バレー と リストバンド と 男はエロス
「なあ孝司、知ってるか?」
昼休みに入り弁当を広げるや否や尾村が話しかけてきた。
「知らん」
会話終了。と思っていたのだが、
「こら!お前そんなつれない返事返してくれるなよ。せめて話の内容だけでも聞いてくれ」
誰かと話してないと寂しくて死んじゃうウサギちゃんかよお前は。
「当然孝司もわかってるだろうとは思うけど、来週にはあのビックイベントがあるだろ」
「何かあったか?」
わざとらしく考えるふりをして、
「ああ、俺の誕生日か」
「一年に何回誕生してんだよ!」
「四回ほど」
「お前は四半期決算報告書か!」
なんちゅうツッコミだよ……。てか、なんの影響だよ。とまあ、おふざけはこの辺にしといて。
「球技大会がどうかしたのか?」
俺たちが通っている納陵高校では五月の最終週に球技大会がある。名前だけ見ればこの大会の中にはいろいろな球技が詰め込まれていそうなのだが、いざふたを開けてみると、ただのバレーボール大会にすぎない。
しかしこの球技大会、バレーしかないからと言って侮ってはいけないらしく、先生や、先輩からの話を聞いた周りのやつらの評判を聞くに、かなりの盛り上がりを見せるらしい。
その理由としては、試合自体が白熱するということもあるのだが、どうやら、最大の要因はそこではないのだそうだ。
球技大会を盛り上げる最大の要因は、くしくも入学早々のオリエンテーションで見せられたスライドショーの中に映っていた。そのスライドを目にした俺たちは、苦笑や「おお」などの歓声を体育館に響かせていたのだった。
そのスライドに映っていたものとは、生徒や、時には教師も巻き込んだ、仮装パーティーのような光景だった。
そうなのだ。俺たちが通う納陵高校では、球技大会における服装について特に規則みたいなものはなく、「運動ができる服装」とだけ注意事項のところに記載されている。このことについて俺たちは、「イベントごとは若者らしく大いにはっちゃけろ!」という、教師、生徒会側からのメッセージだと勝手に解釈しており、その一方的な解釈の結果生まれたのが、もはや伝統になりつつある仮装パーティー並に派手派手しい衣装での球技大会なのである。
中には試合が始まる寸前にジャージに着替えるチームもあるそうで、もはや唯一の規則すら守れていないように思われるのだが、教師もピースサインをしながらスライドに映り込んでいたあたりから察するに、怪我人や事故が起きなければ大方許されるのだろう。
「なんだよ、ちゃんと覚えてるじゃん」
「たまたまだ」
「でさ、どんな衣装でいくよ? やっぱイベントごとと言えば運命の出会い無くして始まらんだろ。俺は昨日一晩中考えたんだけど、運命の人ってのは待っててもなかなかやって来ないと思うんだよ。ということは、俺たちの方から歩み寄らなきゃいけないわけだ」
恋する乙女かお前は。
「そんなに運命の人捕まえたきゃ、ランニングシャツ着て、麦わら帽かぶって、虫かご肩からぶら下げて、虫取り網担いでりゃ完璧だろ。鼻水たらせば尚いいぞ」
「ふざけんな!」
「じゃあ、あれか? 恋のハンターとか言って猟銃持ってくか?」
「捕まるわ!」
二人でびーびー騒いでいると、
「何の話をしているのかな? 僕は角煮でもかまわんよ」
お前が何の話してんだよ。もしかして豚肉か?
「じゃあ俺は豚トロ」
斗真、お前もか。
立也と斗真を加えて四人になった俺たちは、この後数分豚肉話に花が咲いたのだが、さらに二人の男子が加わったところで衣装の話に話題が戻った。
チームはクラスから男女別々の数チームに分けて決定される。チーム分けは自由なので、俺たちは仲のいい奴らを集めて一年七組Bグループという割り当てをもらった。
衣装については、クラス全体でそろえるところもあるそうなのだが、一年七組では各グループで好きな衣装を着てこればいいという意見が多数だったので、俺たちはいちいちこんなことであーでもないこーでもないと議論をかわさねばならないのだった。
まあ、こういう話し合いは嫌いじゃないんだけどな。
授業開始ギリギリまで粘って考えていたのだが、なかなかいい案は生まれず、この話は明日以降に持ち越しとなった。
○
「よっしゃ。白が多数で俺の勝ちだ」
「うぅぅ、ユウユウ強いです」
「いや、俺は人並だ」
「うぅぅ」
俺と夕渚は部室でオセロをしていた。とは言っても、前回のように上級者オセロをしていたわけではなく、ごく普通のオセロ盤を使って遊んでいた。
当然のことながら、部室の中で俺と夕渚の二人っきりシーンが許されるはずもなく、いつものように暇な青春を送ってるメンツがそろって遊び呆けているのだった。どうしてみんなこんなにもこの部室に集まりたがるんだろうねえ。俺も人のこと言えないんだけど。
若干の違いを挙げるとすれば、先輩会員であるハイと雪女がまだ来ていないという点くらいだろう。
「孝司、お前、球技大会は何グループなんだ?」
「Bグループ。立也も同じ班。お前は?」
「俺はAグループだ。たぶん決勝トーナメントに行かない限りは当たらないな。そう言えばお前らどんな衣装着るんだよ?」
「まだ決めてない。そっちは?」
「俺たちはクラスでおそろいのTシャツ着るくらいかな」
「Tシャツだけだと? お前はそれでいいのか? お前の人生それでいいのか?」
「べつにウケとか狙ってないし。バレー勝負でいくぜ」
礼二はどこぞのスポーツ少年のようにばっちりグーサインを決め込んでいた。礼二は長沢や夕渚と同じクラスだ。ということは、長沢と夕渚もクラスおそろのTシャツを着るだけで、何の仮装もしないということではないか。二人の非日常的な衣を身にまとった姿を少しばかり期待していた俺は、その少しの期待に似つかわしくないくらいの大ダメージを受けていた。
