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第2章「陰影」(2)

 陽射しの気持ち良い午後の三刻ばかり――

 近衛師団第一大隊の士官棟では、玄関先の階段の踊り場に二人の男が立ち、隊士二人と押し問答を展開していた。

「だからぁ、返事が欲しいってお願いしてるだけじゃねぇか! こっちとしちゃ一言でも貰えりゃいいんだしよ」

「だから、大将は今はご不在だと、先ほどからそう言っているのだ」

 応対している隊士は事務官のウィンレットと同僚のライアー、二人の男はあのフィオリ・アル・レガージュの商人ブレンダンともう一人は若い二十代の青年だ。

 体格は四人とも余り変わらない――というよりは近衛師団でも事務官のウィンレット達より、ブレンダン達の方が体格がいいから余計、揉めているように見える。

 ブレンダンはそれこそ威嚇するように、つるりと剃った頭をウィンレットにぐいと寄せた。

「不在不在って、今日また来るって昨日言っといただろうが。第一返事なんて一晩もありゃ書けらぁ。それとも何か、王都じゃ西の外れの奴の事なんざ真剣に対応する必要はねぇって事か?」

「お、親父、落ち着いてくれよ、な? ここは近衛師団だって。王都であってレガージュじゃねぇんだから」

 若い男――ブレンダンの息子は息巻く父親を宥めようと肩を掴んだ。

「近衛師団が何でェ。お高く止まってまともに対応しやがらねぇから腹が立つんだ。上がそういう考えだから下の奴までそういう態度になるんだよ」

「そんな事は決してない。大将は貴方が来たら自分を呼ぶようにと、我々にも仰っていたんだ」

「じゃあ何でいねぇんだ」

「だから先ほどから言っているように、今は任務中でいらっしゃる。戻られるのは夜だ」

「任務中? どこかで戦闘でもあるまいし、任務中でも何でもいいからとにかく引っ張って」

「親父ー!!」

「無礼な事を。大体貴方は時間の指定をしていないのだから、ちょうど居なかったからと言って責められても困る。こちらにも隊の都合があるんだし、また日を改めて」

 そろそろ痺れを切らして押し出しかけたところで、ウィンレットは、あ、と顔を上げた。

「――上将」

 目の前でウィンレットとライアーがいきなり敬礼姿勢を取った事に驚いて、ブレンダンと息子は後ろを振り返った。

 門を潜って歩いてきた青年――いや、まだ少年に近い――が、入口の四人を見て足を止める。

「――どうかしたのか?」

 四人とも、お互い顔を突き合わせんばかりの距離だ。実際ブレンダンはウィンレットに頭突きをしそうなほど顔を突き付けていた。

 ウィンレットが一つ咳払いをして、一歩身体を引く。

「上将、失礼しました。お戻りは夜かと――こちら昨日のブレンダン氏です」

「ブレンダン? ――ああ!」

 レオアリスは昨日手紙を届けに来た男の名を思い出し、明るい笑みを浮かべた。

「そうか、悪い。待ってて貰うように言ってたんだったな」

 レオアリスはブレンダンに歩み寄り、目礼をしてから向かい合った。

 ブレンダンは何やら、ぽかんと口を開けてレオアリスを見ている。

「失礼した。こんなに早くおいでとは思わなかったから。手紙をいただいたレオアリスです」

 レオアリスは手を差し伸べたが、ブレンダンはそれには気付かずにまだじっとレオアリスを見たままだ。

「近衛師団大将? あんたが?」

 そう言って傍らの息子を振り返る。

「どう見てもガキだよなぁ」

「――……いや、親父!」

「無礼な!」

 息子はさすがに青くなり、ウィンレットとライアーはそのまま放り出しそうな勢いの厳しい目をブレンダンに向けた。

 緊張した空気をひっくり返したのはレオアリスだ。

「あはは、久しぶりだな、この反応!」

 弾けるように笑って肩を叩かれ、ウィンレットは何とは言えない遣る瀬なさに項垂れた。

「上将……」

「ま、中に入って貰おう。応接室でいいかな」

 ウィンレットは何か一言諫めたかったが、さすがにグランスレイやロットバルトのようには行かず、諦めて頷くと先に立って歩き出した。

 レオアリスの後にブレンダン親子が続く。ブレンダンはまだ半信半疑の様子でレオアリスの横顔を覗き込んだ。

「あんたが本当に大将か……? 何だか細っこいしなぁ。うちのせがれより細いじゃねえか」

 レオアリスはブレンダンの後ろの息子をちらりと見て、つい笑った。確かにいい体格をしている。すぐにでも剣を持てそうだ。

「似合わないかな――まあ言われ慣れちゃいるが、そこまでまじまじと言われるとへこむな」

「いや、似合わないとは言ってないけどよ、こんな若いとは思わなかったからなぁ」

「な、何言ってんだよ親父、王の剣士はまだ十七歳だって聞いてただろう」

