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第1章「フィオリ・アル・レガージュ」(8)

 密集した人の気配に、空気も騒ついているように思えた。

 王都外周部、第一演習場――近衛師団第一大隊の中隊左軍と、同じく中軍が布陣し対峙している。

 フレイザーの号令が左軍の陣形を展開させていく。

 銀杏(いちょう)形を変形させたような、少し首の長い花瓶状の陣形から先端部が(きり)のように伸び、横の長方形を取って布陣する敵陣形の中央を切り裂こうと突進した。

 対するクライフの中軍は中央を両断しようとする左軍を迎え討たず、左右に分かれて素早く退いた。陣形が風に煽られる樹々のような音を立てて組み変わる。

 退いて陣層を厚くした中軍に対し、逆に左軍は突進した錐の部分――先陣が、退いた中軍を追って広がる事により、密度を薄める。

 気付いたフレイザーが撤退させようとしたところを、中軍の左右第一陣が一気に動き、左軍先陣の退路を断つ形で左軍本隊と先陣とを寸断した。

 寸断された左軍と、左軍先陣を完全に懐に収めた中軍とが睨み合う。

 ただし左軍は、先陣と本隊で中軍を挟撃できる状態とも言える。

 どちらが先に動くか――。

「そこまで!」

 レオアリスの指示が落ち、緊迫した空気は演習場を渡る風に吹き流された。

「楽にしてこのまま待て」

 フレイザーとクライフが自軍に号令し、演習場の物見の上にいるレオアリスを見上げる。

 レオアリスは展開を止めた各陣の状況を見渡した。

「――中軍有利だな」

「そうですね。左右各翼が厚い上に、方形の布陣はどのようにも展開できます」

 双方の布陣と展開は予定通り、それぞれロットバルトが示した戦術を実践している。

「問題はこの先――この段階で、左軍が劣勢を変え勝利を収める為にどうすべきか。もしくは前もってどのような要素を加えておくか。先陣が突出した結果、本隊と寸断されるのは実戦でも良くある例です」

「必要なのは寸断される事を予め想定した戦術か。地形に依るが」

「そうですね。一番この状況に陥りやすいのが、自軍が狭隘(きょうあい)地にあり、敵軍が広域に展開する――今回の想定のような山岳部を抜ける直前での戦闘の場合です。戦術を整えて敢えてこの状況を誘う事も一つ」

 今回は初めからそうした状況を想定し、戦術を作っている。

 実際にはこの場に左右を遮る崖や斜面などはないが、ある事を前提に動き、その結果目の前の各陣の状況は明らかに寸断された左軍が不利だ。

(あらかじ)め仕掛けをするとなると、法術を敷くか個の力で状況を打破するか、じゃなければ別動隊が要るよな」

「しかしいずれも事前に対応が利かない可能性はありますね」

「うん……」

 レオアリスは別の方法に考えを巡らせた。隣でロットバルトがあっさりと告げる。

「ああ、貴方は戦力外です、念の為」

「うーん」

「左中右が同時に別行動をする状況は多々ありますし、そもそも我々が王都の外に展開する時点で、戦場が国内の広域に分散した混戦の可能性が高い。そうした状況下で貴方が必ずその場においでとは限りませんからね」

 レオアリスがその場に居る場合は当然、彼の剣を中心に戦術を考えるが、居ない場合――それは決して少ない状況ではないとロットバルトは考えていた。

 だから今日のような演習を行なう。

 王都の守護が主たる任務とは言え、近衛師団は第一大隊に限らず、王都外の戦場も想定した演習を頻繁に行っている。

 当然、王の命が下る事もあれば――、かつての大戦の教訓もある。

「今の状況の打破はかなり難しいものです。何の布石もないまま寸断されれば、先陣の生還者は良くて半数。その犠牲を払って撤退、もしくは前に打って出て突破するか、そのどちらかを選ばざるを得ないでしょう」

