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乙女ゲームなんてクソくらえ!  作者: 柳澤伍
舞台に上る以前の話
7/9

9歳―王宮からの帰り道にて

2016/6/10 某キャラと被っていたので登場人物の髪色を修正しました。

 ソレ(・・)は思考する。己が生まれてきた意味を。己が存在する意味を。


 ソレは親の顔を知らぬ。ソレは物心ついた時よりソレであり、それ以外の何物でもなかった。


 ソレはあくまでソレであり、ソレを使う者にとっても『ソレ』でしかなかった。もとより親の顔すら知らぬ身。勿論名前などがあるはずもなく、いつの間にか拾われていた場所でも名前を与えられることなどなかった。


 だからソレにとって『ソレ』という呼称こそ自身を自身と識別する術であった。


(誰かを屠ればオレは何かわかるのだろうか)


 ソレはいつでも思考する。誰かの命を刈り取れば己の生きる意味を見いだせるのではないかと、己が生まれてきた意味を見いだせるのではないかと。


 けれどもいくら殺してもソレは己の存在理由を見いだせない。だからか、最近は半ば作業的になりながらヒトを屠る。それでも、いつか己が生まれ落ちた意味が分かるのではないかと、微かな希望を抱くことはやめずソレは生きる。


 ビュウ、と風が強く吹いた。それに呼応するように木々が騒めく。ソレは太い木の上で獲物が来るのを今か今かと待ちわびていた。


 ソレの今日の獲物は、さる貴族の次男坊だという。なんでも傑物と呼ばれるような、小憎たらしくて目障りな輩なのだと依頼人が口角泡を飛ばしながら口汚く罵っていた。聞きたくもない耳障りな情報であったが、依頼人の手前、最後まで聞くしかなかったのが悔やまれる。聞かなくていいものならさっさとその場から立ち去っていたことだろう。


これ(・・)を殺したら、何かわかるのだろうか)


 ソレの視界に月光を受けて燦然と輝く白金(プラチナ・ブロンド)が映った。獲物の登場だ、とソレは口の端を舐める。ソレとは異なり、美しく、輝くような少年。世の中にはソレの様な醜い輩がいるなんてことも、彼は知らないのであろう。だがソレはそのことについて恨み言を言うつもりなどなかった。


 風が止み、辺りを照らしていた月が分厚い雲に覆い隠される。どこかでフクロウが鳴き声を上げる。暗がりの中を、獲物がソレの真下を通った。今が好機、とばかりに潜んでいた枝を蹴って獲物に迫る。


 ソレの手にあった白刃が獲物の首に刺さる、その瞬間―――。


 ―――獲物が、しめたとばかりに牙を剥いた。



   ++++++++++



 王都クラウゼントの高級住宅地にその邸宅はあった。白壁が美しいその邸宅は、かのノイエンドルフ公爵邸である。そのノイエンドルフ公爵邸のとある一室で、天使と見まごうばかりの美しさを放つ少年がゆっくりと目を開けた。


 少年とはもちろんジークのことである。長いまつげを震わせながら目を開けたジークであるが、未だにこの王都にある第二の実家には慣れることができないでいた。


 普段、ジークは王都から遠く離れたノイエンドルフ領で生活している。長閑で美しく、それでいて治めがいのある自領からわざわざジークが王都に出てきているのには理由があった。


 ジークはやがて10歳になろうとしている。その歳になれば必然的に王都学術院に通わねばならない。その前準備として少しでも王都の土地勘を養おうと、こうして王都のノイエンドルフ公爵邸にて起居しているのである。


 それに加えて、父であるヴィルヘルムが国王陛下より宮廷に呼び出されていることもこの館で寝起きする一因となっている。ヴィルヘルムは現国王の懐刀として辣腕を振るう身の上である。たとえ貴族として一線を退き、シーズンの殆どを自領にて過ごしていても、彼の持つ影響力は変わらない。かつては宰相まで務めたらしいが、ジークはその時代のヴィルヘルムを知らないので特に言うこともなかった。ただ、過保護な父親が将来を見据えてジークを王都まで連れ出したことに関しては文句の1つでも言いたいところだ。


 王都の土地勘を養うという名目で連れてこられた割に王都を散策したことは殆ど無く、専ら王宮へ連れ出されルドルフかエドゥアルトと談笑するのが今のジークの日課である。いくら2王子がジークに懐いているとはいえ、己は彼らの世話係でも従者でもないのだ。こうも毎日呼び出されては精神的にかなりの負担を強いられる。ただでさえ長閑な自領に慣れきっている身である。ジークは王宮のあの独特な雰囲気がどうにも苦手なのであった。


(ああ、面倒くさいなあ…)


 今日も今日とて王宮に呼び出されているが、相手はルドルフなのでバックレてしまおうか。不敬にもそんなことを考えながらジークは身を起こす。それを見てそばに控えていたメイドが衣装を片手に近づいてきた。貴族の一員として使用人に傅かれ、されるがままになりながらも寝起きの頭を回転させる。


(そういえば、何かを忘れているような…?)


