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第2章「陰影」(3)

 花待ちの月――三月半ばを過ぎた王都の上には、薄い水色の空が丸く広がっている。

 王都の(いただき)に聳える王城からは遠い地平線や山脈の尾根が見渡され、視界を遮るものは何もなく、まるで空に包まれているように感じられた。

 山の裾のように緩やかに下って広がる街並と、風に乗って運ばれてくる、街の息吹(いぶ)き。

 深呼吸をしたくなるような朝だ。

 レオアリスは静かに、ゆっくりと息を吐いた。

 ただし、穏やかな朝の風景は背後の窓の向こう、目の前にあるのは重厚な両開きの扉だ。

 扉の左右に立つ近衛師団隊士がレオアリスと、その後ろのグランスレイとロットバルトへ一礼し、扉を押し開けた。

 高く厚い扉は、音も無く開く。

 五日に一度、王の一日の始めの政務として、内政官房、財務院、地政院、軍部、それぞれの副長官までが揃う会議が行われる。四大公やアヴァロン、副長官達は玉座の壇下に立ち、玉座の傍らには王の相談役としてスランザールの席も用意されている。

 話し合われるのは常に、国政の重要事項だ。

 それだけの顔触れが揃う為、新たな施策などの基本方針の承認を得る場として、各官吏達の中でも重要な位置を占めていた。

 王印を受ける、というのが官吏達の符丁(ふちょう)で、この場で施策や予算の認可を受ける事を意味した。ここで王と長官達の承認を得れば、その後の方向性は確約された事になるからだ。

 今回、明日に控えたファルシオンの祝賀式典に伴う警備体制について、この会議上で王へ最終の報告う事になっているのは、それだけ重要な案件だからだった。

 レオアリスは謁見の間へ入室し、玉座の正面に(ひざまず)くと、王の前に面を伏せた。

 深い緑の絨毯が一本、玉座と謁見の間の扉とを真っ直ぐに繋いでいる。一抱えもあるような円柱が定間隔に並んで高い吹き抜けの天井を支え、天窓から白い光が幾筋も落ちて玉座の周りに注いでいた。

 玉座から下る階段の下にアヴァロンが立ち、各長官である四大公とその副長官達が緑の絨毯の左右に並んでいる。王は既に玉座に座し、広い謁見の間は緊張感に満ちていた。

 ロットバルトはレオアリスの後方にグランスレイと並んで跪いたまま、玉座を中心に立つ顔触れを確かめた。

 内政官房長官であるベール、財務院長官ルシファー、地政院長官ベルゼビア、正規軍将軍アスタロト。そして彼等の補佐役でもあるその副官達。この国を動かしている、壮々たる顔触れだ。

 こうした場で、レオアリスが近衛師団を代表する形で議題を諮るのは、ロットバルトの知る限りでは初めての経験だったはずだ。

 これまではアヴァロンが全てその役を担っていたが、最近になってアヴァロンはその幾つかを各大将達に下ろした。

 王の警護に加え、近衛師団全体の案件の報告を各大将が担う――。そうした一連の動きを見れば、言葉には出さないものの、誰しも、近い将来のアヴァロンの退任と新たな近衛師団総将の誕生が現実味を帯びて思い描かれるだろう。

 ただ、この場にいる者達は(みな)王に近い位置にある。

 既に王の意思を知った上で、目の前の「候補者」を見極める為の視線を注いでいるようにも見えた。

 視線をレオアリスに転じる。膝を付いた後ろ姿からは、王の前にある事への緊張感しか感じられない。

 レオアリス自身が今の状況をどう思っているかは、ロットバルトにもある程度は推測できる。

 この場の者達の観察も、王城内で囁かれる憶測も、レオアリスには重く億劫な意識だろう。

 王の為に剣を持つ事を望んでも、それがそのまま近衛師団総将に、と、その地位を求めている訳ではないのだから。

(選ぶ方にとっても難しい選択だろうが……)

 レオアリスの過去を考えれば、彼が近衛師団総将に就くのは異例中の異例――しかし能力と忠誠心を考える限り、レオアリス以上の適任者は現時点では無い。

(最終的には、王の意思一つ――それがいつの段階で明白になるかだな)

「近衛師団第一大隊大将、レオアリス。陛下に対し案件を説明せよ」

 内政官房長官ベールが促し、レオアリスは面を上げて立ち上がった。肩から纏っている漆黒の長布が立ち上がる動きに合わせてふわりと流れ、その色に参列者達はそれぞれの思惑を一旦収めて、立ち上がったレオアリスへ視線を集めた。

 既に昨日の軍議で正規軍も含めた了承を取り、この場にはアヴァロンもアスタロトもいるが、それでもこの顔触れを前に説明をするのは中々骨の折れる仕事だ。

 グランスレイとロットバルトが補佐として入っているものの、彼等が代わって発言するという事は基本的に無い。できるのはレオアリスに対しての補足程度。それでも、いるといないとでは大分違うが。

