王女アメリダの記憶
この作品は、2019.4.24 に書いたものです。
隣国の王女、アメリダ。
彼女は体が弱いために、生まれてまもなく東の塔に移され、一人の女性に育てられた。だから、そこから出てくることはあまりない。噂で聞くには、今でも、国民の前どころか両親の前にさえ姿を現さないらしい。
だが、隣国の王と王妃の間には、彼女の他にも王子と王女が一人ずつある。
恐らく——ではあるが、王位はそのどちらかが継ぐのだろう。
何もなければ王子が。
王子の身に何かあれば王女が。
それゆえ、王からしてみれば、アメリダは、気にかけるに足らない娘。そういうことなのだろう。でなくては、いくら体が弱いとしても、生まれたばかりの娘を城から遠く離れた東の塔なんかに移すはずがない。
今日は、そんな不遇な彼女の姿を初めて見た日のことを話そう。
あれは僕がまだ十四五だった頃。
国王である父親について、僕は隣国へ行った。
僕の国から隣国の城まではかなりの遠く、一日で着くような距離ではなくて。そのため、途中で一泊することになっていた。
僕と父親、そして幾人かの護衛が宿泊したのは、国境を越えてすぐ——隣国の東の橋に位置する宿屋。
二階建てで、教会のような厳かな雰囲気さえ漂う、かなり立派な宿屋だった。
父親が護衛たちと会議をしている間、僕は退屈で。あくびが止まらず、涙が溢れ、このままではどうしようもないというような状態になっていたため、僕はこっそり宿から抜け出した。
しばらく周囲を散策していると、塔の前にたどり着く。
その正体は分からなかったが、好奇心を刺激された僕は、その塔を登り始める。型にはまった教育ばかり受けてきた僕は、冒険者になったみたいで楽しくて、塔を登り続けた。止める者はいなかったし、塔内部は石製の螺旋階段が設置されていたので、何も知らない僕でも簡単に登ることができたのだ。
足を動かし続け、やがて最上階へたどり着く。
そこで、初めて彼女を目にした。
その彼女というのが、アメリダである。
最上階だけは他の階と違って広間のようになっていて、壁のすべての面に大きな窓が備え付けられている。
その窓際に、彼女はいた。
赤、青、黄、黒、白。色とりどりの絵の具がところどころについた木製の椅子に座り、窓の外を遠い目で見つめるアメリダ。
彼女は薔薇みたいだった。
灰と金が混ざったような不思議な色みの髪は、真っ直ぐ伸びていて、背中側の長さは腰に届きそうなほど。髪と同じ色の睫毛は長く、翡翠のような瞳なのもあって、一瞬人間ではないのではないかと思ってしまった。また、肌は、怪しさを感じてしまうくらい白く滑らかだ。
そんな彼女は、いきなりやって来た僕を見ても取り乱さず、穏やかに微笑みかけてくる。
「……君は?」
僕は半ば無意識のうちにそう質問していた。
しかし、彼女はよく分からないというような顔をして、言葉では何も答えなかった。
その時の僕は「言葉を習っていないのかな?」と思っていたが、今思えば、彼女には僕の国の言葉があまり理解できていなかったのだろう。僕の国と彼女の国では常用している言語が微妙に違っているから。
ただ、僕が友好的であることは彼女も気づいていたようで、彼女も僕に友好的に振る舞ってくれた。
彼女は椅子から立ち上がり、駆け寄ってくる。
近くで見ると、彼女の輝きは想像を絶するものだった。
もちろん、彼女の美しさに気づいていなかったわけではない。人形のような、人間離れした麗しさを持つ女性だということは、一目見た瞬間から分かっていた。
ただ、離れて見るのと近くで見るのとでは、迫力が違う。
栗色に白を多く混ぜたような地味な色のワンピースに、赤茶の毛糸で編まれたショール。そんな控えめな色遣いの服装にもかかわらずここまで華やかなのは、彼女の魅力ゆえと言えよう。
僕は彼女に手を引かれ。
それからしばらく、二人の時を過ごした。
彼女は何も知らない僕にいくつもの絵画を見せてくれた。
僕が手で絵画と彼女自身を交互に示して確認すると、彼女はコクコク頷いていた。
どうやら、彼女が描いたものらしい。
アメリダの絵。
それは多分、彼女がみる夢。
ある絵画には、美しい草原が描かれていた。
風に揺られる、まだ若い草。空気感に満ちた青い空。地平線を見つめる、白いワンピースの可憐な少女。
絵画の中の少女は、背中だけが見え、顔は描かれていない。
だからこそ、僕は想像した。
どのような顔立ちだろう?
どのような表情だろう?
——そんな風に。
その後、僕は彼女と別れ、塔を後にした。
別れしな、一応「またね!」と言っておいたのだが、その言葉が彼女に届いていたかは分からない。
これが、僕とアメリダの出会い。
その邂逅は僕の心に得体の知れない感情を残した。
二人で過ごした時を思い出すたび、胸が温かくなる。鳥が飛び立つ瞬間のような高揚。しかしそれだけではなく、どことなく息苦しくなるような感覚もあって。
以降、彼女と遊んだことはない。会ったこともない。
それなのに、なぜだろう。
ほんの僅かなあの時間が、今でも鮮明に蘇ることがある。
東の塔へ追いやられた、不遇な王女アメリダ。もしかしたら僕は、彼女の素朴ながら美しい容姿と心に、あの日からずっと惹かれ続けているのかもしれない。
真相は不明だが。
ただ、またいつか会えたらいいなと思う。
再び会った時には、彼女の国の言葉を理解して、ちゃんと言葉を交わしたい。
彼女の言葉を聞いて、こちらからも話を振って。
そんな風にして、また彼女と幸せな時間を過ごせたとしたら、きっとそれは嘘のように素晴らしいことだろう。