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第3章「潮流」(5)

 レガージュの交易組合の長であるカリカオテのもとに船団長ファルカンから伝令使が届いたのは、時計の針がちょうど二刻を差す頃だった。

 時計の歯車がカチリと動き、少し重くくすんだ音が二回鳴らされる、その二回目の余韻が消える前にカリカオテは絹張りの椅子から立ち上がっていた。

「――船団が……まさかそんな馬鹿な事をする訳がない」

 机の端に止まっているファルカンの水鳥を、細い眼で見下ろす。

 当然、ファルカンもレガージュ船団の船がゼ・アマーリア号を沈めたと言って来ているのではなく、おそらく助けた船員に誤解があると、そう告げているのだが。

 カリカオテは白く長い髭を数回撫ぜた。頭頂だけきれいに禿げ上がっているものの、豊かな髭と同じ白く長い髪を肩に下ろした風貌は、世知辛い商人というよりは賢者のように見える。

 その賢者のような風貌で眉をしかめ、カリカオテは呟いた。

「マリにどう告げるか――」

 一番の問題はそこなのだ。

 船が沈んだ事は報しらせなくてはいけないが、レガージュ船団の船が沈めたようだなどと言える訳がない。

(だがマリに船員の話を隠して報せて、万が一にでも他から伝わった時には、問題になるのは間違いない。レガージュは信頼を失ってしまう。それは避けなければ……)

 ファルカンがカリカオテに求めているのもその判断だ。

 とにかくまずは幹部を呼んで数人で対応策を検討した方がいいと、カリカオテは手元の鈴を振って人を呼んだ。

 幹部達を呼ぶようにと言い付けた後、執務机の後ろにある窓に近寄り、覆っていた日除け布を引き開ける。

 強い陽射しがさっと室内に落ち、カリカオテは瞳を細めた。

 交易組合の商館は港を見下ろす街の真ん中にあった。窓から見える港には、今はレガージュの船しか停泊していない。

 鮮やかな海はいつもと変わらない情景を見せているが、見下ろすカリカオテの胸の奥には嵐の前のような黒雲が沸き上がってきていた。

 すぐに誤解が解けるはずだと言い聞かせながら、ざわざわと落ち着かない気分を感じている事にカリカオテ自身気付いている。

(いや、誤解に決まっているのだから、案ずる事などない……)

 苛々と足先で地面を叩くように動かしながらしばらくそうして港を眺めていると、やがて窓の下の広場を横切って足早にやってくる幹部の姿が見えた。正面玄関を潜って会館内へ入るのを見届け、カリカオテも二階にある談話室へと向かった。






 カリカオテが談話室に入るのとほぼ同時に二人目の幹部が到着し、すぐに最後の一人もやってきて、談話室には合計四人の男達が集まった。この四人とレガージュ船団長のファルカンが、常にレガージュの重要事項を決めている、街の中枢部だ。

 三人とも急な呼び出しに何か問題が起ったとは了解しているようで、それぞれ問いかけるような眼をカリカオテに向けて来る。

 昨日の今日ならゼ・アマーリア号の事だろう。

 カリカオテは暗い顔をしている、もしや乗組員達が全員助からなかったと、そういう話だろうか――

「急に集まってもらったのは、今捜索に出ているファルカンから報せが届いたからだ」

 カリカオテが伝令使の告げたファルカンの言葉を伝えるとつい笑う者さえいたが、すぐに全員緊張を取り戻した。

 ファルカンが冗談でも、自らの船団を貶めるような事を言うはずがない。

 しばらく誰もが考え込む中、小麦を主に扱っているエルンストが慎重に口火を切った。マリは香辛料や紅茶を売りに来て、多くは小麦を買っていく。エルンストが主宰する商会は、マリ王国との交易で大きくなった商会だった。

「ゼ・アマーリアは信頼の置ける船だ、何かあったのは確かだろう。それをまず確認して」

 当然さっと反論が挙がる。

「では本当に船団の船がアマーリアを襲ったと思っているのか」

「そうじゃない、おそらくそのマリの男が何か誤解をしているのだ――例えば海賊船をレガージュの船と間違えたとか」

「間違うって、そんな馬鹿な。レガージュの旗でもつけて偽装でもしていたのかね、そんな事をして何の得がある。奴等はただ襲って奪うだけが目的だ」

「しかし」

 しかし、の後が続かず、エルンストはカリカオテと他の面々を見渡した。

 他国の船がレガージュの近海で難破するのは、これまでも何度もあった。

 しかし今回のような事態は初めてで、誰もが戸惑っている。組合長であるカリカオテもだ。

「カリカオテ、マリにはどう伝えるつもりかね」

「アマーリアが沈んだ事は、当然伝えなくてはいかん」

「船団の件は」

「――」

 カリカオテが黙ったところに、オスロが口を開いた。オスロは幹部達の中で一番若く、主に武具や鍛冶物を扱っている。

「下手に伝えたら、マリは軍船を派遣してくるかもしれないぞ」

 カリカオテ達はぎょっとしてオスロを見返した。誰しも浮かべかけて、慌てて追いやった考えだ。

「そんな状況になるならいっそ、何も知らなかった事にしてはどうだ?」

 自分の発言に気まずそうな様子を見せながらも、オスロの瞳には真剣な光が覗いている。束の間の沈黙の後、エルンストが首を振った。

「い、いや、それはできないだろう。もう既に我々はマリの男を助けている、それまで無かった事には」

「そのマリの男もレガージュに着くまで保つかは判らないじゃないか。実際我々はマリに何の恨みもないし当然船団はアマーリア号を沈めてなどいないんだ、ここはまだ知らぬ振りを通しても落ち度などないのだし」

