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第4章「剣士ザイン」(2)

 急遽召集された軍議は日頃使われる議場ではなく、王城の五階にある謁見の間を指定されていた。

 それは王自身がこの軍議に臨席する事を意味している。

 普段の朝議とは違い、玉座が置かれた高座の(きざはし)の下に、高座と扉を繋ぐ深緑の絨毯を挟むようにして、椅子が並べられていた。

 正規軍将軍と近衛師団大将級が一列目に座り、副将以下の席はその後ろに設けられている。

 レオアリス達が入室した時には正規軍将軍の数名と、法術院の副院長が既に席についていた。

 驚いたのは、軍議の席に内政官房、地政院、財務院の席が用意されている事だ。既に事務官が数名、それぞれの席にいて小声で遣り取りをしていた。

「アルジマール院長だけじゃないのか――これは、思ってる以上だな」

「確かに。通常の軍議の枠を超えた対応案件だと捉えていいのかもしれませんね。そこまでの事態がレガージュであったのか……」

 ふ、とまた、レオアリスが瞳に翳りを落としたのに気付き、ロットバルトはその原因を見極めようとするように微かに眼を細めた。

 レガージュは剣士ザインのいる土地だ。

 そこで持ち上がった「問題」――彼自身の過去を連想せずにはいられないのかもしれない。

(――あれほどの問題はそうそう起こらない。そう思いたいが……)

 長い深緑の絨毯を自席まで歩く間、レオアリスに向けられる視線が少なくないのは、レガージュの剣士、ザインの存在を考えたからだろう。

(それは当然か)

 第二大隊のトゥレスは既に席にいて、副将や一等参謀官と小声で話をしていたが、レオアリスが来たのに気付いて顔を向けた。

 片手を上げて挨拶を寄越し、同意を求めるように周囲を見回す。

「来たか。急な召集なのにずいぶんと大掛りだよな。アルジマール院長が伝令使を出すのも例が無い。レガージュで何があったか、知ってるか?」

「いや。俺も初耳だ」

「そうか――でもお前は特に驚いただろう。何せレガージュには剣士がいる。最近はレガージュとのやり取りがあったみたいだしな」

「ああ――」

 二人の会話を耳にしながら、ロットバルトは微かに眉を潜めた。

 レガージュとの関わりができたのはつい最近の事だ。ザインからの手紙が届いたのが十日ほど前。

 ホースエントとの面会があり、そしてブレンダンが再び訪れたのが、一昨日。

 立て続けとは言え、それそのものはさほど人の口に上がる話題では無い。

 同じ近衛師団ではあるものの、それをトゥレスが知っているのは少し意外に思えた。

(――)

 関わりがある事自体は問題は無い。

 ザインから手紙を受け取ったとその程度で、それも実際はザインその人ではなく、彼の子供からだ。

 ブレンダンについてはアルジマールを紹介したが、それ以上の事はない。

(強いて問題があるとするなら、ホースエント子爵か)

 ともかくどうやらこの場では、アルジマールの手紙にあったように注意が必要のようだった。

 トゥレスがちょうどやって来た第三大隊のセルファンと話を始めたのを見て、ロットバルトはレオアリスの椅子の背に手を置いて身を屈めた。

「上将、先ほども申しましたが、ブレンダン氏については、質問が飛んだらなるべく簡潔に」

 周囲には聞こえない程度の声で、見た目だけは差し障りの無い話をしているように、口元に軽く笑みを浮かべる。

「アルジマール院長に紹介した後は、我々の関与するところではないと、それを明確にした方が無難です。ホースエント子爵は今回どう関わってくるかまだ判りませんが」

「判った。しかしその話題が出るか?」

「半々ですね――。ただトゥレス大将が、貴方とレガージュの……ザインとの話を知っているというのは意外でした。ブレンダンというあの商人の動向が余程目立ったのか――そうなると他にも知っている者はいると考えられます」

