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運命は突然に

作者: 夜久野 鷯

 彼が、追いかけてくる。



 色のない空の下を黙々と歩いていた。田舎町で人通りも少ない寂れた交差点を、何も考えず渡っていく。

 南の方から少しずつ春の息吹が感じられる今日この頃、生憎曇り空のこの町はどこか肌寒く、温もりのない空気に覆われている。まだ、コートは手離せない。

 三ヶ月前、大学卒業後に家業を手伝うことが決まってからは、自分でも驚くほど心の荷が降りた。その精神の安寧に寄り添うように自堕落な生活がやってきて、私にようこそと一言だけ告げた。普通なら破滅に向かうであろう怠けた日常だが、勤め先の確定してある私には関係ないもので、多少両親に呆れられている感は拭えないものの見離されはしないと確信している。理解した上でだらけているのだから、余計にたちが悪いということを私は知っている。

 そうしてだらだらと無駄な時間を過ごすうちに、気がついたら大学を卒業していて、三月の終わり頃からは本格的に仕事が始まることになっていた。


 端的に言うなら、空っぽな。

 気の抜けた生温いソーダのような、ただそこにあるというだけで意味はない――私はそんな人間だ。実際、現段階ではただの穀潰しのニートなのだから。

 曇天の真下で空虚な自己嫌悪を繰り返しつつ、この先の人生を考えたところで、ふいに顔を上げる。


     ◇


 何故そうしたのかは、今この瞬間も分からないままだ。

 彼らのルールに当てはまるような生活をしてきた後悔なんてする余裕もなく、残り僅かと宣告された生にしがみつくような真似はあまりにも惨めで。

 だから、ただ偏にそういう定めだったのだろうと強引に心を納得させて、もつれそうな足を懸命に回転させ、びちゃびちゃと足音をたてつつ、半ば諦めたように自答するのだった。

 もはや彼から逃げることなど、不可能なのだから――。


     ◇


 彼が、追いかけてくる。



 上げた視線の先に、『彼』はいた。五階建てのマンションの、ちょうど二階の壁の辺りに寄りかかるようにして。

 あまりに異質な光景に目を見張りつつも、関わることを畏怖した私はそのまま素通りを試みた。

 面倒なことには、恐ろしいことには、知らぬ存ぜぬ。

 それが私の人生哲学だから。



 彼が、追いかけてくる。



 自宅までの道を歩む。先ほど見た彼が、自分以外の誰かに微笑むことを祈りながら。知らず知らずのうちに早足になり、息があがり始めたが、それは運動不足だけのせいではないだろう。

 ――三叉路を曲がるついでに後ろを振り返る。

 まだ感情のない表情で、彼は私の後をついてきている。標的が代わることはないのか。

 泣きたくなるような衝動を抑え込んで、ひたすらに走る。足音もなく、しかし確実に背後に迫る、彼。

 もう振り返る勇気は持てなかった。

 この瞬間に悟ってしまったから。

 出来ることといえば、己の行為を心底悔やむくらいで。



 彼が、追いかけて、くる。



 扉にチェーンを掛けて、母親の元へと急ぐ。家の中までは入ってこられないと信じたい。

 知らぬ間にかいた冷や汗に体温を奪われるが、独りの状況を打破する方が先決だ。

 家族とリビングで合流すると、安堵感で力が抜けて、ソファに崩れ落ちた。不審そうな表情を浮かべられるが、理由は問われない。

 彼のことを言うか言うまいか悩んで、結局黙っておくことにした。

 もはや、家族は味方ではないから。

 すべて、自業自得だから。



 彼が、追いかけて、くる。



 翌朝、友人とカフェで落ち合う約束をしていたので昼過ぎに自宅を後にした。

 昨日の寂しい空模様の代わりに、悲しみの溢れ出した酷く凍てついた一日だ。吐き出した息は、私の未来とは真逆の色をしていた。

 コンビニで買ったビニール傘をさし、ショーウィンドウの並んだ大通りを歩んでいく。

 華やかな服や家具を横目に、その先のカフェを目指して進む。今はこの眩しさが憎々しかった。

 それとなく商品を見ながら歩いていて、視界に入った小物入れに惹かれた。

 それは、赤い屋根が蓋になった家型の小さなアクセサリーケースだった。

 一度は通り過ぎようとしたが、約束までにはまだ時間があるからと、引き返して買う決断をする。どうせ、使いもしないのに。

 どうせ、使えもしないのに。

 そうして後ろを振り返って、


 彼が立っているのを見つけた。


 思いのほか早かったなと思わず目を見開いた私に、


 彼は遊猟しているかのような笑みを浮かべて、


 彼が、追いかけて、くる。



 かれが、おいかけてく



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