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第4章「剣士ザイン」(15)

 ギィィ、と船体が波に揺れる音が、天井の低い船内に籠もりなかなか抜けていかない。

 船内は波音と揺れと、取り巻く軍船やその兵士達の気配とが入り交じり、一時もたゆまず騒めくようだった。

 案内された船室は、船としては充分な広さがあった。恐らく軍議などで使用しているのだろう。

 メネゼスが先に入り、一番後ろに付いていたメネゼスの副官まで全員が入ると、扉が廊下から閉ざされた。

 レオアリスはファルシオンのすぐ斜め後ろに立ち、視線を動かさずに室内を確認した。

 扉は今入ってきた背後の一つだけで、正面に置かれたメネゼスの机の向こうに丸く小さい窓が三つ並んでいる。

 窓からは隣り合う軍船の船複しか見えなかった。

 左右の壁に沿ってそれぞれ五名ずつマリの兵士が立ち、中央にいるレオアリス達に真っ直ぐ視線を据えている。

 万が一、強引に退く事になったら、退路は後ろの扉しかない。

 だが、扉の向こうの廊下にも兵士を置いているのは気配で判った。

 四人。

(いや、もう少しか。この中は気配が掴みにくいな)

「安心してもらおう。剣士を抑えるほどの人数じゃあない」

 メネゼスはレオアリスを見据え、にやりと笑った。

 鋭い相手だとそう思いながら、レオアリスはメネゼスを見返した。

「その心配はご無用です。王太子殿下をお護りする為以外には、この場で剣を抜くつもりはありません」

「その通り――、謝罪以外、する事はないはずだ」

「それもまた、少なからずお考えになっているものとは違うと思っています」

「どうだろうな」

 メネゼスは(うそぶ)いたが、レオアリスはそれ以上の発言を控え、その事を示すように視線を落とした。

 そうするとファルシオンの姿が視界に入り、ふと、気を引かれた。

 ファルシオンはメネゼスではなく、その斜め右側をじっと見つめている。

 メネゼスの右側には男が一人立っていた。

 兵士ではなく、衣装からは軍属というより商人のように見える。

 銀色の、平べったい印象を与える眼がファルシオンへ向けられている。

 それでいて、ファルシオンの瞳を真っ直ぐ受ける事をどことなく避けているように見えた。

 男が目線を上げ、一瞬だけ視線が絡む。

 違和感――何かの。

 メネゼスはレオアリスの視線の先を見て笑い、据え付けられた机の向こうに腰を降ろした。

「紹介しよう――ローデン王国の使者、セルメット殿だ。ローデン国王の書状を、我が船団に持って来られた。正確には、マリ国王陛下に」

 スランザールが険しい表情を浮かべる。

「ローデン――ローデンの船をも、襲撃し沈めたと」

「理解が早いな。この会談、ローデンの使者殿にも参加して頂く予定だ。後ほどその為の時間を設けよう」

「――」

(ローデンも――)

 レオアリスは無意識に奥歯を噛み締めた。

 まさか、という思いがまずある。

 マリ一国でさえ対応が厳しい状況なのに、まるで考えもしていなかった要素がいきなり加わった。

 唐突に。

 ローデン王国の使者が今、この場にいる――その事への疑問と、収まりの悪さ。

 それが改めて、事態が故意に、そして幾重にも張り巡らされているように感じられた。

 漠然とした悪意――そこに要素を一つ足すだけで全て明確になる。

(――西海か)

 数刻前に聞いたザインの言葉が、意識に強く訴えてくるようだ。

 西海の首謀者を引っ張り出せば、全てが解けると、確かにそう思わせられる。

(いや――、それはしない。できないんだ)

