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乙女ゲームなんてクソくらえ!  作者: 柳澤伍
舞台に上る以前の話
5/9

7歳―自領にある畑にて

2017.8.17 王都からノイエンドルフ領までの日数を変更しました。

 王都クラウゼントから、南西に馬車を走らせること10日と半日足らず。広大なクラウゼリア王国の最も南に位置し、西と東を険しい山脈に囲まれ、南に隣国とこの国を隔てる海を持つ、王国の盾とも、食糧庫とも呼ばれる地。そこがジークの暮らすノイエンドルフ公爵領である。


 傍目から見れば長閑で牧歌的な、ただし広い視野で見ればそれなりに緊張感を孕んだ土地。この地はノイエンドルフ家が治めているからこそ、真価を発揮する。そんな自領にて、ジークは今日も前世の知識を生かし辣腕を振うのだった。


「ジークハルト様ぁ、いつも見回りご苦労様ですー」


 一目で名馬とわかる堂々たる体躯の漆黒の牡馬に騎乗し、馬上より畑を眺めていたジークに何処からか声が掛かる。辺りを見回すと、ジークもよく知る老人がこちらに向けて手を振っていた。ジークは愛馬から降り立つと、老人のもとへと足を進めた。もちろん馬は畑の柵に繋いでおく。賢い子であるので勝手に走りだしたりはしないが、一応念のため、という奴である。


「やぁじい様、元気そうで何よりだ。それより畑の様子はどうだい?」

「お陰様で豊作ですわ。この、ええと、何と言いましたかな」

「ああ、コメかい?」

「そうそう!コメもよく育っております。本当に素晴らしい食物ですな、今まで知られていなかったのが不思議なくらいです」


 王都学術院に通える年齢ではないジークは、こうして領地に残り、領内の見回りに勤しんでいた。ジークがこうして領主代理のようなことをしているのには理由がある。ジークの兄であるレオンは現在王都学術院に通っており、そこで王太子ジギスムントの学友として彼の片腕となるために学んでいる。恐らくゆくゆくは宰相として王国をまとめ上げることになるのだろう。領地経営は貴族の大切な役割であるが、王太子を補佐するべく育てられているレオンにそれを求めることはできない。その代わり、ジークがこのノイエンドルフ領を担うのだ。


 ジークの父であるヴィルヘルムも、レオンが生まれるまでは宰相として権謀術数を巡らせていたのだという。領地に引っ込んでしまった今でも、時々王宮に呼び出されては王に知恵を授けているらしい。ヴィルヘルムは貴族にしては珍しく、自身の他に兄弟が居なかったためにそのようなことになったのだが、レオンとジークは兄弟でノイエンドルフ家の役目を分担するつもりなのだ。


 王家の補佐を、レオンが。領地経営を、ジークが。それぞれ担うことになる。ジークの中で自身の役割とは、あくまでも領主代理としてレオンの子供たちへ繁栄した領地を譲り渡すためのつなぎだという認識であるのだが、それを知るのはジークのみである。そしてジークのその考えはノイエンドルフ公爵家の思惑とは大きく異なっているのだが、ジークはそれを知らない。


 しかしどちらにせよ領地を治め、領民たちに豊かな暮らしをもたらすために着手したのがコメ作りと塩造りである。コメは保存がきくし、腹持ちもいい。ジークのかつての故郷では戦国時代に兵糧として用いられていた歴史もあることから、このクラウゼリア王国の要衝たるノイエンドルフ領で栽培するに適しているとジークは判断したのである。


 塩も同様だ。人が生きるために塩は欠かせない。しかしノイエンドルフ領で従来行われていた揚浜式塩田法では手間や人件費の割に生産量が圧倒的に少なかった。そこでジークは入浜式塩田法を採用し、塩の大規模生産を可能にした。これによって、食物を塩漬けにすることで保存がきくようになり、ノイエンドルフ領の食糧事情は大幅に改善・向上したのである。


 もともとジークは領内でもその容姿と神童ぶりから名の知れた存在であった。そのジークが陣頭に立ち、栽培を進めてきた食物や農法、機具などに外れはない。むしろ以前よりも収穫量が増えており、元々豊かであったノイエンドルフ領はさらに豊かになった。公爵家であるからこそ課される税を、事もなげに支払ってもまだ有り余るほどだ。そうなるといよいよ農民たちはジークが齎すものをはねつけるようなことをしなくなった。誰もがジークの考案した、今まで見たこともないような道具や作物の苗が下賜される日を待ち遠しく思っているのである。


