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第2章「陰影」(7)

 突然高い悲鳴が響き、ザインは驚いて天井を見上げた。二階からだ。

「ユージュ?」

 狭い階段を駆け上がり、ユージュの部屋の扉を開ける。

「ユージュ!」

 ユージュは寝台の上に身を起こして頭を抱えるように縮こまり、荒い呼吸と共に肩を大きく上下させていた。胸の奥が冷えるのを感じながら、ザインは駆け寄って抱き締めた。

「ユージュ、どうした」

 何度も背中をあやすように撫ぜようやく荒い呼吸は収まり始めたものの、まだ悲鳴が零れ落ちそうに口は半開きのまま、小さな身体は抱き締めて尚、震えている。

 こんな事は初めてだった。

 悲鳴で目が覚めたのも、これほどまで怯えるのも。

「ユージュ。父さんがいるから」

 そう言いつつ周囲を見回しても、ユージュを怯えさせるものなど見当たらない。窓もしっかりしまっているし、第一ザインに不穏な気配は感じられなかった。

「大丈夫だ。家にいるんだよ、何もない」

「船――」

 ユージュの微かな呟きにザインは腕の中の顔を見下ろした。

「船?」

「船が沈んだんだ」

 言葉はきっぱりと、事実を語るように響いて、ザインはつい窓の外を見た。

 まだ少し明るい夕闇の空が、家の前の崖とその先に広がる海を透かし見せている。穏やかな海だ。

「ユージュ、船は沈んでない」

 宥めるより悼ましさを堪えるような声だったのは、夢を見たのだと思ったからだった。

 フィオリの乗った船が沈んだ時、ユージュはそこにいた。一緒の船に。

 まだ二つにもならない乳飲み子の時で、明確な記憶があるとは思わなかったが、体験は恐怖を呼び起こすものとして意識の奥底に刻まれているものかもしれない。

 それを夢に見て、怯えているのだと思った。

「父さん」

 ユージュがようやく自分を呼んだ事に、ザインはほっと胸を撫で下ろしかけ――、次の言葉に息を止めた。

「ゼ・アマーリア号って、どこの船?」

「――」

「名前が書いてあったよ、沈んだ船に」

 ザインは一度、考えをまとめる為に僅かに唇を噛んでじっとユージュを見つめた。見つめ返すユージュの瞳は、真剣そのものだ。

「父さんは知らない? 船首に、人魚の飾りがある船」

 夢とは、何か違う。フィオリが乗っていた船とは、全く違う。

 それどころか、ザインはユージュが言う船を今日、見送ったばかりだ。

 同じ船ならば。

 少しだけ声がかすれた。

「ゼ・アマーリア号は――、マリの船だ。マリ王国……今日の昼にレガージュを出た」

 ユージュは今日まで港にいたマリの船の名を知らない、はずだ。

 同じ船なら――

 ユージュの言葉を信じれば、沈んだ事になる。

「ボク、夢の中で見たんだ」

「……船が沈むところを?」

「うん」

 まだユージュが恐がっているのに気付き、ザインはユージュの髪をそっと撫でた。ユージュは父の腕に掴まり、頭を胸に擦り寄せた。

「すごい嵐で、アマーリア号は海の真ん中で停まってた。そしたら」

 もちろん偶然の一致かもしれず、ただの夢だと、そう思うのが当然だろう。

 しかしユージュの様子には、夢だからと放っておく気にはなれない何かがあった。

「船が来たんだ、二隻」

「船が、来た?」

「海でできた船」

 一瞬――ザインは凍り付く色をその瞳に浮かべ、だがユージュが気付かないほどに素早くしまい込まれた。

「海から、生まれたみたいな船だった。それがアマーリア号にぶつかったんだよ」

 ユージュは顔を上げ、不安そうな瞳を父に向けた。

「ねえ、沈んじゃったら、乗ってた人達はどうなるの? 死んじゃうの?」

 母のように――、と思ったのかもしれない。ザインは我が子を腕の中に包み込んだ。左手で何度も髪を梳く。

「……ユージュ、多分夢を見たんだと思う。心配しなくていい。それに、本当にアマーリア号が無事かどうか、ちゃんと父さんが調べておくよ。もし、万が一沈んでしまっていたら、乗ってた人達を助ける」

