大空ユメ と 夢酔い人 と 夕渚美園
「ケーキの材料は瑠璃ちゃんよろしく。あとのお菓子やジュースは男子で手分けして持ってきてちょうだい」
時音が手際よく四つの袋をポンポンと割り振っていた。
「どうしてお前はなんにも持って帰らないんだよ」
俺は当然の不満を口にするのだが、
「だってお菓子とジュースはちょうど三袋におさまったんだもん。いいじゃない」
いるよな、こういう都合のいい時だけ「私、女の子だもん」みたいな顔して面倒な仕事を回避しようとするやつ。
とりあえず明日の準備が整った俺たちは、球技大会の疲れが残っていることもありすぐに解散することになった。「バイバイ」とか「また明日」とか言う声とともに各々帰路へと向かっていく。俺は途中まで礼二と時音と一緒に帰り、すぐにまたバラバラになって、自分の家についた。普段ならご飯を先に食べるところなのだが、今日はたくさん汗をかいたのでお風呂に先に入りそのあとに夕飯を食べた。夕飯を食べ終えた後はいつものようにテレビを見ていたのだが、だんだん眠たくなってきたので、いつもより少し時間は早かったがもう寝ることにした。
今日は疲れてるからたぶん夢なんて見ないんだろうなと思いながら横になったわけだが、この予想は半分当たりで半分外れだった。
と言いますのも、
「チイ」
聞き慣れた声に俺の視界が開けた。
疲れていたためちゃんとした夢を見ることなく、無とも言える快眠の時間を俺は過ごしていた。この心地よさは俺が目を覚ますまで解けない永久の癒し空間になるはずだった。
しかし、こともあろうに傍若無人なユメとかいう小娘が、何の躊躇もなく人の癒し空間に入り込み、さらには「おい! チイ!」とか叫びながらこの俺をたたき起こしたのだ。突然のことに周りをキョロキョロ見回してみてから、確認のため頬をつねってみたが全然痛くない。
何度も言うようだが、頬をつねっている時点でもう非日常体験はスタートしているのだろう。こいつのどこまでも自分中心的な性格に驚嘆の思いを寄せつつ、「せめて今日ぐらいは爆睡させてくれ」とぼやいてみたものの、よく考えれば今の俺は寝ているのである。現状把握のなんと難しいことよ。
まあ、こいつがなにしにやってきたのかはだいたい想像がつくが、一応聞いてみる。
「なにしに来たんだよ?」
答えは当然、
「あちし、チイの夢食う」
そりゃあ今日の俺の夢はおいしいだろうよ。試合は予選敗退だったものの、その後は夕渚と二人きりで話をして、寛容な解釈で考えるなら手だってつないだのだ。脂乗りまくり、旬真っ盛り、食べなきゃ損損になるのも当然なわけですよ。
斗真の時のこともあるから今日のユメは絶対引かないだろう。だが、タダで夢を食わせてやるのも腑に落ちないので交換条件をもち出してみることにする。
「食ってもいいけど、一つだけ条件がある。俺を夕渚の夢に連れてってくれ。その後に俺の夢を食わせてやる」
よい子のみなさんはマネしないでください。これはタブーです。何がタブーかって? そんなの決まってる。女の子の夢を覗くことがタブーなんだよ。
でも今日の俺にはいろいろな下心があるわけではない。いや、嘘じゃないって、マジだって。思い出しても見ろよ。今日の夕渚はなんて言ってた? 家族と会話をしてないとか言ってただろ。大きなお世話かもしれないが、そこら辺のことを俺は何とかしてやりたいと思ってる。そう思うのは当然のことじゃないか。夕渚の夢にもぐりこんでみれば、斗真の時みたいに原因らしきものが何なのかわかるかもしれない。きっかけさえ分かれば解決までには導いてやれないとしても、アドバイスみたいなことはできるはずだ。