 軽く呼吸を整え、レオアリスは口を開いた。

 近衛師団と正規軍の配置計画を、要点を選んで簡潔に――。昨夜グランスレイやロットバルトとも説明の仕方を試している。

 その甲斐あって説明が滞る事もなく、レオアリスは胸の内で息を吐いた。もちろんそれを顔に出すことは控える。

 レオアリスの説明を聞き終え、幾つかの点について確認のやり取りをした後、王は了承の意味で頷いた。

「案通りで良かろう」

 それまでの緊張に比べれば呆気なさ過ぎるほどの言葉だが、その一言で、謁見の間を満たしていた空気は密度を変える。

 面に出さないように努めながらも、今度は実際にそっと息を吐いたレオアリスの様子を認め、アヴァロンは微かに苦笑を浮かべた。

恙無(つつがな)く、ファルシオンの祝賀を支えてもらいたい」

 アヴァロンもまた、レオアリスと共に王へと向き直り、深く一礼した。

「陛下の御名にかけて、近衛師団、正規軍ともに謹んで務める所存でおります」

 アスタロトとタウゼンも一礼する。アヴァロンはレオアリスへ目線を送った。レオアリスは頷き、退出の為に再び跪いた。

「御前、失礼致します――」

「レオアリス」

 立ち上がり扉へ向かいかけていたレオアリスを、王の声が追った。

 足を止めて振り返り、レオアリスは玉座の王を見上げた。王は玉座の肘置きに半身をもたせかけるようにして、レオアリスを見つめている。

 黄金の瞳には、どこか面白がる光が浮かんでいる。

「急だが、案に幾つか加える」

「どのように――」

 何か問題があっただろうかと、正規軍のアスタロトとタウゼンが顔を見合わせる。彼等にも現案を承認した責任がある。

 アスタロトは心配そうな色を瞳に浮かべ、レオアリスと玉座の王を見つめた。

 王は黄金の瞳を細め、言葉を続けた。

「そなたには明日、ファルシオンの傍らに付き、王子の警護をしてもらいたい」

 現案もレオアリスがファルシオンの馬車に付くようになっているのだが、改めて言われるという事は位置取りが甘かったのかもしれない。

「失礼致しました。もう一度配置を確認し、殿下の馬車との位置を変更致します」

 レオアリスの返答に王は笑った。

「行進の件だけではなく、全体の話だ。式典と謁見、晩餐後の祝賀まで、明日一日掛かりきりになるが」

 張り詰めていた空気が、微かに揺れた。他の四大公は表情を変えなかったが、アスタロトは驚いて瞳を丸くしている。

 ロットバルトは周囲の反応に素早く視線を向けた。

 副長官達は意外そうに王を見上げ、父――副長官達の筆頭でもあるヴェルナー侯爵もまた、少なからず驚いた様子だった。という事は、今の王の指示は、事前に彼等の耳に届いていた訳ではないのだろう。

 現案では主に王都内の行進に対する警護を行う予定のみで、王城内でファルシオンの周辺を固める事までは予定していなかった。ファルシオン付きの王室警護官がその役目を果たすからだ。

 ロットバルトはグランスレイと視線を交わし、その視線をレオアリスの後ろ姿と、アヴァロンへと向けた。

(――)

 気のせいか――、アヴァロンは視線こそ真っ直ぐ正面を見据えていたが、その面にはどこか張り詰めた表情が浮かんでいる。

 玉座の傍らに座るスランザールも、王の横顔に思わしげな眼差しを向けていた。

 二人の様子に、ロットバルトの中に微かな違和感が覗く。

(何だ)

 驚いている様子とは違う。まるで王の発言に、彼等は余り賛同をしていないかのような印象を受ける。

 どちらかと言えば――、憂えているような。

 ただそれも束の間の事で、王が言葉を続けた時には、二人とも普段の様子に戻っていた。

「明朝、まずはファルシオンを居城より迎え、我が元へ連れて来るように。居城の警護部へは私から一言入れておく」

 レオアリスも驚いて一瞬戸惑いを覗かせたものの、すぐに頷いた。

「承知致しました」

 ロットバルトは再びレオアリスの後ろ姿を見た。

(王は何か懸念をお持ちなのか――)

 ファルシオンの身に対する何らかの危惧を。

 たが王城には、王自身によって防御陣を施されている。

 以前の居城への侵入の一件はもちろん頭を過ったが、あれは西海の力が王の防御陣を破った訳ではなく、同じ血を引くイリヤが媒介したからだ。

 そもそも王の上にあるのは、そうした懸念とは違って見える。

(どちらかと言えば、布石に近い感じもするが……)