「本当?」

「ああ――本当だ」

 頷いて微笑んでみせると、ユージュは安心したように肩から力を抜いた。それからまた眠そうに、瞼を半分閉ざしている。

「寝ていいぞ。眠るまでここにいるから。寝てる間も、父さんがいるから心配無いよ」

「うん……」

 ユージュは再び寝台に横になると、ザインの手をしっかり握って目を閉じた。

 ユージュが眠りにつくまでザインは傍らに座って髪を撫でてやり、その後も暫く寝顔に視線を落としていたが、やがてそっと立ち上がると部屋を出た。

 扉を閉じ、階下から漏れる明かりだけの薄い暗がりの廊下に立ったまま――、ザインは廊下の壁にある窓の、その向こうの海を睨み付けた。





 夕刻から行われる祝宴は、王城内の最も広い大広間を主会場とし、およそ八百名もを招いての大規模なものだった。

 第一王位継承者の生誕日を祝う一日の行事の中でも、最大のものだ。大広間は色とりどりの花や布で飾られ、卓には様々な料理が並び、楽隊による優雅な楽の調べが流れてすっかり準備を整えている。

 招待客は四大公を始めとする諸侯や高級官吏、軍の高級将校、王都などの大商人達で、午後の六刻から始まる祝宴の為に、一刻ほど前から次々と客達が集まり始めていた。

 有力者が大広間に姿を現わす度に騒めきが流れる。これだけの面子が揃うのは頻繁に宴が開かれる王都であっても滅多にはなく、今日は非常に重要な社交の場とも見なされていた。

 気心の知れた者同士が集まると顔を寄せ合い、密やかな会話をそこここで花咲かせる。

「ファルシオン殿下は本当に御健勝になられた。今朝の謁見の間での式辞の見事だった事」

「王太子としての御自覚か故か、風格がおありだった」

 誰ともなくふっと声を潜める。

「もう陛下が第二妃をお迎えになられる事はないのだろうな」

 ファルシオンは二歳の頃に大病を患い、生死の境目をさ迷った事がある。つい先頃までは、ファルシオンに万が一の事があっては、と、王が第二妃を(めと)る事を望む声も多かった。

 もちろん表立って語られる訳ではなく、それを考えている者達の中で王へ直接そんな事を進言できる者などいなかったが、それでも淡い期待は尽きず在った。

 我が娘を第二妃とし、王家の縁戚となる期待だ。

 しかしファルシオンが健やかに成長している今、その期待は儚くなっている。

 そうとなると、今彼等が優先的に考えるべきは、ファルシオンが王位を継いだ後の事になる。

 どんな可能性があるだろう。一人の子爵は知人達の顔を見回した。

「殿下もそろそろ、良縁をお考えになられるお歳ではないだろうか。まあ私の娘はお歳も近い、お目に適うかもしれない」

「そうね、あなた。三歳ですもの、ちょうど釣り合いますわ」

 傍らの夫人は声に期待を籠めた。子爵の腕に掛けていた手にも力が籠もる。当然、本気で言っているのだ。

 一方で近い年齢の娘を持たない者は素早く牽制する。

「ファルシオン殿下はまだお若くていらっしゃる。陛下も御婚約など今はまだお考えではないでしょうし、あまり気の急いた事を仰るのは失礼に当たりましょう」

 そう言いながら、頭の中では親戚から歳の近い娘を見繕えないかと思考を巡らせている。

 王家に近付く方法。権力に近付く方法。暢気に構えている場合ではない。

 程度の差はあれ、どの場所でも顔を寄せ合っている者達は似たり寄ったりの会話を繰り広げていた。

 例えば、次の近衛師団総将が誰か。

「やはり王は、第一大隊大将を総将にとお考えなのですかね」

「この祝賀の日に王太子――ファルシオン殿下の警護にお付けになるという事は、やはりそうなのではないか」

「第一の大将はまだ足場が弱いからな。やはり布石として足元を固めたいと陛下はお考えになっているのだろう。それには今日は持って来いの日だと私は思うよ、君。ファルシオン殿下のお側に立てば、誰でも想像するものは同じだろう。陛下はそこまでお考えなのだ」

