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第4章「剣士ザイン」(23)

 唐突に、ぶつりと何かが途切れる音すら感じさせ、船体を覆っていた海水が剥がれた。

 一瞬の空白の後、どっと海面になだれ落ちる。

 砲撃で荒れた海面に更に波がうねり、船が揺れる。

『回頭しろ!』

 メネゼスの号令に、舳先がぐぐ、と水を分けて動いた。自由になった櫓が水を掴み、掻き分ける。

 船体が大きく右に傾ぐ。

「!」

 ファルシオンを抱えたまま滑りかけたロットバルトの腕を、グランスレイが掴んだ。

「――法術士殿」

 グランスレイは振り返って法術士を呼んだ。大きく張られた白い帆が風を掴み、船は南へと進み始めた。

 ファルカンに支えられていた法術士が頷き、反対側に揺り返す甲板に手を付きながら、ファルシオンへと近寄る。

「殿下」

「――で……」

 ファルシオンはロットバルトの手を振りほどき、声を振り絞るように叫んだ。

「何でうったんだ! レオアリスがいるのに!」

 ファルシオンの黄金の瞳には、幾つもの感情がごちゃ混ぜになっている。

 憤りと悲嘆と、おそらく不信すら。

 ロットバルトはゆっくり、息を吐いた。そこに含まれているものも単純ではない。

「――殿下、恐れながら今は、マリ海軍とレガージュ船団との戦闘を避ける事が最も重要です」

 幼いファルシオンには、それは冷徹とも感じられたかもしれない。

 金色の瞳を見開き、ただ首を振った。

「海面への砲撃と、船の回頭――この二つの行為は二つの意味を持ちます。ヴェパールの支配を断ち、レガージュ船団に疑問を抱かせる。メネゼス提督はそれを狙ったはず」

「そんなこと、聞いてるんじゃない」

「いいえ、殿下。今はそう行動すべき時です。掛かっているのは貴方のお命はもちろん、レガージュ船団の乗組員の命であり、マリ海軍の兵士の命です。近衛師団大将の判断も、おそらく今と同じでしょう」

