第三十一話 再生
往路にも通った茶畑を突っ切る一本道で、復路を通いバス停へと戻る。
俺がモレク師匠を選んだことで、人間関係がギスギスしだしたらどうしよう、などと心配していたが、全くの杞憂に過ぎなかった。一度はっきり決まってしまえば、あとは皆サッパリしたもので、誰もその件を蒸し返して不満を漏らす者はいなかった。
こういうみんなの気風の良い所、好きだな、おれ。
「へっへー」
俺の心を読んだモレク師匠も笑みをこぼす。
帰りのバスは、俺たち以外、他に乗客は居らず、貸し切り状態だ。特に嬉しいことでも無いが。約束通り、俺の隣の席はモレク師匠。
俺たちの前の席に鵬先輩と白馬さん。(何のかんのと言った所で、この二人は仲がいい)通路を挟んでもう一つ隣の席が、独楽子さんだ。
思えばつい先ほどまで、独楽子さんと鵬先輩は銃弾を叩き込まれ、鵬先輩と白馬さんは電撃を浴びせられ、鵬先輩とは殴打を交わし合っていたと言うのに、もう既にみんな、「そんなこともあったかな」といったテンションに収まっている。
超人、というか一角の英雄の気概とは、かくなるものであろう。ホントに俺だけだよな、一般人。
「岳さんってモレクさんのどういうトコが好きなんですか」
「キャラクターです」
「?」
唐突に妙な質問をされたので、普通の言い方で煙に巻いてみた。言った俺自身、何を言いたかったのか分からない。正直に師匠のどこが好きかと言うと、可愛い所です。
逆にみんなは俺のどこが好きなのか、訊いてみたかったが止めておく。やっぱり怖かったのだ。モレク師匠を除く三人が何やら密談を交わし始めた。
「(私もキャラクターを、師匠みたいな感じに変えた方がいいのでしょうか)」
「(無理じゃないの? センパイは自分の魅力で勝負すべきよ)」
「(私の魅力ってなに?)」
「(深窓の令嬢っぽい見た目と、図太い性格のギャップ)」
「(……………………………)」
「(私も可愛い感じにした方がいいですか)」
「「((コマちゃんは可愛いよ))」」
何を話し合っているのだろうか。隣で師匠がとても嬉しそうだ。結局このバスには、掛川駅に着くまでの間、誰も乗車して来るものは現れず、最後まで貸し切りの状態だった。
俺たちが乗らなかった場合、このバスの乗客は一人もいなかったことになる。何故かは分からないが、運転手さんが可哀想に思えた。
掛川駅に着いた。ここまで来ればこの旅ももう、慌てることは何も無い。後は地元駅まで運ばれて、そこで皆とも解散だ。そう思ってバス停近くの自販機で缶コーヒーを買う。
すぐ隣にコンビニもある。コンビニの方が缶コーヒーは数円安い。が、数円浮かせる為にレジで並ぶ労を取るかと言えば、自販機で済ませた方が楽だ。
つまり何が言いたいかと言うと、俺も独楽子さんの様に、旅の終わりが寂しくなって来たので、気を紛らわす為に、ラチも無いことを考えてごまかしているのだ。
「岳くん、でも今日一日、ずっと寂しそうだったよ。自分でも気づいてないようだから」
え、
「ごめんなさい。稲富さん」
鵬先輩が謝る意味を俺は知っていた。あの犬が亡くなった件について、ずっと責任を感じて、自分を責めて…………。悪いのは全て俺なのに。
何も言わないが、その話に触れようともしないが、独楽子さんも事情を全て知っているだろう。独楽子さんも妖術であの事件の一部始終を見て、それで今日も一日ずっと俺を見守って。
「稲富くん」
何も知らない白馬さんも、恐らくあの校舎裏で泣き出してしまった俺を見つけた時から。
「私が岳くんを責めてあげる。悪いのは岳くんって認めてあげる。岳くんは最初からあの事件に関わるべきじゃ無かった。仕方なく巻き込まれたにせよ、すぐに手を引くべきだったんだ。リベンジマッチとか飼い主の見栄だとか、体面に囚われずに。
何よりあの場に、あの犬を連れて行くべきじゃ無かったんだよ。そうすれば岳くんが狒狒に引き裂かれて死んで、あの犬が身代わりになって死ぬことは無かった。そうだよ。あの子は岳くんの身代わりになって亡くなったんだから」
俺を責めるモレク師匠を誰も止めない。皆も分かっているのだ。これがあの犬の死とその責任に、俺が正面から向き合える、最初で最後の機会だと。
「次は負けない」
また、何かがこみ上げようとしている。
「もう、次は負けない」
咽喉から、気管支から、肺から、横隔膜を押し上げながら、俺の体の奥底から、
「どんな相手にも打ち勝ってやる」
俺の中で、再び荒れ狂う何かが。
「どんな相手だろうと、立ち塞がるならなぎ倒して」
声帯までせり上がったそいつを、一旦は抑えつけながら、
「俺は必ず大切な物を守り抜いてやる」
自らの意志で、自分からそいつを吐き出す。俺の中から解放する。解き放つ。
「誰にも俺の仲間を傷つけさせない」
「負けない」
「勝ってみせる」
解き放たれたその何かは、たった一つの言葉になる。
「強くなってみせる。みんなを守れるくらい」
たった一つの決意になる。皆の前で、皆に誓った。モレク師匠が応える。
「鋼を鍛えるように、私が岳くんを鍛え上げてみせるね」
掛川駅から地元駅に向かう電車は、故障点検のため、三十分の遅れとなった。