 得意そうに王の意図を語って見せ、周囲も尤もらしく頷いて見せた。

 一方別の集団では悔しそうな言葉が交わされている。

 近衛師団総将が替わった場合には。

「こんなに早く事態が動くなら、もう少し早めに繋ぎを付けておくのだった」

 まだ急いで立場を表明せず、暫く様子見をしていたのが失敗だったかもしれない。

「もちろん元からそのつもりでいたんだが、今からではそこらの慌て者と大差なく受け取られてしまうのが嫌だな」

「まあしかし今からでも早いに越した事はない。考えてみたまえ。彼が王の剣士と呼ばれ始めたのはごく最近だ、まだ気分が舞い上がっている頃だよ。今まで声を掛ける者がいなかった分、我々から丁寧に近付いてやれば悪い気はしないはずだ」

「ははは、まあ所詮成り上がりの」

「しっ、ヴェルナー侯爵だ」

 一番入り口に近い所にいた彼等は、開いた扉から入ってきた厳しい男の顔を見て、さっと声を潜めた。緊張が走る。四大公爵家の次――この国の第五位とも言える家柄と実力を持つ男だ。

 今日は夫人を伴い、それから次男であるロットバルトを伴っている。当然、彼が近衛師団第一大隊にいる事は誰もが知るところだ。

 父である侯爵とにこやかに会話をしながら彼等の横を通り過ぎ、奥の窓際に近衛師団第一大隊のグランスレイ達の姿を見つけると、ロットバルトは侯爵夫人の手に恭しい口付けを落とし、二人と別れた。ヴェルナー侯爵とその夫人は、周囲からの挨拶を受け時折足を止めて話しながら広間の奥へと歩いていく。

「――聞かれなかっただろうな……」

 ヴェルナー侯爵に聞かれても、ロットバルトに聞かれても、どちらもさすがにばつが悪い。

「しかしヴェルナー侯爵も、跡継ぎ同然のご次男を彼の側に置くなど当初はどうしてしまったのかと思ったが、これを見越しておられたのかな」

「抜け目無い方だ、それはある。今のところ一人勝ちだしな」

「いや、やはり事前に何か情報を掴んでいたのではないか? 上手い具合に侯爵家の利益に繋げられたという訳だ」

 ただ、ちょうどヴェルナー侯爵の姿を見た事で、王の剣士に近付く事にはもう一つ、重要な要素がある事を思い出した。ヴェルナー侯爵家とも、関わりが出てくる。

 それは未来の「王」の「守護者」に近付くよりも、もっと現実的な話で、魅力的だった。

 幾つかの固まりでは、その話に意識が集中していた。

「まだ巻き返しの余地は充分ある。ヴェルナー侯爵以外は誰も今は同じ立場だからな」

「巻き返しも何も、我々はそもそも、始めから第一大隊大将には否定的な態度は取っていなかったし、心象は悪くはないと思ってるよ」

「確かに――我々はそもそも中立派ですから」

(何が中立だか)

(単に日和見をしていただけだろう)

