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二つの問題

 能登国の大名、畠山家を守るために上様は秀吉に柴田さまへの援軍を命じられた。

 主命である以上、従わなければならない。堺から戻った直後であるが、僕たちは出陣した。

 はるはそれを聞いて不満そうな顔をしたが、お土産の金平糖を渡すと渋々納得してくれた。ちなみにはるが「お前さまも食べよ!」と金平糖一粒を僕に渡してくれた。とても甘くて美味しかった。

 さて。出陣する面々は秀吉、秀長さん、正勝、半兵衛さん、正則、吉継、そして僕だった。長政を城代とし、他の武将たちは留守をすることとなった。


「上杉謙信は戦上手と聞きます。だからどうも私は嫌な予感がします……」


 越前に向かう行軍の途中、隣で馬に乗っている吉継が不安そうな顔をする。

 僕はなるべく気遣うように「戦の前は相手が強そうに思えるものだよ」と言う。


「まあこれは慣れるしかないね」

「雲之介さんは、いつから恐怖を覚えなくなりましたか?」

「ううん。毎回恐ろしいよ。でも将の恐れは兵士に伝わるからね」


 僕はわざとおどけるように言った。


「虚勢でも繰り返せば本当になるさ。まずは自分を偽ることだね。そうすれば、周りも自然と騙せる」

「……難しいことをさらりと言いますね」


 まあ今回の戦が不安なのは僕も一緒だ。

 雪隆くん、島、頼廉を引き連れているのはそのためだ。それと念のためになつめを含めた五人の忍びを連れてきている。


「改めて訊くけど、嫌な予感ってなんだい?」


 僕の問いに吉継はやや緊張の面持ちで答えた。


「戦の前に言うのも縁起が悪いのですが、どうも負ける予感がします」


 臆病風に吹かれたわけではないだろう。

 戦の経験が薄いけど、吉継は危険を予知する感覚に優れていた。


「……ま、それでも戦うしかないね」


 負けると分かっていても戦う。

 それが武士のつらいところでもある。




 越前に集結したのは秀吉と柴田さまだけではない。

 丹羽さま、滝川さま、そして前田さまなど織田家においても歴戦の将が援軍で来た。

 総勢五万は超える大軍勢。相手が軍神上杉謙信であるのを差し引いてもそっとやちょっとでは大敗しない軍団である。


 その五万の兵は加賀国を通り、能登国に向かう。

 進軍は途中まで順調だったが、ここで問題が発生した。


「川が問題ね……」

「そうだな。川が問題だ」


 加賀国で敷かれた陣の中で、半兵衛さんと秀吉が困ったように呟く。

 二人が言っているのは、手取川のことである。


 もし七尾城が落城していて、僕たちの軍が手取川を渡っていたとしたら、川を背に戦わなければいけない。つまり退路のない状態で戦わなければいけないのだ。

 しかし七尾城が今も落ちていなければ、逆に包囲している上杉家の背を狙う好機でもある。

 ずばり問題は二つで、七尾城の安否の確認と手取川の渡河の是非である。


 もちろん、二人以外の皆にも問題は分かっていた。

 正勝なんかは難しそうな顔をしている。


「上杉謙信が能登国の七尾城を落としていないのは、こっちが手取川を渡っていないからね」

「……だけどよ。畠山を見捨てるわけにもいかねえんだよな」


 正勝の言葉に秀吉が頷いた。


「兄者は柴田さまにどう進言するつもりだ?」

「無念だが、ここは退くしかないと思っている」


 秀長さんの問いに苦渋に満ちた表情で答える秀吉。

 すると正則が「七尾城を見捨てるんですか!?」と喚いた。


「上杉家とやり合っていないのですよ!?」

「やり合っていないからこそ、退く好機だろうが」


 血の気の多い正勝が冷静に言ったので、正則は何も言えずに下を向いてしまう。


「兄弟。お前はどう思う?」


 沈黙が続く中、正勝が僕に問う。


「僕も退くべきだと思う。しかし決めるのは北陸方面の軍団長であり、今回の戦の総大将である柴田さまだ」

「いや、それは分かっているけどよ」

「だから羽柴家の方針として退却を提案するしかないよ」


 すると秀吉は「柴田さまは頑固だからな……」と面倒な風に言う。


「雲之介。おぬしも一緒に来てくれ」

「柴田さまの陣に? 良いけど僕だけでいいのか?」

「おぬしは行雲さまの件で柴田さまに好かれておるからな。秀長は先の篭城戦で手柄を立てすぎた。半兵衛は口調が荒いし、正勝はそれ以上に荒い。正則と吉継は歳が若すぎる」


 なんだか消去法で選ばれたようだった。

