モジモジくん と 上級者オセロ と 深い世界
「私ね、思うの」
何を?
「世の中の男はみんなモジモジくんだと思うのよ」
な、な、な、何ですと!
「どうして世の中の男はみんなここ一番って時にはっきりとものを言えないの?特に恋愛におけるそういう場面では深刻な問題だと思うのよ」
みんながみんなそんなふうではないと思いますが……。
俺は、時音、長沢、夕渚、ユメの一年女子メンバーが部室の席を囲んで何やらおしゃべりしているところを盗み聞きしていた。と言っても、盗んでまで聞きたいのは夕渚か長沢のトーク内容ぐらいなもんで、あとの雑音は自然と耳に入ってくると言った方が正しいだろう。
「私はね、はっきりしない男のそういう態度も嫌いだけど」
何故だか興奮状態にある時音は窓の外の空を眺めて、
「こういうはっきりしない天気も大っ嫌いなのよ」
…………。はい、今日は晴れませんでした。見事なまでの曇り空です。
「まあ天気のことはいいとして、このことについて瑠璃ちゃんはどう思うわけ?」
無駄に喧嘩腰の時音に突然ふられた長沢は、小動物のように体をビクッと強張らせたが、落ち着きを取り戻すと、時音をなだめるように優しく発言した。
「でも、時音さんが言ってるのは昨日のドラマの中の人の話でしょ?あそこではっきり「好きだ」って言っちゃったら、まだ五話なのに話し終わっちゃうよ」
ドラマの話かよ!
「確かにそうだけど、あの話に共感できるってことは、みんな似たような経験をしたことがあるってことでしょ?やっぱり男はモジモジくんだと思うのよ」
時音は昨日のドラマの進行がかなり気に食わなかったらしい。俺は今話題に上っているドラマは一話で飽きちまったから、昨日の放送なんて見ているはずもなく、やっぱり大したドラマじゃなかったんだなと、自分の判断力の賢明さに感心しているのであった。
俺が一人で「うんうん」と頷いていると、
「時音さん、男はモジモジくんなんかじゃないわ」
やけ~に冷たい声が舞台に上がってきた。
「いいこと、みなさん」
主演女優の座をさらりと奪い取った雪女は、従者に言いつけごとをする女王様のような気品を振りまいて、
「男はね」
もったいぶるように四人の顔を見渡してから、
「エロスなのよ」
だからあんたがエロスです!
それだけ言い終えると、満足したのか、いつものように部室の隅っこに行き、本を読みはじめてしまった。やっぱりこの先輩は読めないな。
「な、な、な、なんじゃこりゃぁぁぁ~」
ここにも読めない先輩が一人。
「先輩、弱すぎですよ」
どうやらハイは礼二とオセロをやっていたようだ。その勝敗を確かめるべくオセロ盤をのぞきこんだ俺はあり得ない光景を見た。
「獏先輩、これは歴史的大敗ですよ」
昨日の夢の中で勇敢にぶちのめされていた少年も興奮した声を上げていた。
オセロ盤の上はほとんど真っ黒と言っていい状態だった。辱めを受けているかのようにポツポツと白が覗ける程度で、いったいどのように戦局を進めればこのような結果になるのか緊急会議を開きたいくらいあっぱれな負け方だった。
「敵は本能寺にあり!」
すいません、先輩、意味わかんないです。
一方、雪女の発言にフリーズしていた女子四人組の会話も再び熱を取り戻してきたらしく、
「ユメちゃんはどんな男の子がタイプなの?」
長沢もそんな話するんだ、なんて思っていると、
「あちしはスポーツしてる男が好きだ。四度の飯よりスポーツだ」
飯食いすぎだろ。
「へえ~。スポーツってのはポイント高いわよね」
時音も頷いていた。もしかして女子の大半はスポーツをやっている男に惹かれたりするのだろうか。もしそんな統計結果が出てるなら俺もスポーツはじめようかな。優雅にクリケットでもやってみるか?いや、忙しすぎる日本人にはクリケットの面白さはわからんだろうな。まあ、当然俺にもわからんのだが。スピーディーな展開しか好まない日本スポーツ界に一石を投じてみるのもいいかもしれん。メンバーが集まればの話だが。
「じゃあ、美園ちゃんはどんな男子がタイプなの?」
ナイスパスだ時音!グッジョブだ!
「う~ん……」
耳をダンボにして…………。この例えって、もう死語なのか?