「そんな、の……」

 その先は続かず、ぎゅっと唇を噛み締める。

「――」

 黙って下を向いたファルシオンを一度見つめ、ロットバルトは横に控えていた老法術士を見た。法術士が頷き、術式を唱え始める。




 六隻計十二門の一斉砲撃は、確実に海中を揺らした。

 メネゼスの司令船が放った火球が白い泡を大量に纏いながら、ヴェパールの頭上に迫る。

「――っ」

 ヴェパールは頭上に向けて大きく口を開いた。

 口が耳元まで裂け喉がぐぐ、と広がり、弾けるように喉の奥から塊が吐き出される。

 一抱えもある水の塊だ。

 火球とぶつかり合い、激しくせめぎ合う。

 火球と水球は同時に砕けた。

 砕けた欠けらが流星のように水中に散る。

 落ちて行く幾つかが、ヴェパールの足元に横たわるレオアリスの傍を掠めた。

 微かに――、指先が動いたように見えた。

 ヴェパールはそれには気付かず、辺りを見回した。

 撃ち込まれた火球砲が、身に纏う海水を沸騰させながら、海底へと斜めに落ち、幻想的とすら言える光景だ。

 だがそれがヴェパールを楽しませる訳もなく、水を伝わる熱が薄い皮膚を炙る。

 ヴェパールは忌々しく舌を打ち、腕を引っ込めて袖の下に隠した。

 頭上でマリ海軍の船が動き出している。

 船を覆い尽くそうとしていた支配が切れたからだ。当然、それを狙って火球砲を撃ち込んだのだろう。

 ただヴェパールを視認できている訳ではない。火球砲は連射が利かず、次弾の発射まで一定の時間を要する。

 それをメネゼスは一斉に撃たせた。

 一か八か――、次弾を考えるより、ヴェパールの支配を断つ事に賭けたのだ。

「――所詮、悪あがきに過ぎん」

 ヴェパールの傍らで緑の光が瞬く。ヴェパールは光の玉に手をかざした。

 光は、地上の法術で言えば触媒に近いものだ。ヴェパールの意思を素早く確実に、海中に伝える。

 ヴェパールの苛立ちを示すように一度、大きく明滅した。




 法術は、船の急激な揺れに途切れた。

「!」

 風を受けて走り出していた船が、つんのめるようにがくんと船体を揺らす。

 安定していた甲板が跳ね、その衝撃に体重の軽いファルシオンの身体は、宙に放り出された。

「殿下!」

 ロットバルトやグランスレイが伸ばした手を邪魔するように、再び揺れが走る。

 船がその場で舳先を支点にし、横風に煽られて方向を変える。

 ファルシオンは甲板の手摺りの向こうに落ちた。

 海だ。

「殿下―― !」

 甲板から同じく数名の兵士が振り落とされるのが見える。

 ロットバルトとグランスレイが手摺りに駆け寄る前に、銀色の影が上空から真っ直ぐ急降下した。

「ハヤテ―― !」

 手摺りの向こうを矢のように横切る。

 銀翼の飛竜は海面すれすれでファルシオンの身体を救い上げると、その傍に落ちたマリ海軍水兵の身体を脚で掴み、再び上昇した。

 一度船を通り越して旋回し、甲板のやや上に浮く。

 ハヤテより遅れ、近衛師団と正規軍の飛竜が降下し、海に落ちた兵士達を拾い上げていく。

「ハヤテ、良く来てくれた」

 マリの兵士達が駆け寄り、ハヤテの脚の爪に引っ掛かっている同僚を甲板に降ろす間、ハヤテはその場に器用に(とど)まりながら甲板を見渡した。

 青い瞳が問い掛けるようにグランスレイ達を見つめる。

 自分を呼んだレオアリスがいないのを不思議に思ったのか、ハヤテは瞳をぱちりと閉じた。

「――ハヤテ、殿下をそのまま港へお連れしろ」

「ダメだ!」

 ファルシオンはハヤテの背で身を起こし、叫ぶ。

 帆はまだ風を受けていたが、船は船体を斜めにして舳先を北西に向け、やがてぴたりと止まってしまった。

『チ』

 メネゼスは舌を打ち、海面を見下ろした。

『これまでか』

『提督!』

 再び、今度は先ほどまでの遅さが嘘だったかのように、海水は船体を這い登り始めた。

『もう復活しやがった――火球砲を』

 メネゼスが指示を終える前に海水はあっという間に砲門に至ると、砲身を飲み込みさらに甲板へ辿り着いた。

 メネゼスやマリの水兵達、そしてグランスレイ達の足元を膝まで覆い尽くし、帆柱を這い登り、物見台にいたマリの兵士を捉える。

「ハヤテ」

 グランスレイがハヤテを急かすと、ファルシオンはハヤテの背で身を捻った。

「ダメだ、私はここにいる!」

「申し訳ありません」

 飛び降りようとするファルシオンの背を、グランスレイはぐっと抑えた。

「副将、老公を」

 グランスレイはファルシオンの背を抑えたまま右腕を伸ばし、ロットバルトが抱えていたスランザールを、ハヤテの背に移す。

「わしは良い。それよりも殿下には護衛が必要じゃ」

「無論承知しています。しかしこの水のせいで足も上がらない。申し訳ありませんが……」

 海水は膝の位置まで達し、そこで止まったものの、重く脚に絡み付いている。スランザールは眉をしかめた。

「ヴェパールめ、あくまで見せる肚か」

 意識を奪う事なく、ヴェパールがマリの軍船を操りレガージュを攻撃する所を見せようという意図が見え隠れしている。

「まずはできる限り上空へ。殿下の護衛には、今飛竜で来た者を付けます」

「ハヤテ」

 グランスレイがハヤテの首を叩く。

 ハヤテはもう一度レオアリスの姿を探して辺りを見回し、それからばさりと翼を打った。

 ハヤテのはばたきと、海面が唸るのは同時だった。

 海水が竜巻となって立ち上がる。

 ロットバルトは海面を睨んだ。

(ヴェパールはどこまで見えている――)

 ビュルゲルとの戦いから判ってはいたが、これほど大量の海水を自在に操るという事に驚かされる。今はハヤテの翼に任せるしか手が無い。

 飛び立つ近衛師団の飛竜を追って、次々と竜巻が立ち、或いは海上を走り或いは高く伸びる。

 マリ海軍の船団が、まるで木の葉のように揺れる。

 竜巻が舳先を掠め、船首の帆柱を折る。

 船体は音を立てて軋み、身動きがとれないまま兵士達は身を縮めた。

『無理だ――船が保たない!』

 軋む音はますます激しく、あちこちで悲鳴が上がる。それはハヤテの背にいるファルシオンにも届いた。

「ハヤテ、戻れ!」

 ファルシオンは必死にハヤテの鞍に掴まり、後ろのスランザールの手をぎゅっと掴みながら、それでもそう叫んだ。

 ハヤテはファルシオンの言葉を聞き入れず、追いかける海水の柱を縫うように飛んだ。竜巻が次々立ち塞がり、それを避けて方向を変える。

 ファルシオンにはもう、もといたメネゼスの船がどれかも判らない。グランスレイやロットバルト、ファルカン達の姿も見えない。

 海は荒れ、今にもマリ海軍の軍船全てを引っくり返し飲み込みそうだった。

「戻れったら―― !」

 唐突に、目の前に海水の幕が出現し、ハヤテは直角に方向を変えた。

「うわ」

「で、殿下」

 姿勢を崩したスランザールが滑り落ちそうになり、ファルシオンは必死に捕まえた。

 ハヤテを追って海水の幕が真横に伸びる。

 ぐぐ、と伸び切りハヤテの尾に迫ったが、そこで限界に達したのか、ふいにただの海水に戻って眼下の船に降り注いだ。

 ザァァ、と水滴が甲板や海面を叩く音が響く。

 ハヤテが再び身体を向けた先に別の竜巻が立ち上がる。ハヤテは行き場所を探して旋回した。ヴェパールはどうあっても、ファルシオンをこの海域から出さないつもりなのだ。

 ファルシオンの瞳が海面をさまよう。

 あの緑色の光が、どこかにあるはずだった。

 あれを見つけて――

(見つけて……)

 どうするのか。

 眼下の海は荒れ、波と立ち昇る幾つもの竜巻が浮かぶ船を揺さぶり、軋ませている。

(――父上なら)

 ここにいるのが。

 ここにいるのが父王であったなら、全てを救っている。

 自分は、ただ護られるだけ。

 何の力も無い。

 だからレオアリスが、ここにいないのだ。

 喉の奥が熱く重くなり、ファルシオンは俯いた。

「レオアリス――」




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