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薔薇

作者: まっちゃ

恒星がふたつ。公転速度が地球の2分の1の星が舞台の似非ファンタジーの短編です。

『魂を囚える鎖が薔薇だなんて素敵じゃない』

あかの唇が弧を描く。

あぁ、それで、いいのかもしれない。

呪わしいだけだった紅の薔薇に、消えないでほしいと願いをかけたのはその時がはじめてだった。




カンカンと照る太陽と目の間に手を差し込んで、クルト・イェートシュテットは熱い時って、どうやって体温調節するんだっけ、と真剣に考えた。持ってきた服は全部トランクに詰めて、現地で涼しそうな服を買って着たにも関わらず、相変わらず暑い。生憎、クルトは温度を操るような魔法は不得手だった。

こんなことなら死ぬ気で練習しておくんだった、と今更思っても遅い。

クルトが初任務でくることになったのは、常夏の街サバタという場所だった。日照時間がとんでもなく長い上に、気温が馬鹿みたいに高いこの場所にこんな街があることに対して、比較的気候条件の整った場所出身のクルトは信じられない、という感想を抱いた。

日陰は何処だ、と首を巡らせ探しながら、クルトは隣の人間に目をやった。それから、一つ、思い出したことがあった。

「先輩って、テイ先輩と同期なんですね」

「誰だそいつは」

隣に立った男は暑そうな素振りを一切見せずに現地で仕入れた情報に目を通している。彼は、クルトの今回の任務のパートナーであり、指導官だ。

「え、先輩覚えてないんすか?ハラルウン・テイ先輩。俺、研究室が一緒だったんっすよ。ほら、すっげぇ派手な人だから一発で俺なんて覚えたんっすけど」

「……覚えがない」

「えー。俺、伝言預かって来たんっすけど……」

「なんだ」

「は?」

「その伝言の内容を聞いている」

彼、デレク・ベイツの言葉には殆ど感情を表すイントネーションがない。それでも微かに滲む感情の気配をクルトは受け取ることが出来るようになっていた。伊達に三日間旅をしたわけではない。

なんだ、仲が悪いのか、と悟ったクルトは瞬時に伝言の内容を吟味して、伝えるべきか否か、逡巡し、デレクの威圧的な視線に屈して口を開いた。

「……暑苦しい格好して、熱中症でぶっ倒れ無いようにしろよ、って……」

デレクは、それを聞いてぐっと眉間の皺を濃くした。そうすると、ただでさえ人を寄せ付けない顔が余計に怖くなって、クルトは逃げ出したくなる。

(こえええ)

有能だ有能だ、と聞いてはいるのだが、(どうにもデレクと仲が悪いらしいテイも、彼のことを有能だ、とは言っていた。今考えるとどうにも嫌っていたのではないか、というきらいはあるが、有能だという点はしっかり認めていた)彼を自分の指導官に任命した人に恨み事を言いたい気分にもなる。

「……余計なお世話だ」

ボソリとデレクが吐き捨てるのを右から左に受け流しながら、いっそのことなら、とクルトも突っ込んで見ることにする。

死なばもろとも。それは違うか。

「先輩、テイ先輩のこと嫌いなんっすか?」

「嫌いだな」

「おっと、ドストレート」

ひと睨みされながら、クルトは半ば冷静にデレクの服装を上から下まで眺めて、確かに暑苦しい、と思った。

「確かに合わないって感じするっすねー。テイ先輩、お祭り男って感じですし」

「アイツの話は聞きたくない」

「……うっす」

ぐっと鋭い目を更に鋭くしたデレクは上から下まで真っ黒だ。黒い長袖シャツに、黒いズボン、黒い靴。長くて黒い髪の毛を後ろで一つにこれまた黒い紐で束ねている。唯一黒くないのはその目の色だろうか。デレクは金色の目をしていた。

黒い髪に金の目、というのは結構映える、とクルトが気づいたのは二日目の朝、船酔いで弱ったデレクの寝起きの顔を見た時だ。それまでは視線が怖すぎて彼を直視することが出来なかった。

せめてその、暑苦しい長袖、しかも黒、をやめないか、と丘に上がってしばらく船酔いに苦しんでいたデレクに進言したのだが、彼がそれを聞き入れることはなく未だにボタンをきっちり閉めて緩めることすらしない。