 既に国としての方向は決まっている。

 もともと不利は承知の上での交渉だ。

 だからこそ、ザインの望みを全て()って。

「ローデン」

 小さな呟きを聞き取り、レオアリスはファルシオンを見た。

 ローデンは、ファルシオンに贈った懐中時計が作られた国だった。

 いつか行ってみたいと、つい先日そう言っていた。

 ファルシオンは服の胸の辺りを抑えている。幼い頬の上には戸惑いがあった。

「――殿下」

 そっと問いかけようとした時、メネゼスが口を開いた。

「それで、アレウス国王は何と言っておられる。それとも謝罪の親書でも持って来られたかな」

 スランザールがすっと顔を上げる。

「その前に、我々の説明するところをお聞き頂きたい」

「説明? 説明の必要があるか?」

「求めておられるのは、謝罪のみでは無かったはず――」

 傍らにいた副官はあからさまに不愉快そうな顔をしたが、メネゼスは隻眼に浮かべた光をスランザールへ向け、しばらく考えるように椅子にもたれて腕を組んでいた。

 やがてゆっくり身を起こす。

「――良かろう」

「では……」

「ただし、全ての説明は国使たる王太子殿下からして頂こう。他の方々は発言を控えてもらいたい」

 ファルシオンは驚いて小さく息を呑み、スランザールがぴくりと眉を動かした。

 メネゼスはその様子を面白そうに眺めている。

「どうかされたか。まさか殿下は、ただこの場に立つ為だけにおいでになった訳ではあるまい。であれば人形でも構わないだろうからな」

 レオアリスは唇を引き結び、喉元まで上がった反論を抑えた。

 だが明らかに不利な状況だ。

 元々この交渉は、スランザールを中心に進めてようやく状況の打開、いや、維持が可能だと思っていた。

 手元にはマリ側の認識を覆すだけの確たる証拠など、一つも無いのだ。

 交渉によってレガージュへの攻撃を回避するのが第一、軍船を退かせる事ができれば、それは現状の八割打開だとも言えるだろう。

 海軍を退かせ、改めて冷静な話し合いの場を設ける。

(その為には、一連の経緯にマリが疑問を持つように誘導する必要がある)

 何故マリ海軍はこれほど早くにレガージュへ到着したか。

 その点が、今アレウス国側が出せる最も有効な手札だ。

 ただ、単に手札を開いて見せるだけでは効果は無い。

 ファルシオンはまだ幼い。

 王太子とは言え、通常でさえ難しい交渉を、五歳になったばかりの少年一人に担えとは、余りに厳しい条件だった。

(マリには、元々話し合いを受けるつもりは無いのか)