「トゥレスは同じ師団だ、隊士達を介したりして何となく伝わるんだろう。俺はウィンスター大将には手紙をもらった事は言ったし」

 ロットバルトはすぐそこにあるレオアリスの顔を見つめた。

 何もかも疑えという訳ではないが、レオアリスは自分を取り巻く政治的な状況についての警戒が少し甘い。

 トゥレスはさりげなくではあるが、これからレガージュに関する軍議が始まろうとする中で、レオアリスとザインの関係を口にした。

 そこにはある種の、疑念が存在するからこそだとも考えられる。

「伝聞はとかく独り歩きするものです。むしろこの場で話題に出た方が有難い。状況が把握できますし、もし正確さを欠いているようであれば、陛下の御前で訂正ができますからね。自ら俎上(そじょう)に載せてもいいくらいです。逆にここで放っておくと後の制御は利かなくなります」

「判った、そうしよう」

 レオアリスはロットバルトの言葉を斟酌(しんしゃく)し、頷いた。

 並べられた席はほぼ埋まり、広い謁見の間の中には密やかな騒めきが満ちている。

 まだこの場に来ていないのは内政官房長官を初めとした四大公、アルジマール、そして正規軍副将軍タウゼンと、西方軍将軍ヴァン・グレッグだ。

 他の将軍達は既に顔を揃えているところを見ると、ヴァン・グレッグはただ遅れている訳ではなさそうだった。事前に関係者のみで、話し合いが持たれているのかもしれない。

「西方軍がこの件に関わるのか」

 レガージュは西方軍の管轄だ。レガージュで今起きている事は、やはりそれほどに大きいのだろう。

 そう考えながら空席を目で追っていて、レオアリスはふと気付いた。

 内政官房長官の席の右側、玉座に近い方にもう一つ席がある。

(大公の席より上位? 誰の席なんだ?)

 内政官房の長官よりも高位の存在がいただろうか。

 空気が騒めく中、後方の扉が開いた。

 内政官房長官のベールと副長官ヴェルナー侯爵、地政院長官のそれぞれが深緑の絨毯を歩き、席に着いた。

 アスタロトもルシファーと並んで現れ、緊張した面持ちで座る。

 アスタロトはその時だけ視線を上げ、レオアリスを見た。

 微かに口元に笑みを浮かべたが、疲れているのかすぐに俯いた。

(相変わらず、何か悩んでるのか)

 そう考えてから、アスタロトに対して相変わらずという言葉は、もっと別の事を差して使っていたはずなのにと改めて思った。

 ただ、明日の昼にようやく、アスタロトと会う時間が取れている。

 何を悩んでいるのかくらいは聞けるだろう。

 ふいに周囲が驚いた空気を滲ませ、レオアリスは辺りを見た。

 最後に王の相談役でもあるスランザールが現れ、深緑の絨毯の上を歩くと、一つ残った空席に座った。

 内政官房長官の右隣――例の席だ。

 周囲の騒めきが続いている。レオアリスも彼等と同じように、驚きを覚えていた。

(あれはスランザールの席だったのか――でも)

 常ならば、スランザールは王の相談役として、玉座の傍らに座るはずだ。

 では玉座の隣に今置かれている椅子には誰が座るのかと、そんな疑問が参列者達の中に浮かびかけた時――、カァンと高く鐘が鳴らされた。

 参列者達が椅子から立ち上がり、一斉に頭を下げる。

 謁見の間は打って変わって水を打ったように静まり返えり、王の到着を待った。

 ほどなくして玉座の後ろの扉が開き、王が入室する。

 衣擦れの音が聞こえ、玉座に腰かける気配がした。

 空間に満ちた静謐が心地よく、レオアリスは面を伏せたまま瞳を閉じた。

 再び高く鐘が鳴る。

 列席者達が顔を上げ、玉座を見上げて――誰もが驚きに眼を見開いた。

 声にこそ出さないが、空気がうねるようにその驚きが広がった。

 レオアリスも驚いて息を呑む。

(殿下――?)

