記憶1
過去に何らかの賞に応募した作品を掲載していきます。
一通り掲載し終えたら、今書いている(何年か前に書き始めたままになっている)のを掲載し、更新していこうと思います。
少しでもみなさまの暇つぶしになればと思います。よければお付き合いくださいませ。
瞳を閉じた空はどこまでも黒くて、吸い込まれそうなくらい透き通っていた。
永遠という言葉がこんなに似合うものは他に存在しないと思える程に、夜空はどこまでも、そのすそ野を広げている。
『永遠の命』と言う言葉は存在するけれど、『永遠の命』なんてものは存在しない。
そんなことを考えていると、誰かからどこかで聞いた言葉が浮かんできた。
(人の命はね、限りあるからこそ美しく映えるんだよ)
なぜだか溢れてきた涙がこぼれないように、込み上げる感情の雫をこぼさないように、少女は夜空を見上げていた。涙は少女の頬を伝わらない代わりに、少女の視界を滲ませた。やんわりとぼやけたレンズを通して見上げた景色は、あることを教えてくれた。
「夜空って、明るいんだ……」
涙で滲んだ視界は漆黒に覆われることなく、薄明かりで満たされた淡い世界が広がっている。
「きれい……」
純粋な感想をもらすと同時に、フッと瞬きをした。たった一度の瞬きだったけれど、少女の涙は両目の端からこめかみを伝って流れ落ちていった。つぅっと通った雫の軌跡を感じながら、もう一度、静かな空を見つめてみる。
「届くかな」
凛とした闇に輝く星たちを見つけて、手を伸ばしてみた。
「やっぱり、届かないよね……」
暗がりの中で、ぼんやりとした白銀とも言える光をはべらせながら輝く星たちの、その明るさに目がくらんだ。でも、少女はその輝きを掴みたいのではなかった。
「お星さまって、強いよね」
黒のキャンバスの中でも、懸命に自分を主張し続けるその力強さが欲しかった。暗闇の中でも見失うことのない確かなものが欲しかった。
「残念だなぁ」
がっかりしたはずなのに、なぜだろう。薄い笑いを携えながら、少女は頭を垂れていた。
「あっ」
空ばかり見上げていたので気付かなかったけれど、眼下にも星たちが散らばっていた。こうこうと輝く星もあれば、流れゆく星もある。夜空に触れることはできなかったけれど、眼下に広がる景色なら触れられるような気がして、透き通ったように美しいその指先を伸ばしてみる。
「何で届かないんだろう」
空にも触れないし、眼下にも触れない。そんな自分は何なんだろうと首をかしげているうちに、硬い感触が両足を支えていた。歩道の確かな感触を踏みしめながら、地上の星の正体に気付いた。車道を駆け抜ける車やバイクのヘッドライトが星のように見えたのだ。街のざわめきや騒音を冷たく跳ね返すオフィスの窓から漏れる蛍光灯の明るさが、星のように見えたのだ。
「なんだ……」
心の底からがっかりした。車の騒音にかき消されそうなくらい自分の存在を希薄に感じていたからだろうか。すれ違う車から次々に浴びせられるヘッドライトがとても痛かった。代わる代わる自分を照らしているのに、誰も自分のことなど気に留めていない現実。こぼれた砂糖に群がるアリのように、数えきれないくらいたくさんの人がいるにもかかわらず、自分の声を聞いてくれる人はいなかった。
「お母さん……」
大きな塊となって移動する人の波が自分の存在を無視するかのようにすり抜けていく。そんな感触が何とも寒々しくて、心にぽっかり空洞ができてしまったような気がして、母親の名前を呼んでみたけれど、返事は返ってこなかった。
「お父さん……」
大きなその手で自分を迎えてくれるはずの父親の名前を呼んでも結果は同じだった。通り過ぎる人、一人一人が自分の帰るべき場所、あるべき場所へと帰っていく。
「お兄ちゃん……」
やっぱり返事はない。自分の帰るべき、あるべき場所はどこなんだろう。ぼんやりと思い出せるのに、はっきりと思い出すことはできない。どうせならきれいさっぱり忘れてしまっている方がよかった。その方が踏ん切りをつけやすいだろうから。気持ちを切り替えやすいだろうから。
「私は……」
あまりの寂しさに忘れてしまいそうだったから、これだけは忘れたくなかったから、抱きしめるようにして自分の名前を口ずさむ。
「ゆうなぎ、みその」
外気の温度とは無関係に震える自分を抱きしめて、少女は待っていた。
自分をさらってくれる温かな手を。
「私、何か忘れてるような……」
体の中心を空気がすり抜けていく感触はとても悲しい。
「何か……大切なことを…………」
どんなに考えても、それが何なのか思い出すことはできなかった。
雲間から覗くいつもと変わらない穏やかな月が、世界を優しく包み込んでいた。