絶叫マシン と 愁の旅人 と 犬以下の学習能力
「まさか現れるわけないよな」と一人つぶやいてから布団にもぐりこんだ俺は、意外なほどあっさりと夢の世界へと旅立っていた。
夢の世界に降り立った俺は新緑の大海原の上で一人ポツンと立っていた。ここが夢の世界だと気付いている時点でもうそれは始まっていたのかもしれない。真っ青な草原の上を駆け足で通り過ぎていく穏やかな風が、たなびく草花たちをおじぎさせている。
心地よい風に身をゆだねていると、
「おい、チイ」
水色の髪がフワフワ遊んでいた。
「これで信じてくれるのだな」
俺の顔も真っ青ですよ。
「マジかよ!」
俺がたじろいでいるのもまったくおかまいなしで、
「今日は昨日ほどチイの心は高揚してないな。これじゃあ、お腹ふくれないぞ」
小さな体で腕組みをして、文句を垂れている。
「お、お前、な、何でここにいるんだよ」
引き攣った声で聞いてみるのだが、
「チイが来いと言ったんだろ」
確かにそうですけど……。
「どうやって俺の夢の中に入ってきたんだ」
試しに頬をつねってみたが全然痛くない。つまり、ここは確実に夢の中なのだ。俺の夢なんだから、普通に考えれば俺の思ったとおりに事が運ぶはずである。というわけで、俺は心の中で「ユメよ消えろ!」と唱えてみたのだが、全く効果はないようだ。
「どうやってって言われても」
困ったようにユメは、タコ踊りのようなイカ踊りのようなわけのわからん動きをし始めた。
んで、最後には飛び込み台から飛び込むようなアクションをして、一連の踊りを完結させたらしい。
「っとまあ、こんな感じだ」
「どんな感じだよ!」
ユメは腰に手を当て、やりきったぞ! みたいな誇らしげな表情で俺を見上げている。
「…………」
この場合、やっぱり俺はこいつが言った「夢、食うんだぁ」という言葉を信じてやるべきなのだろうか。俺の夢に現れたら信じてやると言った手前、こいつの言動を信じてやるべきなんだろうが、一般的常識的判断というものが最後の一歩までは踏み出させてくれない。
そんな俺の葛藤をよそに、
「チイ、あちし、他の夢を食いに行くから。バイバイするぞ」
そのままどこかに行ってしまいそうだったので、
「ちょっと待ってくれ!」
自分の葛藤に決着をつけるにはこれしかない。
「俺も他人の夢に連れて行ってくれ」
ユメの大きな両眼がパチクリと瞬いている。
「なんで?」
「まだこれだけじゃ納得できないからだ。凡人たる俺のキャパシティじゃ受け止められないことだってあるんだよ。百聞は一見にしかずだ。だから、俺も連れて行ってくれ」
「よくわからんが、もうちょっとで信じてくれるということか?」
「そういうことだ」
まだ信じてもらえていないということに対する不満を頬っぺたに詰め込んで、ユメは、わからずやだなあ、なんて事を呟いている。
「な? いいだろ? お願いだ」
俺の頼みに返事をするでもなく、ユメはピョコピョコと俺の前までやってきて、
「ほい」
右手を差し出した。
「なんだ? 握手か?」
少しためらいながらもユメの手を握った。予想通りの小さな手と、思ったよりもやわらかい肌の感触に、握ったその手を恥ずかしがらせていると、
「目閉じて」
言葉通りに目を閉じると、やけに右手の感覚が冴えわたってしまい、
「絶対、目開いちゃダメだぞ」
幼いユメの声もやたらと艶っぽく聞こえてしまった。
そんな感触に浸っている暇もなく、
「うおォォォォ――――――――――っ」
頭から何かに吸い込まれる感覚に襲われた。世にいう絶叫マシーンとやらは大概平気な俺の精神力をもってしてもぐったりするくらい、疲労感満点の感覚だった。
数秒の放心状態を経て、
「目開けてもいいよ」
その声に目を開けてみると…………、豚が空を飛んでいた。
豚もおだてりゃ木に登るとか言うことわざは聞いたことあるが、空飛ぶ豚なんてのは聞いたことがない。スーパーマンもびっくりだなこりゃ。
周りをぐるりと見渡してみても、見たこともない風景に見たこともない人たちばかり。よく見りゃ全員金髪だ。ここがどこの国なのかもわかりゃしない。
「ワンダフルだな」
「チイ」
「なんだよ?」
「そんなに強く手を握るな。痛い」
知らないうちに右手に力が入っていた。恥ずかしさと申し訳なさで、つないだその手を放してしまう。
「す、すまん」
「うん」
ユメはそのまま前へ向き直ると、
「よし。あちし、今日はこの夢を食うことにする」
晴れやかな笑顔で宣言すると、
「ガァァァ―――」
昨日の光景そのままに大口を開けていたので、
「待ってくれ!」
ユメは大口を開いたまま俺の方に視線だけよこしてきた。
「今から夢を食うのか?」
首だけコクッと頷かせる。
「お前がこの夢を食ったら俺はどうなるんだ?」
「ひへふ」
「大口を閉じてからしゃべってくれるとありがたいんだが」
「消える」
「どういうことだ?」
「この夢の中にはいられなくなる。だから、目が覚めちゃうか、そのまま自分の夢に戻って睡眠を続けるかのどっちかだ」
「お前はどうなるんだ」
「バイバイする」
園児を見送る保育士のように手を振っているので、
「一つ聞きたいことがある」
「なに?」
ユメが夢を食うということは仮説的想像力でこの際信じてやることにする。しかし、その事実を認めたとしてもまだ気になる点が残っている。
「お前は何で夢を食べるんだ?」
どうやって食べるのかと尋ねたところでどうせまた、「ガァブッ、っと」なんて言うだろうから、夢を食う理由について聞いてみることにしたのだが。
「お腹すくから」
夢=晩飯、かよ。
「夢はね、夢を見てる人がその日を幸せに過ごせれば過ごせただけ、おいしくてお腹もふくれるの。あちしはね、夢食べないとお腹がぐぅ~って鳴いちゃって、元気出なくなるの」
愁いの旅人のように虚空を見つめる少女は最後に告げた。
「でも、それだけじゃないんだけどね」
少女は今までとは明らかに違う声のトーンで言葉を紡いだ。晴れやかな夢の空が見事なまでのアンビバレンツを醸し出している。
「あちしは、『夢喰い人』だから……」
そう言ってスッと瞳を閉じた少女は、再びそのまぶたを開き明るい笑顔を振りまいて、
「じゃあ、バイバイするよ」
スウッと空気を腹にため込み、
「いっただっきまーす!」
大口を開いて――――――――。
「…………ん? あぁ、夢か……。なんちゅう夢見てんだ俺は……」
またまた二度寝をしようとして、ふと時計を見やると……。
「遅刻する―――――ッ!」
寝起きの俺は犬以下の学習能力しか持ち合わせていないようです、はい。




