記憶3
――――何か大切なことを忘れてる――――
中学の頃の日常は、あまり楽しくなかった。小学校の頃は仲が良かった友達とも、知らないうちに口数が減っていたから。自分が女の子に生まれてきたことが嫌だった。周りの女子は知らないうちに数個のグループを作り、お互いに牽制し合っていた。グループの中ですらお互いの腹の内を探り合っていた。
どうして全員で一つになって会話をしないのか理解できなかった。どうして人の悪口を言い合うのか理解できなかった。多勢が無勢を攻め立てる教室に嫌気がさしていた。
だからだろうか。気付いたら私は一人だった。
でも一人は嫌じゃなかった。無理をしてみんなと慣れ合うよりは、一人でいた方が自分に正直だと思ったから。自分の気持ちを見ないふりして毎日をすごしていけるほど、私は器用じゃなかったから。
いじめられたりはしなかった。私は不器用だけど、愛想が無いわけではなかったから。ただ心から信頼して話せる友達がいなかっただけ。
一人でいるのは嫌じゃなかったけれど、やっぱり心から打ち解けあえる友達が欲しかった。
だから高校は少し離れたところに行こうと思った。気分を改めるため、またゼロからスタートしようと思った。
お父さんもお母さんもいいよって言ってくれた。私がいいと思うならそれが正しいことなんだって言ってくれた。
うれしかった。
私はこの高校を選んで本当によかったと思う。たぶん、私の人生の中で一番の出会いがここにあったから。
『おフロ研究会』には変わった人ばかりいた。その名前に負けないくらい、みんな個性の塊だった。
時音さんは自分の言いたいことズバズバ言ってどんどん引っ張って行ってくれる。瑠璃ちゃんは誰にでもわけ隔てなく優しいから、自分もこんなふうになりたいと思った。ユメちゃんは自由奔放で、ピョコピョコ歩く姿がとってもかわいかった。長滝くんはふざけたことばかり言ってるけど、何かに真剣になったときは本当にかっこいい。池中くんは真面目なんだけど、どこかずれてて面白い。獏先輩は意味不明だけど、ちゃんと研究会をまとめてくれてると思う。海老沢先輩は、よくわからないけれど、あの人こそ個性の塊だと思う。
そして、ユウユウはとにかくいろんな人の話につっこんでいると思う。なんだかいつも疲れたような顔をしている。疲れたんだったら放っておけばいいのに、すぐまた人の話につっこみを入れている。きっと世話好きなんだと思う。本人に言ったら絶対否定するだろうけど、間違いないと思う。
だって、私が一人でいるとユウユウは隣に来てくれるから。話し相手になってくれるから。
――――俺は夕渚の友達だ――――
ユウユウは何気なく言ったのかもしれないけど、私は心の底からうれしかった。うれしすぎて涙が出てきて動けなくなったときも、世話好きなユウユウは私を引っ張って行ってくれた。温かなその手に、私の心までさらわれそうだった。ちょっと乱暴だったけど、それぐらいでちょうどよかった。自分とユウユウの間には遠慮の壁がないってわかったから。よそよそしい壁がないってわかったから。
『おフロ研究会』のみんなはお互いのことをあんまり褒め合ったりしないような気がする。女の子同士でもそういう会話はあんまりない。むしろケンカっぽいことの方がよくあるような気がする。
でもなんでだろう、みんなすっごく仲がいい。たぶん言葉なんていらないんだと思う。自分と誰かの絆を確かめるのに言葉なんて必要ないんだと思う。相手の心にズカズカ踏みこんでいく勇気と、相手にそれを許して心を開いておける勇気。この二つがあれば時間の長さなんて関係なく仲は深まっていくんだと思う。
こんなに自由で心地よい仲間といられることが不思議に思うけど、これが出合いなんだと思う。私が踏み出した一歩は間違いじゃなかった。
