彼女の生い立ち、彼女の終わり
――あ、やっべ。
容量なんてたかが知れている脳みそが最期に紡いだのは、そんな色気もクソもない、けれども平時に使っていても別に違和感のない言葉であった。
小早川翔を端的に表現するならば、『神々の依怙贔屓』の一言に尽きる。
容姿端麗、博学多識、才気煥発、文武両道、エトセトラエトセトラ。惜しむらくは実家が日本人の平均家庭より少し上くらいの家柄なのと、性格が若干残念なところくらいだろうが、それがかえって彼女に人間らしさを与えていた。もし彼女が性格も家柄もよかったらきっと人間扱いはされていなかっただろうと思う。それくらい、彼女の存在というのは限りなく人間離れしていたのである。
彼女は多くの人間から好意を抱かれていた。彼女は性別を感じさせない整った容姿と長身にしっかり筋肉のついた体つきをしていたから、男性からはアニキ、女性からはお姉様と呼ばれ親しまれていた。もっとも、ごく一部ではあるが、彼女に悪意を持つ者もいた。しかし彼女はそれを当然のことと受け止め、むしろその数が少なすぎると嘆いた。そんな彼女に毒気を抜かれ、彼女を嫌う者たちの大抵は、悪意を好意に返ることはなかったものの彼女を認めてはいたのだ。
さて、話は一変するが、彼女には少し変わった趣味があった。否、その趣味自体はとてもありふれたものであったが、彼女は些かずれた楽しみ方をしていたのだ。それは、彼女が彼女であった故にそうなってしまったのだと言えよう。
彼女の変わった趣味。――それは、乙女ゲームの友情エンド攻略である。
乙女ゲームとは、特定の攻略可能キャラクターと疑似恋愛を楽しむゲームである。主に女性向けであることからそう呼ばれるようになったらしい。ヒロインの外見設定は美少女であったり平凡であったりするのだが、相手役の男性キャラクターは総じてイケメンであるというのが相場であった。たまにフツメン扱いされているキャラがいても現実で考えれば十分にイケメンであった。女性とは往々にして顔面偏差値の高いものに憧れ、恋焦がれるものである。
乙女ゲームとはキャラクターと疑似恋愛を楽しむもの。その為にいくつもの選択肢があり、その結果として複数の結末が待っていた。ハッピーエンド、グッドエンド、バッドエンド、逆ハーレムエンド――そして、彼女が望む、フレンドエンド。
何故彼女はフレンドエンドを最上とし、それを望んでいたのだろうか。
答えは簡単だ。彼女は自身と対等な男友達が欲しかったからである。
彼女の周りにいる男性と言えば、彼女を崇拝する者か、彼女に悪意を持つものしかいなかった。彼女としては“守るべき存在”である女性よりも、男性相手の方が気を遣わなくてよかったし、何より話が合ったのだ。ここで注釈をつけさせてもらうが、彼女の恋愛対象はもちろん男性である。いくら女性の容姿を褒めちぎったり、数少ない話の通じる崇拝者とかわいい女の子談義をしたりしていたとしても、彼女はヘテロセクシャルであり女性に対してはムラムラしないのである。もちろん彼女が男性に対してムラムラした覚えがあるかと言えば首を傾げざるを得ないのだが。
話は逸れたが、彼女は現実では中々できない男友達を、電脳世界の中に求めたのである。
キャアアア、という甲高い女性特有の悲鳴があたりに響き渡る。突っ込んできた大型トラックと電柱の間に挟まれるようにして人であったらしいモノが存在していた。皮肉なことに、その美しく整った顔面に傷は一つもなく、けれども無事であったのはそこだけで、それより下はもはや原型すらないような状態であった。それが、“人であったらしいモノ”と表現した所以である。
――小早川翔、享年23歳。佳人薄命とは、まさにこのことであった。