だがちょっと待てよ。こいつに夢を食われちまったら夕渚の夢に忍び込んだっていう記憶もなくなってしまうではないか。そりゃまずいな。しかたない、明日学校でユメに夕渚はどんな夢を見ていたのか聞いてみることにしよう。
「絶対食わせてくれよ。約束だぞ。移動するのだってエネルギー使うんだからな。あちしホントにお腹ペコペコだぞ」
ぐったりとした姿勢でお腹をさすりながらも、ユメは俺の条件をのんでくれた。
「いくぞ」
いつものように差し出されたユメの右手を俺は握った。脳みそを吸引力抜群の掃除機で吸われるような感覚に襲われながらも、両足には確かな感覚がよみがえってきた。
都会のアスファルトを俺は踏みしめていた。
ここが世界の中心なのではないかと思うくらいに人が多い。流れる人の波を誘導するように、周りには大小無数のビルが立ち並んでいる。俺たちはどこかのオフィス街の中心に降り立ったようだ。車の騒音がやかましく、移り行く人々の表情がとても冷たい。
「ここって夕渚の夢の中だよな?」
夢の中に決まっているのに、俺はこんな疑問を投げかけていた。なぜなら俺はちょっとした違和感を感じていたからだ。その違和感とは、
――――夢にしては現実的すぎる――――
そう、この世界にはリアリティがありすぎるのだ。
洪水のようにうごめく人の群れ、耳障りな騒音、むせるほどの排気ガス、ドブ臭い外気、窓ごしに見える人の影、点滅する信号機、地面にこびりついたガムに捨てられたタバコ。
日の光すら暖かさを感じてしまう。とても夢の中とは思えなかった。
「チイ、これはよくない、すごくよくない」
ユメは俺の手をギュっと握りしめていた。その手は少し湿っている。すごくよくないと言われたって、俺にはどの辺がよくないのかなんて全くわからない。
わかることと言えば、
「今までの夢の中となんか違うよな」
自分の夢や斗真の夢、どこかの誰かの夢の中とも違う感覚。なんて言えばいいのだろう。こう、ふわふわした感じがない。ぼんやりとした感じがないのだ。
「夢と現実がごちゃ混ぜになってる。境界が無くなってる」
ユメは自分の感覚を研ぎ澄ますようにしてじっくりと周りの様子をうかがっていた。
そして頷く。
「間違いない。ここは『夢酔い人』の夢の中だ」
いつぞやの帰り際に聞いたあの言葉。あの時は深く追求しなかったから、夢酔い人ってのはどんな人のことを言ってるのかわからない。そもそも人なのかすらあやしいところだ。あれ?でも俺はこの夢に来る前に、ちゃんと行き先を指定したはずだよな。
「おいおい、ここは夕渚の夢の中じゃないのかよ」
俺の驚きなど気にも留めず、ユメはまだ周りを見渡していた。なにかを探しているかのように、じっくりと。
「ここは美園の夢の中だ。つまり、美園が『夢酔い人』ってことになる」
話が急展開すぎる。てことはあれか、夢酔い人ってのは人間のことなのか? だとしたらユメは人食い少女ってことになるよな。でもさすがにそれはないだろ。こいつが人間食ってるなんてあり得ない。
「夢酔い人ってなんだよ。お前、夢酔い人を食うとか言ってなかったか?」
ユメはこくりと頷いて、
「あちしは『夢酔い人』喰うよ。そのためにチイたちの夢食ってるんだから。でも今日はちゃんと喰いきれるか微妙だ。チイのせいでお腹ペコペコだからな」
やっと俺の方を向いてくれた。いつもと違う雰囲気にあって、ユメのいつもと変わらない膨れっ面は何とも頼もしい。
「ってことは、お前は夕渚を食うってことか? そしたら夕渚はどうなるんだ? 悪夢から解放されるとかそんな感じか?」
この夢の中が悪夢だという印象は全く受けないのだが、いかんせん解釈のしようがない。だって、夕渚がユメの胃袋の中におさまってるなんて光景、想像できないじゃないか。
「ちがう。あちしは美園そのものを喰う。だから美園はいなくなる」