 レオアリスは納得いかないという顔をしたが、ロットバルトは苦笑を浮かべつつも続けた。

「時に、最小限の犠牲に抑えて良しとする、そうした決断が大将に求められます。もちろん、安易な決断という訳ではありませんが」

「――ああ、良く判る」

 厳しい表情のまま、レオアリスは第一大隊の隊士達を見渡しながら頷いた。

 先ほどから陣形を保ったまま、彼等は指示を待っている。

 年齢の若い自分に向けてくれる信頼――大将として掲げてくれている彼等に対し、大将として応える義務がある。

 レオアリスは片手を上げ、二人の中将へ合図をした。

 再び両陣が動く。

 止まっていた時間など無かったかのように、中軍は左軍の先陣を討つべく中央へ寄せた。

 当然、左軍は孤立した先陣が本隊へ戻ろうと退(しりぞ)く――そして本隊は(きり)の形を保ったまま、先陣との間を阻む中軍に向かって突進した。

 一点を狭撃された中軍の陣が双方からの圧力に耐えかねて切り裂かれる。

 左軍は切り裂いた突破口を保ちつつ、寸断されていた先陣を自軍に回収する。

 中軍はあくまで左軍先陣を叩く。

 剣戟(けんげき)が激しくぶつかり合う音が演習場を満たし、砂ぼこりが舞い上がる。

 どちらも相応の被害を出し、再び離れて睨み合った。

 実際に重傷の者や死者が出ている訳ではない。

 だが実戦での被害は目に見える形でそこにあった。

「――」

 形勢不利を想定した演習はいつもそうだが、気持ちがぐっと重くなるものだ。

 レオアリスは一つ、大きく息を吐いた。

「よし、これまで! 良く動いてくれた、今日の演習は終了だ」

 レオアリスの宣言に、隊士達は倒れている仲間を助け起こし、その陣形のまま左腕を胸に当て、敬礼を向けた。

「結構やり合ったな」

 演習とは言え、激しく打ち合えば怪我もする。レオアリスは三階ほどの高さがある物見櫓からひょいと飛び降りると、歩いて隊士達の間に入りながら声を掛けた。

「午前中はこれでおしまいだったな。怪我してる奴は医務室に行けよ」

 隊士達はレオアリスに笑顔と敬礼を向け、それから改めて中将達が終了を継げたのを切っ掛けに、演習場の出口へと散り始めた。

 フレイザーとクライフが両側からレオアリスに歩み寄る。

「お疲れ様です。いかがでしたか?」

「ああ、収穫は色々あった。主に課題だけどな。左中の動きは充分だったぜ」

「実際はもっと激しくなるでしょうね。お互い手加減してるけど、戦場じゃ息つく間もないでしょう。不利な地形に立つ側としてはもう一手安全策が欲しいわ」

 後半の言葉は三人へと歩み寄ってくるロットバルトに掛けられたものだ。

「今回はそういう想定だから仕方ないけど」

「机上の案は幾らでも出せますが、実戦では状況によって簡単に覆りますよ」

「まあね」

「だからこそフレイザー中将の采配は迅速で良かった。本隊をぶつけるのが遅れれば、孤立した先陣はほぼ壊滅するところでしたが」

「フレイザーはって何だ。うちも早かったぜ」

 クライフが突っ込みを入れ、ロットバルトは口元に笑みを浮かべた。

「先陣を寸断したのはさすがです。やはり行動が遅れれば、中央にある程度の兵力が流れ込んで逆に分断されかねない」

「――誉められたら誉められたで何かむず痒いな」

 演習時、双方に示される戦術はお互いには知らない。

 どの時点、どのきっかけでその戦術を使うかは、フレイザーとクライフ、それぞれの判断次第で、導かれる結果は流動的だ。

 レオアリスは三人の中将達を見回した。

「とりあえず、何回かこういう地形を試す。ヴィルトールの右軍も入れて、別動隊の要素を加えたいな」

 三人は頷いた。レオアリスも頷き返し、それから切り替えるように彼等を見た。

