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第3章「潮流」(16)

 帆柱の物見台にいたマリ海軍兵は、遠見筒の中に捉えた船影を確認し、筒から目を離した。

 レガージュの港から、一隻の小型の船が出港してきたところだ。湾を抜け、白い波を立てて進んで来る。

「提督。レガージュの船が一隻、港を出ました。こちらへ向かって来ます」

 メネゼスは一旦水兵のいる物見台を空を仰ぐように仰ぎ見て、それから隻眼を前方に向けた。

「ほぼ一刻か、まあ早い部類の反応だ。レガージュ船団か?」

「いえ。船旗は領事館です」

 意外そうな表情で、メネゼスは腕を組んだまま、ほう、と呟いた。

「領事館――そっちが出てくるか。珍しいんだろう」

 傍らの副官を確認すると、副官が頷く。

「レガージュでは何事にもまず交易組合が出てきますので、そう思います」

「丁重にもてなそうって気になったのかね」

「国として話をするつもりではありませんか」

 メネゼスは顎に手を当てた。この航海で伸びてきた髭がざらりと手に当たる。

「ふむ――」

 メネゼスの表情は納得してのものでは無かったが、対応を見てみようという気になったようだ。

「ならこちらも丁重にお応えしよう。この船へ誘導してやれ!」

 物見台に指示を飛ばすと、物見台からレガージュの船へチカチカと信号が送られた。しばらくして鏡で反射して作る信号が返り、レガージュの船が舳先をメネゼスの船に向けた。

 それを見届け、メネゼスは船室に降りた。





「領事、反応がありました。中央の船が乗船を促しています、いかがされますか」

 ホースエントは船長の顔を忌々しく睨み付けた。何故聞くのか判らない。

「当然、乗船する」

「しかし――」

 交易組合の了承もなく、という言葉を、五十絡みの船長は飲み込んだように見えた。あるいは別の言葉かもしれないが、とにかくその種の言葉を。

 ホースエントは苛々としながら、怒鳴るのをぐっと堪えた。この男は元々、交易船の船乗りだったから、ホースエントに対する敬意というものを持ち合わせていない。

「何の為に私がこうして出て来たと思っている。この馬鹿げた騒動を終わらせるには、領事である私がマリの海軍大将と話す必要があるんだ」

「――マリの海軍では大将位は提督と言うそうです、領事」

 じろりと睨まれ、船長は首を竦めた。

 船の舳先がぐぐ、と重い水を分け、進路を変える。

 ホースエントは波音に重なるように高ぶって来る気持ちを抑えた。

 いよいよ彼の存在を示す時が来たのだと思うと、身体の奥底から震えが上がってくる。当然、高揚感から来るもので、それ以外ではない。

 自分がマリの船団に向かった事を知って、カリカオテやファルカン達はどう思っただろう。きっと驚いたに違いないが、まだこれからだ。

 出る前に困り果てている顔を見てやろうとも思ったのだが、船を出すのを下手に止められても困る。

 ただホースエントが戻った暁には、カリカオテ達はホースエントに頭を下げるしかなくなっているはずだ。

 自分が行って話せばこの「問題」は解決すると、ホースエントは確信していた。

 全てはあの男、ヴェパールが仕組んだ事なのは判っている。

 マリ王国海軍も、ヴェパールが用意した駒――だからホースエントが行けばそれで話が着くようになっているはずなのだ。

 マリ海軍の大将がどのような利害で動いているかは知らないが、こんな所まで遥々やって来るくらいなのだから、やはりマリ王国国内での地位を向上したいと考えているのだろう。

 周囲に対し、お互いに向き合って話をする姿を示して、この問題を解決して見せれば、彼等は一目置かれる存在になる。

 そして古いレガージュの仕組みを変え、いずれは国の中央に入る――

 船は軋む音を立て、マリの軍船の横に付いた。

 見上げた船体の舳先に、黒い鉄の砲門が覗いている。その重厚感に圧され、ホースエントは目を逸らした。

 ばらりと縄梯子が落とされる。

 こんな簡素な物を降ろされただけなのは気に食わなかったが、ホースエントは一番先に梯子に取り付き、甲板へ上がった。

 登り切って顔を上げ、思わず動きを止める。

 梯子を挟むように、左右にマリ海軍の水兵達がずらっと二列に並んで立っていた。

 正規軍や近衛師団とは違ってかなりの軽装だが、体格のいい兵士達が腕を後ろ手に組んで胸を張り、直立している姿は威圧感がある。

 ホースエントを見ても一言も発しない。

 刺すような敵意を、さすがのホースエントも感じた。

(何だ……)

