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第3章「潮流」(17)

 かちり、と小さな音がして丸い蓋が開く。

 とても不思議だ。

 二つに合わせた銀細工の円盤の中に、細い針が二本、螺旋(ねじ)の微かな音を立てて動いている。

 小さなファルシオンの両手に納まるほどの小さな時計。小さな、世界。

 そこにある時は、誰のものだろう。

 自分の手の中にあるのに、きっとこれは全部の人達のものなのだ。

 全ての人と繋がって、一つ、一つ、細い針が大事に時を刻んでいる。

 例えば父王や母や姉。

 ハンプトン達や、王宮にいる人々、王都でファルシオンに手を振ってくれる住民達や、まだ見たこともない街の人々。

 この時計の生まれ故郷である、遠く離れたローデンの国。

 それから――秘密だけれども、ファルシオンの兄、イリヤ。

 レオアリスがそう言ったとおり、誰の上にも同じ時間が流れているのだと、この小さな異国の時計が教えてくれる。丸い銀の盤が温もりを持つようだ。

 そして同じ時間が流れているのは、生きているからこそだという事も、ファルシオンは判っていた。

 そうした時には、懐中時計の針は、少し寂しげな音を立てているようにも思えた。針が通り過ぎた後の空間に、もうここにはいない誰かの時を置いて来ている。

 これを贈られて以来、ファルシオンは飽きる事なく懐中時計を眺めていた。

 特に今日は、これが五の文字を差すと、レオアリスが来る事になっているのだ。

 晩餐の席に招待したから。といっても正装するような堅苦しいものではなく、いつもの夕食を一緒に過ごすだけのもので、でもそれがすごく楽しみで昨日はあまり眠れなかった。

 祝賀の日から、レオアリスがファルシオンのもとを訪れるのは今日が初めてだ。

(もうちょっと)

 じっと、そうすれば針が早く動くと信じているように、じっと細い銀の針を見つめる。

 あと一周。

 かちり。

 長い針が真っ直ぐ上を差し、それと同時に部屋の扉が叩かれた。ハンプトンが扉を開ける。

 ファルシオンは肘を乗せて懐中時計を見つめていた丸い卓から、ぱっと顔を上げた。

 ハンプトンに案内されてきたレオアリスが部屋に入り、膝を付く。

「レオアリス」

 いつも注意されるのだが、それでもファルシオンは膝を付いているレオアリスの所に駆け寄った。

「時間どおりだな、すごい」

「時間? ああ、お使いいただいているんですね。有難うございます」

 ファルシオンが手にしている懐中時計を見つけ、レオアリスが嬉しそうに笑ったから、ファルシオンはもっと嬉しくなった。

「うん。あれからずっと持ってるんだ。ハンプトンが一番、時間どおりだぞ」

「さすがはハンプトン殿ですね」

 銀色の懐中時計を、ファルシオンは大切そうに胸の所に置いた。

「うん」

「さあお二人とも、お席が整うまで少々お座りになってお待ちください」

 ハンプトンが窓際の椅子を示し、ファルシオンはレオアリスの手を引いて窓際に寄った。

 椅子をよじ登るようにしてちょこんと腰掛け、左手に持っていた懐中時計を見つめ、ぱっと閃いた考えに瞳を輝かせた。

「なあレオアリス、これはローデン王国で作られたんだろう? いつかこれを持って、ローデンに行きたいな」

「それはいいお考えですね。殿下がもう少し成長なさったら、他国をご覧になるのも良い事だと思います」

 他国を訪れて見聞を深める事は、王太子として必要とされる経験でもある。

「成長したらって、どのくらい?」

「そうですね、……あと、八、九年くらいすれば」

 レオアリスがそう言ったのは、自分が故郷を出たのがそのくらい――十四になる直前だったからだ。

 そう言えば、ちょうど今の時期だな、と思う。

 二年に一度の王の御前試合は、西海との条約再締結の儀式がある為今年は行われない。

「あと八年」

 ファルシオンは手の指を一年につき一本折った。片手では足りないので両手を使う。

「――」

 まだ五歳になったばかり、物心ついてからなら三年くらいしか経っていないファルシオンには、八年は途方も無い時間に思えて唇を尖らせた。長すぎて本当に行けるのか判らなくて、少し不満だ。

