マラソン と 時音友里 と おフロ研究会
そういえば、選考後の選評に「キャラクターが多すぎるのでもう少し絞ったらいい」的なコメントがあったのを思い出しました。
当時は京都アニメーションのクラナドなどにはまっていた時期ですね。
「なあ、孝司~、そろそろ歩こうぜ~。俺もう疲れて走れましぇ~ん」
高校に入学したばかりの芽キャベツのように初々しい新入生たちが迎える四月の体育と言えばマラソンだ。他の高校ではどうだか知らないが、少なくともこの納陵高校では、フレッシュマン=マラソンという普遍方程式が成り立ってしまっている。もはや、牛乳は牛の乳から搾り取られているという事実ぐらい常識なのだ。
「ああ。いいぞ。俺も疲れた」
常識だからと言って全ての生徒がくそ真面目なハムスターのように校舎の周囲をグルグル走っているわけではない。体育教師が目を光らせている校門周辺以外は軽く流すという術をさすがに高校生ともなれば身につけているわけで、自分の体力の限界にチャレンジしてやろうなんて熱いハートを持っているやつは、はっきり言って少数派だ。
だから俺がクラスメイトである尾村佑太の誘いを受けてヘロヘロ歩いていたって、なんら異質な光景ではないのである。
でもやっぱり、腕くらいは大きめのアクションでふっておこうかな。
「いつまで俺らの体育はマラソンなんだ? もうさすがに飽きた~」
尾村の言うことももっともなのだが。
「俺は最初のマラソンの授業から飽き飽きしてたぞ」
「確かに」
俺たちが高校に入学してから三週間経ったというのに、未だに体育の内容がマラソンというのはいささか腹立たしかった。三週間も停滞していたら世界情勢から取り残されてしまうよ。まあ、それとこれとは全く関係ないんだけどな。
「おい、そこのお二人さん。しっかり走れよ。爽やかな汗ってのは気持ちいいもんだぞ」
爽やかな風のごとく、俺と尾村の間をすり抜けていく少数派代表みたいな男がそこにいた。
「立也、お前あと何周だよ?」
俺の声に振り返る様は日本さわやか選手権に出場させてやりたいくらいの極上の爽やかさだ。ところでそんな選手権は存在しているのだろうか?
「これがラスト一周だ」
「マジかよ!」
尾村が声を上げるのも無理はない。俺たちは二周も差を付けられていたのだから。
「しょうがないさ。俺らもチビチビ走ろうぜ」
「はぁ……」
ヨレヨレのじいさんみたいな格好でマラソンを再開した俺と尾村は、教師の前だけ、青春まっしぐら!というくらい猛烈なダッシュを見せつけ、角を曲がるや否や競歩に転向という、忍者もびっくりなくらいのはやわざで何とか体育の時間を乗り切った。
来週からは数種目の球技に分かれて授業が進むそうだから、俺たちの憂鬱な時間は一つ削除されたと言ってもいいだろう。
今日の体育は昼休みの前にあった。つまり、今は昼休みと言うことになる。
高校に入学してまだ三週間しかたっていないのだが、クラスの全員と初対面と言うわけではなく、同じ中学に通ってたやつらもちらほらいたので友達作りに苦心する必要はなかった。
とは言っても、男子は女子ほど人間関係が複雑ではないので、三週間もあればなかなかいい感じに親交を深めていたりもする。実際、俺はクラスの男子の八割とは既に軽い会話を交わしている。
「孝司、お前来週の種目なに?」
「ソフトボール」
「おお!同じだぜ」
「そうかよ」
俺と尾村は同じ中学出身であるからして、会話に新鮮味というものがない。
「俺は卓球だぞ」
爽やかな声は池中立也のものだ。こいつとは高校に入ってから知り合った。立也のような人種とは初めて出会ったので、いろんな意味で新鮮だった。
「お前卓球が得意なのか?」
体育の前期の選択種目はソフトボール、バスケ、卓球、の三種目であり、毎年のように卓球の希望者がずば抜けて多いらしく、大所帯となること必死であった。どうやらその理由は、激しいスポーツが苦手な連中がこぞって参加するからであるようだ。