船酔いから立ち直った彼は汗一つかいていない。かえってそれは危険なのではないかと汗だくで水分補給をしているクルトは思ったが、それは言わないで置いた。暑いところに来るのはわかっていたわけだから、気温調整系の魔法を用意していたのかもしれない。

「行くぞ」

デレクが言いながら今まで彼が見ていた資料をクルトに渡した。

「読んだら燃やして廃棄しておけ」

「わかりましたけど、何処行くんっすか?」

「とりあえずは宿だな。それから情報を集める」

「うぃっす」

手渡された資料に目を通しながらクルトはデレクの黒い背中を追う。

付き合いにくい同僚だったとしてもそれは、これからのためだ。将来のためだ。

仕事の内容上、初回任務でぽっくり行く可能性が非常に高いので、有能な人間と組めるのは幸運と言えるだろう。

読み終わった一枚目に指先で炎を放ち黒い灰が自分にかからないように風で飛ばしてから、クルトは風って涼しい、ということに気づいた。

風を吹かせるくらいなら大した消耗ではない。少なくともこの暑さに耐えるよりは、と考えたクルトは微風を吹かせながらデレクに声をかける。

「で、この攫われたっていうお嬢様助けりゃいいんっすかね」

風でパタパタする癖っ毛を抑えながら、資料に書いてある女の子の情報を読む。見てくれは結構だが、読むからにして育ちが良い割に捻くれた印象のある彼女にクルトは好感を抱けないまま次のページに進む。

「……話は宿に入ってからがいいだろう」

「ふーん……」

クルトが入った組織は入る前から胡散臭いと評判の組織だった。

名前が「情報機密部」。

明らかにスパイ部門である。

適性ありという結果を頂いたので順当にここまで来たが、噂も内情も変わらないものだったら転職を考えるところである。

何しろ、魔法使いというのは就職先が多い。才能がものを言う資格だから、というのもあるが、それ以上に「魔法」という技術が独占されているのだ。

クルトが先月に卒業した「学校」というのが魔法使いの養成学校なのだが、それが一年に2週間を除いて外界から天候によって物理的に遮断されるという、とんでもない閉鎖空間にある。

だから、実はクルトがあの街の外に出るのは入学して以来ということになるのだが、それはさて置いて、あの、魔法で形成された都市はその技術が利益にならないことで外に出ることをとことんまで嫌う。

「魔法」の無意味な漏洩はそれを用いての戦争の拡大に繋がる、と学校の創設者は声明を掲げているが、それは表向きで傭兵もどきを養成して世界中にばら撒いて裏側から世界を操ろうとしているというのが、専らの噂であり、ある意味で真実だった。

しかし、魔法使いの養成はあそこの仰々しいシステムが無ければ中々適うことではないが、それでも技術は漏れる。

漏れたもの、漏らした者を狩ってまわる、とされている機関が「情報機密部」だと言われていた。その手段は非人道的でえげつない、とクルトは在学中噂でよく聞いた。


まさか、自分がそこの所属になる日が来るとは思わなかった。




真っ赤な薔薇が好きだった。

ひとつそれは、自分の象徴で、自己主張だった。

それを綺麗だと言ってくれたひとを愛したとしてきっと不思議はなかった。

自分自信を愛してくれているのだと信じたかった。

人は、信じたいこと以外には盲目になれるのだと、知らなかった。





「しっかし……なんでこんな石で家建てちゃったんですかね……暑くて死にそうっす」

風を吹かせても、カンカンと照る2つの太陽と、白に近い石の照り返しで肌が焼ける。ジリジリと焼ける肌の感触にこれは明日肌が真っ赤になるのでは、と少しゾッとする。

と、すると、黒い服が正解だとは思えないが、長袖のデレクはある意味で正しいのだろうか。

「そこで一番よく採れるもので家を建てるのが基本だろう。ここはこういう石がよく採れる場所なんだ。近くに採石場があって、ここの周辺の人間はそこで働いてよそに売って生計を立てている」