「さてと、昼飯までにはまだ時間があるが、少し手合わせでもするか?」

「いいっすね……あ、いやすんません、俺先週得物折って鍛冶師のおっさんとこ持っていったばっかりで」

「ああ――そうか、悪いないつも……」

 折る張本人のレオアリスは気まずそうに謝った。謝ったところで折るものは折るのだが。

「私は大丈夫です、クライフと違って鍛冶師との付き合いは良好ですから」

 フレイザーがにこりと笑う。

「一番良好じゃねえのは上将……いてぇ!」

 フレイザーは微笑んだままクライフの背中をつねった。

「ロットバルトは?」

「私もぜひ。上から見ているだけではね」

 特にレオアリスは、中隊同士の演習で中に加わる事が無い。その上彼が戦う事を除外した想定での演習では、やはり少しばかり消化不良もあるだろう。

「じゃまあ、軽く一本ずつ」

 嬉しそうな顔をして、レオアリスは肩から纏っていた長布を外すと演習場の中央へ向かった。




 青白い光が演習場の空気を染める。

 剣が出現すれば、その刀身が発する圧力に皮膚が震える。

 始まった中将とレオアリスとの手合わせに、帰りかけていた隊士達も再び集まってきた。

 息を呑んで見つめる隊士達の前で、レオアリスとフレイザーが向かい合う。両手に細身の剣を持ったフレイザーが地面を蹴った。

 クライフはもう何度目にしたか知れない、それでいて身を竦ませる剣気を放つ剣を追った。

「あーやっぱ俺も手合わせしてもらおっかな。いつもおとなしく見てられなくて得物壊すんだケドよ」

「もう諦めたらどうです」

 折れると分かり切っているのだから。

「まあなぁ」

「それか、フレイザー中将のようなやり方に変えるか」

 フレイザーは両手の剣を巧みに操り、レオアリスの懐に入ろうと繰り返す。剣を打ち合う事よりも、相手の間合いを殺す事を目的にした手合わせだ。

 レオアリス相手に容易ではないが、だからこそ意味がある。

「カッコいいなぁフレイザー」

「――」

 にやけたクライフにロットバルトは冷たい視線を送った。

「何だよォ。――ま、色々演習やるけどよ、結局、上将がいりゃぁどんな状況も全然平気って気がするけどな」

「だから何度も不利な条件の演習をすべきなんですよ」

「何で?」

「その考え方は第一大隊の中で強い。ですが、その考え方ばかりになるのは怖いでしょう」

「そうか、そりゃそうだよなぁ」

 言われてクライフ自身、その考え方に偏っていた事に気付いて頷いた。

 通常の軍では有り得ない考え方だ。レオアリスが戦場にいない事も有り得る、と、先ほどロットバルトがレオアリスに言った事をクライフも思った。

「そうなっちまったら、かなりマズイ状態って事だよな」

「万が一の想定ですが、そうですね。かなりマズイ」

 ロットバルトの口調は冗談とも本気ともとれないが、そうなった時は例えば、大戦のような状況に陥っていると考えていい。

 クライフはふとある事を思い付いて、ちらりとロットバルトの横顔を見た。ロットバルトは様々な状況下を想定し、演習の布陣を描く。

「もしかしてさぁ、そこまで考えてたりする?」

「さぁ――まあ色々な状況を考えますよ」

 ロットバルトの口調はもう一度、冗談とも本気ともつかないものだった。





 レオアリス達は演習と手合わせを終えた後、昼食を取ってから王城第一層にある第一大隊の士官棟に戻った。

 別の演習場で演習を行っていたヴィルトールとグランスレイは既に戻って席にいた。グランスレイが軽く目礼する。

「お疲れ様です、昼食は?」

「帰り掛けに食堂に寄ってきた。グランスレイ達はまだか?」

「いえ、我々も済ませました」

 ちらりと壁際の置時計に眼をやると、昼の休憩時間が終わるまであと半刻はある。