ということは、この爽やか少年が運動嫌いなのかと言うとそうではなく、むしろ何でもそつなくこなすタイプの人間のように見えた。これはあくまで俺の主観なんだが、あながち間違いでもないだろう。加えて、こいつは教師側の事情を与するような、いわゆる優等生タイプの人間である。これについては既に裏付けが取れていて、その証拠は、立也のこのクラスにおける役職に表れている。何を隠そう、池中立也は我らが一年七組の学級委員なのである。しかも、誰かに推薦を受けたわけではなく、グダグダになるであろう空気を察してか自発的な立候補によるものだった。
したがって、こいつが卓球を選択していることにはいささか違和感を覚えてしまうのだ。
「お前らにはまだ言ってなかったが」
百点のテストを見せびらかしたくて仕方ない小学生のような笑みと仕草で。
「アイ・ラブ・卓球なのだよ」
爽やか一転、超気持ち悪いことをさらりと言ってのけやがった。天才とバカは紙一重ってのを聞いたことがあるが、爽やかさと気持ち悪さも紙一重のようだ。しかも、こっちの紙はかなり薄いようです、はい。
そんなこんなで俺と尾村が顔面の筋肉を引き攣らせていると、
「ちぃっす。購買、超込みだぜ」
机を寄せ合わせていた俺たちのところに椅子だけ持って現れ、ドカッとためらいなく座り、行儀悪く足を組みだす男が現れた。
「おう、斗真。また購買か。弁当作ってもらえばいいだろ」
「めんどくさいんだと」
「じゃあ、自分で作るとか?」
「無理無理。起きるのに必死」
「じゃあ、コンビニに寄ればいいだろ」
「その時間すらねえ。朝はマジ必死」
どんだけ必死なのか見てみたい気もするのだが。
「そう言えばお前、体育の時間どこにいたんだ?」
マラソン中に抜いた記憶もなければ抜かれた記憶もない。そもそも、スタート地点にすらいなかったように思うのだが……。
「保健室」
サボったな。こいつ、入学早々サボタージュしやがった。まったく、いい度胸してるよ。
だがまあ、言い訳の一つくらいは聞いてやることにしよう。
「風邪でも引いたのか?」
「いやいや、全然元気」
「じゃあ、あれか、怪我でもしたか?」
「まさか。全然無傷」
「じゃあどうしたんだ?」
ここまで来れば聞くまでもなかった。斗真は背もたれに優雅にもたれかかり、行儀悪く組んでいた足もスッとわずかに動かし上品な足組へと変化させる。口の中でモグモグさせていた焼きそばパンを紙コップのジュースで流し込み、フウと一呼吸置いてからクールに言い放った。
「仮病だ」
知ってたよ。こんなにためを作らなくてもわかってたよ。
「昔から思っていたが、斗真、お前はけしからんやつだな」
いつの間にか腕組を決め込んでいる立也が物申した。ちなみに立也と斗真は同じ中学出身だ。性格が真反対のように思えるこの二人は一見すれば反りが合わないように思われるのだが、実際は二人でいるところをよく見かけたりする。楽しげに会話を弾ませているわけではないのだが、即かず離れずといった感じでたまに言葉のやり取りをかわしているようだ。
「うるせえよ」
立也を一言であしらった斗真は、再び焼きそばパンにかぶりついた。
「斗真は来週の体育、何やるんだ?」
この質問したのは尾村だ。種目の割り振りは入学早々のオリエンテーション時に用紙が配られ、その時に記入して提出したものを教師側が無作為に抽選して決定するとのことだったので、今日の体育を休んだところでこの件について困ったことにはならないのだった。
「バスケ」
「なるほどね~」
何がなるほどなのか説明してほしいところだがここはスルーしておこう。
