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第4章「剣士ザイン」(20)

「カイ」

 レオアリスの声に、羽音と共に彼の肩に黒い鳥が降りる。

「フレイザーに殿下が戻るのを待てと――それと街に残した部隊には、指示があるまで街を護る事を最優先にしろと伝えろ。正規と船団にも指示を徹底させるんだ。――もう一つ」

 その先は口にされなかったが、カイはレオアリスの指示を読み取ると、一声鳴いて姿を消した。

 ヴェパールが嘲笑う。

「諦めろ。もうレガージュの街に二発目の火球砲が撃ち込まれる。貴様等には何もできん。――さぁ、まずは大人くファルシオンの命を差し出せ」

「断る」

 短く返し、レオアリスは床を蹴ってヴェパールの懐に踏み込んだ。

 剣が一瞬、青白い尾を引く。

 足元から、喉へと切り上げる。

 ヴェパールは上体を反らせ、切っ先は喉元を掠めた。

「甘い剣筋だ――、!」

 レオアリスは剣を振り抜きざま、その回転を乗せるように左脚を跳ね上げ、上体を反らせていたヴェパールの腹に踵を叩き込んだ。

 後方に弾かれたヴェパールの身体が壁に打ち付けられ、薄い壁板が音を立てて割れる。その先は隣室だ。

 ヴェパールの身体は壁の割れ目にはまり込むように倒れた。

「船を余り壊すなよ」

 メネゼスの声にレオアリスはちらりと苦笑を浮かべ、更に踏み込んだ。

 ヴェパールの喉を白刃が追う。

 起き上がろうとして服の裾を壁の割れ目に取られ、ヴェパールの顔が一瞬、怒りに染まる。

 白刃が喉を捉える寸前、ヴェパールは面を上げ、かっと赤い口を開いた。




 まさに火球砲が放たれようとしていた瞬間――、ぱしん、と泡の弾けるような音を立て、十番船を覆っていた海水の膜が一斉になだれ落ちた。

 波立った海面に船体が大きく振られる。

『何だ?! 今、何か落ちたぞ――海水か?』

 マリ海軍の水兵達が顔を見合わせる。

『おい、まだ――』

 視線の先で、だがまだ砲身は光を湛えていた。三重の白く輝く円が砲身を取り巻いている。

 マリ海軍が誇る火球砲は予め法陣が組み込まれ、法術士の詠唱を要しないところに最大の特性がある。

 ヴェパールの呪縛が解けそこここで倒れている水兵達を尻目に、組み上がった法陣は、一度明滅した。

 次の瞬間、砲身が火を吹いた。

『!』

 だが荒れた波により既に船首はレガージュから逸れ、火球はレガージュの港から二十間近く離れた岸壁に突き刺さった。

 岸壁が(えぐ)れ、砕けた岩が炎を纏いながら海面に落下して水柱を高く上げる。

『外れ――』

 固唾を飲んでいたバレットや水兵達は、誰からともなく安堵の息を吐いた。

 十番船は今は止まり、荒れる波にその身を揺らしている。

 ただ、安堵の溜息はすぐに張り詰めた緊張に変わった。

 撃った――。

 街に当りこそしなかったものの、二撃目を。





 レオアリスの剣はヴェパールの首を捉える寸前で止まっていた。

 ヴェパールの喉の奥から突き出した戟が、その三股の刃の間に白刃を捉えている。

 ヴェパールはちらりと視線を壁に投げ、忌々しさに眉を寄せた。

 船の支配が解けている。

 咄嗟に戟を呼び出す為に、船を操る『手』を離さざるを得なかった。

 始めからヴェパールの操作を断つ事が狙いだったのだと、そう気付いて薄い皮膚を更に怒りに染める。

 だが、火球砲が再び放たれた事を示す低い炸裂音と直後の着弾音が響き、再びヴェパールは笑いを浮かべた。

「残念だったな――」

 喉の奥から生えた戟がぐぐ、と伸び、レオアリスの剣を押し返す。