「じゃ時間までゆっくりしよう。午後に、今日の演習の動きをなぞりたい」

「承知しました」

「昼寝するかなー……」

 レオアリスが隣室に行くべきか、それとも外に行くべきか、はたまた椅子でこのまま仮眠を取るべきかと少し迷いながらも執務机に座った時、ちょうど扉が叩かれた。

「失礼します、――上将」

 視線を向けた先で、事務官のウィンレットが扉を開け、その場で敬礼しレオアリスに声を掛けた。

「手紙が届いたのですが」

「手紙?」

 入室し、レオアリスの執務机の前に来ると、ウィンレットは一通の封筒を差し出した。

「たった今届けられました」

「へえ? ありがとう」

 ウィンレットはその場に立ったまま入って来た扉を振り返った。

「届けに来た男が返事が欲しいと言っていますが、どうされますか?」

「返事? 今? 使者が待ってるのか。ずいぶん急ぎみたいだな」

「はい。棟の入口で待ってもらっています」

「うーん。って言っても、すぐにはなぁ」

 レオアリスは受け取った封筒の差出人を確認し、そこに記された地名を見て驚いた様子で瞳を見開いた。

「フィオリ・アル・レガージュからだ」

「レガージュ? あの南西のっすか? へえー」

 クライフが身を乗り出す。グランスレイ達もやはり、興味深そうにレオアリスの手元を見た。

 王都に暮らす人々にとっても、フィオリ・アル・レガージュは少し独特の空気を持った、異国のような街だ。

「何なんすかね。あれかな、レガージュの」

 グランスレイが代わってウィンレットに視線を向ける。

「すぐには無理だ。返事をする場合は日を改めてこちらから届けると、そう先方に伝えろ」

「了解しました」

 ウィンレットは空になった手を胸にあて、一礼して退がった。

 興味の視線が手紙に集中する。レオアリスは封蝋を切り、中から三つに折り畳まれた便箋を取り出した。

 一瞬、ふわりと香のような香りが漂う。

「ん、ずいぶん古い文字を使ってるな……」

 椅子の背もたれに身体を預け、視線を走らせる。古書の中で見るような、今ではあまり使われない文字が所々に見られる。それでいて書いたのは子供らしく、その違いに驚いたが、手紙の内容は更に驚くものだった。

 レオアリスは確かめるように呟いた。

「レガージュの剣士――」

 その名は、時折耳にしていた。やっぱり、というような顔でクライフが一旦同僚達を見回し、またレオアリスの様子を伺う。

 フィオリ・アル・レガージュから王都のレオアリスへ。となれば真っ先に思い付く人物だろう。

 レガージュの剣士、ザイン。いわゆる在野の剣士の中では、彼が一番名が通っている。

「――」

 手紙に眼を通す内、レオアリは一言では捉えがたい表情を浮かべた。

 驚きと、喜びと。

「上将、どうかしましたか?」

 フレイザーが問い掛け、視線を合わせる。

「――いや。ウィンレットは使者が来てるって言ってたな」

「そうですが――手紙に何か?」

 問いかけたロットバルトへ、レオアリスは手紙を差し出した。

「読んでいいぜ。――俺を招待してくれるってさ」

 もう既に、表情は嬉しそうな――可笑しそうな色に変わっている。

「ちょっと出てくる」

 それを聞いてフレイザー達は慌てた。

「招待?」

「上将、まさか今からレガージュに?」

 行きそうなだけに恐いが、さすがにレオアリスも笑った。

「まさか。ハヤテで上空に出るだけだ。すぐ戻るよ」

 そう言うと止める間もなく、レオアリスは中庭へ出てしまった。




 中庭へ出て士官棟の入口へ、大股にというよりは半ば走るようにして向かい、一旦通りを見渡した。通りを行き交う近衛師団隊士や正規軍兵士達の姿があるものの、使者らしい人物は見当たらない。引き返し、入口の左にある受付兼事務室を覗いた。