 それほど、マリはレガージュ船団の船がマリの船を沈めた事に、確証を持っている事になる。

 スランザールが穏やかに口を開く。

「無論、殿下が正式な国使である事に何の疑問もござらん。しかしメネゼス提督、私はアレウス国国王陛下より国使たる殿下の補佐を命じられ、その為に参ったもの」

 いつもと変わらないゆったりとした口調でスランザールは続けた。

「その責務を果たさないとあっては、王都に帰る事もできぬ」

「それは貴殿等の都合、俺の預かり知る所ではない」

 メネゼスは眉も動かさない。

「その通りじゃ。だからこそ、我が国王陛下に対しその点は譲れぬ」

 スランザールとメネゼスは互いに温度の無い視線を交わした。

 マリの水兵達が何時でも剣を抜けるよう張り詰めたのが判る。

 レオアリスは視線を動かさず、左右へ気を配った。

 部屋に満ちた緊張を破ったのは、他ならないファルシオンだった。

「かまわない――私が国使として、メネゼス提督とお話する」

 スランザールは眉を上げたが、何も言わなかった。黙ってその白髪を下げる。

 今度はファルシオンが、メネゼスの隻眼と向き合った。

 幼い頬には張り詰めた緊張がある。

「ただ、間違ったことをお話するのは、良くないと思う。私はまだ、たくさんのことは知らないけれど、責任ある発言をしなくてはいけないから」

「――」

「だから、スランザール達に、私からたずねるのは、いいだろう?」

 メネゼスは束の間ファルシオンを鋭く見据えてから、ふいに眼光を緩め、声を立てて笑った。

「なるほど――素直で聡明な殿下であらせられる。では、確認の為にお尋ねになるのは良しとさせて頂きましょう」

「ありがとう」

 自然に滑り出たその言葉を耳にして、メネゼスは再び笑った。だがすぐに鋭い切り裂くような視線が戻る。

「重ねて申し上げるようだが、我々が一番に重視するものはアレウス国国王の謝罪だ。貴国にそれ以外ができるとは、残念ながら思っていない」

「レガージュは、マリの船を沈めてはいません」

 ファルシオンは力を込めて、そう言った。

「私はそれを、お伝えしに来ました」

「口先だけでなら何とでも言える。千回でも万回でも言い続ける事は可能だが、何の価値も無いだろう」

 全く無慈悲に撥ね付ける。

「かち」

「殿下がここに言い訳をしに来られたのなら、それは無意味な行為でしたな」

「――そ、れは」

 王太子として育ってきたファルシオンにとって、自分の言う事を容赦無く否定される経験など、ほとんど無かっただろう。

 それに加え、メネゼスにはファルシオンの為に易しい言葉で噛み砕いて話すつもりなど毛頭無い。

「言い訳じゃない――私はきちんと、レガージュの者たちから話を聞いたのだ」

「ほう、話を」

「レガージュは決してマリの船を沈めてはいないと、そう誓っている」

「ではその確証を出して頂こう」

「それは」

 ファルシオンはスランザール達を見上げた。スランザールが首を振る。

「確証はごさいません、殿下。ただ幾つか示せるものはございます。それを」

 メネゼスが口の端を歪める。

「確証が無いと認めているのでは話にならん」

「いいえ」

 ファルシオンは振り返り、身を乗り出すようにして言った。

「あります、船の――ちゃんと日記を付けている」

「航海予定表か? あんなものは確証にならないでしょうな。幾らでも書き替えられる代物です」

「書き変えてなどいません。それはちゃんと、カリカオテから聞いている」

「カリカオテ殿が知らずにいる可能性も無くはない。レガージュ船団の船が勝手に動いている事かもしれませんな」

「そんな事――、絶対ありません」

 すっとメネゼスの纏う空気の温度が下がった。

 レオアリスが咄嗟に身の(うち)の剣の気配を探った程に。

「ほう。何故絶対と言い切れますか」

「レガージュは、マリの船が沈んだことを知って、すぐに探しに行っています。乗っていた人たちをを助けたかったから」

「それが、殿下が絶対と仰せになる理由ですか」

「自分で沈めたら、そんなことはしないと思う」

「それも、幾らでも言えるでしょう。もし船員を救出したのなら、何故レガージュは我々にそれをすぐ通告しなかったのか――この場には、貴国が救出した者は一人もいない」

「それは、連れてこれなくて――でも会館に」

 ファルシオンの言葉を待たず、メネゼスは一つ息を吐いた。

「我々は、絶対に、レガージュ船団の船がマリの船を沈めたのだとも言い切れる。そう言おうと思えば」

「――」

 先ほど絶対と言った言葉を逆に取られたのだと判り、ファルシオンは黙り込んだ。

「まあ、殿下は事態を明確に認識しておられないだけのようだ。我々がレガージュの行為をどう捉えているか、それから説明して差し上げるのが筋のようですな。そうすれば、我々が貴国に火球砲を突き付けている理由を、もっとはっきり理解して頂けましょう」

