第六話 深窓の祖父
そうか、美矢真先輩、ハーフヴァンパイア、ってことか。そりゃ本人に告げられない訳だ。
状況を再整理し、取るべき行動を再検討する時間が欲しい。が、どう見たってそんな猶予は無い。アドリブで動き、最善の結果へと導かねばならない。
「伯爵様、と呼ばせて頂きますが、伯爵様は華音様を吸血鬼になさるおつもりですか」
俺がヴラド氏にそう訊ねると、厄志さんの殺気が膨れ上がる。返答の如何によっては、厄志さん、ヴラド氏に飛び掛かりそうだ。
「無論だ」
あっさり肯定。おまけに厄志さん、ヴラド氏が一瞥くれたら、体が硬直して動けなくなった。呪いか魔術、あるいは瞬間催眠術の類に掛けられたのでは無さそうだ。
俺の身にもみなぎる恐怖。数百年の時を閲し、なおかつ歴史にその名をとどめる英雄の一人。十八年間、この日があることを予期し、心に期して来た厄志さんと言えど、スケールの違い、迫力の格の差は埋められず、その眼力だけで身動きを封じられてしまった。
俺も今すぐ目を逸らし、その場で膝を抱えてうずくまりたい誘惑に耐え、何としても言葉を繋ぐ。
「華音様はそれでいいのですか。もう二度と陽の光の下に出られなくても。今日までに出会ったすべての知己との縁が絶たれても。二度とここへは戻れなくても」
「それがそんなに悲しいことかしら。貴方もいずれは似たような道を辿るのでしょう。この街を出て、どこか遠い土地へ夢を懐いて、二度とこの街に戻らない覚悟で。旅立つ日まであとどれだけの時間があるかしら。
私は十八年前にそうするはずだった。もう夢を追求する若さ、エネルギーも無い。なら、私は不老不死を受け入れるわ。それに血を求めるサガに関しても、貴方も聞いているようね。本気で私を止める気は無さそうだもの」
そう、そのことはモレク師匠から魔術の講義を受けている際に聞いていた。吸血鬼たちは既に、血液の代替物、人工血液とも言うべきものを完成させ、人の首筋に牙を突き立てる必要は失われたと。
つまり吸血鬼たちは逆に、未だ失われぬ吸血衝動のままに、人類を襲い尽くし滅ぼしたとしても、その身の生存上の問題は克服されているのだと。
人類をすべて吸血鬼化させて滅ぼしたとしても、共倒れを心配せずに済むのだ。俺の顔が恐怖に歪むのを見た伯爵は、
「案ずるな。我ら夜の貴族たる者、一族に迎える者は選ぶ。無節操に同族を殖やすような真似はせん。だが、カノンは別だ。どうあっても、今宵、我が一族に連なってもらうぞ」
正直言えば、部外者の俺には華音さんが吸血鬼になることに、禁忌性は感じない。無宗教の俺のような世代は、吸血鬼がそんなにおぞましいと言う感覚自体、薄いのだ。
しかし家族にしてみたら、自分の身内が化物になるという感覚は、受け入れがたいものが有るかも知れない。しかし、さらにしかしだ。この家族、娘の美矢真先輩が既に吸血鬼との混血ではないか。
つまり厄志さん、愛した人が吸血鬼になるってところを、ただフラれただけって、思い直さないか。そのことを俺は、ハッキリと厄志さんに告げ、説得してみた。
最大の味方だと頼みにして来た俺からの敗北勧告に、言葉も出ずに膝を屈する厄志さん。
「今までありがとう。貴方のこと、決して嫌いではなかったわ。でもこれでさようなら。美矢真のことをよろしく」
「待って」
この部屋の一歩外は、濃霧に満たされて一寸先も見えない有り様だが、その迷いの霧の中をどうくぐり抜けて来たか(恐らく吸血鬼の血のなせる技だ)、美矢真先輩が現れた。
「何でこんな事に成るの。何で普通の生活が、私にだけ得られないの。普通に祖父と父と母と私が、仲良く静かに平和にずっと暮らして行くだけの、普通の幸せがどうして私には受けられないの。生まれた時からずっと我慢して来たのに、こんなのおかしいよ」
「いや、鵬先輩、いま時どこの家も理由は違えど、先輩の家みたいなモンだよ。ダンナに不満も恨みも無い主婦なんかいないし、両親と仲良くしてる息子・娘なんていないし、家族から愛される父親なんて聞いたことないよ。
むしろ、十八年間も事を荒立てなかった鵬先輩の家族って、世間的にはかなり平和で、おまけによその家より裕福だったトコなんか、恵まれてる方じゃないか?」
「えっ! そうなの⁉」
世故に疎い鵬先輩は、本気で驚いていた。今、明かされる驚愕の真実。自分は全然、不幸じゃなかった。
「今の日本の離婚率って、三組に一組のカップルは離婚らしいですよ」
俺のこの説明を聞いたこの部屋の全員が、そうだったのかと深い溜息を吐く。階下からは、錯乱したこの家の祖父さんの喚き声が聞こえる。
「どう? 無事に解決に導けた? 岳くん」
ここで満を持しての真打登場。モレク師匠だ。
「これは、魔術王! いやはやよき弟子を持たれましたな。この者の活躍ぶり、感服いたしましたぞ」
おれ、何もしてないよ。
「じゃあ、伯爵、私の魔術でトランシルヴァニアまで送るね。岳くん、どうする?ここじゃ無い遠い世界に一緒に行くかい?」
「う~ん。いや、いいです。俺が目指してるの、そこじゃないと思うんで」
「あはは、そうだよねえ」
笑う理由が分からない。
厄志さんと美矢真先輩は、妻母との最後の別れだかなんだかもう、どうでもいいよとでも言うような、やけっぱちな態度で見送っていた。華音さんとドラキュラ伯爵は結局、とても幸せそうだった。
かくのごとく問題は解決を迎え(日本の離婚率の高さに救われた)、俺と師匠はこの邸をあとにした。