 けれどもいくら考えても思いだせないそれに、これ以上煩わされるのも癪だとばかりに頭を振って、ジークは身支度を整えるのであった。



+++++++++++++



(あ、やべ。思いだした)


「おや、ジーク。急に動きを止めてどうした。僕が淹れた紅茶はそんなにもまずかっただろうか」

「いや、そういう訳じゃない。……すまない、わたしとしたことが礼を失してしまったようだ」


 結局、バックレることもなくルドルフの招きに応じたジークは、いつもの四阿(あずまや)にて彼と歓談をしていた。その折にルドルフから、自分が淹れた紅茶を飲んでほしいと頼まれ、注がれたそれを口にした瞬間だった。


 唐突に今朝からジークの脳内に巣食っていた靄が晴れたのである。そこにあったのは紛れもない前世の記憶であった。


 それは、悪役令嬢(ジークリンデ)攻略対象(暗殺者)と出会う日の記憶。


(しかし、どうして今思い出すんだ……。これは何かの前触れってことなのか?)


 ジークの脳内に暗殺者ことヴォルフガングのルートが再生される。ヴォルフガングのルートは別名裏ルートとも言われる隠しルートなのだが、出来ればこの男とは縁を結びたくないというのが正直なところであった。


 セカキミ(乙女ゲーム)の中で、幼いながらも暗殺者として生かされ、任務の失敗で死にかけていたヴォルフガングはジークリンデの気まぐれで彼女に拾われる。そして彼女に『ヴォルフガング』という名前を与えられ、彼女の手駒として生きることになる。あくまで表向きは彼女の従者として、裏では彼女の邪魔になるものを葬る者としてジークリンデに仕えるのだ。


 ヴォルフガングは自身に生きる意味を与えてくれた者としてジークリンデを崇拝しているが、ある時、主人公(ヒロイン)と出会うことで自身の生き方に疑問を抱くのだ。そして主であるジークリンデに自身の生きる意味を問うのだが、自身を道具としか見ていないジークリンデに失望し、ヒロインと結ばれた暁にはジークリンデをその手で殺めるのである。


 もう一つ付け加えれば、ヴォルフガングルートである隠しルートでなくとも、ジークリンデは彼に殺されるルートがある。それは、メインヒーローであるルドルフのルートだったりする。ルドルフはジークリンデが彼に何をさせているのかを知っており、彼女から解放されたいならば殺めてしまえばいいと遠まわしにヴォルフガングを唆すのだ。他人事ながら、とんでもない王子様である。


 そんな厄介で面倒くさい相手とジークリンデが出会うのが、この9歳の時なのである。まったくもって思い出したくなかった事実であった。ルドルフが淹れてくれた紅茶がまずくなりそうな話である。


 己を気遣ってくれるルドルフに正直に話をするわけにもいかず、ジークは曖昧に流したうえで、己の振る舞いについて謝罪する。その態度に何か感じるものがあったのか、ルドルフも特に触れようとはせず、さらりと話題を変えてくれる。その自然な振る舞いにいたく感心しながら、ジークは先程思い出してしまったことを忘却の海へ流す。


「気にすることはないさ、僕ときみの仲だろう。それよりも僕が初めて淹れた紅茶の味はどうだろうか。きみほどではないにしても、自分ではうまく淹れられたつもりなのだが」

「うん、文句のつけようもないくらい美味しいよ。何というか、きみは努力を惜しまないなあ」

「まあ、僕としても打算はあるのさ。それに、きみにばかり淹れさせるのも悪いだろう」

「あのなぁ、わたしときみは一応主と臣下なんだぞ。わたしがきみに紅茶を淹れるのだって当然だろう」


 もちろんきみだからわたしも文句を言わずに淹れるのだけれど。と漏らせば、ルドルフは微妙な顔でこちらを見返す。何か言いたげなその顔に、目だけで不満があるのか、と問えば緩く頭を振って否定が返ってくる。