 不満を覚える。歓迎の意を示せとまではいかないが、お互いに役割を果たすだけの事だ。下の者まで指示が行き届いていないのだと思った。

「――わ、私はフィオリ・アル・レガージュの領事ホースエント子爵だ。この船の責任者と話がしたい」

「――貴方が領事か」

 兵士達の壁が割れ、進み出た士官らしき男がホースエントの前まで来る。ホースエントの後から梯子を上がってきた従者を確認し、またホースエントへ視線を戻した。

「失礼致した。確かに貴方が領事のようですな。まさか最初に上がって来られるとは思わなかったもので。勇敢なのは結構だが、危険ですよ」

 三十代後半くらいだろうか、兵士達より立派な軍服を着ているから、軍幹部だろう。彼が提督だろうかとホースエントは男をまじまじと見た。

「貴方は、この船の」

「いきなり斬り殺して、見せしめにするつもりだったかもしれない」

「――な、何を冗談を」

 男――副官は面白くもなさそうにホースエントを睨み、兵士達の間を示した。船室への扉がある。

「どうぞ。本船団の提督、メネゼスがお待ちです」

「提督」

 ではこの男はそれ以下の地位かと、ホースエントは拍子抜けした。出迎えが一番上の者では無かった事に、また不満を覚える。

 ただ周囲の兵士達の威圧的な様子に押され、ホースエントはおとなしく副官に付いて船内に入った。従者も恐々と身を縮め、主であるホースエントに続く。

『駄目だぜ、こりゃ。提督は荒れるな』

 階段の扉が閉まる寸前、兵士達がこっそり囁いて微かに笑ったのを聞き取り、従者は青ざめてホースエントを追った。

 案内された船室は狭い階段を一つ降りた層にあり、船の一室としては広かった。天井は低いが内装には壁の下半分に上質な木の板と、上半分に深い赤の羅紗布とが張られ、重厚な雰囲気を漂わせている。