 王の玉座の隣の席には、ファルシオンが腰かけている。

 緊急の召集に、内政部までが参加する軍議。全てが異例尽くしの中で、王太子の臨席は異例中の異例だ。

 ファルシオンは先日の祝賀式典とは違う、もっと張り詰めた空気を感じ取り、幼い頬に緊張を広げている。

「揃っているようだな」

 王は広間を見渡しそう言うと、ファルシオンが同席している事には触れず、内政官房長官ベールへ視線を向けた。

 ベールが立ちあがり、王に一礼すると参列者達を見渡した。

「これより、軍議を開催する」

 通常の軍議では場を取り仕切るのはアヴァロンか正規軍副将のタウゼンだ。これもまた違う。

「貴侯方もお気付きの事と思うが、今回は通常の軍議とは異なる。前置きはせず、本題に入ろう」

 ベールの声は抑えられていながら、静まり返っている広間に良く通った。参列者達が僅かも聞き漏らすまいと構えているせいもあるだろう。

「南西の交易都市フィオリ・アル・レガージュは方々ご存知であろう」

「レガージュ……」

 ファルシオンはそっと呟いて、レオアリスを見た。レオアリスがレガージュに行きたいのだと言ったのは、つい昨日の事だ。

 レオアリスはファルシオンの視線を感じ取ったのか、ベールに向けていた瞳を上げ、ファルシオンに向けた。

 レオアリスと目が合った事で、先ほどから激しく打っていた鼓動が、少し落ち着いた。

「――」

 ファルシオンは傍らの父を見上げた。父王は金色の瞳を静かに壇下に向けている。

 冷静で、荘厳な眼差し。国を治める者が備えるべきものだ。

 その眼差しを、ファルシオンも持たなくてはいけない。

 ベールが淡々と続ける。

「現在、マリ王国海軍の軍船十一隻がレガージュの港に寄せている」

 前置きなど一切無く放たれた言葉に、一瞬謁見の間は全くの無音になった後、波が打ち寄せるように騒めいた。

「軍船? マリ王国海軍とおっしゃいましたか」

「――大公、それは一体」

「ヴァン・グレッグ将軍、どういう事です」

 正規軍や近衛師団、地政院などの文官達からも、ベールや西方軍将軍ヴァン・グレッグに問いかける視線が向けられる。

「経緯は僕が説明しよう。この中で僕が一番、足を突っ込んでいるからね」

 アルジマールは普段と変わらない口調でそう言うと、一度レオアリスに目を向け、そして王を振り仰いだ。

「陛下、よろしいですか」

「現時点では、そなたが最も適任であろうな」

 王の声には微かに、苦笑に近い響きがあった。

 ただ事態を軽んじている訳ではなく、レガージュの治領とは全く異なる分野にいるアルジマールが一番の適任にならざるを得ない処に、その原因がある。

 アルジマールは恭しく一礼し、顔を戻した。

「今朝早く、僕は法術士を一人、レガージュに送った。この軍議はその法術士が現地から寄越した報告に基づいて召集されている。報告が届いたのはつい三刻前」

 独特の、教鞭を取るような口調だ。

「法術士を送ったのはレガージュに重篤人がいて、治癒を必要としたからだが――、その経緯は後でまとめてお知らせする」

 一旦言葉を区切り、首を傾げた。

「結論から言うと、レガージュにマリ王国海軍の軍船が寄せた理由は、レガージュ船団がマリ王国の交易船と軍船を沈めたからだ」

「――ア、アルジマール院長、そんなまさか」

 文官達の一人が唸る。アルジマールの表情は深く目元まで被った(かず)きの下で、普段と大差は無い。

「まあそれはマリの言い分だよ。一方でレガージュは、一切その事実は無いと言っているからね」

「では、マリ王国の言いがかりだと」

「いいや。事実マリ王国の交易船、ゼ・アマーリア号はレガージュ近海で沈んでいる。それが七日前の夕方の事のようだ」

 アルジマールは口にはしなかったが、ちょうどファルシオンの為の祝賀式典が開かれた日の事だと、誰もがすぐ思い浮かべた。

「レガージュはマリの船が沈んだ報せを受けて船を出し、船員二人を救助している。僕はレガージュに依頼され、彼等の為に治癒師を送ったんだ。残念ながら一人は既に亡くなったそうだが、もう一人は現在施術中だ。彼は早ければ明日にも回復すると思う」

