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TUNIC 企画参加作品

見合い峠

蒼旗悠さんとの個人企画作品です。お題は「お見合い」でした。

 血を注いだような深紅はあたかも巨大な氷柱つららのようであったがジリジリと焼きつづけたすえ渇ききった岩肌をあちらこちらでダイナミックに打ち破り鈍重な音響を伴いながら干からびたソレの内奥からはどくどくどく! と青錆色をした大量の粘液を休みなく吐き出していく暴虐さを目の当たりにしていくうちに、天より止めどなく零れ落ちつづけているねばねばと厭らしくそれでいて凄まじく鋭く地表面の襞たる襞を責め苛むものは灼熱に匹敵するほどの殺意の権現であると知らされていく。


『両生類かいなー』


 同時に山の麓、別れ際に男が吐いた捨て台詞の意味を今更ながらに実感するので、濃い深紅の光の粘稠ねんちゅうを遮るほど、青緑の奔流は私の意識へずけずけと侵入し、実際的にもうようよとまだらに凹凸しているぬめぬめした地面を伝い、間近く足もとへと迫っていた、地肌は褐色に焦げていた……これらは生物である、幼少より馴染み深いと思っていたはずの……しかしまったくと云っても差し支えないほどの、生理的に受けつける心地の極微にも生まれぬほどにおぞましい異界のバケモノではないのか!


『カワズじゃあっ』


 勝ち誇るような男の眼差しは鋭利で、が一寸のちにはついと背を向けそそくさと去っていた。


 安定せぬ足場、行く道を不快な周期で湿地や沼やと深みよりずるずる捕らわれながら、ヌラヌラと大仰な起伏をたどってはまさにこちらへ迫りくる毒々しい体液を認めるや然したる根拠もなく激烈な強アルカリを予知するので、知らず知らず足早に、逃げ去るように大股で急ぐ。直感は、下手をすれば当たっているのかも知れないし、思い過ごしなのかも知れないが、だんだん遠ざかりながらも次第に大きさを増していく、内側よりいでては自らの、表面をめ、まさぐり、シュワシュワシュワと響かせているに違いない不快な囁き声は、悪い予感の的中を示すようであるから背筋が凍る思いのほとばしりより遠ざかるために、僅かに、振り返ることもなしに大股で、急ぐ。



 ようやく無慈悲な深紅が傾きかけ、岩肌はだんだんと鎮まっていく。途方もない時間を体力の限界の淵においてギリギリつなぎ止めることができたものだった。久方ぶりに足を止め、膝に手をかませて暗くなりかけた青黒い地面へと息を何度も出し入れ……呼吸はほどなく落ち着いた。

 確かに。男の麓……つまり山の入り口へと案内してくれた親切な男--行商人であるらしかったが--の警告どおり、立ち入らなければ、峠にあるという縁所えにしどこを目指し登っていかなければ、このような瀕死の思いをせずとも済んだのだろう。しかし一度決めたことである、何としてでも登りきり、見合いの相手と逢わなければならぬ……危険をおかしてまで私の思いはどうにか……まさしく峠を越えてくれたようだった。

 『見合い峠』。息をつかせぬ苛烈の連続だった昼とは裏腹に、この異境へと踏み込んだ初めの夜は穏やかさに包まれていた、だが、たった一昼夜にて道中を遂げることはできなかった。夜に登山を始め、如何ほどの早足を休みなく続けていったとしても、少なくとも一つの昼は挟まずにはおけないのである。昼はすなわち死を意味する、という云われがこの峠にはあった、だが、運命に見初められたのかも知れなかった、このまま速度を落とさず進んでいけば明け方までにはたどり着くことができるだろう。

 生涯結婚などすることはないであろう、見てくれも卑しく、ばかりか女性を前にすると内心縮み上がってしまいただ無言を通すか、良くても不機嫌な態度で何故かしら仕舞いには罵声を浴びせてしまう、自分自身でも制御することの敵わない一種の病を抱えているほどの人間だ。故に男女交際にすらありつけぬはずだった。


 あれは何という運命の悪戯いたずらだったのであろうか……? 私の勤めていた小さな商社に事務員の女性がいた、背は低いが容貌もさほど悪いわけではないし随分とおとなしい女性だった。もちろん私などが生涯関わりあうことのないような真っ当な女である、そう勝手に考えていた。名を佐江子といった。