 そう言って、メネゼスは副官に視線を向けた。

「ゆっくり聞いて頂こう。殿下に椅子を」

 副官が壁際にあった椅子を掴み、どかりと乱暴にファルシオンの前に置いた。

 レオアリスやグランスレイが眉を潜め、だが抗議をぐっと押える様子を見て、メネゼスが笑いながら副官の行動を嗜める。

「王太子殿下だ、敬意を払え」

 再びファルシオンの瞳を捉える。隻眼に光が揺らいだ。

 そこに一切の笑みは無い。

「申し訳ない――だが憤りを抑えきれないのだ、この船団の者は全員。この七日間と言うもの、吐き出すのを堪え、溜め込んで燻らせて来たのでね」

「――」

「さて、ご説明しよう」

 メネゼスはファルシオンが椅子に座るのを待ち、机を挟んで真っ直ぐ向き合った。

「ちょうど七日前――我々の船団は、南海の海域でレガージュ船団の船と行き合った。正午頃だったか?」

「十一刻です、提督」

 七日前。ゼ・アマーリア号が沈んだ、翌日だ。

 皮肉な事に、ファルシオンの祝賀式典が行われた日とゼ・アマーリア号が沈んだ日とが同じせいで、すぐに逆算できた。

「周辺に交易船(おや)は見当たらず、レガージュ船団の船一隻のみだ。そいつは舳先にあるものを括り付けていた。それが何か――あなた方なら当然、想像が付くだろうが」

「――」

 ファルシオンは大きな瞳に戸惑いを浮かべている。メネゼスはその瞳を射抜くように見つめた。

「ゼ・アマーリア号の船員だ」

 唇を笑みの形に歪める。

「もっともそうと知ったのは救出した後だがな。沈めたアマーリアの船員を、まるで戦利品のように、船首に掲げていた」

「――まさか」

「まさか? 何を以ってそう言われるのか。我が目の間違いだと?」

「でも、」

 ファルシオンの抗弁を、メネゼスは一切耳にしていないようにやり過ごす。

「我々が船員を救出すると、直後にレガージュ船団の船は一直線に我が船団に突っ込んだ。そして私の軍船を一隻沈め、去った」

 実際に、レオアリスは剣を抜く事態を覚悟した。

 それほどメネゼスの、室内の兵士達の怒りは激しかった。

「残念な事に、私はこれまで自分の手で作り上げて来た船団の一部を、あっさり奪われたという訳だ。それで私はノコノコと、このフィオリ・アル・レガージュまでやって来た――」

 ぎし、と木の椅子を軋ませる。

「我が隻眼に刻み込んだ怒りを、癒す為にな」

 メネゼスはただ救出した船員から事の経緯を聞いただけではなく、自身の眼で直接、『レガージュ船団の船』が攻撃したのを見ているのだ。

(まずいな……手元に何もなきゃ(くつがえ)しようがない)

 レオアリスはスランザールを見、それからグランスレイとロットバルトを見た。

 一時はメネゼスを怒らせても、スランザールが話を進めるべきか――判断を迷う猶予は余り無い。

 メネゼスはまだ抑えているが、室内のマリ水兵達は既に怒りではち切れそうだった。



(愚かな事だ――いずれもな)

 目の前のやり取りを眺め、ヴェパールは密かに笑った。

 ファルシオンも、補佐と言いながらろくな口出しもできずにただ子供に交渉を任せているだけのスランザール等アレウス国側も、ヴェパールの仕掛けにまんまと填まっているメネゼス等マリ王国海軍も、ヴェパールからすれば等しく愚かに見える。

 まさか王太子を向けてくるとはと初めは危ぶんだが、今では逆効果だったと恐らくアレウス国側自身判っているだろう。

 メネゼスやマリ水兵達の怒りはまるで解けていない。

 もはやヴェパールが何もしなくとも、マリがレガージュの街に火球砲を打ち込むのは時間の問題だと言えた。

 だが。

(待つより、波を立ててやろうか)



「メネゼス提督。失礼ながら」

 それまで黙っていたローデン王国の使者が、一歩進み出ていた。

 最初に感じた違和感が再びレオアリスの中に浮かぶ。

 チリチリと、腹の奥が熱を持つような。

 セルメットは両手を胸に当て、ゆったりとお辞儀をした。

「そのような何の確証もない話に、いつまでも耳を傾ける価値がございましょうか」

 メネゼスが興味深そうな色を隻眼に浮かべ、セルメットを眺めた。

「では貴殿はどうすべきと?」

「強い意思をお示しください。何なればこの場で王太子を(しい)し、一切の言い訳が通用しない事をアレウス国王に知らしめて差し上げれば良いのです」

「何を言う、ローデンの使者殿」

 グランスレイが厳しい眼をセルメットに向けた。

 だが、その場の空気を冷やしたのは、レオアリスだった。

「言葉には気を付けて頂きたい――、王太子殿下はアレウス国の国使としておいでです」

 メネゼスですら肌に刄を当てられる感覚を覚え、セルメットからレオアリスへ視線を移した。

 再びセルメットを見てにやりと笑う。

「二者で争うのは想定外だな、セルメット殿。我々より先に貴国から交渉されるか?」

「何を仰います。マリ王国とローデン王国との立場は同じ、であれば互いに協力しあい、アレウス王国と対する事が必要です。個々の交渉だからと、王太子殿下は軽んじておられる」