「それならば、マリの思い違いなのだろう。自分で沈めた船の船員を救助するはずがない」

 北方軍将軍ランドリーが苦々しい声で言った。「レガージュがマリ海軍と膝詰めで話し合えば誤解が解ける。何故そうしない」

「事はそう簡単じゃないようだ。マリ王国海軍は、彼等自身が救出したゼ・アマーリア号の船員から、レガージュ船団の船がゼ・アマーリアを沈めたという証言を得ている」

 ざわりと謁見の間の空気が揺れる。

「そして、彼等の目の前で、海軍の軍船一隻を沈めるところを見ていると」

「何だと。ではやはり、レガージュが?」

 けしからんと言わんばかりに、今度は南方軍将軍ケストナーが口元を歪める。

 アルジマールは少しばかり単純なこの男をちらりと眺め、言葉を続けた。

「マリ王国海軍はその証言をもとに、昨日の午後二刻、レガージュへ到着した」

「待ってください」

 レオアリスはふと気が付いて口を挟んだ。

「昨日、マリ王国の軍船が? 交易船が沈んだのは七日前の話でしょう」

「剣士殿の言う通りです――」

 同じように疑問を口にしたのは、東方軍将軍ミラーだ。

「レガージュからマリ王国は、船で二十日はかかるはず。無理でしょう、それは」

「そう――ところがマリの海軍は実際にレガージュに着いている。偶然近海に居たんだろう」

「――」

 アルジマールの言葉は、ここにいる者達に疑問を投げかけるように響いた。

(偶然? そんな事がこの状況であったって?)

 レオアリスは周囲を見た。偶然という言葉を、アルジマールが投げかけた通り、誰も鵜呑みにしてはいない。

「そこの議論は後にしよう――」

 アルジマールは王を見上げ、またレオアリス達を見回した。

 この時ばかりはアルジマールにも、もろい硝子細工に触れるような慎重さがあった。

「昨日、マリ王国はレガージュ交易組合に対し、国使を送って来た。国使である以上、それはレガージュだけではなく、この国に――そして陛下に対して向けられたものと言える」

 視線がアルジマールに集中し、謁見の間の空気は更にぴんと張り詰めた。アルジマールがゆっくり口にする。

「――マリ王国は我が国に、国としての謝罪と、賠償金五十万の支払いを求めている」

 あちこちで息を呑む音が上がった。

「期限は明日の昼二刻。謝罪がなされない場合はレガージュを攻撃すると、そう通告してきた」

 謁見の間は物音一つ無く静まり返った。

 互いの出方を見るように周囲を見回し、または隣や後ろに控えている部下達と素早くやり取りする。

 レオアリスも後ろのグランスレイとロットバルトに目をやった。ロットバルトが首を振り、「状況を」と小さく告げる。

 自分と同じ判断であるのを確認し、レオアリスはまたアルジマールへ視線を戻した。

 騒めきと困惑の中で、最初に苛立ちをあらわにしたのはケストナーだ。

「国として謝罪をしろと? 馬鹿げた言い草だ」

「陛下、事実関係も疑わしいそのような条件を、我が国が呑む必要はありません」

「マリは我々を風下に立たせようというのか」

 セルファンが珍しく、アルジマールを睨むように口を開いた。

「レガージュの領事や交易組合は今まで何をやっていたのです。マリ海軍が寄せた昨日の段階で報告せず、今になって報告を上げた理由は。そもそもマリの交易船が沈んだ段階で一報を入れるべきではありませんか」

「僕を睨まれても困るが――レガージュ交易組合は、状況を調査している最中だったと言っている。情報がある程度まとまってから報告しようと考えていたんだろう。それから領事ホースエント子爵は、昨日マリ王国海軍の提督と話し合いを持とうとして失敗しているようだ。かなりマリを怒らせてね」

