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第2章「陰影」(5)

 王城の露台にファルシオンが現れた時の、広間に集まった住民達の驚きは、事前に何の情報も無かった分、謁見の間で諸侯が見せた驚き以上だった。

 王子の凛とした健康的な姿に沸き返り、そして王子の後方に控える剣士の姿にまた沸いた。

 若い王子と若い近衛師団大将というその構図が、この国の未来を更に輝かしく前途洋々たるものに感じさせたからかもしれない。街中の行進も、全ての住民達が集まっているのではないかと思えるほどの人出と歓声に包まれた。

 レオアリスがファルシオンに呼ばれて馬車に馬を寄せ、少し身を屈めて王子と何事か言葉を交わした時など、いずれ来るだろう未来を思わせる光景にまた沿道が沸く。

「――すげぇなぁー、殿下の人気は。上将もいつの間にかっつーか、こんだけ王都の住民に受け入れられてたんだな。もう上将が殿下の守護に決まったみてぇな盛り上がりっぷりだぜ」

 クライフは上空を飛ぶ飛竜の背から沿道の様子を眺め、感心したように呟いた。家々の窓辺に飾られた色鮮やかな旗と、集まった住民達の熱気。

「俺等まで何か盛り上がってくるよなぁ。お前、予測してたか? ここまで盛り上がるなんてよ」

 少々興奮気味のクライフとは対照的に、隣に飛竜を置いていたロットバルトは地上の歓喜とは全く無縁の、いつも通りの冷静な色の視線を返した。

「まあ、元々上将は王都でも親しまれていましたからね。地位や家柄に固執する貴族や官吏達などよりずっと、彼等は懐が深い。ただ、これほど反応が大きいのは意外でしたが……」

 最後は独り言に近く、ロットバルトは思考に集中する時の癖で蒼い瞳をやや細めた。

 何の利害や権益も掛からないところにある住民達のこの反応は、レオアリスの立場にとっても有難いものだ。剣士としての彼を、住民達は喜びと共に受け入れてくれている。

 だが、王はどこまで、これらの反応を想定していただろう。

 そして謁見の間の、諸侯の反応と。

 クライフはロットバルトの表情に気付いて眉を上げた。

「何だ、渋い顔だな、また考え事かよ。今日は晴れの日だぜ」

 そんなしょっちゅう考えてたら俺だったら頭が割れるぜ、などと呟いている。

「――いや、まだ漠然としていてね――。しかし、確実に問題はありますよ。謁見の間での諸侯達の反応では、これから上将の周囲はどんどん賑やかになる」

「ああ、それか」

 クライフも思い当たる事はあったようで、少し眉を寄せて地上へ首を巡らせた。

「そういやちょっとなぁ、俺も何となくだけどセルファン大将が気になんだよな。さっきも謁見の間じゃ機嫌悪そうだったし」

「――」

 セルファンの第三大隊は今日は地上部隊だ。第一大隊の左軍及び右軍と、第二大隊全体とともに、馬車の通る沿道とその周辺の路地や建物の警戒に当たっていた。近衛師団として当然の任務ながら、陽の当たる役割とは言い難い。

「まあ気持ちは判んなくもねぇが、近衛師団内部でゴタゴタすんなぁ勘弁して欲しいぜ。トゥレス大将は割りとあっさりしてるだろ、結構あの人は上将の側に立った発言とかしてくれてるし、同じ師団の仲間なんだからよ」

「……そうですね」

 ロットバルトは慎重に頷いた。

 そろそろ行進は終わりに差し掛かり、終点である王城の南門が通りの先に見えてきている。

「無事終わりそうだなぁー、やれやれだ」

 クライフは飛竜の上で、緊張に凝った肩を回した。

 行進の後はファルシオンが城外へ出る予定はなく、あともう一刻もすれば近衛師団も正規軍も総員配備を解いて一息付ける。王城の警備は今日はトゥレスの第二大隊の役割で、クライフ達は基本、この後はファルシオンの晩餐会まで任務は無かった。晩餐会も、近衛師団の中将以上は半分招待客としての扱いだ。