オセロに負けてぐったりしている夕渚と同じように、俺もだら~んと無気力状態を身体全体で表現していると、
「待たせたね、諸君。来週の大一番に向けて、我々の戦闘態勢は整った!」
何の文脈もなくいきなり登場するこの先輩に誰か注意をしてやってくれ。歳の差とか関係なくさ。急に大声張り上げて現れるのだけは勘弁してもらいたいもんだ。後ろからスッと影のように現れる雪女も、あれはあれでどうかと思うんだけどな。いっそのことこの二人を足して二で割ってしまおうか? いや、ダメだ。性格どうのこうのより性別不明になってしまう。
「え? 球技大会って部活とかの団体は関係ないんじゃないんですか?」
時音の言う通りだ。いったい何の準備を整えてきたんだこのお二人は。
「決まっているではないか。我ら『おフロ研究会』は日進月歩で着々と会員数を増やしてきた。そして今や、部活として我らのキャリアをステップアップするべく、より一層の会員数を必要としている」
たぶん人数だけで部活とそれ以外を区別してるわけじゃないと思うんですが。その、活動内容をもっと充実させましょうよ。
と、まあ俺の心のぼやきが聞こえてる筈もなく、
「これは絶好の機会なのだよ時音くん。球技大会の場を借りて我ら『おフロ研究会』の存在をアピールできるまたとない機会なのだよ」
世界征服をたくらむ宇宙人の首領が決して叶わない欲望の妄想を膨らませて大きく両手を掲げているような感じで、ハイは語っていた。
「そこで用意したのが」
雪女が広げた紙袋からハイはもぞもぞと何かを取り出し、未開の先住民たちに文明の利器を見せびらかす啓蒙家のように雄弁に告げた。
「このリストバンドなのだ!」
小さいよ! 字小さいから遠くから見えませんよ!
「我ながら力作だと思う」
ハイは、うんうん、と頷きながら、その力作を自らの腕に装着していた。
雪女から渡された宣伝用リストバンドには『おフロ研究会』という刺繍がほどこされてあるものの、そもそもリストバンド自体がそれほど大きなものではないからして、宣伝効果はあまり期待できなさそうだ。しかし、球技大会にリストバンドというのはファッション的にはなんら違和感がないので、当日これを付けることに対する嫌悪感というのはなかった。
せっかく渡されたのだから、もらったその場で腕にはめるというのがこの場の自然な流れであり、その流れに逆らおうとする鮭みたいなやつはあいにくこの部屋には一人もおらず、『おフロ研究会』メンバーおそろの共通ファッションが今ここに確立されたのであった。
「なかなかいいわね」
「うん。球技大会って感じだね」
というのが時音と長沢の感想で、
「うむ。鼻水拭くのにちょうどいい」
これはユメの感想だ。
夕渚は何だかうっとりした表情でリストバンドを見つめていた。よほどうれしかったのか、すりすりと頬ずりまでして、「ほわぁぁ」とか言いながら危ない世界に浸っている。
「孝司」
肩を叩いてきたのは立也でして。
「このリストバンドを生かした衣装にしよう」
「例えば?」
「テニスウェアとかはどうだ? こう、スカートをヒラヒラッと」
「何で女子なんだよ!」
「男子ウェアだといたって普通な格好になってしまうだろ」
「却下だ」
明日からの衣装会議は変な方向に走らないように注意が必要だな、なんて思っていると、
「一年男子」
背中がゾクッとするような冷たい声が俺たちをお呼びだった。
「あなたたちにはそのリストバンドに加えてこれもつけてもらいます」
渡されたのはハチマキだ。
「『おフロ研究会』を宣伝しているからにはしっかり勝ち進んでもらわなくては困ります。負けてばかりでは逆にイメージダウンになりますから。だから、それを巻いて気合いを入れてから試合に臨みなさい」
おいおい、ちょっと意外だな。いろいろ理屈をこねているけど、ようは俺たちに頑張ってくれっていうメッセージなんだろ? 案外この先輩にも可愛いところがあるようだ。礼二にいたっては感動のあまり昇天しちゃってますよ。そりゃあ、大好きな先輩から「がんばってね」っていう思いの詰まったプレゼントをもらったらこうなるのも当然なのかもな。
いったいどんなメッセージが込められているんだろうと、昇天している一名を除いて、俺と立也でハチマキを広げてみると、
「…………」
「…………」
二人して絶句。ハイがどこかよそよそしげな表情をしている理由がすぐにわかった。
書かれていた言葉はと言いますと、
『男はエロス』
ハチマキの中心では堂々とエロスがその文字を主張していた。いったいこの先輩、どこまでが本気なんだろう。
「がんばりなさい」
雪女は無邪気な子供たちにプレゼントを渡し終えたサンタクロースみたいに満足げな表情を浮かべている。
おそらく俺たちにこのハチマキを巻かないという選択肢は残されていない。どこからどう見ても、どの角度から光に透かしてみても、『男はエロス』というメッセージは雪女の手書きなのである。これを巻いてこなかった日には、俺たちは、氷河に埋まっているマンモスと同じ末路をたどらなければならないこと必至である。
どうせつけたらつけたで周りの冷ややかな視線に耐えなければならないわけだが、氷柱につつかれるのと冷凍保存されるのとどちらが嫌かと言えば、生命的危機を伴う後者の方が嫌なわけで、来週待ち受けている公開辱めの光景を想像して、俺と立也はブルブル震えているのであった。
なんだかもう、いろんな意味で寒いです。