 色素の薄い皮膚が張り詰める。

「ローデンは必ずや、マリ王国と共に立ちましょう」

 メネゼスはセルメットの言葉を吟味するように隻眼を細めた。

「貴侯の一存でそう決められるかな」

「マリ王国が意志をお決めになれば、必ず、我が君も」

「ふむ――」

「交易船を沈められた怒り――私とて同じです。提督、お忘れではありますまい。ゼ・アマーリア号を沈めたのは誰か」

 セルメットはファルシオン達を睨み、マリの水兵達を同意を求めるように見回した。

「貴方の軍船を沈めたのは誰か――」

 メネゼスの隻眼に、確かに怒りの色が宿る。

 ファルシオンは首を振った。

「我々は、マリ王国の船も、ローデンの船も、沈めてはいない」

「口先だけなら何とでも言えよう」

 セルメットが畳み掛ける。

「だが実際に救出された乗組員が、レガージュ船団の船を見ているのだ。それを見間違いと言い切るおつもりか?」

「それは、」

「確たる証拠も無く――、一国の王子ともあろう方が」

 そのやり方を侮蔑し、いかにも不快な態度だと、そう言い放つ。

「メネゼス提督、何の躊躇う事がありましょう」

 セルメットの言葉はメネゼスではなく、まず副官や部下達に効いた。

 副官はまなじり鋭くファルシオン達を睨んだ。

「提督、セルメット殿の言うとおりです。我々が求めるのは決して単なる謝罪では無かった。非を認め、亡くなった者達に心から詫びて初めて、癒されるのです。だが、王太子殿下はそれも理解しておられない」

 メネゼスに静かな視線を向けられて副官は黙り込んだが、メネゼスはその視線をそのままファルシオンへ向けた。

 暖かい光は一切無い。

「王太子殿下――ご覧の通り私もそろそろ、部下達を抑えるのは厳しくなって来た。ローデンの使者殿も、私の言葉などでは引き下がるまい」

 室内の意識がメネゼスの言葉とファルシオンに集中している。

「先ほどから殿下が言われているように、我が国の船を沈めていないという証拠を見せて頂こう。それ以外、求めるものは無い」

 兵士達の視線がファルシオンに突き刺さる。

「それができないのなら、今ここで、国として謝罪して頂く」

 怒りの矛先がファルシオンに向いている事に、レオアリスはひやりと腹の底が冷える感覚を覚えた。

 矛先を変えるべきだ。

(スランザール)

 いや、自分が口を開いてでも。

「メネゼス提督」

 先に言葉を挟んだのは、レオアリスではなくスランザールだった。

 だがメネゼスの意識が移る前に、ファルシオンが再び、真っ直ぐ黄金の瞳を持ち上げてメネゼスを見た。

「ゼ・アマーリア号に乗っていた人が、レガージュにいます」

 一瞬、室内はしんと静まり返った。

 セルメットは息を呑み、薄い皮膚に黒く血を昇らせた。

「ザインが助けて、今は法術士がようすを見ています。その人が、レガージュが沈めたのではないと、そう言ったんです。ザインがそう聞いている。私はそれを信じます」

 マリの水兵達はお互いに顔を見交わし、戸惑っている。

 だがメネゼスは一度隻眼を細めただけだった。

「ほう――マリの人間が?」

「そうです」

「それは大きな証拠ですな。あなた方が強気になるのも判る」

 メネゼスはあくまで静かに問いただした。

「しかし何故、その者が今この場にいないのです? そもそも貴国がマリの船員を救った話など、我々はこれまで一言も聞いていない。我が国へ通達しなかった理由は」

 思いも寄らなかった詰問にファルシオンは戸惑い、咄嗟にレオアリスを振り返った。幼い黄金の瞳には困惑がありありと浮かんでいる。

 レオアリスに頼りたいところを、これまで一度もそうしなかったのは、自分が何とかしなければと、そう思って堪えていたからだ。

 レオアリスはファルシオンの瞳を受け止めつつ、歯痒さを覚えて拳を握り込んだ。

(殿下は誠意を以って対応されている――ただ)