 佐江子はある日の昼休み、あろうことか私を呼びつけた。頭の中が真っ白になってしまった、しかしそれでもどうにか待ち合わせの場所へは行くことができた。佐江子の告げた一言に頭を砂袋か何かで殴られたような衝撃を受けたのである。噂では結婚目前の男と交際しているはずだった。

「あのう……結婚を前提にお付き合いしてくれませんか……」

 無論言葉が出なかった、しかし彼女の眼差しがあまりに真っ直ぐであったことが幸いしてか、何処に隠していたのか自分でもさっぱり見当もつかなかったが、勇気をどうにか奮い立たせて……それは人生最大のまぐれ当たりに違いなかったのであろうが……

「少しだけ……時間をいただけませぬか……?」

 と告げることができた。普通の男ならば断りの文句になるのであろう……しかし私にとってみれば、それは、承諾の合図……ばかりか永遠の愛の契りに等しかったのである!


 だが、どのような因果より湧き起こった奇跡にせよ、私は結局そのような真っ当な幸せを永続させることの可能な運命にはなかったのである。


 佐江子が私にプロポーズしたという噂は間もなく広まってしまった。佐江子自身の人生の一大事、そのようなものを軽々しく同僚へと打ち明けてしまったというのだろうか! 幻滅だった。しかし女心などがそもそも私に解りうるはずがないではないか、それに……女どもと云ったらそれこそ機微のバケモノのようなかたまり……些細な佐江子の変化に追求の矢を立てて望みもしないうちに告白を強要された可能性だってある、そう思うとただの幻滅で済ませてよいものとは思えなかった。

 しかし。悪魔のような惨劇を女どもは日常茶飯に抱えているのだ。あざ笑うように……私に矢庭に降り注いだ神々しいまでの光をいとも簡単に払い除けてしまったのである。

 佐江子の持ち場の主任の女、痩せぎすで、年増で、いつまで経っても結婚とは縁のないような憎たらしい女であったが、気味悪い冷笑を浮かべながらすれ違う私を呼び止め、告げた。

「本気にしちゃあいけないよお、佐江子さん、あんたを揶揄からかって遊んでるみたいだが、あの人にゃぁ心に決めた人が別にいるんだからねえ、あははははぁ、ちょいといざこざがあったみたいだと聞いたけれども、だからって変な噂を立ててまた気を引こうってことだったらしいじゃないか。まああんたも哀れだわねえ……影で笑われてるともつゆ知らずに色々勘ぐっていたんだろうからねえ、あははははぁ」


 そう。一言、その勇気さえあったならば! しかしそんな気力など私にはあるはずもなかった、激昂さえしていたくらいだった。私は佐江子を呼び出して、有無を云わさずに断ってしまったのだった。


 佐江子はほどなく退社した、私の遠く及ばぬ所へと一瞬にして彼女は去ってしまった。

 後日、信じられない話を聞いた、私に傷心した彼女は息も絶え絶え他県の実家へと帰ってしまったというのである、私が悪者になってしまったのだ。何が本当なのか判らない、判らないが結局人々を無責任にたぶらかし、醜悪な、下世話で話題へのぼらせ易い方向へと噂は転がっていくらしいことを知った、この身をもってして。その際道化役者は無関係となってしまった佐江子では適任ではなく、残されてしまった私こそが相応しい者に違いないのだ、というふうに……。

 だが、この経験は私に新たな勇気を与えてくれたのだ。もしかすると、噂のとおり佐江子を傷心させたのは私なのかも知れない。奸策かんさくに陥らず事実を追求することなしに佐江子の純心を無碍むげにしてしまったのはどう考えてみても私なのだから……しかしそうなってみると、逆説的に、私の人生において、初めて、女性へと信じる心が存在しているのであり、信じることのできる可能性というものが、あろうことかどうすることもできなかった女性へと急遽立ち上がっていき、架けられていくということではないか……!

 勇気が生まれた。私は長期休暇を要請し、旅に出る運びになった。


 ヤツらには今ごろ噂になっているだろう。自ら相手をふり、結果諸刃の剣に打ちひしがれ傷心してしまい、哀れにも暇を乞うた無残な醜男ぶおとこ……。

 しかし噂などどうでもよいことだ。ひょっとすると佐江子を追って彼女の郷に向かったということにされているのかも知れない、だがどうだって構いやしない。

 だが、私が向かった場所こそ『見合い峠』。婚期を逃した男女が全国より遥遥はるばる、男の麓、女の麓、それぞれの入り口からちょうど真ん中にある峠を目指し、そこで出逢った者どうしが見合い相手となる。結ばれた者どうしは幸せになるという云い伝えがあり、いにしえより数多の男女が向かう高名な縁結びの地であった。