 あちら(乙女ゲーム)の世界では学園内がすべてで、このような貴族の領地や国内の状況などはわからなかったが、ジークが覚えている限りこの世界の文化水準は中世ヨーロッパと同レベルだ。よくよく思い出してみると水道などはなく、トイレや風呂などもなかった。恋愛に関係しない部分はプログラミングする必要すらないということだろう。実際、ゲームをしている最中ではそのあたりの違和感はあまり覚えていなかったように思える。


 しかしジークはその何もない世界に現実(リアル)を感じながら存在しているのだ。科学技術が発展し、世界最高水準の文化で生活していたジークにとって、風呂もなく電気もなく、トイレも未だに水洗ではないとなると、発狂とまではいかないものの大いにストレスを感じてしまう。


 そこで農業と並行して行っていたのがインフラ整備である。仕組みは大まかにだが覚えていたし、ジークには魔法があった。ジークは自身の、身に余るほどの魔力を魔石に込めることで、それを媒介として魔力の少ないものでも魔法を発動できる仕組みを作った。もちろん暴発・暴走させないように安全装置を組み込んだのだが、それがノイエンドルフ領の発展を大いに促進させた。


 ただこの技術はこの世界にとって未知なる(オーバー)もの(テクノロジー)でしかない。それをわかっているジークは技術の漏えいを防ぐために、緘口令を布いた。それもただの緘口令ではない、もしこのノイエンドルフ領の魔石による(オート)機械化(マシーン)技術(システム)について口外したならば、クラウゼリア国内においてノイエンドルフ公爵家を敵に回したのと同然であり、安寧たる暮らしを保障されることはありえないのである。わざわざそのようなリスクを背負ってまで多少のまとまった金銭を手に入れるよりも、公爵家(ジーク)の庇護下のもと恒久たる安寧を享受していた方が遥かにマシと言えよう。


 ジーク自身、乙女ゲームの世界でやることではないという自覚はあったが、かつて何気なく享受していた豊かな暮らし(変態的な日本の技術力)に飢えていたためにこのような才能の無駄遣い(チート無双)をやらかしてしまったのである。下手に才能(チート)があるのも考え物だ。だがそのおかげでジークは肥沃なる自領と先進的な技術に裏打ちされた快適な暮らしを手に入れる。


「わしも長年農夫として生活しておりましたが、ジークハルト様の知識の深さ、広さには驚かされるばかりです」

「何、わたしは皆より少しだけ字が読めるだけだ。先人たちが知識を書物にまとめてくれていたおかげで、わたしは皆に豊かな暮らしをさせてあげられる」


 ジークが齎した技術などはすべて書物からの引用としている。いくら領民たちがジークを崇拝しているとはいえ、まさか前世であったものを流用しています、なんてことは言えやしない。この世界はジークの生きていた世界ほど宗教的感覚が蔓延ってはいないのだが、それでも前世などと言い出した暁には頭の中を心配されるに違いない。それだけ自身が異質な存在であるということはジークもわかっている。


 手放しで己を褒めちぎる老人に、ジークは背筋が痒くなるような錯覚を覚える。領民たちが己の齎したもので豊かな生活を送れるようになったことは嬉しいのだが、それはジークにとって当たり前のことだったからだ。彼らは過ぎたる(オーバー)技術(テクノロジー)を持たずとも暮らせていた。それを自身の都合で変えたのはジークだ。彼らが喜んでいるのならばそれでいいのだろうが、何となく、むず痒い。


「ノイエンドルフの皆様は一様に慈悲深くお優しい方ばかりですが、ジークハルト様程我々領民のことを想って下さる方は居られません。ジークハルト様のためならば我々領民一同、何者にも立ち向かう所存でございます」

「じい様、少々大げさすぎるぞ。それにわたしはわたしのために皆に傷付いてほしくない。民を護るのが我々の務めだ、皆の力を借りぬとは言わないが、出来るならば戦おうとはしないでくれ。……まぁ、そもそもわたしが居る以上このノイエンドルフ領に手出しなどさせないのだが」


 にやり、と口元を釣り上げると、農夫の老人が気圧されたように半歩後ずさる。少しやりすぎてしまったらしい。ジークは吊り上げていた口の端を基の位置に戻し、デフォルトである無表情を作る。


(この顔、綺麗すぎて表情っていうものが似合わないし。すまない、じい様。脅かすつもりはなかったんだ)


 前世(小早川翔)もそれなりに性別を感じさせない美形だったけれど、この顔は反則だ、とジークは思う。性別を感じさせないどころか精緻なビスクドール並みの美貌を持つ7歳児男子。しかも白金の髪(プラチナブロンド)空蒼(スカイブルー)の瞳、透き通るような白皙の肌を持っている。これはショタコンのお姉さま方やホモペド親父に大もてしそうだな、なんて下世話なことを考える。王都にてどこぞの未亡人などに見初められて、そのままかどわかされぬことを願うばかりである。たとえそんな輩が居たとしてもこの家柄(ノイエンドルフ公爵家)がジークを護る盾になってくれるはずだ。そう信じたい。