「そーいう……おべんきょみたいな話を聞いてるんじゃないっすけど」

「そういう話だろう。ここで植物を育てるのはコストが掛かりすぎるからな」

「あー…水と…土もいるかな……環境保持魔法と、木の種買ったら馬鹿高いっすね……」

あの魔法都市は戦争の道具ばかり売っているわけではない。畑を肥やす魔法とか、痩せた土地でも育つ草木の種とか、本当はその辺りの需要が一番高い。しかし、一度魔法で肥やされた土地では、期限が切れた後それまで以上に痩せたり、それまで育てていた草木が育たなくなったりする。そして、買った種で育てた草木は、新しい種を結ばない。そういう風に設計されている。

そういうものなのだ、とクルトは了解していた。

「それに、ここに来るなら冷却の魔法と、日焼け対策の魔法を持ってくるのが基本だろう」

デレクが呆れたように言った。あぁ、やっぱり用意してたんだ……、と思う一方で、クルトはそれなら酔い止めも用意しておけよ、と思った。



建物が白い効果だろうか、構造がよく風を通すからか、宿の中は涼しかった。

宿の店主はクルトの格好を見て笑い、大型の光を避ける為の布を貸してくれた。太陽光を避けることが肝要なのだそうだ。おまけに此処に自生する多肉植物の一種からとったという日焼けに効く薬までくれた。見返りは、と言ったデレクに店主はいらないよ、と言っていたが、デレクの押しの強さに負けて厨房のコンロをクルトが治すことになった。

曰く、人に貸しを作るべきではない、らしい。あと、もらった薬に余計なものが混入してないか調べておけ、と言っていた。

神経質だと思う前に、クルトは少し、機密部の仕事を思ってゾッとした。



部屋で、盗聴の対策魔法というのをデレクが使った後、クルトにその魔法が封じられているという魔法石を2、3投げて寄越した。必需品だと言われたそれは、何の変哲もない魔法石のクズ石でできていたが、中に綺麗な文様が刻まれていた。

「そういうのを作る知り合いがいるんだ。便利だからまた紹介してやる」

この人に知り合いが居るんだ、という驚きを押し殺してクルトはデレクに仕事内容を聞く。

「で、結局何すりゃいいんっすか?怪しいおっさんに娘さんが拉致されて、引き換えになんか書類を要求してるってことはわかったっすけど」

「……誘拐したのはマニエロ。この辺りが出身とされる盗賊だ。この地域の有力者の息子ともされているな。誘拐されたのはカルラ・ヴィンケル。父親がドミニク・ヴィンケル。有能な魔法使いだ。弾道飛行攻撃の軌道研究をしている。求められたのがその研究成果だ」

「その、カルラっていう娘を助けりゃいいわけだな」

「違う」

強い語気でデレクが否定した。

「ドミニク・ヴィンケルが先日、”都市”を出奔したのが確認されている。恐らく、研究資料を持って、出奔した」

任務の内容、というものに気づいて、クルトは顔を顰めた。道中や、出立前に説明されなかったことにも全部、納得がいった。

「その研究資料の受け渡しの阻止と、ドミニク・ヴィンケルの確保、あるいは処刑が俺たちの任務だ。ドミニク・ヴィンケルは非常に有能な人間だ。出来れば殺さずに捕らえる方がいいが、抵抗されたならば殺しても構わない、という話だ」

