表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
43/255

とんでもない主命

 お市さまが輿入れして、三ヶ月経った。

 突然、行雲さまが清洲城にやってきて、僕の仕事場にふらりと顔を出した。なんでも大殿に呼ばれたという。しかし大殿は美濃攻めの軍議をしていて、待たされていた。だからだろう、話し相手に僕を選んだのだ。

 正直話したいことが山ほどあったので、良い機会だった。仕事は同僚に任せて行雲さまと一緒に茶室に向かった。

 茶室で茶を点てて、行雲さまに差し出す。流石に作法を心得ていて、出家した身でありながらも優雅に飲み干した。


「雲之介――いや、雨竜殿と言ったほうがいいか?」

「雲之介でいいですよ。行雲さま」

「私は僧でおぬしは武士だ。弁えなければ」

「それでも雲之介で大丈夫です」


 茶碗を僕に返す行雲さま。そしてしばらく黙ってしまう。僕は手入れをしながら言葉を待った。


「浅井長政殿のことを聞かせてくれ」


 僕は行雲さまに全てを話した。器量人であることも喧嘩したことも、そして約束してくれたことも。

 話し終えると感慨深そうに頷いた。


「そうか。お市は良き夫に恵まれたな」

「ええ。本当にそう思います」


 行雲さまは「おぬしは苦しい思いをしたな」と率直に言ってくれた。

誤魔化すことなく、真っ直ぐに。


「ええ。苦しくて悲しくて、胸が張り裂けそうでした」

「よく業に打ち勝ったな。素晴らしい」


 手放しに褒められて少しだけ照れくさかった。

 僕が行雲さまに近況を訊ねようとしたときだった。

 がらりと障子が開いた。


「うん? なんだ雲と行兄じゃないか。何してるんだ?」


 長益さまだった。僕が姿勢を正して頭を下げると「そんな仰々しくするな」と笑われた。


「源五郎――いや長益か」

「ああ。行兄、元気そうだな」

「おぬし、大きくなったな。だが女癖が悪いと聞く。気をつけろよ」

「なんだ、兄上みたいなことを言わないでくれ」


 そういえば二人が会話しているのは見たことなかったな。

 なんだか兄弟の会話だ。


「そうだ。兄上が二人を探していたぞ。俺と一緒に来るようにと」

「私と雲之介とおぬし? 一体何の用だ?」


 僕たちは顔を見合わせるけど、見当がまったくつかない。

 まあ主命であるから、行くしかないだろう。

 そういうことで僕たち三人は評定の間に向かった。


「行兄の坊主頭はいつ見ても笑えるな」

「うるさいな。そんなこと言って、長益もいずれ出家するかもしれんぞ?」

「あっはっは。やだね。そしたら女遊びができなくなる。俺は一生! 僧にはならないね!」


 なんか長益様がいずれ出家しそうな会話だった。

 評定の間には誰も居なかった。とりあえず行雲さまが真ん中で右に長益さま、左に僕が座った。

 襖が開いて出てきたのは藤吉郎だった。


「藤吉郎! どうしてここに?」

「うん? 雲之介……ああ、そうだった。おぬしの話題が出たのだった」


 藤吉郎は行雲さまと長益さまにお辞儀して、僕たちに向かって言う。


「雲之介と行雲さまと長益さまに命令が下されます。本来は美濃三人衆の調略の打ち合わせだったのですが……」


 そして藤吉郎は「とんでもない命令です」と小声で言った。


「ほう。どんな命令だ? 木藤きふじ

「き、木藤? いや、わしからは言えませぬ。大殿から――」


 長益さまの問いに藤吉郎が濁すような答えを言ったとき、再び襖が開いて大殿と森可成さまが入ってきた。

 僕たちは平伏して大殿の言葉を待つ。


「面を上げよ。ではさっそくだが、お前たち三人と可成にやってもらいたいことがある」


 行雲さまが代表して「なんでございましょう」と言う。


「まだ市井の噂が尾張まで広まっていないので、この場に居る者は知らぬと思うが、京の都でとんでもないことが起きた」


 京の都? なんだろうか……


「十三代将軍、足利義輝公を知っているな」


 全員が頷いた。

 大殿は何の感情を込めずに言う。


「三好三人衆と松永久通に御所を襲われて、弑逆された」


 誰も驚きのあまり反応できなかった。

 世情に疎い僕でさえ、驚くしかできなかったのだ。

 行雲さまと長益さま、二人は驚き過ぎて動揺している。


「ま、真にございますか……?」

「行雲、冗談でそのようなことは言わない」


 いち早く冷静になったのは、意外にも長益さまだった。


「それで、兄上はどうするつもりなんだ? まさか逆賊を討つつもりなのか?」


 その言葉に「まだ時期尚早だ」と短く答える大殿。


「しかし大義名分は手に入れたい。いずれ上洛するためにな」

「……どういうおつもりですか?」


 行雲さまの問いに大殿はあっさりと答えた。


「決まっておろう。足利家の正統を継ぐ方を保護するのだ」


 足利家の正統を継ぐ……?


「雲之介。長益から聞いたが、興福寺に居られる覚慶殿と親しいそうだな」

「ええ。一度しかお会いしたことはありませんが……」

「そのお方は将軍の弟君だ」


 大殿の意図が分かりかけてきた。

 そして次の言葉で確信に変わる。

 それはとんでもない主命だった。


「興福寺に行って、覚慶殿を連れて参れ。今ならまだ間に合う」

業……断つものではなく、克つものである。

弑逆……地位が上の者が下位の者に殺されること。

正統……まじりっけ無い本物で邪なものが利用するもの。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