「それはそうだが……」

「今後のマリとの交易を考えれば、それはいい手ではない。とにかくアマーリアが沈んだ事をマリ王国に報せよう」

 カリカオテに宥めるように言われオスロも口を閉ざしたが、四人はまた顔を見合わせた。

「だが沈没の原因は、どう伝える。嵐でと?」

「――」

 そこに関してはまた答えが無い。

「……まずは沈んだ事実と、船を出して捜索している事を伝えるんだ。一人救出したとも」

「そこは慎重に進めなくては――下手をすれば本当に争いになりかねない」

「マリの海軍には火球砲がある。争いになったら街にも被害が及ぶかもしれないぞ」

 オスロの発言に全員ぎょっとして、それから腹立たしそうに息を吐いた。

「関係無いだろう、今は」

「それはそうだが、私が言っているのは万が一マリと争いになった場合に、どう」

「それを回避するんだ、絶対に! 今その話をしているんだろう!」

 エルンストが語気を荒げ、今度はオスロも視線を逃がして黙った。ただエルンストも声を荒げてしまった事を反省するように、咳払いをしてからまた周囲を見回した。

「とにかく、まだ厄介事を回避できる範囲だ。その為にもマリに上手く伝えなくてはいけないんだ。カリカオテ――まずはマリに一報を入れるべきだと思う」

「そうしよう、エルンスト。この後すぐ伝令使を送る。マリからの返信があるまでに、もっと状況を把握しておく必要があるな。そこは全員でかかろう」

 カリカオテが力強くそう言って、漸くその場の空気も和らいだように思えた。エルンストが溜息を吐く。

「しかし何で我々がびくびくと物事を進めなきゃならんのかね。誰だ、こんな風に仕立てたのは」

 核心を掠めた言葉は、自らと周囲の笑いに紛れた。

「とにかく調べれば誤解だと判る」

「それよりカリカオテ、今の段階で領事館に――王都に報せる必要があると思うかね?」

 その発言は今までの中で一番、緊張を伴った。尋ねたビルゼンは王都との交易を主にしている。

 まだ今回の事件はレガージュ交易組合の中だけに収まっていて、領事館には伝えていない。昨夜の時点では状況がある程度見えてからと、そう思っていたからだ。

 今も状況が明らかになったとは到底言えないが、さすがにもうそうも言っていられないのかもしれない。

「あの領事にどこまで話す」

「――事の大枠と、調査中だという事は報せた方がいいのだろう」

「マリの船員の言葉も?」

「――」

「本当に沈めたと勘違いされたら厄介じゃ」

 オスロは慎重な口振りで三人を見回した。エルンストとビルゼンもオスロの意見に同意するような顔を見せた。だがカリカオテは首を振った。

「いや――報せよう」

「しかしカリカオテ、領事と言ったって、しょせん部外者だ。こういうレガージュにとって繊細な問題を話すのはどうかと思うが」

 エルンストも余り気乗りがしないようで、重ねた長衣の前を合わせるように腕を組んだ。

「ホースエントは今王都だ、伝令使を送れば今回の件はすぐ地政院に伝わる。状況が判ってからと言っても不利な話を後から持っていくのは心証が悪い。後から余計な問題になる事を考えれば、今伝えた方がいい」

 カリカオテの言葉にしばらく考え込んだ後、エルンスト達もそれぞれ頷いた。

「そうだな、カリカオテの言うとおりだ」

「中央の心証まで悪くするのは上手いやり方じゃあない」

 そうは言いつつ四人はまたお互いの顔を見回したが、互いにまだ迷いと不安がちらついているのを見つけて苦い表情を浮かべる。

「では伝令使を飛ばそう。まずはとにかくマリへ――それから領事にだ。一緒に文案を考えてくれ。後はファルカンの帰りを待って、船団の状況も聞かなくてはな」

 ファルカンが戻るのはどんなに早くても日没後の八刻くらいになる。マリと王都への報せの文章を練り上げた後、彼等は一旦解散し、ファルカンの船が戻ってから改めて集まる事にした。

 交易組合の会館を出ると、なだらかな坂の下にレガージュの港が広がっている。海の色は陽射しに輝いて青く、穏やかだった。

 鳥の鳴き声が空から落ちてきて、坂を下っていたオスロは背後を振り返った。今出て来た会館の二階の窓から、白い鳥が青い空に飛び立ったところだ。カリカオテが放ったマリへの伝令使だろう。

 そして、少し遅れてもう一羽。最初の伝令使とは違う、北東の方角へ飛んで行く。

(あれは王都へか……陸上を行くのではさすがに難しいな。王都へ報せる事になったのは予定外だが、まあ王都は動くまい。それどころか地政院にも伝わらないさ。取り合えず、マリへの伝令使は途中で上手く始末してくれる……)

 オスロの陰と熱を含んだ視線に気付かず、マリへの伝令使は碧あおく輝く海の上に翔かけ出していった。





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