宣伝用にもらったこのリストバンドは私の宝物だ。明日からは普通の授業が始まる。腕につけていくのは恥ずかしいから、ポケットの中にでも入れておこう。自分のそばから離しちゃいけない気がする。
明日の放課後が楽しみで仕方無い。パーティーなんてしたことがないから。気を許せる友達といる時間が楽しくて仕方無い。ケーキだってすごく楽しみだ。ただのケーキじゃなくて、瑠璃ちゃんの手作りケーキだから。友達に囲まれて友達の作ったケーキを食べる。美味しいに決まってる。自然と顔がほころんでくる。
スーパーの帰り道、やっぱり私は迷子になった。
ユウユウを呼ぼうかと思ったけれど、道路のわきに供えられているお花が目にとまり、近くに行きたくない気持ちとは裏腹に勝手に足が動いてて、気付けばお花の目の前に立っていた。
今までもちらちら視界には入っていたけれど、見ちゃいけないような気がしていたから近づかなかったのに。
お花のそばにはアップルパイがそえられていた。
「お母さんとよく一緒に作ったなぁ。お母さんが好きだったから」
ビールがそえられていた。
「お父さんがいつもおいしそうに飲んでたなぁ」
スナック菓子がそえられていた。
「お兄ちゃんがよく勉強の合間に食べてたなぁ」
お線香がそえられていた。
涙が出てきた。
「お母さん、お父さん、お兄ちゃん…………」
気付いてしまった。
会話がないのではない。返事がないのではない。会話がしたくても、返事をしたくても、家族にはそれができないのだ。
三人はもうこの世にはいないのだから。死んでしまっているのだから。
線香の煙が辺りに充満してきた。
「私、まだ何か忘れてる」
一番大事なことを思い出せていないような気がする。
スナック菓子の隣にまだ何か置いてあるような気がしたけれど、それを見ないようにして、逃げるようにその場から立ち去ろうとした。
でも、
霧のように辺りを包み込んだ煙の中で、私は足を掴まれた。
冷たい手だった。
(見ないでいいの?)
どこかで聞いたことのある声。
(見ていきなよ)
私の足を掴む手は、赤色をたらりと垂らしている。
(きっと、忘れ物、見つかるよ)
怖くて両耳をふさいだ。私の足を掴んでいる手を振り払おうと必死で足に力を入れてもびくともしない。煙がだんだん晴れてきた。みたくないものが今にも見えそうだ。
耳をふさいでいるのに、声は聞こえてきた。
(耳ふさいだって意味ないよ)
さっきよりもはっきりと。
(だって私は)
頭の芯から聞こえてくる。
(あなたなんだから)
血みどろの私がそこにいた。自分の声が呼んでいたのだ。
(家族での最後の旅行、楽しかったね)
線香は四本立っていた。
心の中で詰まっていたものが、すっ、と取れていく気がした。
私が納陵高校に合格を決めたお祝いに、家族で旅行をしたのだ。お兄ちゃんも大学進学が決まっていたからちょっと奮発してくれたのかもしれない。お互いにいろいろ忙しくなるだろうから、たぶんこれが最後の家族旅行になるだろうと思っていた。
その帰り道だった。トラックの事故に私たちの車は巻き込まれた。トラックの衝撃に耐えられるはずもなく、私たちの車は紙屑のようにぐしゃぐしゃになった。自分で見たわけではない。グシャグシャッという音がしたのだ。
そこまでしか覚えていない。気付いたら私は納陵高校にいた。
忘れていたことを思い出したからであろうか、血みどろの私は消えていた。
スナック菓子の隣には、動物の人形がそえられていた。
「私、もう、死んでたんだ」
ユウユウの手が特別温かかったわけじゃない。自分の手が冷たすぎるのだ。
目を開けていても涙が流れるし、目を閉じても涙は止まらない。滲んだ視界を取り戻そうと冷たい手で涙をぬぐったら、目の前には二つの人影があった。
「ユウユウ」
呼んでいた。
「ユウユウ」
叫んでいた。
何度も、何度も。