「――」

 レオアリスは微かに瞳を細めた。力を抜いているつもりはない。

 だが、ヴェパールの喉から持ち上がる戟に、少しずつだが剣を押されている。

「グランスレイ――今の内に殿下を」

 グランスレイは頷き、今度こそファルシオンを抱え上げた。

 再び、水兵が足音を鳴らして駆け込み、状況を告げる。

『報告します! に、二撃目は、三十度逸れてレガージュ左対岸の岸壁に着弾しました』

 ヴェパールが顔を苛立ちに歪める。

 室内には安堵と緊張が複雑に入り混じった。

 レガージュの街を逸れたとは言え、着弾の事実は変わらない。

 船上から混乱の騒めきが伝わって来る中、レオアリスは剣を押し戻す力を押さえ込みながら、メネゼスに視線を向けた。

「メネゼス提督、貴方は海上の指揮をお願いします」

 メネゼスはちらりとヴェパールを見た。

「ここは私に。船の混乱は貴方でないと抑えられません。レガージュとの争いの回避を」

「――そうしよう」

 メネゼスは抜き放っていた剣を鞘に戻し、副官と部下達を見回した。

『全員来い――ディノ、お前達もだ』

『しかし提督、この場に兵は』

『いても邪魔になるだけだろう。俺達の仕事は海上だ。行け』

 副官が頷き、室内にいた水兵達に指示を出す。

「ファルシオン殿下、貴方も甲板へ」

 メネゼスに促され、グランスレイは目礼するとファルシオンを抱えて廊下へと出た。ファルシオンの瞳がレオアリスに向けられ、すぐに断ち切られる。

「老公」

 ロットバルトがスランザールとファルカン達を退かせ、最後に残っていたメネゼスも室内を一瞥すると扉を潜った。

 残ったのはヴェパールとレオアリスだけだ。

「マリとアレウスが手を組むか――、面白い」

 床の上に横たわった不利と見える体勢のまま、ヴェパールは喉の奥で笑いを転がした。

「だが、無駄だ」

「!」

 ヴェパールの喉から戟が矢の如く吐き出される。三股の戟先がレオアリスの剣を絡め取り、そのまま右肩を貫いた。

「ぐ……ァ」

 戟の勢いは止まらず、レオアリスの身体を引き摺ったまま、反対の壁に突き立った。

 ヴェパールが悠然と身を起す。レオアリスは自分の肩を壁に縫い止めている戟を見た。戟先は木の板に深く食い込んでいる。

「――チ」

 右手を動かそうとするだけで、肩から指先まで激痛が走る。ぎし、と板壁が鳴った。

 ヴェパールは割れた壁を抜け、室内に立った。

「お前達の未来は何一つ変わらん」

「――お前の言葉は何一つ、実現しない」

 レオアリスはヴェパールを睨むと、肩に食い込む戟の柄を左手で掴み、一息に引き抜いた。

 刃先に備えられた返しが肉を抉る。

「ッ」

 噴き出した血はすぐに止まり、傷口が瞬く間に塞がる。ヴェパールは平らな瞳を細めた。

「さすがに治癒能力が高いな。ザインと同じか」

 低い笑いが起る。

「ザインは来ないのか――恨みを晴らす絶好の機会だと言うのに」

「――来ない。だからこそ、お前には退いてもらう」

 レオアリスは引き抜いた戟を反し、ヴェパール目がけて投げた。

 戟はヴェパールの腹に突き刺さり――、ずるり、と、柄の石突きまで飲み込まれた。

 飲み込まれた跡に波紋のような(さざなみ)が立つ。

「な――ンだそりゃあ」

 思わず呆れて呟き、レオアリスは戟を追って踏み込んだ。

 剣を凪ぐ。

 ヴェパールの太腿から戟が斜めに飛び出し、レオアリスの剣を弾いた。

 弾いた戟が瞬く間に引っ込む。

 ヴェパールはただ後ろ手に腕を組み、悠然と立っている。

 レオアリスは瞳を細め、口元を引き結んだ。

(厄介だな――どんな仕組みだよ)