「上将は一日任務になっちまったけどな。でも任務って言って踊りの誘いとか断れるからまだいいか」

 ロットバルトは何を思ったか、クライフをチラリと見て、笑った。

「貴方は断る必要は無いんですよ」

「――断んねぇよ! どうせ断る相手もねぇですよ!」





 青く彩られた硝子を通して、遠くファルシオンの行進を眺める住民達の歓声が聞こえてくる。どこか打ち寄せる潮騒のようだった。

 それは瞼の無い瞳を窓の外に向け、(わずら)わしそうに擦れた笑い声を立てた。

 偽物の潮騒を嘲ったのかもしれない。

「賑やかな事だ。地上はお祭り騒ぎが好きと見えますな」

「ファルシオンは城下でも人気が高いからな。確かに可愛らしいよ。見る者を温かい気分にさせて、守ってやりたくなる」

「――どこまで本気で言っておいでだか……」

 しかし少し、それは不安を覚えたのか、念を押すような口調になった。

「今日はもう一つ、祭の彩りを加えようと思ってお知らせに来たのですよ。御方には賑やか過ぎるかもしれませんが」

 くすり、と低い含み笑いが返る。

「お前達には、それこそが主祭だろう。似合わない遠慮をするな」

 笑みに口元を吊り上げたまま、窓の向こうを透かし見るように視線を向ける。青い膜を張ったような窓は、差し込む太陽の光をまるで海の底へ落ちて行くように細く揺らしている。

「祭は少し長引くのだろうな」

 それはじっと、目の前に座る相手を見つめた。三百年前と変わらず――あの時よりもずっと掴み所の無い印象を受ける。真意が測り難い。

 これから起こる事を既に示されていながら、それを是とするようにも憂えるようにも見えない。そこが、彼等にとっては不安を呼び起こさせる要素でもあった。

「……御方は気にならぬと見える――他者の滅びも、自らの破滅も」

「別にいいさ。気にするにはもう、歳を()過ぎた」

「遠い過去の事、と」

 慎重な問いかけに、再び温度の無い笑みが答えた。

 どこか疲労すら感じさせる乾いた声。

「歳月を重ねるごとに、磨耗するのだ。想いは」

 それが――耐え難いのだと。

 忘れ得ぬと想ったただ一人を、ゆっくりと過去に埋めて行く自分が。

「ザイン、と言ったか。――羨ましいよ」

 三百年、主の遺志を守り、主のいない場所を護り続ける事ができるのは。

 似たような立場でも、自分は、ただ時に流されるままに生きて来た。

「剣士のように、どれほど時を経たとしても変わらず、忘れぬ事ができたのならな――」

「――」

 それは黙って相手の呟きを聞いていた。それにはそもそも、理解のし難い感情だ。

 とはいえ、それがどう思っていようと、目の前の相手は歯牙にもかけまいが。

 それが神妙な顔つきで口を閉ざしているのを見て、相手は喉の奥で笑いを転がした。からかうような口調になる。

「まあ、奴が未だレガージュにいるのは、お前を殺す為でもあるだろうなぁ……三の戟ヴェパール」

 三の鉾とは、西海バルバドスの海皇を守護する三つの兵団の呼称であり、兵団を率いる将を指す言葉でもある。第三位がビュルゲル、第二位にこのヴェパールがいた。

 その名が遠慮の欠片も無く口にされた事に、それ――ヴェパールは眉を潜め、素早く周囲を見渡した。だがそんな様子にはお構いなしの声が続く。

「あの時の事こそ忘れてはいまい。お前こそ奴の本懐、切り裂きたくて夜も眠れまいよ」

 揺り椅子に深く腰掛けて身体を預け、朗らかに告げた。

「せっかくだ。お前達二人の再会をお膳立てしてやろうか?」

「――ご冗談を」

 軽やかな笑い声が弾けた。

 小さく扉が叩かれる。ヴェパールは一度扉を眺め、ちゃぽんと水音を立てて水盤に沈んだ。丸い緑の光が、一寸程度も深さの無い水盤の底に揺らめきながら沈んで行く。

 扉が開き、若い女官が顔を出した。

「お休みのところ失礼致します、お召し物をお替えになるお時間です――。あの、どなたかおいででしたか」

 女官の問いかけに、口元にゆっくりと柔らかな笑みが浮かび上がる。

「いたよ。古い知り合いがね。でも、今帰った。まあ扉から帰った訳じゃあないが、お前は気にしなくていい」

 そう言って、女官が捧げ持っている華やかな衣装を見た。

「それにしても夕刻にはまた王城に戻るのか。めんどくさいね」

 女官は何も応対しなかった事を詫びて、着替えを手伝う為に室内に入り、壁際に置かれた水盤の台の横を通り過ぎた。

 水盤にはまだ微かに、細波(さざなみ)が揺れていた。





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