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第1章「フィオリ・アル・レガージュ」(2)

 青く澄んだ空の下に、同じように青く輝く海の波を分け、白い帆を張った帆船が入ってくる。

 船首には南国マリの紋章である、下半身が魚の尾を模した人魚の彫刻が据えられている。

 帆船は入り江に突き出した五基の桟橋の一番内側に無事接岸すると、白い帆を巻き上げ錨を下ろした。

 この船だけではなく、その他の桟橋にはまだ五隻の帆船が停泊している。一隻はもう出立の準備をしているところだが、やはり南方のローデンという国の商業船で、二隻は王都から来ている。

 一番外側の桟橋に停泊している一隻はレガージュの商業船が昨日戻ってきたものだった。

 そして左右の崖側に、すこし様相の違う船が一隻ずつ停泊していた。桟橋に停泊している帆船と比べると少し小型で、だが足は速そうだ。

 二隻が商業船と同じレガージュの紋章を掲げている事からやはりレガージュの船籍だと判るが、もう一つ別の紋章、戟と盾の旗も、街を下ってくる風にはためいていた。

 港にはそれぞれ違う国の船が入り交じり、船の周囲に飛び交う言葉も異国のそれが混じって慣れない者は混乱してしまいそうだった。港だけではなく、街中も同じように異国の言葉や物に溢れている。

 ザインは足早に街の坂道を港へ向かっていた。

「おはようザイン。いい天気だね」

「おはよう。いい航海日和りだ」

「あんたの家からだと、海がずっと遠くまで見えるだろ」

 道すがら、路地に出ていた住民達が活気のある声を掛けてくる。

「今日はどうだ?」

「ああ、出掛けは起きてたよ」

「そうか、良かったなぁ。じゃ菓子でも買ってってやんな。もちろんウチでさ」

「そこは迷うところだな」

「何言ってんだ、一択だよ」

 隣の茶屋の女将がザインを手招く。

「ザイン、いい紅茶が入ったんだ、昨日ローデンの船が着いたからね。帰りに寄ってきなよ。ユージュちゃんに飲ませておあげよ」

「ありがとう、寄ってくよ」

 ザインはそうやって足早に歩きながらひとつひとつ彼等に答え、会話を交わしつつ街を抜け、港へ降りた。

 港では既に検査官が到着した船に乗り込み、積み荷と申告書類の突き合わせをしているところだ。

 荷馬車の横に立っていた交易組合の係員の男がザインを見つけ、片手を上げる。ザインは男の前まで来ると立ち止まり、マリの船を見上げた。

「ザイン、今日は良かったんだぜ、ユージュが起きてるんだろ。船団も戻ってるし、何かちょっとくらい問題があったって大丈夫だ」

「いいんだ、昨日起きたばかりだしな。それに何もなくても、やはりここにいないと落ち着かない。長年の習慣になってて、単にいるだけだがね」

「まあ、あんたの力が必要な事態は本当は願い下げだからな、のんびりしといてくれ」

 係員は豪快に笑ってザインの肩を叩くと、荷馬車を桟橋へ引いていった。ひとまず降ろした積み荷を組合の倉庫へ運ぶのだ。

 活気があり、ある意味雑然としている港を、ザインはぐるりと見回した。

 船乗り達は荒っぽく、荷の積み降ろしなどの荷役(にやく)を担う男達は更に荒っぽい。

 他国の船乗り、飛び交う多様な言葉、所狭しと行き交う人や荷や荷馬車。いつでも騒動勃発一歩手前だ。

 良くもまあ毎日大した事件もなく回る、と感心する。当然、大した事件の中には些細な殴り合い程度は入っていないが。

(組合と船団が上手くやってる証拠だな)

 その船団の男達は、港に面した飯屋の前に置かれた丸い卓の幾つかに陣取り、少し遅い昼食の最中だ。ザインと目が合うと、にやりと笑って皿を持ち上げてみせた。

 五人ばかり、全員剣は帯びたまま、何かあればいつでも騒ぎの仲裁に飛び入りできるだろう。

(いい街だ――)

 三百年、街はすっかり様変わりしながらも、深いところ、根ざしているものは変わらず。

 彼女の、望んだ姿だろうと思う。

(どうかな、フィオリ)

