデーモンなら、俺の部下が相手してるぜ。俺が相手するまでもなかったからな」
アイガの物言いに、バロトロスは溜息を吐く。
「魔王の座を狙う輩は皆同じだな。傲慢で、生意気で──目障りだ」
突如、アイガの足元から無数の鎖が飛び出した。
「!?」
反射的に後方へと飛ぶ。
熱せられたように赤みを帯びた鎖が、アイガを追いかける。
「無駄だ。私の鎖からは逃れられん」
バロトロスの言葉と共に、床、天井、壁、あらゆる方向から鎖が飛び出した。
(どんだけ生み出せんだよ!)
回避が間に合わず、アイガが鎖に捕まる。
鎖は蛇のように体を這うと、瞬く間に全身を縛りつけた。
(伊達に100年、魔王続けてねえってか……!)
「所詮その程度か。暇潰しにもならん」
バロトロスが手をかざす。
黒い炎が渦を巻き、膨れ上がっていく。
まるで黒い太陽ように。
「それがアンタの最強の魔法か」
目の前の黒い太陽に、アイガを思わずニヤける。
戦場で幾度も耳にした。
奴を魔王にいたらしめた、全てを燃やし尽くす魔法。
「その眼で拝めることを光栄に思え。〈煉獄の黒炎〉」
ドオッ!!
放たれた黒い業火はアイガを飲み込み、起動に存在したものすべてを焼き尽くした。
爆煙と共に激しい砂埃が舞う。
崩れた城壁から赤い空が顕になった。
「また修理させなくては」
呟くと同時。
床から現れた無数の鎖が、玉座ごとバロトロスを縛りつけた。
「なっ、これは……私の〈煉獄の鎖〉!?」
「これがテメェを魔王にした固有魔法か。確かに強烈だが、惜しかったなぁ」
砂埃の中からアイガが姿を現す。
焼き爛れた皮膚。剥き出しの骨。
生きているのも不思議な状態で、アイガは立っていた。
「俺を殺すには、一歩届かねぇ」
まるで時間を巻き戻すかのように、身体が再生していく。
「感謝するぜ、バロトロス。おかげでアンタの魔法が手に入った」
複製魔法。
それがアイガの持つ固有魔法だった。
先刻の再生魔法も、過去に複製した一つである。
「小癪な!!」
再びアイガの足元から鎖が出現する。
「無駄だぜ」
アイガを捕縛しようしたその瞬間。
全ての鎖が砕け散った。
「なっ……!」
「冥土の土産に教えてやる。俺の固有魔法は二つ。一つはこの身でくらった魔法をコピーする、魔法複製。そしてもう一つが魔法融合」
「融合、だと?」
「てめぇを縛ってるのは〈煉獄の鎖〉じゃない。〈煉獄の鎖〉に、触れてる間魔法を抑制する〈無力化の手〉を融合した、俺オリジナルの魔法。言うなれば〈無力化の鎖〉だ」
アイガが手をかざす。
黒い炎が手を包み込む。
「さて、お前からもらった魔法がもう一つあるな」
「まさか……」
魔王バロトロスが初めて動揺を見せる。
「その眼で拝めることを光栄に思えよ。こっからが俺の真骨頂だ!」
アイガの右手が黒炎を纏い、左手に風が集まる。
「てめぇの最強魔法と俺の最強魔法を融合だ!」
黒炎魔法〈煉獄の黒炎〉と竜撃魔法〈古龍の咆哮〉を融合。
圧倒的な魔力量に城が震え、大気が揺れる。
アイガの元に生まれた新たな魔法。
その破壊力は想像するまでもなかった。
「竜の覇気を纏った地獄の業火……〈灼熱の咆哮〉」
「ま、待て! 魔王の座は貴様に━━」
「じゃあな、元魔王」
破滅の一撃が放たれる。
黒の閃光。
一瞬、全ての音が消え。
次の瞬間、城全体──大陸を揺るがすほどの轟音が鳴り響いた。
魔王バロトロスは塵一つ残さず消え去った。
「あー、やべ」
爆煙が収まり、アイガが肩を落とす。
アイガの一撃により、バロトロスごと王座まで吹っ飛んでしまっていた。