 僕は秀吉の後に続いて柴田さまの陣に入る。

 既に他の諸将は集まっていた。中には秀吉を毛嫌いしている佐々さまも居た。


「秀吉。お前の意見が聞きたい」


 柴田さまがさっそく訊ねてきた。


「上杉謙信とどう戦う?」


 どうやら柴田さまは手取川を渡り、上杉謙信と戦うつもりだ。

 対して秀吉は、真っ直ぐにそれを否定する。


「申し上げます。わしは――退くべきと存じます」


 それを聞いた秀吉と折り合いの悪い佐々さまが「なんと下らぬことを!」と怒鳴りつけた。


「織田家の重臣とは思えぬ! 戦う前に退くだと? この臆病者めが!」


 あまりに無礼な言葉に思わず席を立ち上がろうとするが、秀吉に肩を押さえられる。


「……納得のいく理由を教えてくれるか?」


 柴田さまは冷静に問うけど、自身の方針を反対されたせいで、あまり好意的ではなかった。

 秀吉は堂々と考えを述べる。


「七尾城は既に風前の灯。加えて渡河をすれば川を背に戦うを得ない状況に、上杉家は追い込んでくるでしょう」

「……だから退くのか? その結果、上杉家の勢いが増し、大々的な進攻をするとは考えないのか?」


 これは互いの立場の違いによる。秀吉は援軍の将だ。はっきり言えばこの戦さえどうにかすれば良いだけの話だ。

 一方、柴田さまはこの戦だけではなく、以降も北陸方面軍団長として戦わなければならないのだ。

 局地的な見解の秀吉と大局的な見解の柴田さま。

 考えが合うわけがなかった。


「しかし無理に渡河すれば、みすみす兵を無駄死にさせますぞ」

「ではこのまま一戦も交えず、おめおめと退けと言うのか!」


 二人の言葉が荒くなってくる。

 他の諸将は何も口出しせず、二人のやりとりを見ていた。

 まあどちらの主張も正しいし、同じくらい間違っているからだ。


「……秀吉、貴様もしかして、わしが手柄を立てるのを防ぐために反対しているのではないか?」


 場が熱くなり始めたとき、柴田さまが言ってはいけないことを口に出してしまった。

 流石に秀吉も怒りを覚えたようで「戯言を言わんでください!」と怒鳴った。


「わしを説得できぬからと、言いがかりをつけるのは止してもらいたい!」

「なんだと! 貴様――」


 これは不味いな。そう思ったので僕は「お二人とも。冷静になってください!」と大声を発した。

 すると佐々さまが「陪臣ごときが何を言うか!」と喚いた。

 それに僕は意地の悪いことを言う。


「上様の娘婿である僕に対して『ごとき』とは失礼ではありませんか?」

「う、むう……」

「柴田さまも秀吉も落ち着いてください。仲間割れこそ上杉の思う壺ですよ」


 少し頭を冷やしたのか。秀吉は「柴田さま。申し訳ござらぬ」と頭を下げて詫びた。

 柴田さまは少し躊躇した後「こちらこそ悪かった……」と言う。


「一つ提案ですが、どうすれば不利な状況を覆すのか。それを考えませんか?」


 僕が馬鹿げたことを言うと、前田さまが乗ってきた。


「不利な状況……まあ手取川を背にすることだな」

「では手取川を背にするとどうして不利なのか。それはすぐに退却できないからですね」


 当たり前のことを言うと、今度は丹羽さまが「船を徴収するのはどうだろうか」と提案する。


「この時期が川が氾濫しやすいと聞く。船さえあれば……」


 それに滝川さまが反論する。


「五万の兵を渡すほどの船はないだろう。それに洪水であれば船でも渡れない」


 そのとき、秀吉が何か閃いたように立ち上がった。


「手取川の水位を下げるのはいかがか?」


 一瞬、誰も分からないようだったが、丹羽さまがいち早く気づいた。


「堤防を作るのか? それで水の流れを抑える……」

「そのとおりです。水位を下げれば容易に撤退できます。不利ではなくなりますぞ!」


 ざわめく諸将。

 柴田さまは「良き案だ」と素直に言う。


「では秀吉。おぬしに堤防を任せる。利家。おぬしも手伝ってやれ」

「分かりました」


 こうして作戦も決まり、軍議は終わった。

 帰る途中、秀吉は僕にこっそりと耳打ちした。


「ありがとうな。もしあれ以上口論になったら、わしたちだけで撤退することになっておった」

「そしたら軍令違反で切腹だよ。まったく、危ないなあ」


 でも秀吉の役に立って良かった。

 それは素直に思えた。

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