第十二話 隠里事件
「それにしても紅山さん、大丈夫っスかね」
やがて話題は、今現在、彼らの抱える懸案事項へと移る。
「今、オレら、別のグループと対立してて、紅山さん狙われてるんスよ。通ってる高校違うんで、通学中とか俺ら紅山さんの周りにいられないんで、そこ狙われたらヤバいんスよ」
「なるべく一人で街まで出て欲しくないんスけど、紅山さん今日も言うこと聞いてくれなくて」
やはり慎重論を唱える、小金沢源次郎くん。
「じゃあ、今日みたいに独楽子さんも一人で市街へ出たら、危ないんじゃないか?」
俺がそう問いかけると、
「ヤツラもさすがに、女子中学生襲うような汚え真似までは、出来ねえっしょ」
一番、独楽子さんの身の安全を憂いている雨乞日向くんがそう言うなら、確かに大丈夫なんだろう。
ちなみに独楽子さん、十五歳・中学三年生だったらしい。
「俺らが本気で鬼の本領発揮したら、あんな連中、一発で黙らせれんのによう」
大倉高丸くん、本気で悔しそうだ。
「連中声だけはデカくて、そいつでハバ効かせてんだから、余計な事言い触らされたら敵わねえし」
鬼が不良やるのも、どうして中々、大変なんだなあ
「あ、兄貴とモレクさん、と、親父………?」
独楽子さんのセリフに、屋敷の中を振り返ると、確かに三人が出て来たところだった。と、その楷兄妹の父親と思われる人物は、目を真っ赤に潤ませて、まるで今まで泣いていたかのようだ。
「ついに我らの悲願、鬼道の使い手が訪れてくださった」
この場にいる他の誰も、その言葉の意味が解せなかったが、どうやらモレク師匠は、彼らの救世主か何かだったらしい。
「どういう事っスか、棟梁」
それに答えたのはモレク師匠だった。
「う~んとねえ、トペテの祭壇が完成したら、君たち鬼族を人間に変えることが叶うんだよ」
そいつは、いい事なのか。森には妖怪がいて、学校には番長がいて、街には悪徳政治家がいて。未だに生き残っているのは、悪徳政治家だけかと思っていたら、ここには残りの二つが生き延びていた訳で。
それすら今まさに滅びようとしている訳で。
「人間に…………、俺たちが――――」
皆、思いもよらぬ話に、どう反応したらいいのか、どんな感情を懐けばいいのか、途方に暮れて戸惑っている。
「俺は鬼のままでいい。今さら、今日まで積み重ねて来た自分を捨てて、新しい自分を初めから積み重ね直すきには、なれねえよ」
紅山くんはきっぱり言い切った。だが周囲の反応は薄い。いつの間にか周りには、この村の里人が集まって来ていた。
「私は人間になりたい。今までずっと自分は鬼だからって、諦めたり我慢したりして来たもん。それを全部なかったことにして、一から始め直せるならその方がいいじゃん」
幼い子供がすねるような口調で、独楽子さんが言い切った。他にはっきりと意思表示できる者はいなかった。皆、誰かに流されて意志を決める気にはなれないのだろう。
自分の中で自分の答えを出さなければいけない問題だと、それだけは正確に理解しているし、また、紅山くんも独楽子さんも、賛同者を求めたのではなく、自分の答えをハッキリと示すことで、迷い揺らぐことを逃れたいのだろう。
「まあまあ、まだトペテの祭壇は完成してないし、完成したら直ぐにって訳でも無いんだよ。気が向いたら人間になって、気が変わったら鬼に戻るとか、結構融通利くからね」
むしろ、だからこそ軽い気持ちで流されてはいけない問題だと思うのに、師匠はそれで何を目指しているのだろうか。これじゃ穏やかに暮らしていた鬼の里人を、無理やり引っ掻き回しただけじゃないか。
若い紅山くんや独楽子さんはまだいい。五十年、六十年を、鬼であることを背負いながら生きて来た者達にとっては、この選択は余りにも残酷すぎる。
大昔に人間であることを辞めたと言う師匠の想いが、俺には遠すぎた。
だがしかし、外から部外者によって問題が持ち込まれることに、ある意味免疫が具わっている村人たちは、騒ぎを大きくすること無く、自然に落ち着いて行く。
やがては皆、まあいずれはそういう事もあるだろう、と、のん気に構えて騒がなくなった。結局この場には、例の五人組と紅山くん、独楽子さんに俺とモレク師匠が残された。
一悶着あったが、紅山くんのモレク師匠への想いは、特に冷めやることなく続いているようだ。だが、俺と師匠の間には、すでに断ち切れない、揺るがぬ絆が交わされている。紅山くんが割り込む余地は無いのだ。
「――――無いのだ」
と、ハッキリと師匠が言い出してしまい、この場は先程の騒ぎどころでは無い、大混乱が起こってしまった。
紅山くんは「分かっていたさ、ベイベー」とつぶやき、ニヒルに黄昏てしまい、
大倉高丸くんは「青春っスねー」と見当違いなことを言って、はしゃぎ出し、
雨乞日向くんは「コマちゃんをもてあそんだなァーっ」と叫んで憤り、
大暮佐津れいくんは「色恋ですか、くだらん」と斬って捨て、
小金沢源次郎くんは「ここは一先ず、紅山さんとコマちゃんが一旦、身を引いた方が」と二人を引き留め、
笹山小太郎くんは「紅山さん、実は俺、生まれてから一度も女子と手をつないだこと、無いんスよ」と言わなきゃバレないことを、自分から暴露してしまい、
独楽子さんは「わたし、あきらめない」と固い決意を誓ってしまった。俺は何とかして事態の収拾を図ろうとしたが、師匠がそれに先んじて、
「岳君、来週は別の子と遊びに行くんだよ」
とさらに混乱に拍車をかけてしまい(師匠、アナタは一体、何がしたいんですか)、言い訳の余地が無くなった。
そこに村長、棟梁がやって来て、もう戻らないと今日のバスの最終便に間に合わないという、驚愕の真実を告げられ、慌てて鬼の隠里から飛び出したのであった。
その後、バスで再び市街に戻り、休日を満喫して俺と師匠は地元へと帰った。
翌日は、普段通り学校へ向かい、授業を受け、放課後、美矢真先輩とモレク師匠のいる滝へと赴き、魔術の修行を教わった後、各々帰宅。
家族で夕飯を取っている時、テレビの地方局のニュースで、となり街の少年たちのグループが何者かに暴力を受け、重傷を負わされたと報道していた。
その少年たちの氏名は、隠里の五人から聞かされた彼らの対立グループの少年たちらしく、ニュースでは犯人は分かっておらず、犯行現場を目撃した者もいないと説明していた。
その晩は、寝付きも悪く、夢見もよくなかった。再びその翌日、ゴールデンウィークが近づきつつあるその日の放課後。
「モレク師匠、この事件、どう思いますか」
事情を知らない美矢真先輩に、独楽子さんの存在だけを話から伏せ、おおよその事態を解説した後、俺は師匠に訊ねた。