 息子が慌てて口を挟む。彼の目から見たレオアリスは、先ほど入口で向かい合ったあの姿だけでも、充分雰囲気があった。

 レガージュ船団を統率する船団長を良く知っているが、彼と近く、また違う。

「いや、しかしなぁ、こんだけ若い大将ってのは……近衛師団の大将だぞ、大将。若過ぎる」

 腕を組んでぶつぶつ呟いているブレンダンに対し、ウィンレットは頬を引き攣らせつつ応接室の扉を開けた。

「どうぞ」

 内心叩き出してやろうかと考えているのは間違いないが、そこをぐっと抑え、ウィンレットはブレンダンを卓を挟んだ窓際の椅子に案内した。

 ブレンダンがどさりと座ったところで、ライアーが飲み物を持って入ってきた。

 ウィンレットが残りライアーがさがると、レオアリスはブレンダンの前に腰掛けて口を開いた。

「貴方は、剣士ザインの手紙を持って来てくれた。あの手紙は思いがけない喜びでした。その事にまず、お礼を」

「そんで、返事は」

 ブレンダンは隣の息子がその都度飛び上がるほど単刀直入だ。

「ザインに持って帰ってやると約束したんだ」

「返事は書いてないんだ」

「困るぜ、それじゃ。俺ァザインとの約束を(たが)えるのはご免だぜ。あんたとは一時、けどザインとは一生だ。あんたにゃ失礼な態度取っても、返事は書いてもらいたい」

 椅子の背凭れに身体を預けて深く沈め、ブレンダンはレオアリスを見据えた。レオアリスが頷く。

「返事は書いていないが、伝えて欲しい」

 漆黒の瞳をじっとブレンダンに向ける。

「近いうちに必ず、伺うと」

 レオアリスは確約するように告げたが、ブレンダンはそれだけでは満足しなかったようだ。

「いつ頃か、そいつをはっきりさせてくれりゃあ有難いんだけどなぁ」

 息子は頭を抱え、ウィンレットは再び頬を引き攣らせた。

 レオアリスは可笑しそうな眼差しをウィンレットに向けて宥め、ブレンダンに真っ直ぐ向かい合った。

「今はっきりと時期を決めるのは無理なんです。俺は王に仕える身で、個人の意志のみで軽々しく動く訳には行かない」

 レオアリスが王と口にした時に(まと)ったそれまでとは違う空気に、ブレンダンはしばらくレオアリスの顔を見つめた。

 黙ったままの父に、息子が諭すように膝に手を当てる。

「親父、ザインさんはそんな事で怒る人じゃないだろう。無理言ったって知ったら逆に申し訳ないって思われるよ。大将殿がこう言ってくれてるんだ、これで充分じゃないか」

 それでもブレンダンはじっとレオアリスに視線を据えたままだ。

「黙ってないで――全くぅ」

 溜息をつき、父親の代わりにと息子はレオアリスに向かって頭を下げようとした。ブレンダンが息子の肩を掴む。

「親――」

 ブレンダンは剃り上げた頭を丁寧に下げた。

「承知しました。ザインにはそう伝えましょう」

 息子とウィンレットがつい瞳を(しばたた)かせる間も、ブレンダンは打って変わってにこやかな笑みでレオアリスに話し掛けた。

「ザインも、ユージュも喜びます」

「ユージュって、あの手紙を書いた、ザインの」

 ブレンダンはすっかり、やり手の商人の風情で頷いた。

「そうです。ザインと――、フィオリ・エルベの子です」

 ブレンダンががらりと雰囲気を変えたせいか先ほどよりも静かな空気が落ちた室内に、レオアリスが微かに息を呑む音がした。

「フィオリ・エルベ――。でも彼女は……彼女が母親?」

 座っていた椅子の肘置きをぐっと掴み、身体を乗り出す。

 レオアリスがフィオリ・エルベの事を知っていそうな様子に、ブレンダンは破顔した。

「良くご存知ですな、大将殿。そう、フィオリ・エルベはご存知のとおり亡くなっていますが――ユージュの母親は彼女です」

 レオアリスは驚いたまま、ブレンダンの瞳を見た。フィオリ・エルベが亡くなってから、既に三百年が経過している。

 ユージュの母がそのフィオリ・エルベだと言う話は、俄かには信じがたいものだった。

「今は十歳ほどです。まあ本当はあの子も三百歳ですが」

「――」

 三百年――、それだけの歳月を過ごし、未だに十歳程度だと――。そんな事があるのだろうか。

 それもまた剣士の種としての特徴故だったが、レオアリスはそんな可能性など考えた事もない。

 レオアリスの顔を見つめ、ブレンダンはまた頷いた。

「やはり、レガージュにおいでになってザインとお会いになるのは、大将殿にとっても有益のようですな」

 そう言うとブレンダンは壁際の置き時計を確かめ、息子を促して立ち上がった。

「すいません、突然に押し掛けてお時間を取らせました。ザインとユージュには、大将殿のお返事を持ち帰ります。レガージュはとてもいい所です。空も海も、息を呑むほど青い。きっと大将殿も気に入るでしょう」