 佐江子のように……信じるに価する女性がいる……という覚醒が私を新たな世界へと向かわせてくれたのだ。



 峠はもう直ぐに違いない、斜面は緩やかになりさらには平らな道がしばらく続いていたから。月明かり、辺り一面を照らし、足取りも軽く、見事な満月だった。

 せせらぎが聞こえていた。もう間もない、と悟る。見合い峠は川を見下ろす場所、と知っていたから。近づくにつれどんどんとどよめきが大きくなる。目の前を塞ぐ崖へと到達し、回り込むように細道をたどっていった。

 

 大河!


 崖道を抜けると巨大な河を見下ろしていた。大河の向こうには小高い丘があり、舞台が見えていた……『見合い峠の舞台』。運命の糸で結ばれる男と女が向かう終局地だった。

 大河の方向へと斜面を下った……。

 だが、唖然あぜんとなった。大河はかなりの水かさで、激流だった。かと云って橋などはない。飛び込んで泳ぎきることなど無謀であると瞬時に諒解されるくらいかなりの川幅であった。


 しばらく眺めていた……。それは液化したナノマシンによるしろがねの大河であった。月光が止めどなく変幻する河面を照らして巨大に蠢く鈍色がぎらぎらと写されていた。普段はそれほど大きな川ではないのかも知れない、歩いて簡単に渡れるほどの簡単な小川だったかも知れない、しかし私の眼前、死と等価であるような暴虐なる河流が広がっていた。何という運命であろうか……。

 ナノマシンは触れる物を一瞬で粉々にする、目に見えぬレベルまでことごとく分解するのだ。この、不可思議な異界へ突如姿を現した巨大生物を開拓しながら、いまだにそれは場所を様々に変遷しながら続けられていたのだ、よりによって、もう少しというこの場所を遮って、圧倒的な障壁とて有無を云わさずに君臨しているのだ。

 だが! 茫然自失としているばかりではいけないのだ。このままでは夜明けが訪れる、そうなれば鎮まっていた岩肌の内奥の凶器がふたたび吠えあげるのだ。私は青錆色の毒へと蝕まれ死ぬだけなのだろう。ならば!


 私はナノマシンの激流に頭より飛び込んで、運命のすべてを預けた。ナノマシンは物体を解体して舗装化するようにプログラミングされている、『見合い峠の舞台』もまた、しろがねに輝くナノマシンより造られている代物なのだ。そこへ幾ばくの男女が足を踏み入れたということか……。

 だとするならば。そもそも解体プログラミングの対象ではない人間であるならば、もし、このような計り知れぬエネルギーに流れている大河であろうとも、解体の悲劇へと急転直下することはないのかも知れないのだ…………


 泳ぎ泳ぎ泳ぎ泳いだ! 激流は私の肉体をいとも簡単に通過しあっと云う間もなく意識まで侵入し私の自意識はほどなく解体分裂の運命へと流れていく……それでも泳ぐ泳ぐ泳ぐ泳ぐ! 腕は千切れ胴は蜂の巣にされて脚はズタズタに朽ちた……頭部はもはや粉々に散ってしまった……意識は完全に激流と同化していた!  

 だがしかし! 私は幸せだった……もう直ぐそこへと潜んでいるはずの運命の女性の気配が濃霧のように伝い下りて私はその永遠の王国に溶け込んでいるような気がしていた……私は赤子の意識へと何故かしら遡流し勢いこんでいくような確信に包まれていた……揺りかご。

 そう、私は揺られていたのだ、激流という名の、安息の毛布へと……意識は……視界は……しろがねに抱き込まれながら……揺られて…………


 ふいに宿った! このまま揺られながら死んでいくのも幸せだと考えていた、それは確かな勝利であるような感覚だった。

 だが、そのすべてがほんの一瞬であったということも同時に知覚していた。私は大河の流れのただ中にて手を伸ばせば掴めるようなあの場所をかいま見ているのだった、『舞台』はすぐそこにあった……激流のただ中へと浮かんでいた、漂っていた……私の左手の小指の先へと結ばれた糸……それは昼間に差しつづけたあの深紅をしていて結ばれた先にはしろがねの神殿があった。