 お互いに腹の中だけで呟き、表面では笑みを交わす。

 批判を口に出さなかっただけで、去年の秋までは近付くつもりなど一切無かったのだ。彼等の中の一人も。

「まあ表立って批判していた輩は今頃青ざめているだろうが」

 その点に於いて有利だと考え、それは彼等の中では正しい考えだった。

 とにかく、新たな近衛師団総将が誕生するのは彼等にとっても都合のいい事だ。

 アヴァロンには最早滅多な事では近付き難かったが、総将として就任したてとなれば話は違う。

 近衛師団総将に近付く事は、そのまま王に近付く事を意味している。

「第一大隊大将なら、頼もしい総将となられるだろう」

「確かに。それに剣士が王の守護をするというのは、それだけで一つの示威になりますからな」

「稀に見る二刀の剣士でもありますし」

 口を揃えて褒めそやし始める。レオアリスや関係者が聞いている訳ではないが、口に出して周囲に聞かせておく事が重要なのだ。

 トゥレス、セルファン、レオアリス。

 誰が近衛師団総将になったとしても彼等にとってはさほど変わりはないのだが、近付く時期を逸する訳には行かなかった。

 有力な候補という気配さえあれば、そちらへ寄るだけ。

 そういうものだ。

「早くも色々と思惑が渦巻いているようじゃないか」

 正規東方軍第七大隊大将レベッカ・シスファンは、鮮やかに朱を引いた唇を笑いの形に閃かせた。特段声を抑える素振りも無い。

「王都はいつ来ても面白いな、イェンセン。くるくると顔付きの変わる二枚舌が(ひし)めいて。辺境でも中々二枚舌を持つ生き物はいないぞ」

「大将……私はそろそろ中央に返り咲きたいんですがね」

 上官の口の悪さが災いして……と嘆く。

「せっかく綺麗な格好に化けてんですから、口は控えてくださいよ。そこそこ視線浴びてますぜ」

「ほう、怖い物知らずは嫌いじゃないね。どれを頂くかな」

 熱心な視線を送ってくる青年達を眺め、シスファンは艶やかに笑み返した。今日は軍服ではなく、盛装だ。耳の下辺りまでの黒い真っ直ぐした髪と同じ色の、黒い布地に紅いひだをあしらい身体の線が出るような細身の裾の長い衣装は、シスファンの少しきつい印象の容姿をぐっと引き立てている。

 副将イェンセンは蓄えた口ひげの下でこわごわ苦笑した。

「お遊びは私の預かり知らないとこでお願いしますよ」

「でも、あいつらは怖い物知らずと言うより怖いもの見たさが八割だろうな? 泣かれても困るか」

「それはお答えしにくいですな」

 (うそぶ)く副官の顔を見て、シスファンは楽しそうに笑った。

「まあせっかくはるばる辺境から王都まで出てきたのだ、楽しもう。耳障りな会話じゃ酔えないが、殿下の凛々しいお姿を拝見するのは価値がある」

 シスファンは再び視線を巡らせた。人々の向こう、広い窓際に近衛師団第一大隊の将校達の姿がある。

「奴等は今日はあまり楽しめんかもな」

 そこにいたロットバルトはすぐにシスファンの視線に気付いて顔を向け、柔らかい笑みを返した。きゃあ、とシスファンの周囲にいた娘達から声が上がったのは、笑みが自分に向けられたと思ったからだろう。

 イェンセンは訝しそうに、周囲の娘達と上官の顔を見比べた。

「何いきなり騒いでんですかね、この娘等は」

「だからお前は嫁に逃げられるんだ」

「貴女のせいですよ。辺境に行かなきゃいけなかったから」

「ははは」

 部下の恨みがましい視線を受けて、シスファンは喉を仰け反らせて笑った。

 クライフは令嬢達が騒いだ方角にシスファンの姿を見つけ、ちょっとだけ頬を引き攣らせた。

 辺境に赴任しているせいで王都では滅多に姿を見ることは無いが、シスファンの名前を知らない軍関係者はいない。大抵怖い逸話ばかりで、クライフみたいな性格の人間は迂闊に近寄ると容赦なく剣を突き付けられそうで、それがまた怖い。

 そう思いつつ、クライフはロットバルトの横顔をちらりと盗み見た。特にもう、シスファンへ注意を向けている訳ではない、が。

(――やっぱ怖ぇ……)

「何か?」

 問われて慌てて首を振る。

「いや。すげえ人数入ってるよなぁ。大体これで何人くらい来てるんだ?」

「九十九家全てと、軍の大将級も全て出席していますからね。官吏や商人達も含めて、それに夫人や子息を同伴している事を考えれば、八百名ほどは」

 正式な祝賀の場などに伴侶や子息を同伴するのは一つの礼儀で、今日はヴィルトールも夫人を伴っている。いつもとはかなり違ったヴィルトールの様子が見れるのだが、そこはそこで放っておくとして、クライフは独り身だからという訳ではないが何となく腕を組んだ。

「そういや、さっきのお前の母ちゃん? ヴェルナー侯爵の隣にいたの、夫人だろ。えれぇ若いな。三十位に見えるぜ」

「違いますよ。彼女は妹の生母でね」

「妹のって」

「一般的に言えば後妻ですね。まあ私の母も後妻でしたが」

「――」

 にこやかに言われても返答に困る。クライフは苦し紛れにぽんと手を打って話題を変えた。

「お、お前の妹美人? お前に似てる?」

「さあ。滅多に会わないしな……」

「――」

 こいつに家庭の事を突っ込むのは金輪際やめよう、とクライフは肩を落とした。そんなクライフに訝しそうな視線を向け、グランスレイはロットバルトを振り返った。

「それより、お前はここにいてもいいのか」

 グランスレイはロットバルトが侯爵家としての立ち位置ではなく、近衛師団としてこの場にいる事を気にしたのだが、ロットバルトは首を振った。

「いいんですよ。入室まで一緒であれば用は足りる」

「用」

「あの方も、今の状況であれば私がこちらにいた方が都合がいいと考えていますし」

「――」

 グランスレイは政治的な面への対応はさほど得意という訳ではないが、ロットバルトの言う意味は良く判っている。そして今後、レオアリスにとって、そうした事と向き合う必要が飛躍的に膨れ上がるだろうとは、今日のこの場を見渡す限りでも容易に予測できる。

