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第3章「潮流」(19)

 マリ王国の使者は悠然と、交易組合の応接間に集まった者達の顔を見据え、またカリカオテに視線を戻した。

 海軍の士官服の肩から流した鮮やかな黄色の帯はマリ王家の色――正式な国使を表している。

 手にしていた書状を恭しい仕草で開く。

「マリ王国国王陛下の命を受け、マリ王国海軍提督メネゼスより、アレウス王国フィオリ・アル・レガージュ交易組合長へ王の国書をお持ちした」

 国書、とはっきり使者は発音した。

 唾を飲み込むのさえ憚るような沈黙を、再び使者の声が破る。

「ゼ・アマーリア号と、マリ王国海軍船。二度に渡り我が国の船を沈めた事は、許しがたい愚劣な行為である」

「――軍船? 何の話を」

 使者はファルカンをじろりと睨み牽制した。

「これから読み上げる事項は、マリ王国国王陛下より、アレウス国王に対し、正式に要求するものである」

 ファルカンが口を開こうとするのをエルンストが止める。

 使者は彼等の反応を尻目に淡々と、そして朗々と告げた。

「アレウス王国は国としての謝罪を示し――、その上で賠償金五十万をマリ王国通貨で支払う事。それを以ってマリ王国は貴国の誠意を判断する」

「謝罪――」

「二日以内に要求に答えなければ、本船団が攻撃を開始する。以上である」

 使者は高らかに言い切り、押し黙ったカリカオテ達を見回した。

 火球砲の威力は僅か半刻前に、十二分に見せ付けられている。

「必ず、国王陛下にお伝え願いたい。要求を入れる場合はレガージュの旗を降ろした交易船一船に正式な国使を乗せ、本船団へ遣わせていただく。レガージュ船団の護衛は一切認められない」