「座るとこねーじゃん」
玉座だけでなく、王室自体がもはや原型をとどめていない。
残っているのは、かろじて残っているひび割れた床だけだ。
アイガはその床ににへたり込んだ。
確実に仕留めるため、魔力のほとんど使い果たしてしまった。
「アイガ様!」
壊れかけの階段を鎧の男が駆け上ってくる。
下の階で門番のデーモンを任せた唯一の部下、ガウェイクだった。
剣技を得意とする騎士型の魔物である。
鎧の傷と欠けた剣が、戦闘の過酷さを物語っていた。
「よお、ご苦労さん」
ガウェイクは赤い空の広がる王室、そして気の抜けたようなアイガの苦笑を見て、安堵の表情を浮かべる。
「アイガ様、成し遂げたのですね!」
ガウェインは駆け寄るがいなや、アイガに抱き付いた。
「ちょっ、離れろ! 鎧が痛えんだよ!」
「良いではないですか! 125年の苦節がようやく報われたのですよ!」
ガウェイク優秀な部下である。
主従関係を結んでも裏切る魔物が多い中、ガウェイクだけは最後まで一度も裏切ることはなかった。
しかしたまに暑苦しいところが、アイガは苦手だった。
頬擦りしようとするガウェインを無理矢理引き離す。
「ほら、どけどけ」
アイガが立ち上がると、胸元にに黒い光が収束し始めた。
光はやがて球体になり、黒い光を揺らめかせる。
その光に、ガウェイクが感嘆の念をこぼした。
「なんと神々しい。これが取り込めば魔界を意のままにできるという〈魔界核〉……!」
核を取り込んだ者が魔界を統べる王となる。
魔界で知らないものはいない。
だからこそ、すべての魔物が魔王を目指す。
言い換えれば、この核こそが魔界が弱肉強食である元凶でもあった。
「とにかく、これで俺が魔王。この魔界も全部俺のものって訳だ」
〈魔界核〉を手に持ち、アイガが魔界を見下ろす。
壁は全て吹き飛んだため、視界を遮るものはなにもない。
あちこちで爆音や轟き、火や氷の魔法が飛び交っている。
見渡す限り、誰もが争っている。
荒廃したクソみたいな世界だ。
「やはり、以前おっしゃっていた魔界に帰るのですか?」
「あたりめ−だろ? あいつとの約束だからな。安心しろよ、ガウェイク。お前との約束も守る。ちゃんとナンバー2として魔王の側近に────」
アイガの胸から剣が突き出した。
「え?」
数瞬遅れて、後ろから刺されたのだと気がつく。
「あ、すいません。やっぱ私が魔王になりますね。だってあなたの作る魔界、退屈そうなんですもん」
「……が、ガウェ、イク」
突然の部下の裏切り。
アイガの脳裏に過ったのは、驚愕でも憤慨でもなく、後悔だった。
魔王を倒すことに躍起になり膨大な魔力を消費してしまったこと。
なにより信頼してしまったこと。
弱肉強食の魔界。
魔物同士の繋がりなど所詮、力による主従関係でしかない。
「な、なめ──」
体制を立て直し、魔力を熾そうとする。
しかし。
「あなたの弱点は把握済みです。ずっと見てましたから。このまま死んでください」
魔法を発動する間もなく、空間から出現した無数の剣がアイガを突き刺した。
「ごっ、あ…!?」
見たことがない魔法だった。
この瞬間のために隠しておいたのだろう。
「そんな魔力じゃ再生魔法も使えないでしょう?」
全て見透かされている。
「てめぇ、は…ぜってぇころ、す」
「できるものなら」
空中へ蹴り飛ばされる。
同時、天から現れた巨大な光の剣がアイガを貫いた。
「さようなら、束の間の魔王」
最後に見えたのは、憎たらしいまでに爽やかな笑顔だった。
憎悪と後悔に包まれながら、アイガの意識は途切れた。




