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第3章「潮流」(3)

 怒りはあっという間にマリの軍船を伝播し、十二隻全体に行き渡った。

 メネゼスは奥歯で怒りの固まりを一息に噛み潰した。

 がり、と硬いものが砕ける音が聞こえた気がして、傍らの副官が首を竦める。

「何の真似だ、レガージュさんよォ」

 彼等の眼前で嘲るように船首に掲げられた男は、母国の軍船も見えていないのかぴくりとも動かない。

 もう互いの船の距離は、五、六十間ほどに縮まっている。

 マリの船団は停船し、向かってくるレガージュ船団の船に対してほぼ横一列の陣形になった。

「停船し、即刻解放しろと信号を送れ」

 物見台の一等兵はメネゼスの指示に口籠もった。

「それが――」

「どうした! すぐに送れ!」

「か、甲板には、乗組員が見当たりません!」

「はぁ? 何言ってやがる、いねぇわきゃねぇ」

 操舵と帆を操作する人員が必ずいるはずだ。メネゼスは傍らの副官から遠見筒をひったくり、レガージュの船へ向けた。

「――何の真似だ」

 もう一度、メネゼスはそう呟いた。

 甲板のどこへ視界を持って行っても、どこにも人の姿が無い。

「矢を射掛けられんのを嫌ってやがんのか。うちが弓矢のみじゃねぇのは知ってんだろうによ」

 もうレガージュ船団の船は充分に彼等の射程に入っているが、それが判っているはずにも関わらず、躊躇う気配は感じられなかった。

「提督、何だか妙ですね」

 副官も奇妙そうにレガージュの船を見据えている。

 メネゼスは一度唸った。

 レガージュ船団は何か策を弄しているのかもしれない。

 そもそもレガージュ船団は、何を目的にこんな事を仕掛けているのか。マリ王国との交易は何の支障もなく、それこそ順風満帆に進んでいたはずだ。

 しかしそれを冷静に考えるよりも、船首に張り付けられた同胞の無惨な姿が悪意と共に突き付けられていて、メネゼスはぎり、と歯を鳴らした。

「構わん、即刻停船しなければ攻撃すると伝えろ! 即時停船が絶対条件だ、それ以外はないッ」

「はっ」

 副官は一礼し甲板を振り返った。

「砲門を開けろ! 二班二十名、乗り移って彼を引き上げて来い! もう二班は海上で援護! 降ろせ!」

 一等兵は物見台から手鏡で停船信号を発した。

 同時に、メネゼスの乗る軍船の舳先の下辺りで、ガチャンと鉄の音が響いた。ちょうどメネゼスが立っている足下だ。

 波切板のやや下、両舷の一角が窓のように四角く刳り貫かれ、そこから黒い鉄で作られた直径七寸ほどの筒が迫り出す。

 左右に一門ずつ――マリ王国海軍が誇る、火球砲だ。

 法術によって制御されているが法術士の詠唱を必要とせず、法陣のみで発動できる。連射はできないものの、一撃で中型の船を沈める威力を持っている。

 メネゼスの船団では、十二隻のうち半数の六隻が火球砲を備えていた。

 火球砲の筒先がレガージュ船団の船に向けて据えられる。

 緊迫した空気の中、左右の軍船四隻から一艘ずつ小型の手漕ぎ船が海上に降ろされた。着水と同時に縄を伝って兵士達が滑り降り、兵士達を積んだ小舟はレガージュの船へ向かって漕ぎ進み始めた。

「――目標、停船しません!」

 物見台から声が降る。

 一方で、既に形勢不利を理解している為か、レガージュ船団の船から接近するマリの小舟に対して何らかの攻撃が加えられる様子はない。

 レガージュの船に横付けした小舟から、マリ王国海軍の兵士達が鉤縄を投げ、するすると縄を伝って乗船していく。何の抵抗もなく登りきると、兵士達は周囲を警戒しながらも舳先に駆け寄った。

 マリの軍船の兵士達が全て息を呑んで見守る中、乗り込んだ兵士達が素早く男の縄を切る。男は先ほどまで水に浸かっていたかのようにぐっしょりと濡れていたが、問題なく抱え降ろせた。