 グランスレイはちらりとロットバルトを見た。何も言わなかったが、グランスレイの考えは汲み取れる。

 代弁したのは地政院の事務官だ。

「あの男は能がないのですよ。先代ならば少しましな応対ができたのでしょうが――そもそも我々に一報も上げず、勝手な行動を取った挙句、事態を悪化させるとは」

「それに関しては、レガージュの交易組合はいかようにも叱責を受けると言っている」

「叱責を受ける? 国を謝罪という立場に追い込んで、どのような叱責を受けるつもりですか」

「交易組合の廃止か、自らの首で収めるか、いずれかしかない」

「レガージュも良くのうのうと、マリの条件を伝えてこれたものですな。自治権があると図に乗っているのでは」

「――とにかく、状況をもう一度確認すべきではありませんか」

 レオアリスは騒がしくなってきた空気を宥めるようにそう言った。

「今はレガージュの対応を言っても始まりません。それよりも、こうなった原因が何なのか――レガージュとマリ王国との話が食い違っている以上、必ず原因があるはずです」

 何種類かの視線が向けられる。同意や、検討するような眼、否定、それぞれだ。

「まずはそこを明らかにしてからでなくては、決着の仕方を誤る恐れがあります」

 それに対する意識は様々にしろ、レオアリスの声は散らばりかけていた視点を在るべきところに戻した。

 また静かになった参列者達の中で、口を開いたのはずっと黙っていたベールだった。慎重な口調ではあるが、否定の色は無い。

「しかし、原因を明らかにしてと言っても期限は明日だ。ほぼ一日――何ができる」

「一日しかないからこそ、その間に両者の話を少しでも聞くべきだと考えます。そうは言ってもマリとの話は難しいのかもしれませんが――話の掛け違いがあったまま、国としての対応を決めるのは危険だと思います」

「経験談ですか。貴方の過去からすると、他人事ではないのかもしれないですな。心情を良くお分かりのようですから」

 揶揄するような口調で、先ほどの地政院の事務次官がレオアリスに鋭い視線を向けた。

「レガージュには貴方の同族である剣士がいる。レガージュを庇う気持ちもあるでしょう」

「今そういう話題は相応しくないだろう」

 トゥレスが咎める。

「レオアリスの過去はもう決着のついた事で、王も承知しておられる。この件でレガージュとの関わりを取り沙汰すのは、悪意が感じられるが」

「何を……」

「構わない、トゥレス」

「何を甘い事を言ってるんだ。こういう場で黙っていたら、認めるのと同じ事だぞ」

 トゥレスは呆れたようにレオアリスを見た。地政院の事務次官が口元を歪める。

「トゥレス大将は全く危惧を感じていないと、そう仰る訳ですな。ではレガージュで何かがあったら、近衛師団が責任を」

「いい加減にしてよ――」

 アスタロトが尖った声を出し、事務次官を睨み付けた。

「いつまでその話をするつもりなんだ」

 深紅の瞳には事務次官を焼き尽くしそうな熱がある。事務次官は真っ青になって身を縮めた。

「いえ、アスタロト公爵、私はただ」

「同じ剣士がいたら、気持ちが動くのは当たり前だろ。庇うとかそんな話じゃない」

「ア――炎帝公」

 レオアリスはアスタロトを呼ぼうとして、口調を改めた。

「この件については、私個人の責任ですので」

 アスタロトは少し感情的になっている。こうした場でそれは、アスタロトの立場にもあまりいい事ではないだろう。

 そう思ったからだが、アスタロトはレオアリスを見つめて何か言おうとして――、俯きがちに口を閉ざした。

 だが事務次官は二人の親交を思い出したのか、恐縮しきって身を縮めている。

「アスタロト公爵、申し訳ございません、これは」

「失礼――」

 涼やかな声が割って入り、漂いかけていた空気が変わった。発言はレオアリスの後ろの席に座っていたロットバルトだ。視線は滅多に公で発言する事のない青年に集まった。

 グランスレイはロットバルトが何を言うのか、微かに緊張した面持ちを向けた。ロットバルトがグランスレイに答えるように、慣れた人間以外には判らないほどの笑みを浮かべる。

