第二十四話 後日譚
後日譚。
俺は血だまりの中から、犬の死骸を抱き上げる。滴る血が両腕からこぼれる。
「稲富さん!」
鵬先輩をその場に残し、犬の死骸を抱えたまま来た道を引き返す。途中で行き違うハイカーたちが、ギョッとした顔で俺たちを眺める。俺が見つめ返すと皆、遠巻きにしながら目を逸らす。
(通報されるかもな)
冗談のつもりでそんなことを思い浮かべたが、恐らく俺は笑えていない。結局、そのまま山を下り、住宅地を抜け、自宅まで帰った。
家の玄関のドアを、俺は開けられない。しばらくそこで立ち尽くした。なぜ、家の中へ入れないのだろう。
滴っていた狒狒の血は、もう俺の衣服が吸い切って、家の中で垂れ堕ちる心配は無い。一旦、犬の死骸を置いて、ドアノブに手を掛けるだけの話だ。なのに俺は、そのまま硬直したように、一歩も動けない。
急に玄関のドアが開いた。
「アンタ、何やってんの⁉」
母だ。母は俺の姿を、俺の抱きかかえる犬を目にする。
(こんな穏やかな死に顔してたら、死んでいるとは気づかないかもな)
バカなことを考えたものだ。俺も犬も血だらけじゃないか。たとえ俺の血でも犬の血でも無いにせよ、こんなザマを見たら、無事でないのは容易に察せる。
何の表情も浮かばない、のではなく、一切の感情が表情に出ないように自らを律した顔で、母は思いがけないことを訊いて来た。
「仇は取ったの?」
「…………もちろん」
「そう、明日の朝、父さんに車出してもらって、その子を火葬場まで運んでもらいましょう。それまでに別れを惜しんでおきなさい」
「ごめん」
「悔しいわね」
母は俺の部屋から犬の毛布を持ち出し、段ボール箱に敷くと、そこに犬の死体を横たえた。俺は家に上がり風呂場に行くと、血塗れの衣服を脱ぎ棄て、シャワーで全身を注ぎ、新しい服に着替えた。
そのまま俺は自分の部屋に上がり、勉強を始めた。何故そんなことをしているのか分からなかったが、今はただそれしか出来なかった。