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モレクの後継者  作者: 雨白 滝春
第四章
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第二十五話 無声慟哭

 ゴールデンウィークが明けた。


 あの日以来、つまり昨日と一昨日、俺は白藤の滝へは行かなかった。鵬先輩ともモレク師匠とも会っていない。向こうからも連絡は無かった。


 何もしたくは無かったが、体を引きずるようにして、学校にだけは出向いた。相変わらずクラスの連中、誰も俺を気に掛けない。


 今日に限ってはそれをありがたいと思った。いや、いつもそう思っていたのだったか。以前のことが遠い記憶の様に思えていた。


 授業中、教師の説明が意外なほどスラスラ頭に入り、理解し記憶できる。何の雑念も湧かず勉強のことだけに意識を集中させられる。


 それでなくとも中間テストまでの教科範囲は、ゴールデンウィーク中にすでに予習済みだったのだ。今日からの学習内容は全て復習と言うことになる。


 自信はある不思議と前向きだ。


 やる気もある。今朝まで無気力で何もしたくなかったのに、エネルギーは全く損なわれず、枯渇の気配は無い。むしろ休み時間や昼休みが、余計だと感じた。


 いや、それもいつも通りか。アッという間に一日の授業が終わる。放課後、何故か俺は直行で家に向かう気になれず、校舎の周りをウロウロと徘徊した。


 何がしたいのか、何もしたくないのに、何もせずにはいられない。人気の無い、校舎裏まで来た時、ガクリとひざを折りついにはそのままうずくまる。


 何も考えられない。何も思い浮かばないまま、そうしてしゃがみ込んでいた。


「にゃあ」


(猫? 野良猫か…………)


 指をクイクイと動かし、こっちへ来いとうながす。


(寄って来るわけないか)


「にゃっ」


 意に反して、ノラ猫は俺のしぐさに釣られるように、トットットッと速足で駆け寄って来た。人懐っこい猫なのか、それにしては不愛想な顔をしながら、俺の脚に頭を擦りつけて来る。


(最初に会った時のアイツに似てるな)


(アイツはこんなに不愛想じゃなかった)


(こいつは本当にエサが欲しいだけなんだろうな)


(ごめん、サービスしてもらったけど、何も無いや)


 頭を撫でてやる。熱心に撫でる。そのうち両手で包み込む様に頭をさする。


(あれ?)


 目から涙がこぼれた。止めたい。涙を止めたい。止めようとした。止まれ、止まらない。ダラダラ、ダラダラとあふれて来る。


 必死で目に力を込めて、涙の流れを断とうとした。だが止まらない。涙腺から、次から次へと、次々と湧き出し、目の表面からあふれ、まぶたからこぼれ、関を切ったようにダクダクと涙が止まらない。


 顔中の筋肉が、顔中の表情筋が、顔の中心に向けてよじれ、ひしゃげる。完全に泣き顔だ。鼻の奥がズキズキと痛む。喉の奥から何かがこみ上げようとする。


 喉の奥から、気管支から、肺から、俺の中のどこか奥から何かがこみ上げようとする。そいつは声帯までこみ上げて来て、俺は必死でそいつを抑える。


 声帯でとどまったそいつは、俺の体内から吹き出ようと、激しく暴れる。そこで荒れ狂う。俺はそれを許さない。


 それだけは自分に許すまいと、全力でこみ上げる何かを堪える。顔中が歪む。 全身が震えた。それでも歯を食いしばり、なにが何でも耐えようとする。


 声を出さずに、泣き叫んでいた。無声の慟哭。ネコをさする手の動きだけが、唯一の外部からの感覚だった。涙であふれ返った目には、猫の姿も映らない。


 ネコの頭に触れた手から伝わる感覚で、猫が斜め上を見上げているのが分かる。俺の顔を見上げているのだろうか。どんな顔をして、見上げているのだろうか。


 呆れた顔か、バカにした顔か、理解できないと言った戸惑う顔か、奇妙な物を見る顔か、気持ちの悪いものを見る顔か。


 恐らくは、何でもない物を見るような、興味の無い顔でもしているのだろう。こみ上げてくる何かに必死で抗いながら、そんな猫に救いを求めた。


「稲富、くん?」


 唐突に誰かに声を掛けられる。よりによって何でこんな時に。声の調子だと女子か。次に「どうしたの」とか訊かれるとめんどくせえな、と思うが、今は一刻も早く泣くのを終えなければならない。


 制服の袖で涙をぬぐう。喉からこみ上げようとしていた何かは、嗚咽やうずきに替わっていた。泣き終わるまで、その女生徒は何も言わず立ち尽くしていた。


「にゃあ」


 立ち上がり、はじめてその女子に目を向ける。何も聞かれたくないと思った。


「っ…………」


 相手が息をのむのが分かる。俺の顔を食い入るように、目を真開いて見つめている。人の泣きはらした顔を見て何が楽しいんだ。と、ばつの悪い思いをした反感で、女生徒を見つめ返す。


(確か、隣のクラスの喜多きた 白馬はくばとか言ったか)


 その少女は目を輝かせながら、のたまった。


「稲富さん、一目惚れです。私とつき合ってください」


「え、無理です。大体おれ、君のこと何も知らないし」


「分かりました。鵬先輩ですね。あのオンナを消死てきます。待っててね」


 恋する少女は脱兎のごとく駆け去って行った。


(消すって言ったって、返り討ちだろうな。放っておいてもよさそうだが、血を吸われでもしたら気の毒だ)


 俺は喜多白馬さんの後を追い、鵬先輩の教室へと向かう。

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