第四話 深窓の母
「う~~ん」
「どう思うかなあ、岳くん」
悪いのは祖父だな。そいつが人の恋路の邪魔さえしなけりゃ良かったと思うんだが。それとその義父って人の態度が正しいとも思えないんだよなあ、俺には。鵬先輩には言えないけど。
「うん、そうかもねえ」
「?」
俺の心を読んでうなずくモレク師匠と、その様子を首を傾げて、悩みつつ眺めている鵬美矢真先輩。
「鵬君、正直言うと、私は悪霊の味方かな。君には悪いけど。ただ、君を傷つけずにこの件を解決したいというのも本当だよ。むしろ悪霊からもそれを頼まれてる。君はこの件でどんな解決を望んでるかな」
「今言った通りです。母には、義父の想いに応えて悪霊より今の家族との生活を選んで、これまでと違い義父と向き合って欲しいんです」
まあ、そりゃそうかもな。俺にはそれが正しいとは、どこか思えなかったが、鵬先輩の立場からすれば、そう願うのが当然というか、仕方ないというか。
「分かったよ。稲富岳くん、君に一任するよ。今夜、鵬くんのお宅に伺って、この問題を解決して来て。やり方も結論も全て委ねるから、好きなように解決して来てね」
はあ‼ なんじゃそりゃ⁉
「引き受けてくれるよね。断ったら――――分かってるよね」
かくして俺は、鵬美矢真先輩の屋敷を訪れた。屋敷と言ったが、実際、大層ごりっぱな洋館だった。
ここに着くまでの間、頭の中で状況を整理してみると、それまで大変な事になっていると思っていたのが嘘のように単純な話だった。所詮、惚れたの、はったのと言っただけの、狭い世界の問題なのだ。
鵬先輩にとっては、家庭崩壊の重大事だろうが、結局、誰かがどこかで我慢することで、無難に解決する話だろう。
まずおかしいのは義父の態度だ。
自分がいくら愛していようが、その相手が自分のことを何とも思っていないのみならず、他に好きな人がいると言うなら、幾ら追いかけたってしょうがないじゃないか。それじゃストーカーだろ、って話だ。
その義父が諦めるのが正しい態度だと思うんだけど。
ただし、美矢真先輩にとっては事情が異なる。自分を置いて、母親が他の好きな男の下に出て行くと言うのは、親が子供を捨てたという事だ。
まあ、そう言うには美矢真先輩の年齢も、微妙な年頃ではある。
もう二、三年後なら親が捨てたのなんのと言っても、お前が自立しろよとも言えるのだが、そう言うにも少し微妙な年齢の時期だ。
それとは別に美矢真先輩が一方的に捨てられたとも言えない条件もある。
モレク師匠からの話だと、悪霊さんの方は、母親と一緒に美矢真先輩を引き取ってもいいと、伝えて来たのだそうだ。
つまり母親は、勝手に娘を無視して出て行くのではなく、母親か義父か選ぶ権利を美矢真先輩に与えているのだ。
子供に対して酷な選択をさせる、とは言え、美矢真先輩はそこまで子供じゃない。
母親と見知らぬ実父との未知の環境で、ゼロから人生を再出発させることより、今まで通りの義父と我が家、学校などの周囲の友人たち、今までの環境を選択している。
その視点から見れば、美矢真先輩の方から、母親より今までの生活を選んで捨てたのだとも言える訳だ。
そこのところを美矢真先輩に分からせて、納得してもらえば、この一件は解決へと収束するのではないだろうか。
美矢真先輩の思い描く、母親と義父が両想いになってくれさえすれば解決というのは、最短コースであるのは確かに認めるが、その道が閉ざされているのは、ほぼ確実ではないか。
他人の都合や思惑で、人を好きになってくれ、愛している人を替えてくれ、などと言うのは土台無理では無いだろうか。
子供が親にそう願うのは、当然で仕方の無いことだが、子供が大人になるより仕方の無いことである。
たまに俺は他人から「おまえの正体、おっさんだろ」と言われることがある。今、自分でもそう思った。
鵬邸に着いた頃、頭の中の状況整理がかくのごとくまとまったので、あとは部外者で赤の他人の俺が、他人様の家庭の事情に首を突っ込んで、俺の思惑通りに事を運ぶべく、関係者に当たってみることにした。
美矢真先輩は、悪霊が今宵、この洋館に来訪することを祖父に告げ、俺が何とかしてくれるらしいと家人達に紹介して回ってくれると言うので、俺としては事態の鍵になる美矢真先輩の義父と母親に会わせてもらうことにした。
まずは母親からだな。
正面玄関から入って直ぐのホールを抜け、奥の階段から二階へと上がらせてもらう。案内役は美矢真先輩が務めてくれる。母親(華音さんという名前らしい)の部屋へとついて行く。
実を言えば、この邸宅に来てすぐに、祖父さん(慈蔵さんという名前だったか)と一悶着あってからここに来ているので、母親さんには既に来客の知らせと、悪霊が迎えに訪れることが知らされている。
私室に迎え入れてくれた美矢真先輩の母親はと言うと、美矢真先輩を思いっきりにハデに、ゴージャスにした感じの美人さんだった。
例えていうなら、和製イングリット・バ〇グマンとでもいうべきか。一体、年齢は幾つなんだろう。うん、この人に対して美矢真先輩のことをどう考えているか聞き出して、この母親と娘の関係に軋轢を解消しながら、穏便に二人が別れられるよう事を運ばねばならない。
まったく、他人様の家庭に対してずい分無責任な事を軽いノリで仕出かしているな、おれ。人の一生を左右する話なのにな。
「あら、思ったより野心的な目をした方ね。もっと人の好さそうな世話好きな方かと思っていたわ」
「ええ、人を見る目がありますね。僕は善意だけでここに来た訳では、ありませんよ」
「――――――⁉」
人の善意を無条件で信じていたらしい美矢真先輩が、息をのむ。
「うそ。貴方がここに来たのは美矢真の為ね。傷ついたこの子が立ち直れるように、悪役でも買って出るつもりかしら。貴方の真意を知ったこの子から、貴方、惚れられるわよ」
おいおい、今時の海千山千の女子高生がそんなにチョロイはず無いだろ。所詮、昭和のおばさんだな。と、それより今、隣で美矢真先輩がどんな顔しているか、怖くて見れない。
「でも、貴方にもいるんでしょ。この狭い世界から自分を解き放ってくれる、憧れの人が。これで貴方、私と同じ立場ね。私たちは似ているのよ」
この人の世界ではすべて、惚れたの憧れだのだけなんだな。俺は別にモレク師匠に惚れちゃいないが。(憧れの人ではある)
「厄志さん(美矢真先輩の義父、この人の夫の名前)の気持ちは分かるわ。私のあの方への想いと同じものだものね。でもそれなら、私のこの想いがどうしようもないものだという事も、あの人には分かってもらわないと。私はこの日を十八年、待ったのよ。美矢真、あなたのことは申し訳ないと思う。でも、どうにもならないのよ」
「私は母のことを引き留めたい訳じゃ無い。義父が可哀想なだけ」
こういう時、男の方が身を引くのが、男のカッコよさ、潔さなのだが、さすがにこの状況下で部外者の俺がそれを言う訳には行かない。後日、場を改めてから忠告しよう。
美矢真先輩は母親の態度に怒りを覚えているが、裏切られて傷ついて苦しんでいるという心境では無さそうなので、これならそのうち立ち直れるだろう。
華音さんに、あなたの考えは分かりましたと告げ、この部屋を後にする。次は厄志さんを伺いたい。