 私は巨大な神殿を引き寄せていた、と同時に幻影は瓦礫がれきのようにバラバラに崩れ去って浮かび上がった激流、厖大に連なった液体金属の流れは凄まじく、肉体へ呼び込まれぶつかって、それでも横殴りの勢力を掻き掻きもがきながらも掻き分けつづけた! やはり、肉体へのプログラミングは施されてはいないらしい、暴力的に散々に引き摺られていきながらも肉体への精神への侵入はなかった、のみならず液状のナノマシン群は私をスルスルとよけていきそこに生まれくる僅かな間隙を流麗に掻い潜っては泳ぎきることができたのだった。



 向こう岸、生態的な……すなわち巨大な両生類のバケモノの肉塊になされた地面はなくて、つるりと月の暮れ青白い薄闇へと変わった夜明け前の空気を写して光沢しているしろがねの大地が広がっていた。

 ただならぬ憔悴を抱えながらも凌駕する活力は体の底から湧き上がり足取りは思いのほか軽かった。

 ピラミッド状の階段構造が前方を含めた四方へと施された神々しい地形を認めながら私は上った。あたかも小高い丘のようでいて同時に鷹揚なる神殿であった。

 じわじわと地平線の向こう、深紅が生まれ始めて空は複雑な色彩へと変幻しつつある、しろがねは美しいいろどりを含ませてギラギラと輝いていた。

 頂上は広大な方形のフロアを形成しておりのっぺりと綺麗に平らかだった。背丈よりやや高いくらいの二つの柱をつないだアーチ、私が今し方潜り抜けたものと同じ造りの門が正面に立っている、中央へと佇んで、私は待つ。



 女は現れていた、門柱の麓、黒髪の麗人が少しずつ見え隠れをしながらだんだん高くなっていく……頂上の床面へ足が触れ彼女の全身が同じ高さに届いた瞬間、思いがけぬその相手へと心を奪われて、押し出すべき声色を失ってしまった。

 「佐江子!」。放たれるべき呼び声はただただ心の中にて、大声で叫ばれただけだった。代わりに、鋭い視線を相手の両の瞳へと注ぎ込んでじわじわ近く大きくなっていく小柄な体躯を相貌をじっくりと見つめつづけていた。

 

 『見合い峠の舞台』……。険しい道のりを互いに越えて、たどり着くことのできた運命の男女……目の前に立つ、因縁の女性を茫然と眺めながら……一度は乱されながらもようやく整った心地へと落ち着いて、思いを込めて吐き出すので。


「佐江子……お前だったのか?」

 翻弄されつづけた悪夢のような運命は予想外をも含めたすべての末路の中において最も喜ばしい結びへと還っていったのだ。

 だが……。彼女は私を見やり、純粋そうな表情と真っ直ぐな視線とを同居させながら小首を傾げていた。

「佐江子さん……とは違います。わたしは真奈美という者でございます……とは云え、あなたをお待ち申し上げておりました、とても嬉しゅうございます」


 私は何が何だかわからない気持ちで勇猛果敢に自然な素振りをたおやかに流していく彼女へと手を引かれて舞台の向こう、彼女の現れた門より逆の道程へと下っていくのだ。

 私が佐江子だと思い込んでいた真奈美という女性の相貌や体つきが徐々に他の女性へと変わっていくのだった……その……見ず知らずの相手と私は契りを交わして、これから、生涯を共にして人生を歩むのである…………『見合い峠』を遡行して、死に瀕するほどの険しい道のりを想像していたはずのその道程は、ただただ、ナノマシンより見事にならされた、何ら危険な奸策かんさくのないただの長大な階段道の連続であり、しかもそれは思いのほか、短い距離に過ぎない拍子抜けするような道程にすぎなかった。

 伴侶たる女、真奈美は、佐江子とはまったく違った相貌ながら、柔らかなそれなりの美しい表情を湛えていて、私へと振り向きざまにこやかに微笑んでいた。



 あれは太陽の如き巨大な天体(卵子)に違いなかった、夜空に架かった帚星ほうきぼしみたいな長々とした鞭毛を泳がせ遥か険しい劣悪な道中を死に物狂いに渡りきった(精子)は、紡錘形をはべらせた頭部よりいざなわれ鷹揚なる女王の天体の細胞膜を突き破った刹那にひと息で飲み込まれてひとつになって溶けてしまった。 

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― 新着の感想 ―
[良い点] 描写が細部まで具体的ですね。質感や音、光景など、文章で説明するのが難しい部分にもきっちりと手を出されている印象があります。確かな語彙力と運用能力の存在を感じさせます。 ファンタジックな世界…
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