「そうだな~」
俺は俺の中に漂う数少ない集中力をかき集め、勢力が分散しないように、右耳にだけ一点集中させて夕渚が次に発する一言を心待ちにしていた。
すると、
「チンチラみたいな人がいい」
…………。どんな人だよ。ってか、チンチラってなんだよ。
みなさん、動物園にレッツ・ラ・ゴーだ。辞書でもいいぞ。
「ああ……、あのチンチラね?」
「そうだよね、あのチンチラだよね?」
「どこのチンピラだ?」
お前ら絶対わかってないだろ。何となくで会話進めようとしてるだろ。
あと、ユメ、チンピラじゃないぞ。
女子は女子で話に花が咲いてるし、男子は男子でゲームして遊んでるし、雪女は雪女で本読みふけってるし、このままいつも通りに一日が終わっていくのかな、なんて思いつつ窓の外を眺めていると、
「ユウユウ」
不意に奇妙な名前が呼ばれた。しかし、この名前で呼ばれる人物はこの部室の中で一人しかいないし、この名前で呼ぶ人物も一人しかいないわけでして。
「どうした、夕渚」
振り向くと夕渚は「よいしょ、よいしょ」とか言いながら囲碁盤を運んでいた。誰がこんな本格的なもん持ってきたんだよと言いたくなったのだが、今注目すべきはそこではない。
「俺が持ってやるよ」
俺は意図的に優しさを見せるなんて恋愛テクを持ち合わせていない。だが、あまりにも夕渚が危なっかしく運んでいたので自然と手を貸していたのだ。そして、そんなに広くない部室を見渡してフリースペースを発見すると、ささっとそこまで持っていった。
対局する形でお互い座っていたので、必然的に夕渚の顔が正面にあった。
「あのさ、俺、囲碁のルール知らないんだよね。五目並べでもいいか?」
「えっ」ってな感じで目をパチクリさせている夕渚の表情は、恥ずかしくて視線をそらしたくなるくらいに可愛かった。
だがしかし、夕渚が驚いていたのは俺が囲碁のルールを知らないということに対してではなかったようで、
「これはオセロじゃないんですか?」
どこまでボケ倒せば気が済むんですか!
「ちゃんと白いのと黒いのがあるし」
「マス目が多いとは思わないのか?」
「上級者用かなぁと」
夕渚を正面に眺めながらも思わず「はぁ」とため息をついてしまったが、本人はそういう反応など全く気にしないようで、「どうしましょう?」なんて聞いてきた。夕渚と五目並べをしても絶対に一方的な展開になってしまうと踏んだ俺は、
「じゃあ、これでオセロするか」
「うん」
二人で上級者オセロをすることにした。
せっかく二人でゲームしてるわけだから、この上級者オセロをきっかけにいろいろと会話のキャッチボールでもかわそうと思っていたのだが、
「どうしてこんなわけのわからん研究会に入ったんだ?」
「今集中してるから静かにしてください」
「長沢の紹介か?」
「ユウユウ、うるさいです」
「意外に、礼二の紹介だったりして」
「ユウユウ、とってもうるさいです」
「チンチラって何だ?」
「チンチラは可愛いです」
こんな感じで全く会話がはずまなかった。
囲碁盤のマス目を全部埋め尽くせるほど時間は多く残っていなかったので、案の定下校の音楽が鳴り始めて時間切れとなってしまった。
だが、今日は一人寂しく後片付けすることはなかった。それどころか夕渚と二人で後片付けをしているのだ。このままの流れで二人仲良く下校できるかなあなんて思いを巡らしていると、
「おい、チイ」
ユメが俺の裾を引っ張っていた。
「なんだよ」なんて言ってるうちに、「ユウユウ、また明日」と言いながら長沢と手を振っている夕渚を発見してしまった。もう、がっかりだよ。
「で、何の用だ?」
仕切り直すように聞いてみると、
「昨日のこと」
「斗真の話か?」
「違う。あちし、昨日、夢食ってない」
そう言えば昨日はあの後すぐに目が覚めたので、ユメが夢を食っている姿は見ていない。
「お前、一日四回も飯食ってるんだから夢食う必要ないだろ」
と、自分で言ってふと気付く。
「お前普通に飯食うのか?」
「当たり前だ」
「夢も食うんだろ?」
「当然」
「何でだ?」
「お腹がすくからに決まってる」
「いやいや、そうじゃなくて」
お腹がすくのであれば普通にご飯を食べればいいわけで、わざわざ他人の夢を食う必要はないはずである。
「どうしてお前は夢を食うんだ?」
「お腹がすくからだ。前も言わなかったか?」
「だから、そうじゃなくて、なんでご飯じゃなくて夢じゃないといけないんだ?」
「それは……」
ユメはどこかで見たことのある愁いの表情を浮かべると、
「それは、あちしが『夢喰い人』だからだ」
吐き捨てるように言い放った。
○
「ここら辺でいいか?」
「うん」
俺とユメは下校の音楽にぺっぺと吐き出されてしまったため、二人して高校の近くにある公園までやってきた。どうして二人してカップルのように公園のベンチに腰かけているのかと言うと、先ほどのユメの表情と言葉が気になったからにほかならない。