 それだけでは通じない。

「すぐにお知らせしなかったのは、彼の回復を待ち、良く話を聞いてからと、そう思っていた為でしょう」

 スランザールが口を挟んだが、メネゼスはその点を気にはしなかった。

 ただ、突き詰める。

「では何故、今のままでもこの場に連れて来られなかったのか」

「残念ながらまだ、動かせる状態ではありません。意識が戻ってからと、そう考えておりました」

「会談の出方を見て、場合によっては交渉手段にと? つまりは人質として取るおつもりだったかな」

「そんなことはしない!」

「そう取れる」

 ファルシオンは叫ぶように口にしたが、メネゼスはあっさり切り返した。

「我々の疑問は多い。幾ら投げ掛けても尽きない程だ。例えば、何故ザインがここにいないのか」

「それは――」

「レガージュの守護者は何をしているのです」

「――」

「唯一、その船員の言葉を聞いたのでしょう。その当人がこの場にいなければ、ただの見え透いた言い訳と取られても仕方がありませんな」



 ヴェパールは膨れ上がった哄笑の衝動を抑えた。

 平べったい銀色の瞳の底に光を滲ませる。

 口籠もったファルシオンや、スランザール達の様子からも判る。

(何と)

 彼等は、気付いているのだ。

 恐らく――いや、漠然としながらも、この件に対する、ヴェパールの、西海の関わりを。

 ザインが助けた船員とは、メネゼスの甥の事だろう。ザインが気付き、そしてそれをザインの口からか聞いたに違いない。

 だがその事をマリに知らせ、交渉手段として使うつもりは無いのだろう。

 西海の関わりを認めたくないのだ。

 だから王太子をこの場に出していながら、笑えるほど陳腐な回答しか示せていない。

(はは――なるほど、なるほど)

 ヴェパールはそっとファルシオン達を見回した。

(三百年――波の立たぬ暮らしに慣れたか)

 弱腰だ。

 その通り、波風を立てるのを避ける事を選んだ。

(――愚かしい)

 苛立ちすら覚えたのは、三百年前のあの戦乱を、ヴェパールが忘れていないからか。

 経験した者だけが持つ感覚ならば――

(残念だな、ザイン)

 三百年を経て再び、会う事もあろうかと、そう思ったが。

 ヴェパールは心の内で笑った。

(私がレガージュを陥としても、そうやって見ない振りをしていれば良い)

 最大の懸念だったメネゼスの甥は、まだ完全に意識を戻していないらしい。

 ファルシオンの言葉にはひやりとしたが、どうやら問題も無いようだ。恐らく名前すら聞いていまい。

 それでもここに無理にでも連れてくれば、それだけでヴェパールの仕掛けは覆ったかもしれないが、今ここにいなければ、何の脅威にもなり得ない。

(一歩でも踏み込めば――、全て結末は変わっていたものを)

 メネゼスは、レガージュが救った船員の話を、証拠として重視してはいない。

 その間にホースエントがメネゼスの甥を殺せば、彼等の貴重な証人は永遠に失われる。



「――残念だがファルシオン殿下、貴方の言葉は我々を説得しなかった」

 メネゼスはそう言い、会談が始まってから初めて、立ち上がった。

 室内にいた十名のマリ水兵達が纏う空気を変えた。

「会談は、これで終わりだ」

 十名の兵士が一斉に剣の柄に手を掛ける。

「――」

 レオアリスはファルシオンの横へ、一歩踏み出した。

 スランザールは口元をきつく引き結び、グランスレイとロットバルトも剣にこそ手は掛けないものの、意識を周囲の兵士へ向けている。

 ヴェパールは満足げにそれを眺めていた。

 メネゼスはレガージュの主張を退け、マリ海軍はレガージュの街を火球砲で焼くだろう。

 それで全て終わる。

(甲斐無き終焉――いや、始まりか――新たな)

 戦乱の。

 今や一触即発のように見える室内を見回し、ヴェパールはそっと笑った。




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