第三話 深窓の先輩
鵬美矢真氏というのは、俺の通う高校に居る三年生の女子生徒で、確かに俺の先輩ではではあるが、事実上、縁も面識もない赤の他人だ。
ではなぜ俺がその人の存在を知っているかと言えば、校内でも最も知名度の高い生徒であるからだ。噂でしか知らないが、この街で一番の名家の出だそうで、実家は今でも相当な権力をこの街で揮えるらしい。
ただまた何故そんな人が、俺みたいな者も通っている地味な高校に在籍しているのか。市外に出れば、もっと名門校と呼べるような高校も在るはずなのに。
噂にも聞いたことの無い俺の勝手な憶測だが、あの人、いかにも深窓の令嬢と言った容姿に似合わず、学業のほどはかんばしくないのでは…………
こんなことを俺が言い出したなどと言われては、学校中から村八分にされかねないので、絶対に語ったりはしないが。
深窓の令嬢と言った容姿とは、あの人の知名度の理由その二だ。
確かに怖いくらい綺麗な容姿と通学カバンより重い物は持てそうに無い儚さ、かよわさを称えた風情、それでいて青み掛かって見えるほどの漆黒の長髪をなびかせて進む姿は、颯爽としてすらいる、麗人と言えよう。
奥ゆかしい性格だそうで、友人も豊富らしい。俺なんかがどのツラ提げて、白藤の滝なんかに誘い出せるのか。声を掛ける機会なんかないぞ。
「師匠、何の為にあの人を呼びつけるのか、理由を先に教えてもらえますか」
「もっともだね。ちゃんと理由があるからよく考えてくれ」
翌日の放課後、学校での務めを終えた直後、俺は自分の教室を出て三年生の教室を目指す。ただでさえ伺いにくい上級生の教室、ましてや呼びかけるのは鵬先輩。
結論は出ている。当たって砕けろだ。
あっという間に教室の前に着いた。入り口付近で話し込んでいる女生徒と目が合う。仲間内の会話が止まった。
「あの、すいません」
「は、はい」
下級生相手に敬語? 俺を見るなり緊張し、動揺し始める。なんだろう、俺って三年生にも嫌われてるのか。
「鵬先輩はいますか」
「ああ、なんだ。って、ええ⁉」
急にガッカリしだした直後、驚きを表す感嘆詞を挙げる見知らぬ先輩。教室中に驚きと動揺が波紋のように広がっている。門前払いを食わされるんじゃないか。何を勘違いしたか、冴えないヤツが来たとか思われて。
教室内中の視線が俺を品定めし、何となく納得してくれたような雰囲気になった。どうせ俺が思った通りになったんだろう。
ところがつまみ出されることも無く、窓際の席にいた鵬先輩が、俺に近づいてくる。みんながハラハラしている空気が伝わる。予想外の反応だが、皆、何か誤解があるのかも知れない。
「あの、私に何か用ですか」
また、下級生の俺に対して敬語だが、この人は誰にでも敬語なんじゃないだろうか。何となくそんな雰囲気だ。なんだか妙にソワソワしている。ほんの少し、頬を赤らめている。
やはり冴えない俺に呼び出されたのが、不愉快なんだろうな。どこに行っても俺は、こんな態度を取られるハメになるんだ。
「ひとまず俺と、体育館裏まで来てくれませんか」
直接、白藤の滝まで連れ出すとか、不可能だろうと思ったので、まずは一度近場に誘って、そこでモレク師匠から聞かされた事情を説明しよう、という判断だった。
「はっ、はい」
ここで断られたらお手上げだったが、奇跡が通じたらしい。やってみるもんだ。
そそくさと、鵬先輩と一緒に、体育館の裏までやって来る。明らかに体育館の影にギャラリーが控えている。見られていても、会話の内容さえ聞かれなければいいか、と開き直る。
モレク師匠から教わった、鵬先輩への用件を俺は伝えた。
「鵬先輩の実の父親である悪霊が、今夜あなたの母親を迎えに来るそうです。先輩も悪霊と一緒に今の家を出るかどうか、決断しておいてください」
何を言っているんだろうね、俺は。モレク師匠から言いつけられた内容をそのまま伝えただけだが、明日から自分が学校中でどんなあだ名で呼ばれるか、憂いていると、
「そう、そうですか。ついにこの日が来たんですね。教えてくれてありがとうございます。でも私は今の家に残ります。母のことは諦めますが、実の父にはそう伝えてください」
「あ、いえいえ、僕の役目はそれを悪霊に伝えることではなくてですね、その件で大きな騒ぎにならないようにしたいという、僕の師匠に会いに来て欲しいという事です」
「私を助けて下さるのですか」
「先輩の心情も考慮しようって言っていましたよ、師匠」
「お願いします。その方に合わせてください」
かくして俺は、鵬美矢真先輩を自転車の荷台に座らせ、白藤の滝まで駆けつけた。最後は自転車から降りて、山道を登らねばならず、学校の指定靴でぬかるみを跳び越え、どうにか滝の前までやって来た。
師匠はどうやらこの滝のある岩場で、野宿をして暮らしているらしい。始めは驚いたが、今では納得済みだ。さっそく、モレク師匠に鵬先輩を会わせる。
「やあ、私の名前はモレクだよ。まずは君が自分自身の事情についてどこまで知っているかを、私に話して」
「はい、私の今の父が血の繋がった実の父親ではなく、義父だという事は早くから知っていました。そしてその実の父親が人間では無い悪しき者だという事も。そのことは母と祖父から聞かされたのです。母はここでは無い、どこか遠くを見つめてばかりいる人でした。
母がそうなったのは二十年前に、私の実の父、モレクさんの言う悪霊に出会った時からだと、祖父は言っています。二人は運命の出会いを果たし、夢のような日々を過ごしたのだと母は言います。
しかしその二人の秘密を知った祖父は、二人の仲を引き裂いたそうです。母と悪霊の関係など認められるはずも無く、非常な暴力的な手段まで用いて、母と父を引き離したのだとか。
そして十八年前、ついに致命傷を負った悪霊は、母の前から姿を消したそうです。それでも母はいつかその悪霊が再び迎えに来てくれる日を、夢に描いて生きて来たのです。そして義父はそんな母を本気で愛しているのです。
義父と母は幼い頃からの知り合いで、義父はずっと母の傍で母を想い続けて来たそうです。始めは義父も祖父の眼鏡に適わなかったようですが、悪霊との仲を引き裂き、悪霊の子、つまり私を身ごもってしまった母の為に、義父との結婚を許したそうです。
でも母は義父を見てはいないんです。ただ遠く過ぎ去った悪霊との日々のみを見続けています。それでも義父は、母を愛しているんです。
義父は母に従者のようにつくします。母には目を覚まして欲しい。義父の想いに気づいて欲しい。私は義父の味方です」
どうやら、師匠から聞いていたより、大変なことになっているようだ。