「――ま、待ってくれ! 我々はマリの船を沈めてはいない」

「証拠を見せるなら、それも二日の内にしていただこう。それとも今ここで示されるか」

 ゼ・アマーリアの船員がいる、とそう言おうとしてファルカンは口籠もった。

 一人はつい先ほど息を引き取り、一人は未だ目を覚まさない重体だ。彼を使者に示しても、ただ連れて帰られて、それで終わってしまう。

 目を覚ましていなければ、証人にはなり得ないのだ。

「――我々は」

「レガージュ船団の船がゼ・アマーリアを沈めた事は、救出したアマーリアの船員から聞いている」

 彼等もまた、同じようにゼ・アマーリア号の船員を救出していたと聞き、ファルカン達は衝撃を受けた。

 レガージュの言い分と自国の船員の証言、どちらを信じるかは考えなくても判る。

「それは、思い違いが」

「思い違い? 我々はそう思っていない。お前達はレガージュ船団の船の船首に、アマーリアの船員を括り付けて現われた」

 感情の無かった使者の面に、確かな憤りの色が過った。

「そして、我々の軍船一隻を沈め、去ったのだ。私も提督と共にそれを見た。我等が船団の兵士全てが見た」

「――」

 反論をできなかったのは、使者の語った思いもかけない事に対する驚きの為と、使者の声に含まれた怒りのせいだ。

 国使としての役割とは別に、本来のマリ海軍兵士として、この男は本心からレガージュに対して怒りを覚えている。

 心底、レガージュがマリの船を沈めたと考え、憎んでいる。

「我々が間違っているというのなら――、その証拠を示していただこう」

 そう言い捨て、使者はその場を去った。

 閉ざされた扉を眺めたまま、ファルカンもカリカオテも他の三人も、しばらくじっと黙っていた。

 何から話すべきか判断がつかず、やがてビルゼンが重い口を開いた。

 黙っていても何も進まない。だから現実的なものから話を始める。

「賠償金五十万――、そう高いものじゃない」

 ビルゼンの言葉にカリカオテやファルカンも同意を示す。五十万は安い額でもないが、沈んだゼ・アマーリア号と同等の船を造る事もできないだろう。

「そ、それなら、もっと賠償金を積めば――その倍でも、なんなら十倍でも、我々には支払える」

 ビルゼンはオスロを憂鬱な眼で眺めた。

「安心している場合じゃないんだ、オスロ。意味が違う」

「意味? どういう事だ」

「賠償金なんか、マリにはどうでもいいという事だ」

 ビルゼンの後を、ファルカンが引き取り唸るように低く呟いた。

「一番の目的は、国としての謝罪だろう」

 賠償金はただの交渉上の体裁に過ぎない。

 賠償金で解決する機会は無いに等しく、王名での謝罪が無い限りは、マリ海軍が退く事はないと、そう伝えて来ているのだ。

 カリカオテは力が抜けたように椅子に座り込み、頭を抱えた。

「王に、そんな事をどうお伝えしろと言うんだ」

 完全に、カリカオテ達の不手際だ。身に覚えがないと言ってもその証明はできず、事前に王都への報告すら怠っている。

 王が彼等の情状を酌量する余地など、どこにもないと思えた。

 それよりカリカオテ達の首を差し出し、マリに対する謝罪とする――その可能性の方が高い。

「……まだ、マリの男がいる。目を覚ませば」

「二日の内にか――、無理だ」

「それよりも、本当にその男はレガージュが沈めた訳ではないと証言できるのか。確かなんだな?」

 ビルゼンに問われて、ファルカンは口籠もった。

「それは――」

 うわ言に、そう呟くのを聞いただけだ。

『船じゃない』

 そして、ユージュの夢。

 だからこそ、ザインは西海の関わりを確信した。

 カリカオテやビルゼンは口籠もったファルカンを黙って見つめている。

「――大丈夫だ。きっと証言してくれる。明日にはブレンダンが王都の法術士を連れて戻る。そうすれば」

 何度それを口にしたかとファルカンは思った。その都度、状況は悪くなっている気がする。

 加速度的に――

 それはファルカンだけの感覚ではなく、明日まで保つのか、と誰かが思った。

「とにかく、この後の事を話し合い、方策を考えよう」

 カリカオテがそう言い、エルンストがまずカリカオテの前の席に座った。促されるようにビルゼンとオスロが座り、ファルカンも最後に腰を掛ける。

 六つの席のうち一つは空席のまま、重苦しい会議が始まった。






 カリカオテ達がマリの使者を迎える為に港と会館へ向かった後、ホースエントは街の混乱に身を隠すようにして領事館へ戻った。

 領事館の中を通り抜け、従者を追い払って私邸の自室に入る。一度どさりと椅子に腰を降ろしたと思うと、また立ち上がってぐるぐると室内を歩き回った。

「くそ」

 自分に恥を掻かせたマリの提督を許せないと思い、自分の行為を嘲笑ったカリカオテやファルカン達に胃を引きちぎるような怒りを覚えていた。

 誰もが寄って(たか)ってホースエントを陥れようとしている。

「腹の立つ――」

 うろうろと足を踏み鳴らして歩いても、怒りは晴れるどころか膨れ上がるばかりだ。

「くそ」

 だからそこにいる相手に気付かなかった。

「ずいぶん荒れているな、領事」

 冷たく無機質な声がふいにかけられ、ホースエントはびくりと振り返った。

 いつの間にか部屋の壁に置かれた花台の前に、ヴェパールが立っていた。瞼の無い魚の目が、深海の底から厚い水の層を隔てたような光を帯びて、ホースエントに向けられている。

