第二話 出会いから
「君は野望という名の熱情に駆られているね。なのにその野心を向けるべき目的が見えない。それでそんなに悶えているんだね」
この少女は、いきなり真顔で、そんなことを言い出した。だから俺も、今度はちゃんと声に出して、本気で答えてみる気になった。
「そうだよ、俺には野望がある。ここじゃないどこか遠くで、自分にしか出来ない何かを成し遂げたい」
「なら何故、ここ、この場所で何かをやり遂げようとしないの?」
「自分には何も無いのは分かってる。平凡、無才能人、それが自分の現実。そしてこの街は俺の現実その物だから」
「なら、私が君を特別にしてあげる。この街を二人で、ここでは無い遠い世界に創り変えよう。だから私と一緒にトペテの祭壇を完成させて」
誰も居なかったはずなのに、突然、湧き出た少女。そして考えていることを読まれているかのように、一人で会話を進める。挙句、何やら意味の分からないことに、俺を誘い出している。
もう一度、確かめずには、いられなかった。
「それで、君、誰? 一体、何者」
「魔術王モレク、ゲヘナの創造主」
考えていることが読まれているのは、洞察力と、観察力と、直観力がずば抜けているからだろう、と、言えなくもなく、日本人離れした外見も、この街でこそ珍しいが無理な話では無い。
「うわ、ただの痛い子だと思われた」
初めて俺の考えている事を読み外したな。魔術王、ゲヘナ、本気にして信じてもいい。少女の顔が「あはっ」と笑み崩れ、
「やはり君には資格が有るね。次の段階に進めるよ」
少女モレクは右手を突き出し、手の平を上向きに、宙に開く。その手から蒼い炎が噴きあがった。
「この火に誓って。私と師弟の絆を結ぶと」
俺はこの時、かの経典のヒンノムの谷にまつわる記述を思い起こしていた。『魔術王モレク』『ゲヘナの創造主』その意味する処に関し、俺は全くの無知では無かったのだ。そしてこの少女の起こす奇跡について、手品の種を疑う気にはなれなかった。
「誓う」
短く、そして確固たる決意の下、俺は宣誓の言葉を述べた。俺のこの、身の内に棲む野心を使いこなしてくれるなら、俺は君に従いついて行く。俺の情熱を、君に捧げよう。
「良い覚悟だ。契約成立だね」
蒼い炎はどこかに吸い込まれるように、消えて行った。と、同時に、俺の胸の内に、快いそれでいて激しく燃え盛る、炎が燈るのを覚えた。
「私が生きて来た今日までの歴史と、今の私の目的、君に何をさせたいか、一から説明するね」
「いや、それは知らなくていい。それよりも俺に魔術を教えてください、モレク師匠」
何も知らずに従えば、自分で立場を考える余地は無くなり、いいように利用され、使い捨てにされることになりかねない。そんな状況になった時こそ、この少女が俺をどう扱うか、試してみたいと、俺は本心から望んだ。
俺のこの、人を試すような挑発を、心を読む少女はどう受け取ったのか、少しだけ寂しそうな表情を浮かべた後、健気な感じに微笑んで、
「うん、もちろん。私の全てを君に教えてあげるよ」
どちらかと言えばその笑顔は、ぎこちないように見えた。意外と正直なのかも知れない。
「君、名前は?」
どうやら頭の中で言語化して思い浮かべたことしか、読み取れないらしい。
「稲富 岳」
その日の出会いから、俺は毎日、放課後はこの白藤の滝に赴くようになった。
モレク師匠は案外まともで、学生は学業を疎かにするな、という指導方針だ。魔術の修行を終えて帰宅した後は、寝るまで勉学に励めと指示された。
無論、俺は従うしかない。
サボると心を読まれ、勉強していなかったのがバレて、師匠はつむじを曲げてしまうので(いや、それがまたけっこうかわいい)、真面目に勉学に励むことに成った。
大体、四時から五時半くらいまで、モレク師匠と一緒にいられる。帰宅後はすぐに家族で食事。地味な両親と地味な自宅で、地味な俺との会話のほとんどない食卓。
不満も無いが、喜びも無い家庭だ。人は自分に無いものを求める。俺がハデな野望に焦がれる理由は、恐らくこの日常が原因だろう。
ああ、うん、その、家庭のみならず学校生活の方も、原因の半分以上を占めているんだろうけどな。友達もおらず話し相手にも事欠く立場だが、一人が目に付く訳でも無いらしく、ほとんど存在していることに気づかれていないんじゃないか、という有り様だ。
野心に駆られているんじゃなくて、フラストレーションが溜まっているだけじゃないか、と言われれば、その通りかもしれない。
順を追って見て行くうちに、始めの頃、有り余るエネルギーの解放を求め、野望を燃やし叫びを上げる若者というイメージから、転げ落ちるように情けないヤツになっていく、俺の姿がそこに在る。
まあ、モレク師匠と居られれば、学校の連中なんかどうでもいいか。持つ者の余裕だ。そうしてむしろ、俺の方からクラスの連中との関わりを避けるようになった頃、モレク師匠から、とんでもない命令が飛び出した。
新年度の始業式から、二週間余りが過ぎた時期の事だ。
「無理です。絶対に無理です」
「君に拒否権は無いのだよ。いいから鵬 美矢真を連れて来なさい」
連れて来ないなら一週間は口をきいてあげない、と脅されてしまった。これには逆らえん。どうしたものか。