「やれやれ、きみが言いたくないというのであればこれ以上訊ねるのは無粋と言えよう。…なぁルディ、たまにはこうしてきみが紅茶を淹れてくれないか」

「きみが、そう言うのであれば」

「不満かい?」

「いいや。……うん、何でもない」


 今度はルドルフが何かを隠すように口ごもってしまう。ジークも人に言えぬことを抱えている身だ、特に触れることもせず、それ以降は他愛ない話に興じる。というか、正直なところルドルフを問い詰めるよりもヴォルフガングについて出来るだけ情報を整理しておきたかったのだ。


 もし、ゲームのシナリオ通りジークとヴォルフガングが出会ったとしよう。その時、己は必ずヴォルフガングを手中に収めるだろう。勿論、ジークリンデのように彼を道具のように扱うつもりはない。けれどもヴォルフガングは自身の生きる意味を求め続けている。その彼に、果たして己は生きる意味とやらを与えてやれるのだろうか。そもそも与えてやる(・・・・・)ということ自体が間違っているのではないのか。


 そうジークは自身に問いかける。しかし、どうあがいても答えは見えそうになく、ジークはひっそりと溜息を吐き出した。



++++++++++++++



(すっかり長居をしてしまったようだ)


 あれから暫く四阿で歓談したのち、今度は室内へ移動しエドゥアルトを交えての茶会に移った。今度はルドルフではなくジークが淹れた紅茶を飲みながら和やかな会話を楽しんでいるうちに、いつの間にか日は沈んでしまったようだ。


 王宮に詰めているヴィルヘルムは仕事に追われて今日は公爵邸に帰れないという。1人ならば、とジークは馬車ではなく自身の愛馬にて王宮を辞していた。王宮から公爵邸まではそう遠くもない距離にある。10にも満たぬ歳のジークが1人で行き来しても特に問題もないような道程だった。


 ――けれども。


(何かおかしい……。何かざわついている?)


 木々が、風が、生き物たちが、普段とは異なりどこか騒々しい。心なしか愛馬も何かを感じ取っているような気がする。これは早く公爵邸に帰らなければ、そう思い速度を速めようとしたその時であった。


 じり、とどこからか刺すような視線が飛んでくる。どうやら嫌な予感は当たってしまったらしい。何とタイミングの悪いことだろうか。ジークは舌打ちしそうになるのをこらえ、先程よりも速度を上げる。


(ああもう、よりによって何で武器のない王宮帰りに遭遇するかな!)


 基本的に王宮内に武器の類を持ち込むことは禁止されているため、ジークは今丸腰と言ってもいい状態だ。これが計算づくであるならば、ジークはヴォルフガングやその背後にいる輩を心から称賛したいところだ。まったく、今日は何という日だろうか。


 そうこうしているうちに今まで木々を揺らしていた風が止み、道を照らしていた月明かりが途絶える。この風が雲を動かし月を隠してしまったらしい。来るならきっとこの時だ。


(――来るッ!)


 後ろから迫ってくる何者かに気づいたジークは、咄嗟にそちらへ視線をやり、己に突き立てられようとしている白刃を躱す。そしてそのままがら空きだった相手の腹部に掌底を叩き込む。


「ガハ…ッ!」


 掌底を受け、小柄な体が吹っ飛んでいく。子供相手に容赦ないとジークは頭の片隅で思ったが、命を狙われた以上それ相応の報復をするのが適当だろう。今の掌底で肋骨が何本か折れたであろう相手に向けて、とどめとばかりに魔法を放つ。


沈黙之檻(ビー・クワイエット)!」

「……ッ!? ――!」


 ぎちり、と見えない何かが相手の体を拘束し、体の自由を奪う。恐れと戸惑いに満ちた視線がジークへ飛んできたが、それに構うことなくジークは愛馬をそちらへ向けた。


(これが、あのヴォルフガングの幼少期ね……)


 烏の濡れ羽色とはかくやと言わんばかりの黒髪(ブルネット)に、猫の様な金の瞳(ゴールデン・アイズ)。鼻筋は通っていて、唇は薄く、やや幅が狭い。衣類は多少薄汚れているし、全体的に小汚い印象はぬぐえないが、確かにヴォルフガングの面影がある。


 こうして彼を捕らえたものの、これからどうするべきだろうか。彼女(ジークリンデ)のように弱みに付け込んで、というのができないのが辛いところだ。だが、とりあえず情報を得なければどうしようもない。