「僭越ながら……アルジマール院長、一つ確認をさせてください」

「何だろう」

「今回、そのザインについては何か情報は。今地政院からもご指摘がありましたが、我々としてもレガージュの剣士については当然、意識せざるを得ません。ザインとは全く無縁という訳でもありませんので」

 ロットバルトはそこで一度、言葉を区切った。

 諸侯達が今の言葉を検討するような様子を見て、再び口を開く。

「我々も先刻、召集状を受けた時から、ザインの動向は気にかかっていたところです。――レガージュの守護者として、これまでに何らかの動きがありそうな気もしますが、そうした情報はありませんか」

 グランスレイは心の中で息を吐いた。さすがにこの場で辛辣な言葉を口にする訳がない――それはレオアリスの立場を悪くするだけだと当然、ロットバルトも判っている。

 ザインとの関連を積極的に持ち出す事で逆に、レオアリス個人への批判からこの件全体の問題へ話の趣旨をすり替え、議論を本筋に戻しただけだ。

 気まずい空気もいつの間にか拭い去られている。

 アルジマールは(かず)きに包まれた頭を上げた。隠れていた瞳が片方、光を受けて煌めく。

「ザインか。そう言えば動いてないな――何故だろう」

「表立って動くには、繊細な事案だとは思います。しかしマリ王国海軍との交渉の場に出るのに十分な立場でしょう」

「ふぅん、そうだね――ザインについては、レガージュに動向を確認しよう。――では」

「ああ、議論を収束させるのは少し待ってもらおう、アルジマール」

 そう言ったのはルシファーだ。ルシファーは紫の瞳をレオアリスに向けた。

「師団第一大隊大将に聞きたい。レガージュの商人ブレンダンをアルジマールに紹介したのは貴侯だそうだな。先ほどヴェルナー中将が全くの無縁ではないと言っていたが、どの程度の関わりなのか」