「夢の世界から?」
夢の世界から主人公がいなくなるなんてのも変な話だが、現実世界から消えてしまったらそれはもう事件であり、一昔前で言うところの神隠しである。いなくなるとしたら夢の中からしか考えられない。
しかし、ユメは首を振って、
「現実世界からもどっちもだ。そもそもチイは勘違いしてる」
勘違いも何も、一切説明されてないんですが……。だいたい現実世界から消えてしまったら夕渚はどこ行っちまうんだよ。残された道といったらお星さまになることくらいしかないじゃないか。
こんな疑問に満ち溢れた俺の表情を見かねたのか、普段じゃ決してみることのできない引き締まった表情でユメは教えてくれた。
「美園はもともといなかったんだ。美園は夢を見続けてるんだ」
「は? じゃあ俺たちが見てきた夕渚はなんだったんだよ。あれは幻なんかじゃなかったぞ。夢から出てきた夕渚が実体化して現れましたなんて、どこかの映画みたいなことあるわけないだろ」
まったくもって、俺の理解の範囲を軽くK点越えしている。
「その解釈が一番近い」
やばいよ。当たっちゃったよ。K点越えちゃったよ。
「『夢酔い人』は思いが強すぎるんだ。たぶん何かやり残したことがあるんだろう。厄介なことに見た目では普通の人と区別がつかない。だからあちしたちは夢の世界を巡るんだ。今みたいな違和感は、ここが『夢酔い人』の夢だという証拠」
どうやらユメたちは無駄に他人の夢をほっつき歩いているわけではないようだ。ちゃんと自分の役割を果たすために巡回しているらしい。
それにしても気になるのは、
「もともといない? やり残したこと?」
この世にいなくてやり残したことがあるって、俺の頭の中ではよくない方向に整理されつつあるんだが。
「そう。正確には途中でいなくなった」
なんかさらりと言ってくれちゃってますけど、これは決定的な一言なんじゃないのか?
俺の頭の中で進んでる方向が正しいとしてもだな、そんな非常識なことがあっていいのだろうか。だって俺は昨日確かに夕渚と話をしたし、手だって握った。だからわかる。昨日の夕渚は夢なんかじゃなかった。夕渚はそこにいた。昨日に限らず夕渚との思い出はたくさんある。様々なことが起こる日常の中でも色あせない大切な思い出が。
でも俺はそんな非常識を頭の中で完全には否定できないでいる。なぜなら、この世界は、夢の中を巡るという非常識が通用してしまう世界なのだから。
俺の中ではほとんど答えが出来上がっていた。夢酔い人とは簡単に言えばどんな人なのかという答えが。
「じゃあ夕渚は――」
なぜだか至ってしまった結論を口にしようとしたその時、墨汁をぶちまけられたように世界が真っ黒になった。隣にいるユメの顔すら見えない。そのかわりに研ぎ澄まされた自分の感覚でふと気付く。俺はユメと手をつなぎっぱなしだったのだと。俺は手をぎゅっと握りしめ、「チイ、痛い」という声を聞いて安堵する。
「どうなっちまったんだよ」
「わからん」
動くに動けない状況が数秒間続いたのだろうか。何の前触れもなく明かりがポツポツと咲きだした。一つ一つの明かりが降りはじめ、景色がだんだんと戻ってくる。
俺とユメはさっきまでと同じオフィス街にいた。しかし、先ほどまでの騒音や異臭、酔うほどの人の流れは消えている。
ふと見上げた夜空には、輝く星たちが散らばっていた。
「ユウユウ」
まだ聞き慣れない名前を呼ぶ方に視線を向けると、一人の少女が立っていた。
透き通るようにきめ細やかな肌に降り注ぐ星の光が少女を照らしていた。引き連れた闇夜も少女を際立たせるための脇役でしかない。危ういほどの白い肌が映えていた。夜風に弄られる少女の髪は妖しいほどに艶っぽい。
「ユウユウ」
少女は何度も俺の名前を呼んでいた。