「ジークハルト様のお強さは存じておりますが、わしらは心配で仕方ないのです。ジークハルト様は7歳になられ、あと3年で王都に行かれてしまう。わしら農民が御身について気を揉むなど烏滸がましいのですが、御身に万が一のことがあればと思うと居ても立っても居られないのです」


 すっかり他人事と思い忘却の彼方へ消し去ってしまっていたが、名のある貴族の子女たちは、齢10を数えるようになると王都にある王都学術院に通わねばならなくなる。そして、ジークにとってそれは主人公(ヒロイン)との遭遇(エンカウント)へのカウントダウンの始まりであった。


 ジークはもう既にジークリンデではないのだし、別にヒロインの存在や動向について気を揉む必要はない。ジークはゲームの世界のような悪役令嬢ではないし、そもそも彼女のライバルとなるような女性ですらない。かつてルドルフには人を愛することが出来ぬと告げたが、いっそのこと割り切ってジークハルト()として生きてみようかなどと考えたところで、ジークは苦笑する。


(何だかんだ言って、わたしは未だ小早川翔(女であった自分)を捨てきれないのだ)


 しかしそれも当たり前である。ジークハルトとして生きた年数より、小早川翔として生きていた時間の方が長いのだ。そうそうそれを捨てられるはずもない。


(元々恋愛感情が薄い人間だからなぁ。いっそのこと傍観者としてあればいいのか?ヒロインが如何なる人物であろうともそれに振り回されるのは面倒だ)


 無理をせず自分らしく生きてみよう。元々無理などしていなかったが、とりあえず今後の方針を決め、ジークは嘆息する。


「じい様の心配はわかるが、とりあえずわたしは第三王子殿下以外と関わる気はないし、彼の傍に居る限りまぁ安全は確保されていることだろう。それに、王都には兄上もおられる。有事の際には兄上を頼るから大丈夫だ」

「ルドルフ殿下はともかく、レオンハルト様を頼られるのはよろしいことかと思います。……申し訳ございません。年寄りの冷や水とは言いますが、御身に何かあればと思うとこのような悩みが尽きぬのです」

「よいよい。それ程皆がわたしのことを好いてくれているのだろう?なるべく近況を知らせることにしよう、それならばいらぬ心配をせずに済むはずだ」

「ジークハルト様のお心遣いに感謝いたします」


 そう言って首を垂れる老人の肩をやわらかく叩き、顔を上げるように促す。こうも恭しくされるとどうしていいのかわからなくなるのは、元庶民の悲しい性だ。学術院に入ればより多くの人間から傅かれることになるのだろう。それまでに少しでも慣れられればいいのだが。


「それでは、じい様。世話になったな、これからも励めよ」

「いいえ、楽しいひと時をありがとうございました。お体にお気をつけ下さい」


 老人と別れ、ジークは再び馬を走らせ領内を見て回る。肥沃な大地にイネや小麦の黄金が揺れる。領内はこれから収穫で活気づくことだろう。


 クラウゼリア王国の南に位置している自領は、その位置からそこまで寒さは厳しくないものの、王都やその更に北に位置するイトゥリツァガ侯爵領、北西のジグモンディ伯爵領、その東のアドルガッサー男爵領、北東のジルベール子爵領はひどく寒さが厳しい。イトゥリツァガ侯爵領とジグモンディ伯爵領は、その家柄からか領内に万遍なく食糧を供給できるようだが、下級貴族であるアドルガッサー男爵とジルベール子爵は、毎年ノイエンドルフ公爵から破格の値段で小麦や野菜などを買い付けている。それが出来るのもノイエンドルフ領に余るほどの食糧があるからだ。


 そして、その2領からは代金の代わりに特産である魔石を融通してもらっているのだ。アドルガッサーとジルベールの間に魔石の鉱山があり、そこでは良質の魔石が取れるのだ。ノイエンドルフ領でも質のいい魔石が取れるのだが、自領の宝を安易に損なわずとも、食糧の代金代わりにさらに良質の魔石が届けられるのだ。それを享受していた方がこちらにはメリットがある。


(さて、これから忙しくなるな)


 領主代理として既に動き出していたジークであるが、晩秋から初春までの長い冬は毎度のことながらに嫌気がさす。しかし愚痴も言ってもいられない。ジークはあと数年で王都に行かねばならなくなる。それから8年はこちらに帰ってくることはできないだろう。やることはたくさんあった。


「さて、もう一頑張りするか」


 馬上にて器用に伸びをすると、ジークは馬を駆るのであった。


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