「ウィン」

「上将、どうか?」

 ウィンレットは立ち上がり、近寄った。同僚の隊士も一緒に立ち上がる。

「さっきの手紙を届けてくれた使者、もう帰ったか?」

「あれからすぐ。かなり残念そうでしたが……いえ、また明日、今くらいの時間に来ると言っていました」

「明日――明日だな? 名前は?」

「ブレンダン氏です。レガージュの商人で」

「判った」

 レオアリスは引っ込んで、すぐまた顔を出した。

「あ、来たら教えてくれ。待ってるから」

「え」ウィンレットは驚いた顔をし、だがすぐに頷いた。「判りました」

「頼んだぜ。二人ともお疲れ」

 ばたん、と扉が閉まる。ウィンレットは同僚と顔を見合わせた。

「何だろう。楽しそうな感じだったな、上将」

「ああ、いつもより。あれじゃないか、レガージュからって言うとさ、ザインって剣士から手紙だったんじゃないか?」

「そうだな、だからかも」




 レオアリスは執務室に戻らずに、士官棟を出ると、並んで建つ厩舎へと足を向けた。

「上将、もうお出かけですか」

 つい先ほど戻ってきたばかりのレオアリスに、厩舎の管理官も意外そうな顔をする。

「出かけるってほどじゃないけどな。半刻、いや四半刻くらい」

 そう言いつつハヤテに近寄って、銀の鱗に被われた長い首を叩いた。

「ちょっと飛ぼう」

 誘うとハヤテは青い空のような瞳にレオアリスの喜びを映し、一声鳴いた。

 厩舎は中央の屋根に開口部があり、飛竜が飛び立てるようになっている。開口部から上空に()け上がるハヤテの背で、レオアリスは髪を煽る風に真っ直ぐ顔を向けた。

 フィオリ・アル・レガージュは名前だけ知っていたが、レオアリスにとっては遠い、それこそ違う国のような印象を持っていた。

 おそらく自分がその街とはまるで正反対の、北の辺境で育ったせいもあるだろう。環境は天と地ほども違う。

 レガージュという街には、およそ「辺境」という言葉の持つ寂しい印象が無かった。

「ハヤテ、お前はレガージュって街を知ってるか?」

 レオアリスの問い掛けに、ハヤテは長い首をかしげるように巡らせた。それは何かと問い返す瞳だ。

「知らないか。まだ飛んだ事はないもんな」

 この銀翼は若い。レオアリスに下賜される前も、おそらく、南西の果てまで飛んだ事はないのだろう。

 ただハヤテには、きっとレガージュの強い陽射しと鮮やかな青空が似合うと思った。聞き噛っただけの印象だが。

 それから、青い海。

 海を見た事がないレオアリスには不思議な響きだ。

 ただ空よりも青いのだと、そう聞いた。

 北の地の凍った湖とは、色もその規模も違うのだろう。

「飛んでみたくないか、海の上」

 ハヤテが同意を示して高く鳴いて、レオアリスは口元を綻ばせた。

 レガージュからの手紙。

 一人の子供からの、他愛のない手紙だ。

『ボクはユージュ・エルベといいます。父さんの名前はザインで、フィオリ・アル・レガージュに住んでいます』

『父さんがあなたに会いたがっているので、ぜひ一度来てください。歓迎します。フィオリ・アル・レガージュはとてもすてきな街です』

 温かく微笑ましい内容。

『父さんは剣士で、街の英雄です。大戦の頃からずっと、この街を守っています』

 父を誇りに思っているのが良く判る。

『――それから、ジンの友達なんです』

 ハヤテの手綱を引く。ハヤテは翼をひと打ちして大気を捉え、ぐんと速度を上げた。

 風が耳元で唸る。

『ジンの友達なんです』

「――ジン」

 大戦の剣士。

「父さん――」

 レガージュの剣士はジンの、レオアリスの父親の友人で、ジンを知っている――。

 大戦の頃のジンを。

 ハヤテは遮るものの無い陽射しの中、空中に停止するように浮揚した。

 今は右手に、遥か南西に。

 フィオリ・アル・レガージュの街がある。

 会ってみたい。

 どんな人物だろう。

 同じ剣士で、ジンの友人だったというその人は。

 気持ちが急き立てられ、まるで遮るものの無いこの青い空なら、このまま真っ直ぐに飛んで行けそうだ。

 今すぐにでも会って、話をしてみたかった。色々、本当に色々、次々と思い浮かぶ言葉を掴みきれないくらいに、色んな事を聞きたい。

 ただ、そういう訳には行かない現実があった。

 もう一ヵ月半ほど後に、王都、いや、この国にとって重要な案件が控えているからだ。

 レオアリスはその視線をやや右、同じ西方でありながら全く違う地へと向けた。

 そこはフィオリ・アル・レガージュの陽射しに溢れる印象とは違い、どことなく陰った印象を持つ。

 来月の末。五十年に一度行われる――

 西海バルバドスとの、不可侵条約再締結の儀式だ。

 大戦に幕を降ろした不可侵条約は、五十年毎に、両国の意思を確認しまた引き続き戦乱を避ける為の、いわば担保として改めて締結される。

 王と西海の海皇が対面し、条約を読み上げ、国璽(こくじ)を以って書面に調印する。

 儀式の場はこの国の西海沿岸の街と西海の街と、両国が交互に受け持って整える事になっており、今回は西海の領域で行われる予定だった。

 互いの王に付き従うのは一個小隊、五十名のみ。

 それ以外は一定の距離を置いて、儀式の場に近付く事は双方共に一切認められない。

 どの隊にその任務を下ろすのかは王が決める事だが、できれば、第一大隊に下命が欲しい。

 西海とは去年の暮れにいざこざがあったばかりだ。

 だからと言って何か問題が起こるとは限らず、もちろん近衛師団総将たるアヴァロンが王の傍らに控えるのだから問題はないが、それでもやはり、レオアリス自身が王の近くに在りたかった。

 必要ならば、アヴァロンに談判してでも。

 儀式の場に付く五十名が無理ならば、周辺の待機でもいい。

 明日の午前中は、その再締結の儀式の件について軍部の会議があった。おそらくこれから当日に向けて、議論を詰めて行くのだろう。

 今はレガージュには行けない。

(――再締結の儀式が終わったら、絶対会いに行こう)

 もう一度、レオアリスはレガージュがあるだろう方角を見つめ、ハヤテの手綱を引いた。





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