 あっけない。

「……やりましたね、提督」

 副官の口調は取って付けたようだった。

「――」

 メネゼスはまだ腕を組んだまま、舳先に仁王立ちになって状況を見据えている。

 乗り込んだ兵士達が海上に待機していた別班の小舟に救助した男を渡すと、男を乗せた小舟はメネゼスのいる司令船へと戻り始めた。

 残った兵士達は甲板後方にある船室への扉へと駆け寄った。レガージュの船員を数名、拘束する為だ。

 先頭の兵士が取っ手を掴み押し開けようとして――手を止めた。

「――何だこりゃあ」

 取っ手が、動かない。鍵が掛かっているというよりは、まるでただの飾りのように動く気配が無かった。

「どうした」

「――いや。鍵が掛かってるんだ。蹴破ろう」



「提督、救助した男が」

 メネゼスは振り返り、甲板に横たえられている男に大股に近寄った。初めて見る顔だが、浅黒い肌と黒い髪はマリ人の特徴を備えている。

「状態は?」

「弱っていますが、息はあります」

「よし、医務室に」

「て、提督! レガージュの船が向かって来ます!」

 再び物見台から慌てふためいた声が落ちる。メネゼスは振り返り、太い眉を歪めた。

「何――」

 一目で判る。レガージュ船団の船は急激に速度を上げ、彼等の方へ突き進んでくる。

 どんなに風を受けたとしても有り得ない速度で、船はマリの軍船が態勢を整える余裕を与えず、メネゼスの左隣にいた船に突っ込んだ。

「ばかな、何を―― !」

 更に信じがたい光景が広がる。レガージュ船団の船に衝突されたマリの軍船は、あろう事か、船底から掬い上げられたように軽々と浮き上がり、海面へ横倒しに叩きつけられた。

 乗組員達が投げ出され、海に落ちる。

 衝撃で波がうねり、周囲の船を激しく揺らした。

「掴まれ!」

 大波が船を持ち上げ、落とす。

 船上には混乱が満ちた。

 メネゼスだけが一人、舳先の手摺りに掴まり両足を甲板に固定したように踏ん張って、波の谷間に落ちる瞬間もレガージュ船団の船を睨み据えていた。

「――レガージュ……ッ」

 レガージュ船団の船は荒れ狂う波の中で、器用に回頭した。

 落ちた波の反動が来る。

 何度か、足元を救われるような波がやってきて、やがて海は何事も無かったかのように静まった。

 ぎし、ぎし、と船の板が軋む音があちこちで聞こえる。

 メネゼスは吹き上がる憤りを抑え込む為に、手摺りに両手をついて仁王立ちになったまま、何度か深呼吸を繰り返した。

「――ッ」

 波は穏やかになっても、目の前に展開している光景は決して心を落ち着かせるような代物ではない。

 レガージュ船団の船に衝突されたマリの軍船は、腹部を引き裂かれて海原に横たわり無惨にたゆたっている。

 投げ出された乗組員達は他の軍船に引き上げられているが、被害はもっと別のところにあった。

 メネゼスは西の方角を睨んだ。

 レガージュ船団の船は、彼等が慌てふためいている間に、揚々とこの場を去って行った。

 全ての行為が、彼等を嘲笑うように――

「くそッ」

 これほどあっさりと軍船一隻を失った事が信じがたく、腸が煮え繰り返る。沸き立つ苛立ちをぶつけようもなく、メネゼスは木彫りの手摺りが砕けそうなほど握り締めた。

「提督、お耳に入れたい事が」

「……何だ」

「先ほどの男が、目を覚ましました。まだ詳しい話は聞けませんが――問題が」

「今以上の問題か?」

 自嘲気味なメネゼスの口調に、副官は気まずそうに一度唇を湿らせた。

「その、彼はマリ人です。それから、その」

 副官がメネゼスの怒りに萎縮している様子と、また少なくとも救出したマリの男の生命が無事だった事には満足すべきだと、メネゼスは自分を鎮める為に息を吐いた。

「いいから言え」

「その――彼は、ゼ・アマーリア号の乗組員だと、そう言っています」

「――何だと」

 鎮めたばかりの胃が、すうっと冷えた。

 マリ王国の交易船ゼ・アマーリア号には、メネゼスの甥も乗っている。

「昨夕、レガージュ船団の船の襲撃を受け、沈められたと――」

 副官の面にも、抑え切れない憤りの色がある。

 抑えようとしていたメネゼスの怒りは、その努力も放棄された。

「……本国へ伝令使を送れ! 海賊なんざ後回しだ。これからレガージュへ向かう!」

 副官以下、兵士達はメネゼスの言葉を待っていたように動き出した。

 フィオリ・アル・レガージュへは北西に進路を取って僅か七日で辿り着く。

「喉元に剣を突き付けて、膝をつかせてくれる」





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