 壁際に三名ずつ、合わせて六名の兵士が直立していた。

 ただ何よりも、室内の空気を作り上げているのは、部屋の奥に置かれた机の前に座っている、一人の男だった。

 鋼を叩いて作ったようながっしりとした体躯に、士官服の上衣を肩から羽織り、腕を組んで背中を背もたれに預けたまま、入ってきたホースエントを一瞥した。

 左目は額から頬に走る刀傷により潰れているが、残った右目に宿る眼光は鋭い。

 ホースエントを見てもにこりともせず、じっと視線を注いでいる。

 想像とは全く違う状況に戸惑いながらも、ホースエントは男の前に立った。

「フィオリ・アル・レガージュの治領を国王陛下から預かる、領事のホースエントと申します」

「――マリ海軍提督、メネゼスだ」

 一言、そう名乗ってメネゼスはまた口を閉ざした。

 突き刺すような鋭い視線に、じわりと油汗が滲む。ホースエントは早口に告げた。

「メネゼス提督、この度は遠く離れたマリの地におられる貴殿とこうして面会が叶った事も、何かのご縁かと」

『悪いが、言葉が今一判らない。マリの言葉は使えないか』

 メネゼスは鷹揚に椅子に凭れたまま、マリの言葉でゆっくりと言った。ホースエントが目をしばたたかせる。

「何と言ったんだ?」

 従者を振り返る。従者は少し情けなさそうにホースエントを見た。

「マリの言葉で話をしたいと」

 他国の言葉を修めるのは、レガージュという街にいれば必要不可欠な条件なのだが、ホースエントはそれを怠っていた。

『どうした』

 メネゼスの射るような視線に、従者が慌てて答えを返す。

『わ、私が通訳を』

『領事殿は使えないのか。まあいいだろう。では訳せ』

 メネゼスは気にした様子もなく、従者へ顎をしゃくって見せた。

『余計な挨拶はいらん。釈明があるなら、それから聞こう』

 端的な言葉に込められている怒りを感じ取り、従者は頬を引き攣らせ、青ざめた。

「は」

「何だ、何と言っているんだ」

 眉を顰めて従者を振り返っているホースエントの姿を、メネゼスは頬の傷を歪めて眺めている。

「釈明を聞くと、そう言っています」

「釈明? 何で釈明をしなくてはいけないんだ、この私が。釈明することなどないぞ。マリの船を沈めたのは私じゃない」

「領事――、それをそのままお伝えする訳には」

「じゃあどうしろと言うんだ」

 どん、とメネゼスは剣の鞘の先で床を打った。

『どうした』

 静かな口調でありながら、まるで剣を突き付けられているように感じる。

「領事」

 ホースエントにも、従者がそのまま訳す訳にはいかない事ぐらいは判っている。とにかく早く話をつけてしまおうと、ホースエントはメネゼスと向かい合った。

「メネゼス提督、私が来た理由は貴方にもお分かりでしょう。今回の騒動を、お互いに上手く収めたいと、ただそれだけです」

『騒動――?』

 メネゼスが隻眼を細める。纏う空気がぐっと張り詰めた。

 気色ばんだのは副官と部下達だ。その場にいた兵士達は堪らず剣の柄に手を掛けた。副官が苛立ちを露わにホースエント達を睨み付ける。

「騒動だと、厚かましい。レガージュの領事はまず自分達の行いの非礼も詫びられないのか!」

「わ、詫び? そんな話は、」

「何故額を付いて詫びない! お前達がやった事を忘れたとは言わせんぞ!」

 副官の怒鳴り声に釣られるように、室内にいた六名の兵士達がわっと声を上げた。

『そうだ、卑怯者が』

『さっきから見てりゃへらへらと笑いやがって』

『こいつらを切り刻んでレガージュに送り返してやれ!』

『そうだ――見せしめだ!』

 抑えていた怒りが一気に吹き上がる。

 従者が真っ青になって身を縮め、言葉が判らないホースエントもまた、恐ろしくなってきょときょとと彼等を見回した。

 低い声が響く。

『静かにしろ』

 途端にしんと静まり返った中、メネゼスは剣を体の前に杖のように立て、立ち上がった。

 六尺を超える体躯だ。それだけで、ホースエントを威圧する。

「俺の聞き間違いか――、それとも訳し方が不味いのか」

 メネゼスの口から発されたのは、流暢なアレウス国の言葉だった。しかし驚いている暇は無かった。

「どうにも話が噛み合わないようだ。適当な言葉を並べ立て、我々を煙に巻こうとしているのか? だがそんな小細工は通用しないと、理解しろ」

 ようやくホースエントは、メネゼス達マリ海軍が本心から怒りを(いだ)いているのだと悟った。

 しかしそれでは、ヴェパールの計画は上手く言っていないという事になる。

「俺が聞きたいのは、貴様等レガージュが我が国の交易船、ゼ・アマーリア号を沈めた理由と」

 メネゼスは一旦言葉を切り、奥歯で怒りを噛み潰すように、低く告げた。

「我が軍船一隻を、沈めた理由だ」

「――ぐ……軍船……?!」

 驚愕に打たれ、ホースエントは口を開けた。

「そんな馬鹿な……」

 ゼ・アマーリア号が沈んだのは聞いていたが、軍船の話は聞いていない。ヴェパールはそんな事をするとは一言も言っていなかった。

「て、提督、我々はマリの船を沈めてなどいない。何かの間違いじゃ」

「間違いだと――?」

 ホースエントの言葉は、メネゼスの怒りにますます油を注いだだけだ。メネゼスはホースエントを真っ直ぐ見据えた。

「では、その証を見せてもらおう」

「あ、証?」

「確証があってここに来たのだろう」

 剣を床に突き柄に両手を置いたまま、メネゼスは仁王立ちでホースエントを見下ろした。

「俺の船は俺の目の前で沈んだが――、それが俺の見間違いだったと証明できるのであれば、その証を持って来い」

「――」

 言葉が見つからず、ホースエントはただ口を開けたまま、喘ぐように肩を大きく上下させた。誰もホースエントを助けようとする者はここにはいない。

「二日待ってやろう。明後日のこの時間に、貴様等が俺を説得できていなければ――街を焼く」

「ま……、待ってくれ、そんな事を言われても」

 ヴェパールの事を出すべきだろうか。メネゼスはホースエントがヴェパールの意図を汲んでいると知らないのかもしれない。

 だが、従者の目がある。

「て、提督、私は、」

『放り出せ』

 メネゼスは吐き棄て、どかりと腰を降ろした。

 兵士達の手が伸び、ホースエントと従者の腕や服を乱暴に掴んで部屋から引きずり出す。

 ホースエントは悲鳴を上げたが、兵士達は構わず狭い階段を引きずり、甲板を横切ると、彼の身体を抱え上げた。

「何をする――止めてくれ――違うんだ、違う! 助け」

 海に向かってホースエントは放り出された。

 停泊していた彼の船の横に水柱が上がる。続けざまに従者も海に落とされた。

 水を掻きようやく浮かび上がったホースエントの上に、副官だろう男の声が落ちた。

「二日だ! 二日経って証拠が出せなければ、街への攻撃を開始する! 貴様等が生き延びる方法は二つ! 証拠を示すか――、自らの行為を認め、国ごと跪いて詫びろ!」





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