 先日の宴の華やかさとは違う、西方公としての厳しさがある。

 レオアリスは改めて居住まいを正した。

「確かに、剣士ザインとは縁があります。十日ほど前――ブレンダン氏がザインからの手紙を持って尋ねてきて、それからですが。それまでは残念ながら、親交はありません」

「ザインからの手紙? ザインは何を」

「ザインからと言うより、実際は彼の子供が書いて送ってくれたもので……ザインが父の古い友人だという事と、いつか会いたいと」

 子供からと聞いて、何人かは拍子抜けしたように口元を緩めた。

 ただ、ルシファーはそこで質問を止めなかった。

「古い友人? 面白い事を言う。それでいて、関わりは今まで無かったと?」

「ファー」

 何故ルシファーがそんな事を言い出したのかと、隣にいたアスタロトが彼女の横顔を見た。

 これでは尋問だ。

「やめてよファー、どうしたの?」

 ルシファーはアスタロトに視線を向け、薄く笑った。

「お嬢さん、この場でその名を呼ぶのはやめなさい。貴方は今正規軍将軍としてここにいるのよ」

 いつになく、厳しく――嘲るような口調で言い、再びレオアリスを見据える。

「ザインとの関係は、本当にないのか。最近まで知らなかったというのは、額面通りには受け取りがたいな」

 アスタロトはルシファーの態度に戸惑い、息を止めたまま彼女と、レオアリスを見た。

 謁見の間の空気は先ほど地政院の事務官が発言した時とは全く違って張り詰め、ぴりぴりと肌を撫ぜるようだ。

 レオアリスが口を開こうとした時、空気が動いた。

「――ザインは確かに、かつての大戦の折、レガージュ戦線に参加した」

 王だ。

 静かだが力に満ち――、そして懐かしむような響きでもある。

 視線は一斉に王へと集中し、室内の空気は再び張り詰めた。

「戦線があの地に踏み止まったのは、ザインやその一族の功績が大きい。剣士達の参戦がなければ、レガージュは破られ内陸部まで戦火が広がっていただろう」

 謁見の間は静まり返り、王の言葉を聞いている。

 王はその金色(こんじき)の瞳を壇下のレオアリスへ向けた。

「ジンの親しい友人と知っていれば、私がもっと早い時期にそなたに教えてやれたのだがな」

「――そのような、事など」

 王の追憶に似た言葉がふいに喉の奥に熱を競り上げ、レオアリスは奥歯を噛みしめた。

 王の語る言葉が、過去の情景を呼び起こすように感じられる。

 ルシファーは王を見上げて、再び視線を戻した。謁見の間の空気からは、もう暗い陰が払拭されている。

「――」

 アスタロトははっとしてルシファーの横顔を眺めた。何か、――笑ったようにも見えたからだ。

 しかし見つめた先で、ルシファーは普段と変わらない表情を浮かべ、王に一礼してからアルジマールを見た。

「質問を続けてもかまわないだろう? 少しまだ疑問がある」

「僕は本来、進行役ではないんだが」

「構わない。続けられよ、西方公」

 ベールが引き取って促し、ルシファーは改めてレオアリスに顔を向けた。

「悪いがもう少し付き合ってもらおう。今回の一件を把握する上で必要な事だ」

「承知しています」

「――レガージュの商人が法術士を紹介して欲しいと言ってきた時、その理由は聞いたのか」

「レガージュの近海で他国の船が沈み、救助した船員の治癒が必要だと、そう聞きました」

「それ以外に何か言っていなかったのか――例えばマリ海軍が関わる事などを」

「その時点では――確かに急いで治癒の術者を探していましたが、そうした状況だったとは思えません」

 続けて答えたのはアルジマールだった。

「それに関しては、僕の依頼人自身――レガージュの商人だが、彼がマリの軍船の事実を把握していなかったと理解している。僕もブレンダンとは話したけれど、彼が隠している素振りは無かった。現地の術士も、ブレンダンはマリの軍船を見てかなり驚いた様子だったと言っていたし――今朝の時点ではそういう状況だよ」

「なるほど――」

 そう言って唇に笑みを浮かべ、レオアリスとアルジマール、そして諸侯達を見渡した。

「状況は判った。私の質問は以上だ。アルジマールに続きがあるなら、続きを」

「僕も以上だ」

 広い謁見の間を覆っていた緊張がすうっと退いたように思えた。

 ロットバルトは微かに息を吐き、素早く周囲の反応とルシファーの様子とを見比べた。

 この場でレオアリスとザインとの関わりを明確にしておく事は必要だ。質問が飛ぶのは想定の範囲――だがルシファーからその質問が出るとは思っていなかった。

 先ほどの地政院事務次官の反応のように、表面的に食い付き易い話題だからだ。

(いや、確かにレガージュは西方公の管轄だ。詳細を確認するのは当然だろう。しかし……)

 何故だろう、ルシファーの意図はどこか別のところにあるように思えた。

(あの夜会でのやり方と、似ている)

 わざわざアスタロトとエアリディアルを同席させたあの夜会と。

 何故敢えて波風を立てるやり方をするのかと、そう思わせるところが、似ているのだ。

 夜会でのルシファーは、ロットバルトに対して踏み込むなとそう告げた。

 好意的な忠告とは違う。

 そして今の詰問。

 同じところに根差しているのではないかと、そう思わせる。

 先ほど、王の言葉が諸侯の意識を変えなければ、場はレオアリスに批判的なものになっていただろう。

 そう考えてふと思い至った。

(――王は意識を変える為に、意図してそうされたのか)

「さて――幾つかの懸案を出したが、根本に立ち帰らなくてはならない。我々にもレガージュの住民達にも、もはや猶予は無い」

 ベールは改めてそう言った。

「マリ王国の要望にどう対応するか、考えがあったら発言願おう」

 ヴェルナー侯爵が蒼い瞳を向けた。

「大公。この場でする議論には限界がありましょう。近衛師団第一大隊大将の言うとおり、現地で状況を子細に確認した上で判断するのが良いかと」

 ヴェルナー侯爵の言葉に、随所で同意の表情を浮かべる。次に発言したのは、ベールの右隣に座っていたスランザールだった。

「それが最善じゃろう。ただ状況を確認するとなると、期限が切られている中、いつの段階で判断するか、そこが重要じゃ。調停と対話を同時に行える権限がその者に必要になる。マリ王国を議論の場に着かせ、我々の主張を納得させるだけの権威――」