まあ、こんな感じで毎日楽しくやってるわけだよ。高校に入学したからって何かが劇的に変わるもんじゃないらしい。勉強だって受験が終わってからこの方ろくにやった覚えはないし、初めの方は緊張して受けていた毎日の授業も、今となっては保育園児のお昼寝の時間と等価な存在になり下がってしまっている。テスト期間が始まると地獄のような日々になってしまうのだろうな。いつだって、コツコツ勉強した方が後々楽だってことはわかっているんだが、なかなか実行に移せないのはなぜだろう。脳味噌と指先をつなぐ神経がいかれてしまっているのだろうか。誰か直してくれ。頼む。
しかし、中学の時とはだいぶ印象が変わったところもある。
高校生という肩書を手に入れたヤツラは、別段どこか成長したわけでもないのに何となく大人っぽく見えてしまう。制服のせいなのだろうか、それとも、ほんのりと化粧をしているせいなのだろうか。
詰まるところの、女子と言う存在だ。
「ねえ、タカジイはどこの部活に入るか決めた?」
授業が終わり、帰りのホームルームまで少し時間が空いたので、自分の席に大人しく座り、ぼんやり窓の外を眺めていた俺は、後ろから投げかけられた中学の頃からよく知っている声に引っ張られ、クルッと九十度ほど体を回転させた。
ちなみにタカジイとは俺のことで、俺はこのあだ名をあまり歓迎してないのだが、「そのあだ名やめろ!」と言えば言うほど面白がって、「タカジイ」と呼ぶので、無駄な抵抗はしないことにしているのだ。
「まだ決めてない。体験入部の期間っていつまでだっけ?」
納陵高校では必ずしも部活に入らなければいけないというわけではないのだが、ほとんどの生徒がどこかの部活もしくは何かしらの団体に所属している。あの斗真ですら、すでにサッカー部に入部届けを提出しているくらいだ。
「えーっとね、確か今月中だったよ」
「あと一週間か。お前はどこに入るか決めたのか?」
お前と言うのは時音友里のことでして。
「まだ決めてないんだけどね」
「どこか気になる部活でもあるのか?」
「面白い所があるらしいのよ」
時音は席に座ったままグッと体を乗り出して、これからいたずらでも仕掛けるかのごとく、ランランと両目を輝かせている。結構近い距離でこの目を見てしまった俺はちょっとだけドキッとしてしまった。何たる不覚。
「どこの部活だよ?」
「それがね、部活じゃないらしいの。研究会なんだって。今日の放課後に行ってみない?」
そうそう、この高校の変わったところは、研究会のようなちょっとしたサークルがちらほら見受けられる点だ。部活と同じように、教室まであてがわれているサークルもあるそうだから、教師側は何かと寛容なのかもしれないな。その寛容さを日々の宿題に発揮してくれたら何とも有難いのだが、この件に関しては全校生徒分の署名を集めたところで俺たちの願いは聞き届けてもらえないだろう。
「なんて言う研究会なんだ?」
俺は最初野球部に入部しようと思っていたのだが、野球部の規則としてボウズ頭にしなければならないとのことだったので、入部は断念した。ボウズにすると、いろいろ寂しくなりそうだったし、そもそも俺が野球部に目をつけていたのだって、自分が中学の時に野球部に入っていたからなんとなくそのノリで高校でも続けてみようかな、ってな具合の軽い動機で、熱血高校球児みたいに、俺の青春は甲子園に捧げる!みたいな心持ちにはなれなかったからだ。その後とくに興味を引かれる部活がなかったから、あれこれ体験入部をしてみたのだが、やっぱりこれと言う部活を見つけることはできなかった。幸い俺と仲のいい連中も大半は入部届けを提出しておらず、未だ模索状態にあるのでそれほど焦りは感じていなかった。
しかしまあ、気付いてみれば体験入部の期間はあと一週間しか残っていないわけで、どこかしこの団体に一日だけでもお邪魔するというのは嫌ではなかった。
「正式名称はわかんないんだけどね、」
時音は俺の目を見たまま、何とも気持ちよさそうに言い放った。
「『おフロ研究会』、だって」