OIS-021「実験のセミ人間」
「セミ……?」
「おう、セミだ」
やることがあると、意外と日々はあっという間に過ぎていく。
いつの間にか勉強会、そして異世界の報告会は毎晩の日課になっていた。
あれを試す、あれを見た、そんな時間はとても楽しい。
そうして、もうすぐ夏休みというある日の夜。
俺は、近くで捕まえた雌のセミを虫籠に入れて持ち込んでいた。
「今まで、重量の実験とかはしてきたけど、いよいよ生き物だ。向こうに佑美だけが行けるというのは、正しくもあり、間違ってると思うんだ」
「というと? まだ、たっくんは連れてけないよね」
残念な気持ちを隠さずに頷く。
実際、昨日も俺と手をつないだ状態では、扉をくぐれなかった。
でも……変化があったのだ。
「ああ。でも昨日、なんか手ごたえがすごいって言ってただろ? 全く駄目じゃない感じだった。それに、他の生き物が全部だめ、なら佑美の体から色々こぼれてるはずなんだ」
「菌とか?」
「そうそう。でも、そんなのは落ちてない」
女の子相手に、こんなことを言うのもなんだけど人間の体は、汚い。
正確には、色んな菌と一緒に生きているのだ。
もしも、世界を渡る時に他の生き物が一切ダメ、なら体の中の菌たちだって駄目なはず。
「持っていける量も、変化してるだろ? だから、人間サイズだとこう、通行料みたいなのが大きすぎるんだろうなと」
「そういうことかぁ……確かに、向こうで鍛えたら変わって来たもんね。よろしく、セミクン!」
元気よく虫籠を抱える佑美に、注意しておかないといけないことがある。
本で調べたからこその、指摘。
「佑美、絶対に向こうで逃がすなよ。たぶん、雌だけだと大きな影響はないと思うけど、違う世界の生き物なんだからさ」
「あっ、そうだよね。生態系ってやつ。うん、気を付ける」
異世界に……恋人を送り出す会話としては物騒だ。
でも、大事なこと。
他にも、乾パンなんかの非常時の道具を今回は持ち込む予定だ。
「佑美、気を付けて」
「うん、いつものように、ね」
そうして佑美の手が差し出される。
何度もやって、その度に恥ずかしくなる。
そっと、中指に指輪をはめた。
あの日以来、気に入ったのかなんなのか、儀式のように繰り返す光景。
学校じゃつけてるわけにはいかないからってのもあるのかな?
部屋に生み出した異世界への扉。
慣れた足取りで近づいた佑美が、音もなく消えていく。
その時点で、実験は成功したも同然だ。
そして、全部が向こうに消えたことで、俺は一人声をあげていた。
「よしっ! これでメドが付いたぞ。このままうまく行けば、俺も行ける」
どのぐらい佑美が鍛えたらかはわからないけれど、希望が見えて来た。
前々から考えていること、それが不可能じゃないと言えるかもしれないのだ。
その考えとは、高校を卒業したら佑美と一緒に、雑貨屋を開くことだ。
両親には悪いけど、居ない間に2人でそっちに目覚めたってことにしておこう。
「向こうでの仕入れをメインにして、資格も取って……」
もちろん、親には反対されるだろう。
そのためにも、高校生の内に実績を作っておきたい。
あちこちに出かけて、仕入れたように見せかけて異世界からの物をネットで売る。
資格を求められるぐらいまで稼げたら、逆に良い証拠だ。
「うまくいけば、だけどな。出来れば異世界にかけ落ちはなあ」
案外、親も商社として少しかませろなんて言ってくるかもしれない。
もしそうなったときには……秘密の暴露も必要かもしれないな。
「ま、全部は佑美次第、か」
「何が私次第なの?」
「どわああ!?」
予想外の返事に、冗談抜きに転がってしまう。
頭をぶつけなかったのは、不幸中の幸いだ。
「お、お帰り。早かったな」
「ほら、セミクンを向こうで放ったままじゃかわいそうだし? 実験が成功したなら元の世界で解放した方がいいじゃん」
それも道理である。佑美から虫籠を受け取る。
クーラーのかかった部屋のドアを開け、虫籠も開くとセミは羽ばたいていった。
元気そうで、何よりだ。
「しばらくして、町に行方不明者が出るのだった。同時に、暗がりに潜む巨大なセミのような姿をした何かが……」
「やめろよ、実験させておいてなんだけど、可能性はゼロじゃないんだから」
かといって、じゃあさよならって殺してしまう訳にも、な。
おどけたように言う佑美に振り返ると、彼女は何か言いたそうに座ってこちらを見ていた。
「何かあった?」
「別に、いつも通り。誰もいなかったしね」
まだ向こうは夜だったから、と言ってなぜか座り込んだ。
俺も不思議に思いながらも、ひとまず座る。
「ねえ、たっくん。私がおばあちゃんになっても、指輪、はめてくれる?」
「そうなる前に、なんとかするさ」
しばらく前に告げた内容を、今も気にしてるのだと思う。
結局、向こうとの時間差は同じには難しそうだった。
向こうの3時間が、こっちの1時間、が限界。
(それでも、8分の1なんだから、すごいことだよな)
向こうで、何度か怪物と遭遇して階位という物は上がるチャンスがあった。
でも、今のところは時間の方は限界なようだ。
「それに、まだその条件がそろってないだけかもしれない。例えば、向こうで聖女らしいことをするとかさ」
「フラグってやつ? 1000人治療しました、とか。どうなんだろう」
佑美は向こうで、余り目立たないようにと行動方針を決めている。
村は豊かになるのがいいけれど、そのために領主とかに佑美が目をつけられてはたまらない。
村以外では旅の賢人が、たまたま知恵を授けてくれた、ということにしてあるのだ。
「怪我はともかく、病気の治療は難しいからな」
「うん。向こうでも思ったの。やっぱり、看病してもらうのが一番だなって。ほら、たっくんが作ってくれたおかゆとか、絶対回復能力があるって」
「そうかあ? 悪い気はしないけどさ」
少しずつ、俺たちは変化していく。
異世界で、人生を早く積み上げていく佑美。
俺と、彼女の関係も、段々と変化している。
高校生活が終わるころ、俺たちは……どうなっているだろうか?