「自死しないならば拘束を外してやる。その代わり、わたしの質問に答えろ。返事は了解(イエス)承知(ヤー)のどちらかだ。イエスなら1度、ヤーならば2度頷け。いいな?」


 やや仰々しい言い方になってしまったが、ヴォルフガングの瞳に反感の色は見えない。その姿は己が置かれた状況を理解していないようにも見えたし、全てを諦めきっているようにも見えた。


(出来れば抵抗しないでくれるとありがたいんだが)


 先程まで雲にその姿を隠されていた月が姿を現し、夜闇を照らす。月明かりに照らされたジークをヴォルフガングが眩しそうに見上げている。彼はきょとりと瞬くと、観念したかのように2度頷いた。


解放(リリース)。………どうだ、自由の身は」

「最っ高に最悪だ。てめえみてえなバケモン、オレがどうにかできるわけねえ」

「そうか、それは光栄だ。ところでお前、名前は」


 自分から問うておきながら答えには興味がないとばかりにジークは話題を転換する。そして今の(・・)ヴォルフガングに名前がないことを知っていながらそれを問う己は底意地が悪い。案の定ヴォルフガングの整った顔が渋面を浮かべる。この頃はまだそれなりに表情筋が機能しているらしい。


 ゲームでのヴォルフガングは、ジークリンデに使われることで疲弊しきっていた。この彼に同じ思いをさせてはならない、とジークは強く思う。


 せっかくルドルフやレオンのフラグは折れたのだ。ヴォルフガングのフラグが折れれば、ジークはジークとして真っ当な人生を送ることができる。どうせなら長い人生を謳歌してみたい。そう考えるのは、小早川翔としての意識か、それともジークリンデの結末ゆえか。


 けれど、どちらにせよ、今はこの少年を救うことが先決だ。


 ヴォルフガングは渋面を浮かべたまま、何かを話そうとしては口を閉じる。どう切り出そうか戸惑っているのだろうか。さすがに意地悪な問いであったかと助け舟を出そうとしたとき、ヴォルフガングがおもむろに口を開いた。


「………ねえよ。名前なんて、ねえ。オレは生まれてこの方『ソレ』としか呼ばれたことがねえ」


 絞り出すかのように告げられた言葉は、わかっていても堪えるものがある。ジークはそれを表情に出さぬよう取り繕いながらヴォルフガングを見やった。


「ではわたしが名前をあげよう。お前はヴォルフガング。(ヴォルフ)のように強くあれ」

「……は?ちょ、てめえ…っ」

「わたしのことはジーク様、もしくはジークハルト様と呼べ。お前は今からわたしの従僕(フットマン)だ。屋敷に帰ったら徹底的に磨いてやるからそのつもりでいるように」


 ジークの唐突な名づけに、ヴォルフガングが目を剥いた。しかしジークも反論は許さぬとばかりに会話を一方的に終わらせる。そして、先程折ってしまったヴォルフガングの肋骨を治癒魔法で治してやると、その華奢な体を馬上に引き上げ己の前に座らせる。


「てめえ、いったいどういうつもりだ」

「そう警戒するな。わたしは従僕を欲していて、たまたまお前が目の前に現れた。そのお前は今の生業に辟易しているようであったから代わりに引き取った。ただそれだけだ」

「………てめえがそのつもりなら、従うさ。前よりいい生活もできそうだしな」


 ヴォルフガングの声はどこか諦めを含んでいる。足掻いたところでジークには逆らえないと悟ったのだろう。別に取って食う訳でも、変なことをさせるわけでもないのにその反応はいかに。ジークはここにきて自身のやり方は間違っていたのではないかと思い始めたが、もうすでに遅いようだった。


 こうなればこちらも自棄だ、と、朗々と言葉を紡いでいく。


「ならば改めて自己紹介をしておこう。ノイエンドルフ公爵が次子、ジークハルト・エクヴィルツ・ノイエンドルフ。わたしの従僕になるなら家名がないと面倒だな…。お前は今日からヴォルフガング・ツヴァイクレだ。返事はイエスかヤーのみだ。わかったな?」

承知した(ヤー)ご主人様(サー)


 その日からジークのヴォルフガング改造作戦が始まった。そして彼にスパルタ教育を施し続けた結果、ヴォルフガングのあだ名が《宵闇の騎士》なんて中二くさいものになるのだが、この時のジークはそれを知らない。


人名はドイツ語、魔法は(ほぼ)英語を使うようにしています。

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