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ユメクイ  作者: マナブハジメ
13/17

温かい手 と 迷子にならない鳥さんたち と 終わりのある廊下

「ありえねえ。ああ、ありえねえ、ありえねえ」

 今世紀最大の駄作を詠みあげる尾村に、

「マジ相手強すぎなんだけど」

 お馴染みの焼きそばパンを頬張りながら、愚痴を垂れている斗真に、

「僕たちのチームはそんなに弱くなかったはずだ」

 十戒を忘れてしまったモーセのような絶望っぷりの立也。

 教室の中で三人がぼやくのも無理はない。俺たちのチームは午前中の予選リーグで見事に敗退してしまったのだ。もはや午後の決勝トーナメントへの道が断たれてしまったのである。飯食った後の俺たちは何をして過ごせばいいんだろう。礼二のチームは決勝トーナメント進出を決めたそうだから、他クラスではあるが応援でもしてやろうかな。同じチームにいた二人のメンバーも、「テニス部の先輩を応援してくる」とか言ってグラウンドに行ってしまった。

 そもそも、立也が言うように俺たちのチームは決して弱いチームではなかった。だがしかし、Bチームであることがまずかった。俺たちの予選リーグには強豪チームばかりが名を連ねていたのである。結局、勝ち星は一つしか挙げることができなかった。

「五組は全員バレー経験者だったらしいぜ」

 尾村がため息まじりでぼやいている。

「はぁ、これからどうするよ?」

 尾村の問いに、斗真はぐて~と寝転がって、

「とりあえず寝る」

 お前は何時間寝れば気が済むんだ。成長期もたいがいにしろ。

「立也は?」

「僕は獏先輩といろいろ語り合いたいことがあるから」

 日本統一についてか。はたまた、世界征服についてだろうか。

「じゃあ、孝司はどうするんだ?」

「俺は礼二の試合を見に行く。お前もどうだ?」

 どうやら尾村も大してすることがないようで、

「しゃあねえか。俺もそうするわ」

 ということで、二人とはおさらばして尾村と廊下を歩いていると、

「あれ? あの子、今朝の子じゃない?」

 四組の教室で一人の少女が窓の外をぼんやり見つめていた。

「ごめん、尾村。先に行っててくれ」

 言われた尾村は何だかニヤケ顔で、

「おうおう、お邪魔かよ。わかったよ。まあ、うまいことやれよ」

 と言ってその場を立ち去ろうとして、ハッと気づいたように一言追加。

「変なことすんなよ」

「しねえよ!」

 尾村はそのまま走り去っていった。

「ユウユウ?」

 どうやら大声を出し過ぎたようで、夕渚はこちらを向いている。

 俺は気を取り直して聞いてみた。

「なに一人でたそがれてんだよ。四組は礼二たちのチームが残ってるだろ。応援しに行かなくてもいいのか?」

「応援したいです。私も応援しようと思って瑠璃ちゃんたちと外に出ました。でも、教室に忘れ物しちゃって。だから、それを取りに来たんです」

 夕渚は大事そうにリストバンドを握っている。

「忘れ物ってそのリストバンドか?」

 こくりと頷いて、

「そうです。これは大事なものです。教室に忘れるなんて、一生の不覚です」

「だったら外すなよ。ちゃんと腕につけとけ」

「お弁当がつくと嫌だったんです」

 どんな食い方すれば腕にご飯がつくんだよ。

「これ、そんなに大事なのか?」

「大事です。カレーについてる福神漬けくらい大事です」

 あんまり大事さが伝わってこないのだが。

「なんならこのハチマキもやろうか?」

「いらないです」

 ここはバッサリ切るんだな。

 プイッとそっぽを向いた夕渚は、そのまま再び快晴の空を見つめていた。絹のように繊細な髪を風に泳がせている少女の後姿に、俺は数秒間見とれていた。

「そんなに空が好きなのか?」

 夕渚の横に並んだ俺の横顔を見ながら、少女は答えてくれた。

「好きです。空は広いです。いろんなこと忘れちゃうくらい空は大きいです」

「何か悩み事でもあるのか?」

 少年少女のお悩み相談室でも開いてやろうかと思っていたのだが、

「ユウユウはあの鳥さんたちが見えますか?」

 無視かよ。

「み、みえるけど」

「どうして鳥さんたちは迷子にならないんでしょう?」

 子供のように首をかしげている夕渚の姿はなんとも愛らしかった。

「仲間がいるからなんじゃないか。仲間が、「おーい、ここだよー」って教えてくれるんじゃないかな」

 何気なく言ったことだったのだが、夕渚にとっては大層な驚きだったようで、

「ユウユウは鳥さんの言葉がわかるんですか。すごいです。尊敬です」

 真顔でそんなこと言われましても……。

「わかるわけないだろ。何となくだよ」

「なぁんだ」

 よほどがっかりしたのか、少女は頭を垂れていた。枝垂(しだ)(やなぎ)のように垂れ下がった少女の髪が、万華鏡のように変わりやすくも美しい表情を浮かべる彼女の顔を隠してしまった。