 ザインはいつも、船の入港に立ち合った。

 この街に入ってくる富も、脅威も――、常に海からやって来る。

 この街を護る事が、ザインの役割であり、彼自身の強い意志だった。

 船から降り立ったマリの商人は、桟橋の付け根に立って作業を眺めているザインを見て、積み荷を確認していた検査官に問い掛けた。

「あの人は、領事館の人かい? 何か少し雰囲気が違うね」

 問われた検査官は何の事かと振り返り、破顔した。港の荷役現場は領事館ではなく、商業組合の管轄だ。

「ああ、あんたはレガージュは初めてか」

 親しみと敬意と、誇らしさの籠もった口調で続ける。

「彼はこの街の守護者だよ」

「守護者? ああ――じゃあ、彼がレガージュの剣士なのか」

「ああ」

「余り怖そうじゃないな……普通の、と、ああいや、悪い意味じゃなく」

 検査官は笑った。

「気にしなくていい。皆そう思ってるからな」

 検査官が可笑しそうに言って、ザインに向かって片手を上げてみせる。ザインもまた手を上げて寄越した。

「でも、彼がフィオリを三百年守って来たんだ」




 フィオリ・アル・レガージュという街は、この国の中でも特殊な位置にある街だった。

 自治権と言えば言葉が強すぎるが、それに近い権利を有している。交易で得られる富と、それらを産み出す商人達の存在ゆえだ。

 商人達は交易組合を持ち、組合が交易を一手に取り仕切っていた。

 王に任命された領事はいるが他の都市ほどには権限を有しておらず、組合の発言力は強い。交易だけではなく、自治に及ぶ事もしばしばあった。

 最も特徴的なのは、レガージュが独自の兵力を持つ事だった。

 水軍――内外にレガージュ船団として知られる、十五隻の船からなる護衛船団がそれだ。

 もともとは、商人達が海路の警護の為に個々に雇っていた自警団が発展し、組織化したものだった。今や三百五十名ほどの兵士が所属している。

 今では街の警備及び交易船の警護は彼等レガージュ船団が担い、正規軍は西方第七軍がこの街に配備されているものの、半個小隊約五十名が交代で常駐するだけで、辺境のこの規模の街としては非常に少数だった。

 ただ、反目や軋轢(あつれき)があるかと言えばそうではなく、中央との関係は良好だ。

 当然彼等の交易品の最良の顧客は、王都であるからだ。

 そして他国を知る彼等だからこそ王への敬意もあり、王国の一員であるという自負もある。

 フィオリ・アル・レガージュでは領事館と組合が協力して街を管理し、ただ少しばかり、領事館は遠慮がちに存在していた。




「ただいま――、ユージュ?」

 ザインは灯りの灯されていない暗い室内を見回した。

「――」

 昼間、出掛ける前に手紙を書こうとしていた食卓に突っ伏して、ユージュは眠ってしまっている。手紙は書き終えたようだった。

 食卓に近寄り、うつ伏せているユージュの髪を撫ぜた。

 浮かんでいるのは複雑な表情だ。

 愛しさと、寂しさと、ほんの少し、少しばかりの後悔。

 ユージュが眠り続けるのは、ザインのせいでもある。

 普通の子供達と同じように暮らし、成長する事がユージュにはできない。

 それが不憫で――、ただ、彼女の――、主の忘れ形見で、いとおしい。

 ユージュは、単純な言葉で現わすなら、混血だ。

 人と、剣士との。

 ユージュが生まれたのは三百年前――大戦が終結する、二年ほど前だった。そしてその年月の大半を、眠りの中で過ごしてきた。時に数ヶ月眠り続け、起きているのは僅か一日という時もある。

 原因は一つだ。

 ユージュの身にも、ザインと同様に剣が存在する。

 その為に逆に、人としての半分の血が、剣士として有する剣の力に耐えられないのだ。

 剣士は生まれた時に一旦剣を封じられ、身体が剣の力に耐えられるようになった時、初めて剣が覚醒する。

 ユージュの身体はその封印の時期すら耐える事は難しく、だから眠る。

 剣の力を限界まで用いた剣士は、回復の為に深い眠りにつく事があるが、それと同じものだ。

 三百年をゆっくりと過ごしながら、ユージュは未だに十歳程度にしか成長しておらず、また剣が覚醒する兆しはなかった。

 いや――本当は、ザインには、覚醒を導く事ができる。剣士は自然に覚醒を果たす事は難しく、同じ一族の者の補佐を必要とする厄介な種族だ。

 ザインもまた同じように彼の父に覚醒を助けられ、そのやり方は判っていた。

 ただ、危険が伴うのも事実であり、無事に覚醒できるとは限らない。覚醒してもバインドのように剣に呑まれる事もあり、そしてそれは決して珍しい例では無かった。

 ザインはユージュをそれに(さら)す事を躊躇っていた。

 ユージュには自分がいる。守っていける。

 今はあの大戦の時のように戦う必要性がある訳ではなく、レガージュは平和な街だ。今すぐ剣が必要な訳ではない。

 そしてユージュは、彼が護ると誓った主の、たった一人の忘れ形見で、自分より彼女に似て欲しいとそう思っていた。

 いつか、もう少し成長したなら、おそらく船に乗って。

「――手紙は出しておくよ。来てくれるといいな」

 ザインはぐっすりと眠っているユージュの頬を撫で、小さな身体を抱え上げた。

「今度は何日眠るんだろうな?」

 それから自分の口調に気付き、少し呆れて笑った。




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