「もっと早くは駄目なのか?」

 レオアリスは曖昧に頷く事はせず、一度検討するように瞳を細めた。

「そうですね……、当然護衛は付きますし、もう少しくらい早くても問題はないと思いますよ」

 嬉しそうに瞳を輝かせ、ファルシオンはレオアリスを見上げた。

「じゃあ、ローデンに行く時はレオアリスが一緒に来てくれる?」

「俺がそれまで近衛師団にいられたらいいんですが」

 レオアリスが冗談めかして笑う。

「いるに決まってる」

「殿下がそう仰るならそうかな――そうしたら、王が俺を殿下の護衛にお付けになってくださるといいですね」

 ファルシオンは何故か黙って、じっとレオアリスの顔を見つめた。

「殿下?」

「――レオアリスは、行きたくないのか」

 気落ちした声でそう言った。レオアリスはいつも、自分から何かをするとは言ってくれない。

 必ず、父王の命があれば、と、そう言う。

(じゃあレオアリスは、父上に命令されたから、ここにくるのかな……)

 けれどそれは、何となく聞けなかった。

「? ローデンにですか? いえ、行きたいと思いますよ」

「……」

「殿下とだったら楽しいでしょうし」

 俯きかけていた顔が、ぱっと上がる。

「本当に? 本当に私と行ったら楽しい?」

「楽しいでしょうね」

 レオアリスははっきりと頷いた。今度は満足そうな表情いっぱいになって、ファルシオンは卓の上に身を乗り出した。

「じゃあ絶対、絶対一緒に行こう! 父上には私からお願いするから」

 ちょうど呼びに来たハンプトンが微笑ましそうに笑みを零す。

「まあ殿下、何をそんなに喜んでいらっしゃるんですか?」

「レオアリスと一緒にローデンに行くの」

「あらまあ……いつ行かれるのです?」

「えっと、八――七――、六年後!」

 くすりとハンプトンが笑い、ファルシオンはちょっと首を傾げてレオアリスを見た。

「もっと早くてもいい?」

「お父君がお許しになれば」

「だいじょうぶ、お許しをいただく。じゃあ、えっと――二年後」

 随分と豪快に期間を短縮したものだと、レオアリスは笑った。

「二年後ですか――それだと殿下は七歳におなりですね」

「うん!」

「でも七歳だと、お父君がお許しになるかなぁ」

 苦笑しながらそう呟いたレオアリスへ、ファルシオンは駄目だと言われる前に力強く首を振った。

「へいきだよ。七歳になったらもう、きっとすごく大人なんだから」

 その頃にはすっかり、何でもできるようになっているはずだ、とファルシオンは確信している。

「だから、約束だからな」

 ファルシオンは指切りをしようと右手を差し出した。

「ちゃんと、ほら」

 約束が必ず、守られるように。

 幼い王子の可愛らしい仕草に、レオアリスがまた笑みを浮かべる。それから、しっかりと指切りをした。

「約束だ」

「――お約束します」

「うん!」

 ファルシオンが喜ぶ顔を見るのは嬉しい。

 他愛ない、ただほとんど問題など無く果たされる約束なのだろうと、レオアリスも思った。

「殿下、大将殿、支度が整いました、どうぞ南翼の食堂へ」

 ハンプトンに案内されて廊下を歩きながら、ファルシオンはよほどその考えが気に入ったらしく、明日にでも出発するような弾んだ声で続けた。

「ローデンだけじゃなく、他の国にも行きたいな。レオアリスの行きたいところも行こう。どこに行きたい?」

 色々な所に行けばその分何日も旅をできるのだから、楽しみは増える。

「俺は、そうですね――国内でもいいですか?」

「レオアリスが行きたいところならどこでもいいぞ」

 国内だってほとんど行った事がないし、と言う。

「ちょうど、レガージュに行きたいと思っていたところです」

「レガージュって、レオアリスと同じ剣士がいるところ?」

「そうです」

 レオアリスは少し考え、秘密を告げるように言った。

「レガージュの剣士ザインは、俺の父の友人なんです」

「――すごい」

 ファルシオンが瞳を見開く。

 とっても、とても重要な事だ。ファルシオンがレオアリスにイリヤの事を話す時のような、大切な言葉。

 話してくれた事そのものが、とても嬉しかった。

「会ってみたい?」

「会いたいですね――」

 ファルシオンはちょっと考えてみてから、こくりとした。

「……私もだ。レオアリス以外の剣士を見てみたい」

 そう言って、レオアリスを見上げた。

「でも絶対、レオアリスの方が強いけどな」

 レオアリスはふと、まだ五歳のファルシオンには測りがたい表情を浮かべた。

 それから、それを笑みに変える。

「どうでしょう。……比べたりは多分しませんから」

「比べなくたって判る」

 ファルシオンは柔らかな頬を紅潮させ、深い信頼と、そこからくる誇らしさの籠もった屈託のない笑顔を向けた。





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