 光が差せば自らの後ろに影を作る。光が強ければ強いほど影も濃くなる。

 そして問題は、影ができるのが自らの足元だという事だ。得てして、その濃さと広がりに気付きにくい。

 気の重そうな様子のグランスレイに、フレイザーが微かに笑ってその傍らに立った。

「私はこれまでも、今も、同じように上将を誇りに思っています」

 貴方もそうでしょう、という問い掛けが含まれた言葉に、グランスレイは暫くフレイザーを見つめ、頷いた。

「その通りだ」

 要は自分達が、支えていけばいいのだ。そしてやはり、今のレオアリスの状況は、グランスレイにとっても喜ばしいものに変わりは無かった。

「そろそろ殿下と、上将がいらっしゃいますね」

 祝賀の始まる時刻だ。西の壁に連なる広い窓と硝子戸の向こうでは、太陽がゆっくりと沈んで行き、空は美しい茜色に染まっている。

 室内に流れていた音楽が一旦すうっと小さくなって消え、一呼吸置いて新たに華やかで軽快な曲が始まった。そこに高らかな金管の音が重なる。

 大広間は三階部分まで吹き抜けになっていて、二階と三階に壁をぐるりと巡る回廊がある。そこに王や王妃など、王族だけが使用する扉があった。大広間にいる全ての者達の視線が集中する。

 扉が開きファルシオンが姿を現すと、一斉に拍手が鳴り響き、大広間に満ちた。





 嵐はやってきて二刻ほどで過ぎ去っていった。穏やかさを取り戻した海で、一隻のフィオリ・アル・レガージュの交易船が帆を降ろしたまま波間に揺れている。

 東の空に上がり始めた月明かりが船体を照らし、透き通った群青の中の、一枚の絵のような光景だった。

 傍らには一隻、レガージュ船団の護衛船が寄り添っている。

 彼等は遠く南方の幾つもの国々と三ヶ月にも渡り取引をしてきた帰りで、母港までもう数刻の距離にいた。誰もが気持ちは故郷の港に向いている。家族、恋人――早く無事船を陸につけ、会いたいと。

「嵐が止んだ、そろそろ船を出そう。レガージュに着くのは夜中になるが、どうせなら早く着きたいしな。明日の朝までここに居たくはないだろう」

 船長であるミゲルの言葉に航海士も頷いた。

「賛成です。三ヶ月も乗ってたらもう充分、とにかく(おか)が恋しいですよ」

 航海の終わりは常に陸の上が恋しく、ただすぐに海に出たくなるのだが。

 ミゲルは甲板からレガージュの港の方向を眺め、緩やかに吹いてくる風に満足そうに頷いた。

「よし、出よう」

 その言葉に、航海士が操舵室へと向かおうとした時だ。

 こつり、と小さな音がした。

 小さいが、船体に響く音はどれほど小さくても彼等には聞き取れる。

 硬く軽いものが船体にぶつかる音だった。音は二、三度繰り返された。

「何か腹に当たってるな」

 角灯を掲げるようにして月明かりを弾く海面を上から覗き込むと、波間に幾つかの塊が浮いているのが見えた。

 波に寄せられ、船体に当たって音を立てる。

 木の切れ端だ。

 視線を上げてミゲルは息を詰めた。

 波間にあちこちと、大小様々な木切れが浮いている。木切れはゆっくりと波に乗り、彼等の船へ近付いてくるところだった。

 何度か目にした事のある光景で、何が起こったのかすぐに判った。

「どこの船だ」

 おそらく先ほどの嵐で船が座礁し、その残骸が漂って来ているのだ。

 隣にいる船団の船を見れば、やはり木切れに気付いたのか甲板の上で角灯が揺れていた。

「あの嵐からなら、まだ場所は近いはずだ。投げ出された奴等がいるかもしれない、探しに行こう」

 ほどなく、レガージュの交易船と船団の船は、帆を張って海原を進み出した。





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