「そう思います。――出来る限り早い時期に伺うつもりです」

 ブレンダンの話を聞いて、その気持ちは更に強くなった。

 ブレンダンは右手を差し伸べて握手を交わし、日焼けした目元を綻ばせた。

「レガージュにおいでの際は、ぜひ私の店にもお立ち寄りください。お安くしますよ。ご希望なら、船で海の上にお連れしましょう」




 ブレンダン親子は応接室を出ると廊下を出口へと歩き出した。

 途中で先ほどのライアーともう一人、背の高い金髪の士官が応接室の方へやって来るのと擦れ違う。互いに目礼を交わし、ブレンダン親子は士官棟を出た。

 暫く黙ったまま歩き、士官棟の入口が見えなくなった辺りで、息子は溜めていた肩の力を抜いた。

「最後はほっとしたよ、親父」

 あのままの調子でやり取りをされたら、心臓が縮み切ってしまうところだった。

「ああいうのは勘弁してもらいたいよ、全く」

「何を言ってるんだ。俺達はレガージュの商人だ。レガージュの商人が、相手が近衛師団だからってへり下る必要はない」

 それがこの国の海の玄関口である、交易都市レガージュの矜持(きょうじ)だ。

 正規軍、領事館と対等に、時にはより優位に立って渡り合う事で、レガージュは繁栄を続けてきた。

 レガージュの外であっても、その矜持は変わらない。

「矜持ったって――」

 言い募ろうとして、諦めたのか息を吐く。「まあ、良く改めてくれたよ」

 ブレンダンは彼の息子を、さも父親が息子を扱うように見た。

「だからお前はいつまで経っても若造なんだ。いいか、商売でも同じだが、何事も相手を見極める目が必要だ。見極め方ってのは、色々なやり方がある」

「じゃあ親父は、あの短い時間で『王の剣士』を見極められたのかい」

「全部じゃねぇさ、ただ、知りたい事は判ったぜ」

「知りたい事?」

「王の名を口にした時の彼は、ザインがレガージュを語る時と一緒だった。ザインに告げてやるには、その一点で充分だ」




 コンコン、と扉が軽い音で叩かれる。

「上将」

 しばらく考え事をしていたレオアリスが顔を上げると、開いた扉のところにロットバルトが立ってレオアリスへ視線を向けていた。今来たばかりのようだ。

 ウィンレットはロットバルトに付き従っていたライアーを見て、さっと眉を吊り上げた。ブレンダンの対応を見兼ねて、ライアーがロットバルトを呼んだのかと思ったのだ。ライアーが慌てて首と手を振る。

 レオアリスは二人の様子に笑って、ロットバルトに顔を向けた。

「どうした?」

「ご用件が終わったばかりで申し訳ありませんが、もう王城へ向かわれるれるお時間です。お戻りも遅いでしょう、歩きながらで結構ですので、先ほどの軍議の内容を確認させてください」

「ああ、悪い。ちょっと時間を取った」

 この後、王の警護でまた王城へ行く必要があるのだが、先に軍議の内容――特に明日王に上げるファルシオンの祝賀の警護体制について話をする為に戻って来たのだ。

 慌ただしい話だが、おかげでブレンダンに会えた。

 レオアリスは応接室を出て、廊下にいたロットバルトを見上げた。

「修正は入らなかったから、あれで最終だ。陛下には予定通り、明日の朝イチでお時間を頂いてご提示する。明日はお前も入ってくれ」

「承知しました」

 執務室には戻らず、厩舎へと足を向ける。

「とりあえず、戻ったらもう一度確認しよう」

 入口を出て、ロットバルトは一度通りに視線を投げた。

「先ほどの二人連れは、レガージュの?」

「うん。やっぱり船の商人ってのは違うな。隊士と比べても体格は見劣りしないが隊士とは違うし、雰囲気は王都の商人とも違う」

「船団に守られているだけではないんでしょうね」

 レオアリスもまた通りを見渡してブレンダン達の姿を探したが、さすがにもう通りに二人の姿はなかった。

「レガージュか」

 遠くを見るような、声にはそんな響きがあった。少しばかりの憧れもあるかもしれない。

「にしても、アルジマール院長じゃないけどさ、剣士ってまだ色々と学ぶ事がありそうだ」

 父の事も、剣士という種の事も、知りたい事は山のようにある。

 ザインがその中の幾つかに、答えをくれるのだろうと、そう思った。





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