「であれば適任は、ヴァン・グレッグ将軍か、アスタロト公爵では」

 そう言ったのは先ほどの地政院事務次官だが、スランザールは首を振った。

「軍が全面に出るべきではないな。それではマリは対話を受け入れまい」

「では、西方公に出ていただいては」

「西方公――」

 スランザールはゆっくりとそう言い、ルシファーを見た。

 ルシファーは口元にうっすらと笑みを浮かべ、スランザールに眼差しを返す。

 スランザールは黙ってルシファーを見つめている。

「スランザール殿?」

 地政院事務次官は戸惑って二人の様子を見比べた。

 どことなく身を縛るような空気を破ったのは、やはり深く静謐な声だった。

「議論はほぼ決した――」

 一連のやり取りを眺めていた王が、玉座から僅かに身を起こす。謁見の間の空気が揺らいだ。

「マリ王国海軍へは、国使を送るものとする」

 そう明言し、王は玉座の傍らに黄金の瞳を向けた。

「ファルシオン」

 ファルシオンが緊張が弾けたように顔を上げた。

 この席に座ってからずっと、繰り広げられる議論を見ながら、ファルシオンは自分がここにいる理由を考え続けていた。

「そなたは明朝レガージュに赴き、マリ王国海軍の提督と面会せよ。王太子として国を担って対話をするのだ」

 謁見の間全体が驚愕にうねるようだ。

 これほど幼いファルシオンを――、という思いと、僅か五歳とはいえ王太子たるファルシオンを国使とするほど、王がこの件を重く捉えているのか、と、その二点においての驚きだ。

 王太子は王の名代そのものを意味する。

 スランザールはほんの一呼吸の間、憂いを帯びた瞳を伏せた。

 ファルシオンは椅子を立つと、高座の(きざはし)を数段降りて王の前に膝をつく。

「――近衛師団」

 王は視線を巡らせた。

「第一大隊大将、レオアリス。そなたは小隊一隊を率いファルシオンを守護せよ」

 レオアリスが膝をつき、面を伏せる。

「身命に代えても、王太子殿下の御身をお守り致します」

 諸侯はやはり騒めいたが、王がファルシオンの名を呼んだ時よりは驚いた様子は無かった。先日のファルシオンの祝賀式典でレオアリスは十分に役割を果たしている。

 漂ったのは当然だろうと、そういう空気だ。

 第三大隊のセルファンは苦々しい表情を浮かべたが、すぐにそれを押さえた。

「正規軍将軍、アスタロト」

 続いて王がアスタロトを呼ぶ。アスタロトは王の声にはっとして顔を上げた。

「危急の事態に備え、西方軍第七大隊のうち、中隊をボードヴィルで待機させよ。ただしファルシオンより指示があるまで、兵を動かしてはならん」

 ボードヴィルは西方軍第七大隊が駐屯する軍都だ。

「――承知致しました」

 次々と矢継ぎ早に王の下命が言い渡される。黄金の瞳はアルジマールに向けられた。

「アルジマール。かつての道は使えるか」

「いつなりとお命じください。昨夜、ちょうど復活させたところです。大隊一つでも送り届けましょう」

「――良かろう」

 最後に王はスランザールを見た。

「老公。そなたにはファルシオンの補佐を頼みたい」

 スランザールは既に先ほどの憂いを消して、恭しく頭を下げた。

「仰せのままに――」

 王は謁見の間を睥睨した。緊張が否応無しに高まる。

「レガージュの一件は全て、王太子ファルシオンに一任する。ファルシオンの判断を我が意と考えよ」

 列席者達が一斉に膝をつき、頭を下げる。

 その衣擦れの音が波のように流れた。

「明朝七刻、フィオリ・アル・レガージュへ発つ。万事滞りなく整えよ」




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