「ユウユウ」

 だからわからなかった。このときの夕渚は、いったいどんな表情をしていたのだろう。

「ユウユウは私の友達? 私はユウユウの仲間?」

 まったく、当たり前の質問を投げかけてくれるなよ。

「俺は夕渚の友達だし、夕渚は俺の友達だ。もっと言うなら、『おフロ研究会』のやつらはみんな夕渚の友達だぞ。クラスのやつらだってたぶんな」

「じゃあ、私は迷子にならないですね。みんなが手を引いて連れていってくれるから」

 うつろな少女の瞳には何が映っているのだろう。

「そうだな。実際、今日の朝、時音に引っ張られてたじゃないか。でもあれだぞ、知らないおじさんについて行くのはダメだぞ」

 夕渚は手に持っていたリストバンドをくくっと腕にはめ、

「大丈夫です。これをつけている人にしかついて行きません」

 いや、それは今日しかつけないんですけど。と言ってやりたかったのだが、『おフロ研究会』のつながりの証であるこのリストバンドをつけて、やけに嬉しそうにしている夕渚の笑顔を見ていたら、そんなことどうでもよくなってしまった。

 ただの宣伝目的で作られたリストバンドなのだが、この少女にしてみたら「繋がり」以外の何物でもないようだ。そう言う俺も、このリストバンドに似たような感情を抱いてしまっているのだから、人間とは何て単純な生き物なのだろう。

「私ね」

 今度は俺の顔を見ることなく、抜けるように青い空を見上げて、少女は語り始めた。

「最近、家族と話をしてないんです」

「反抗期か?」

「違います!」

 怒ったように俺を見てから、視線は再び遠い空へ。

「返事がないんです。話しかけても返事してくれないんです。それに、私よく迷子になるんです。自分がどこにいるのかわからなくなるんです。だから、だから…………」

 瞳がやけに眩しかった。泣いているのだろうか。

「心配すんな。家庭の事情はよくわからんが、その分俺たちと話せばいい。いくらでも聞いてやるぞ。迷子になったら俺たちを呼べばいい。そのために携帯電話があると言っても過言ではないからな。いつでも迎えに行ってやる。ただし、トイレに行ってる時と風呂に入ってる時は無理だ。多少の待ち時間を要する」

 夕渚は目をこすって俺の方を向いていた。

「ユウユウは優しいです」

「『おフロ研究会』のメンバーはみんなやさしいぞ。雪女だってきっと優しい」

「雪女?」

 しまった……。

「まあ、要するに、何かあったら俺たちに相談すればいい。みんな親身になって聞いてくれるはずだ」

「はい。私には素敵な仲間がいっぱいです」

 ひまわりにも負けないくらいの満面の笑みだった。

「そろそろ行くぞ。礼二たちが延々勝ち続けているとも限らんからな」

 俺がその場を去ろうとして、ついてくるはずの少女の気配がないことに気付き振り向いてみると、少女は一歩も動かずその場に立ち尽くしていた。

「欲しいジュースを買ってもらえなくてごねてる子供じゃないんだから、「動かない攻撃」したってジュースは買ってやらんぞ」

 ふざけてみたのだが、やはり少女は動かなかった。俺は教室をいったん出て、今日はなんだか臭いセリフを吐きすぎたなあ、と一人反省会をしつつ数秒待っていたのだが、それでも夕渚はやって来なかった。「早くしろよ」という言葉と同時に教室をのぞいてみると。

「夕渚?」

 少女は笑っていた。笑っているのだけれど、なぜだろう、泣いていた。

「大丈夫か?」

「うん、大丈夫。笑うか泣くかどっちかにしなきゃだよね」

「礼二の試合どうするんだ?」

「応援したいです」

「じゃあ、行くぞ」

「行きたいんだけどね、なんか、いろいろうれしくって、動けないの」

 どんな病気だよ。新種発見か?どんな名前をつけてやろうかな。

「ほら、行くぞ」

 俺は右手を差し伸べた。新種の動けない病にかかっている少女を動かすべく、そっと。

 壊れそうなくらい繊細な感情をこぼしている少女を支えるべく、そっと。

「あ、ありがとうです」

ひんやりと冷たい少女の指先を、ギュッと握りしめる。ほどけそうなくらい淡い感覚が滑り落ちていかないように、少女の手のひらを確かに感じてみる。

「なんちゅう冷たい手してんだよ。もっと血行よくしなきゃだめだぞ」

 お節介婆さんみたいなことを言っていると、

「ユウユウの手、温かいです」

 この一言はやばかった。鼓膜の隣に心臓があるんじゃないかってくらいドクドクという心拍音がはっきりと聞こえた。顔が熱い。人体発火という摩訶不思議な現象は、もしかしたらこうして起こるんじゃないのだろうかと思うほどに。

「い、い、い、行くぞ」

 一人で赤面していると、

「だから、動けないって言ってます」

 ケロッとした顔で答えられ、

「わがまま言うんじゃない」

 右手、右腕、右肩、背筋に至るまで、ありったけの力を振り絞り、

「ぅわあぁぁぁぁ~~~」

 そのまま引きずっていった。

「強引です、強引すぎます! もはやこれは暴力です!」

「やかましいわ!」

 二つのにぎやかな声が、決して交わることなく廊下に響いていた。

追いかけっこをしている残響も、いつまでも続くというわけではない。

廊下には終わりがあるのだから。

 冷たい校舎を駆け抜ける二つの声が、その余韻を残しつつ、静かに消えていった。


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