「でさ、夢喰い人ってなんだよ?」
おそらく広辞苑を引いても載っていないであろう言葉の意味を訊ねてみると、
「あちしみたいな人のこと」
まあ、わからなくもないのだが。
「お前は自分が夢喰い人なのが嫌なのか?」
さっきのユメは普段じゃなかなか見ることのできない表情をしていた。あどけなさの抜けきった、愁いの表情を。
「うん。だってまずいんだもん」
あの、いろいろあいだが抜けてますけど。
「幸せいっぱいの夢はうまいんじゃなかったのか?」
「夢はおいしいんだけどね。あちしたちは夢ばっかり食べてるわけにはいかないの。あちしたちにはあちしたちなりにやらなくちゃいけないことがあって、それをすると、すっごくお腹すくから、その充電のためにもせっせと夢を食っているというわけ」
「「あちしたち」って、お前みたいなやつが他にもいるのか?」
「いる。でも、見た目にはわからないから、あちしも会ったことない」
「会ったことないのによくいるなんて言えるな」
「いる。なんとなくわかる。絶対いる」
全く根拠はないようだが、この広い世界においてユメ一人だけがこんなへんてこな力を持っていると考えるより、他にも似たような力を持っている奴がいると考えた方が無難なのかもしれないな。
「要するに、そのやらなくちゃいけないことっていうのをするためには、飯からじゃ得られないエネルギーが必要で、そのエネルギーを得るために夢を食ってるんだな」
「そう」
「じゃあ、お前がやらなくちゃいけないことってなんだよ。あれか? 地球侵略をたくらむ悪の組織と戦ってるとかか? そりゃあ、ドンパチやってりゃお腹もすくってもんだな」
結構自信ありで言ってみたのだが、
「チイ、あちしを馬鹿にしてるのか?」
ユメはお餅のようにプクリと頬を膨らませていた。
「馬鹿になんてしてないさ。むしろ尊敬の念を込めたつもりで言ったんだが」
「そうか。でも、馬鹿にされた感満載だぞ」
「そうかよ」
このまましばしの沈黙が続いた。
ユメとは知り合ってまだそんなに経っていないのだが、とんでも体験を含めた濃密な時間を過ごしてきたせいだろうか、この沈黙をぎこちなく感じることはなかった。したがって俺の妄想回路は停滞することなく熱帯低気圧のように渦を巻きまくりで、今隣にいるのが夕渚だったらどんなに心躍ることだろうと考えてみたりして、「とほほ」と年甲斐もなくため息をついてみたくなっていた。
先ほどまでの会話の流れとは全く無関係に、そう言えば初老って何歳からだっけ? みたいなことを考えていると、
「すいませーん、ボールとってくださーい」
ユメの足元にころころとサッカーボールが転がってきた。ちょっと離れたところから元気のいい小学生くんたちが叫んでいる。この少年たちから見れば俺もおじさんなのか? いや、そんなわけないよな。そこまで齢が離れてるってわけでもないんだし。まったく、ピチピチの高校一年生をこんなにも憂鬱な気分にさせてくれるんじゃないよ君たち。さっさとお家に帰らないとお母さんが心配するぞ。お尻ペンペンされちゃうぞ。
なんて思っているうちに、
「あ~い、いくぞ~。おりゃぁぁ」
背丈だけなら小学生とも言い張れそうなユメが勢いよくボールを蹴っていた。
「ありがとうございまーす」
そう言い残して少年たちは去って行った。
「チイ、あちしたちも帰るぞ」
俺の質問は置き去りかよ、なんて思いつつ俺は腰をあげた。背筋がピーンと張れていることと、「よっこらしょ」なんて言ってないということを確認し、「俺はまだまだ若い」と自分に言い聞かせながら、俺も帰ろうかなと歩いていると、
「チイ、さっきの話なんだが」
くるりと振り返ったユメは水色の髪を揺らしながら教えてくれた。
「あちしら『夢喰い人』は『夢酔い人』を喰うんだ」
「またわけのわからん言葉を吐き出しやがって。帰り際に俺を悩ませるようなこと言うんじゃないよこの野郎」
「しっしっし。まあ、気にするな。んじゃ、バイバイだ」
「おう。また明日」
元気に腕を振ってバイバイしているあたり、そこまで深刻なことではないのだろう。嫌な理由についてだって、「まずいから」とか言ってたから、きっとそこら辺が気に食わないだけなんだろう。最後に言ってた『夢酔い人』にしたって、ユメがまさか人間を食うわけないから、夢の中で食う何かの例えなんだろう。
俺はそう思っていた。もしかしたらそう自分に言い聞かせていたのかもしれない。そうすることでユメのことを少しわかったような気になって安心していたのかもしれない。わけのわからないことを自分の理解の支配下において安心していたのかもしれない。
世界はそこまで単純ではないというのに。
世界は広い上に、深かった。