「――ヴェパール、い、いつ」

 花台の上にある水を張った浅い水盆は、ヴェパールに言われて用意していたものだ。その水をどう伝ってか、ヴェパールはホースエントを尋ねて来ていた。

 この男と会うといつも背中が冷える。今まで感じていた怒りも急速に冷めて行くようだ。

「どうした? ホースエント子爵。浮かない顔だ」

 だがヴェパールが口元を笑みの形に歪めたのを見て、ホースエントはかっとして詰め寄った。

「どうしたじゃない! マリの提督は何も知らなかったぞ! どうなっているんだ!」

「おやおや、おかしいな――そうだったか?」

「私が話をつけに行ってやったのに、訳の分からん事を言って、う、海に放り込んだ」

 自分の言葉で屈辱を思い出したのか、ホースエントの目にはうっすらと涙すら浮かんでいる。

「ああ――、見ていたとも。ひどい話だ」

 同情に満ちた声を出し、ヴェパールはホースエントに近寄って肩に手を置いた。

「助けてやりたかったが、人目があったのでな……」

 ホースエントの後ろに廻り、顔を斜めから覗き込む。

「ひどい目に合ったな。お前に対して不当な非礼を働く(やから)が随分多い事だ」

「どいつもこいつも、何も判っていないんだ!」

「そうだ。お前の深慮は残念ながら伝わっていない。どうしたものかな」

「お前が何とかしろ!」

 ホースエントの喚き声が静かな室内に跳ねる。ヴェパールは頬を動かしたが、のっぺりとした造りの面ゆえに感情は感じられない。

「私が? ――まあいいだろう。少しばかり計画がずれてしまったのは確かだ」

「頼むぞ。これ以上私も失敗はできない」

「しかしホースエント子爵。貴殿にも力を貸してほしい」

「ち、力?」

 途端に腰が引けたホースエントの意識を、ヴェパールは巧みに掴んだ。

「そうだ。この計画の成功には貴殿の力が不可欠だ」

「わ、私の」

「だから私は初めから貴殿に話を持ちかけさせていただいたのだ。貴殿の協力が無くては始まらん」

「私が」

「そうだ。レガージュを治める力を、ホースエント子爵、貴殿はお持ちだ」

 ホースエントはしばらく迷い、意を決して頷いた。

「――何をすればいいんだ」

 ヴェパールは薄く笑った。

「計画が少しずれてきたと言っただろう。――今、交易組合にはゼ・アマーリアの船員が一人いる。先日ザインが海から拾ってきた男だ」

「アマーリア号の船員が? 会館にか?」

「その男がいては、計画は失敗しかねない」

「何だと」

 ホースエントは気色ばんだ。

「そんな男の事は聞いていないぞ。私に一言も無く、勝手な――。その男をマリに突き出せばいいのか? よし、すぐにでも」

 ヴェパールは一瞬だけ、嫌悪に近い侮蔑の色を浮かべた。それもホースエントが気付く前につるりと消える。

「いや、マリへはまだ知らせない方がいい」

「じゃあどうするんだ」

「今すべき事は単純だ」

 ヴェパールはホースエントの耳に顔を近付けた。

「ホースエント子爵、その男を殺せ」

 耳に注ぎ込むように囁く。

 ホースエントは凍り付いた。

「こ――殺す? そんな」

 その言葉を口にしただけで、ホースエントはぶるぶると震えている。

 ヴェパールはより一層、宥めるような口調になった。

「どうせ明日にも死にそうな相手だ、気にする事はない。遅いか早いか、ただそれだけの事だ。それにお前はいい意趣返しになるだろう」

「意趣返し? 何だそれは」

「今いるマリの男は、メネゼス――あのマリの提督の親族だ」

「何だと」

 ホースエントの驚きを視界の片隅に写しながら、ヴェパールは銀の皿のような瞳にちらりと苛立ちを閃かせた。

「そうだ。偶然ゼ・アマーリアに乗っていて、ザインの船に助けられたのだ」

 偶然――さすがにヴェパールも、そこまでは予期し得なかった。船の乗組員など一人一人つぶさに調べる訳もなく、そしてマリ王国海軍をおびき寄せはしても、どの船団が出てくるかは判らない。

 最も都合の悪い偶然。そして明らかな作為だ。

「縁者がレガージュの交易組合で死んだ事を知れば、メネゼスは怒りの矛先を交易組合に向ける」

「組合に」

「子爵、そうすればまた貴殿の出番がやってくる。カリカオテ達に責任を負わせ、マリ海軍の前で奴らの首を刎ねればマリも納得するだろう」

「――そ、それは」

 首を刎ねると聞いて、ホースエントは更に及び腰になった。

 ヴェパールが粘つく、自尊心を掻き立てるような口調でゆっくりと続ける。

「時にそうした果断な処置を選ぶ事こそ、領主たる者の務めだ」

「領主の務め」

「敢然として責務を果たし街を救えば、この街も王都も、貴殿の力を認め、讃えるだろう」

「私の力を……」

 ヴェパールの言葉をおうむ返しのように繰り返しながら、次第にそれはホースエントの考えになっていった。






 ヴェパールはホースエントの館を去り、深い海に沈んで行きながら海面を見上げた。

 意識を向けたのはホースエントにではない。

 交易会館に居るマリの男――状況を引っくり返しかねない、厄介な存在だ。

 自分が行って手を下したいが、ザインがあの場にいては、すぐに気付かれるだろう。

「――何を考えているのだ」

 あの船員を助けたのは、どういうつもりなのか。

 ヴェパールが気付かないところで、あの男をザインの船の近くまで運び、ザインが男を見付けるように仕向けたのだ。それは判っていた。

 男は何かを知っている。それはおそらく、レガージュに有利な話だ。

「邪魔をするおつもりなのか」

 協力すると、ヴェパールに約束したはずだ。

 ヴェパールは苛々と北東の彼方を睨んだ。

 単なる気紛れか、意図があるのか。もともと考えている事を汲み取るのが難しい相手だ。

 心底、信頼するのも。

「――やはり念を入れてもう一手、手を打っておくべきだな」





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