 どこに武器を持つのかが判らなければ、剣筋が読めない。

 間合いを殺そうと踏み込んでも、思わぬ角度から戟が飛び出して来る。

(まあ俺も、他人の事は言えないが――)

 頬を掠めた戟の柄を、レオアリスは剣で弾いた。

 頬が切れ、血が散り、塞がる。

 体勢を戻した時には戟はヴェパールの中に消え、レオアリスの剣撃に合わせて現れる。

 懐に入りたいが、思いがけない位置から現れる戟に阻まれる。

 やりにくい――

 だが、右手の剣ともう一つ、身の(うち)に残した剣が、伝えてくるものがあった。

 剣が常に望む――戦う事への歓喜だ。この状況を喜んでいる。

 左の(つるぎ)が訴える。

 出せ。

 レオアリスは口元に浮かびかかる笑みを打ち消した。

(我慢しろ。こいつは――)

 ただ、西海へ退かせる。

 ヴェパールはレオアリスの面に一瞬浮かんだ笑みを見つけ、苦々しく奥歯を噛み締めた。

 戟を操りながらも、あの剣を押し返すだけの状況を作り出せずに、色素の薄い頬に苛立ちを昇らせる。

(なるほど、あの男が手の内に入れただけはある――)

 右手の剣一本ではヴェパールを捉えきれまい。

 ただ、その身の奥に、もう一つの気配がある事にヴェパールも気付いていた。

(何故抜かない)

 言葉通り、ヴェパールを退かせる事だけを目的としているからだ。

 この状態は、ヴェパールの身体を脅かすほどのものではないのは事実だ。

 ただ――、船の支配が利かない。

 意識を逸らせば剣は容易くヴェパールの身を捉えるだろう。

(――それが目的か)

 時間を置けばそれだけ、レガージュ側に猶予を与える事になる。

 メネゼスとファルカン、そしてアレウスの王太子という顔触れは、事態を収束させるに充分だ。

 刃が打ち合う高い音が室内に響く。

 ヴェパールは口元を歪めた。

「――だから貴様等は愚かなのだ。ただ切り裂けば、話は簡単に終わるものを」

「――」

「お前の本心は、これで満足ではないだろう?」

 青白く光を纏う剣の向こうで、漆黒の瞳に複雑な光が宿る。

 ふっとレオアリスの剣に掛かっていた圧力が消える。戟が引いたからだ。

 崩れた体勢を戻しかけたところへ、ヴェパールの肩から戟が飛び出し、レオアリスの脇腹を掠めた。

 戻る戟先より早く、剣が青白い尾を引く。

 剣が戟を捉え、噛み合う。

 レオアリスは右手の剣を反して戟の切っ先を押さえ込み、左手で戟の柄を掴んだ。

 三股の刃に絡んだ剣を引き、同時に戟の柄をなぞるように踏み込む。

 一瞬捉えたヴェパールの銀の目の奥に、鈍い光りを認めた。

 色素の無い面の薄い唇が、赤く三日月形に広がる。

(不味い、誘いか)

「ここでは埒が明かん――。我が領域へ、貴様を招待してやろう」

 退こうとした瞬間、戟の柄が、ぐん、と唸った。

 足が浮く。

「!」

 ヴェパールは戟を横薙に振り抜き、レオアリスの身体ごと壁に叩きつけた。

 板壁が砕け、飛び散った破片を照らして薄暗かった室内に光が差し込む。

 咄嗟に掴むものを探ったが、身体はそのまま、宙へ放り出された。

(しまった――)

 そう思った瞬間には、目の前に青い海面があった。

 降り注ぐ陽光が一瞬目を眩ませ、レオアリスの身体は海中に落ちた。





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