 城外の警護だけではなく、明日一日、レオアリスがファルシオンに付くという事は、今ある周囲の憶測を更に強固にするものだ。

 そうなれば水面下で様々な思惑が動き始め、一時なりと、王城内は揺れるだろう。

(だが、王が公式の場で明言されない限り、違う思惑を持った者達も動く余地は充分にある)

 王がその事を考慮していないとは思い難い。

 それを良しと考えているのか――

(それとも)

 立ち位置を、変えていこうとしているのか。

 誰に対しても目に見える形で。

 王はそれ以上は言わず、レオアリスは左腕を胸に当てて敬礼を捧げ、謁見の間を出た。

 重い両開きの扉は開いた時と同様に、音も無く閉じた。

「上将」

 扉が閉じると同時に、グランスレイはレオアリスを見た。急な変更だからと言うよりは、レオアリスを取り巻く今の状況を、グランスレイも考えたのだろう。

 あの場で感じられた反応以上に、明日の王城の反応は激しいものになる。

 ただレオアリスはそれを考えているのかどうか、頷いた。

「うん。案を少し練り直す必要があるかな。流れが変わるか?」

 ロットバルトは首を振った。

「それはさほど。元々殿下の馬車の傍らには貴方が付く予定でしたからね。前後が変わっても配置に影響はありません」

「ならいい。今から動きを変えるのは一苦労だからな。まあもし大幅な変更を言い渡されても、当然きっちり仕上げる必要があるが」

 そうじゃなくて良かったよな、とレオアリスは笑ったが、ある意味に於いては直前の配置変更どころではない、大幅な変更だとも言える。

 第一王位継承者の祝賀の場で一日その傍らに付くという事が、政治的にどのような意味を持つか――、レオアリスも理解しているだろう。

 王の下命でありファルシオンの為であれば、もちろんレオアリスに異論などある訳が無いが――

「取り敢えず、明日の殿下のご予定をもう一度復習(さら)いましょう。王室警護部へはこちらからも通知をしておく必要がありますね。――殿下はお喜びになりますよ」

 事が単純に、それだけで済むのなら尚いいが。

 ただ、その言葉に対しては、レオアリスも屈託無く笑った。

 もう一度、謁見の間の扉に視線を投げてから、ロットバルトはレオアリス達の後を追った。

 王の意図は気になるところだ。またこの件がきっかけで、余り急進的な憶測が飛ぶのは好ましくない。レオアリス自身の発言や行動も制限されてくる。彼の立ち位置は今までよりずっと窮屈になるだろう。

 それは避けられないにしても、王が何らかの明言をするまで、なるべく沈静化させたいというのが本音だ。

(まあ、それが俺の役目だが)

 それより、先ほどのアヴァロンとスランザールの表情が気に掛かった。

 誰より王の意思を理解しているだろう二人が、今回の王の指示には恐らく、賛同はしていない。

(上将の過去か? いや、あの二人には今更だ)

 もっと別の、今のロットバルトには見えていない、何かの要因があるのかもしれない。

(どう影響してくるか、少し探りを入れておくべきだな)

 話を持って行きやすいのはスランザールだろう。率直に懸念を伝えれば、ある程度までの示唆はくれるはずだ。

 ただ当面は、明日一日を問題無く進める事が何より重要だった。





(ファルシオンの警護か――)

 アスタロトはちらりと、レオアリスが出ていった後の空間に視線を向けた。

 議題は次の案件に移っていたが、アスタロトの頬にはまだ不安そうな色が残ったままだ。

 第一王位継承者の為の祝賀で、その警護を担うというのは名誉な事だろう。レオアリスにとっては、悪い話の訳がない。ファルシオンもきっと喜ぶのだろうと、アスタロトは思った。

 もしかしたら、王はファルシオンを喜ばせる為にそう指示したのかもしれなかった。

(いい事だよね)

 それなのにわだかまりを感じる自分が嫌になって、アスタロトはそっと溜息を落とした。

 けれどそれ以上にもっと、気になる事があった。

(一度も……)

 目が合わなかったから。

 王の前にいる間、レオアリスは視線をアスタロトへ向けなかった。

 もちろん、それがどうという訳でもない。レオアリスだってわざとそうしていた訳ではないだろう。

 意識は常に王へと向けられている。王の――剣の主の前に在るのだから、当然だ。

 それなのに一瞬、先日のブラフォードの笑みが(よぎ)った。

『剣士など、想ってみても甲斐はない』

(――)

『お前と同じ所での想いなど(いだ)くまい。元々がそういう種族だ』

 微かな溜息はほんの少しだけ、空気を伝わった。

 傍らに立っていたルシファーは、(あかつき)色の瞳に揺らぐ光を浮かべ、アスタロトの横顔を見つめた。




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