「……はい」

「嫌なら、やめていいんだぞ」

デレクの金の目が煌めいた。口許が歪められて、皮肉っぽい笑みを浮かべている。悪人と見紛うようなきつい顔をしている分、そういう笑い方をすると、悪魔みたいに見えた。

「……辞めたら、再就職先でも斡旋してくれますか」

「俺が斡旋してやろう。手始めにお前の頭に弾丸をぶち込んで、な」

逃げ道なんて無いんじゃないか、とクルトは思った。


「身柄と引き換えなんでしょうから、マニエロの方を抑えて研究資料の受け取りを抑えたらいいんじゃないっすかね?」

人質のことを頭にいれながら、クルトは提案する。

「それは駄目だな。マニエロ本人が取引に応じるとは限らないし、人質とその場で交換するとは限らないだろう。それに、ドミニク・ヴィンケルに逃げられては困る」

「逃げるっすかね」

「逃げるだろう。娘を連れて逃げる算段だろう」

「……じゃ、その娘を捉えておけば、ドミニクは従うんじゃないっすか?」

ふん、とデレクは笑う。

「……初任務だったな。いいだろう」

何がいいだろうなのか、クルトには判断が出来なかった。

判断出来るだけの材料もなく、懐疑で頭がいっぱいになっていた。

「その代わり、気を付けろよ。機密部は嫌われているからな、助けたから信用されるなんて思うんじゃねぇぞ」

何をどこから疑って、信じればいいのか、大問題だった。




吐き気がするような濃い血の匂いがする。それに加えて、猛烈に腹部が痛かった。

体液が流れていく。それとともに、体温が、減っていく。

このまま死ぬのだろうか。それも、いいかもしれない。

吐き気がするくらい、嫌いな人間が、誰よりも特別な人間が転がっていた。

死んでいたら、どうすればいいのかと思った。

そいつは、生きていた。虫の息のその人間は、少年の姿を認めると、あの憎らしい顔で笑って、最後に一つ、こう言った。




太陽光の強いこの街で、食材なんかが売っているマーケットにはアーケードのようなものがかけられていた。しかし、此処へ来たのは別に食べるものを探しに来たわけではない。マニエロのアジトや、ドミニク・ヴィンケルの潜伏場所を探るためだ。

「聞き込みとかしないんっすか?」

「こちらの目的を知られるのは不味い」

「なら、どうやって……」

「魔法使いを探す」

デレクはクルトに右手を見せた。その中にチラリとさっきよりも立派な魔法石が握られているのが見えた。魔法使いを感知すると持ち手に知らせる仕様のものらしい。

「ふーん……なんか、そんなツールに頼ってばっかだと、無くなった時苦労しそうっす」

「こいつらは、魔力の節約に使ってるんだ」

本来は自分でできることだ、と言いながらクルトを睨むデレクはどうやら、お前、出来ないのか、と言っているようだ。

クルトは探査系の魔法は得意だったが、魔法使いばかり居る場所から出たことがなかったために、魔法使いを探す、という用途でそれを使ったことがなかった。適性が出たのはこの辺りに理由がありそうだ、と思いながら、こんな部署に飛び込んでしまった過去の自分をクルトは些か恨めしく思った。


日陰に身を寄せるようにしてものを売る商人たちをチラチラ見ながら、デレクを見て、クルトは目立っている、と思った。完全に目立っている。デレクいわく、魔法使いが近づいたら自分たちから逃げているような人間は一発でわかるから目立っても特に問題は無いのだそうだ。

ふっと目をやった先にあったのは、使い込まれたと言えば聞こえは良いが、汚い動物用の籠だった。中に獣が入っている。クルトはその中に入った獣を知っていた。

「あ、ハチクネコ」

綺麗な毛皮のしなやかな筋肉を持った獣で、それを飼いたがるような人間は多い。

しかし、ハチクネコは非常に気の強い生き物で心を通わせるのは難しいとされている。

「よっぽど凄腕の獣使いなんっすかね」

「行くぞ」

「うっす……」

小さいが気高い獣に、その汚い籠は不似合いに見えた。


「禁呪だ」

「は?」

しばらく行った所でデレクがボソリと呟く。冷ややかな目で睨まれてクルトは呼吸に詰まる。あまり人に怯えることのない性分だが、正直、デレクは苦手かもしれない。

彼が黙ると、自分が馬鹿で滑稽な生き物のように思えてくるのだ。

それを知ってか知らずか、指導官の任務を全うするデレクは、肩にかかる黒い髪を少し動かしてから口を開く。きっと、これが他人が相手ならデレクは喋らないのだろう、と思うのが少しこわかった。

「さっきのハチクネコは禁じられた呪いの刻印で服従させられているんだ。毛が少し不揃いだった。焼印でも当てられたんだろう」

「え、」

「魔法使いが昔、獣を使役して戦わせるのに使っていた術だ。それをかけられると、意識も痛覚もあるまま腹を開かれ掻っ捌かれようが使役する魔法使いの命令に抵抗することは出来ないで、戦い続ける。獣の定義で権利委員会が発足して揉めた時に、禁術とされた」

「え、それって、倫理部に通報すべきなんじゃ」

「するなよ」

「なんでっすか?!」

「機密部は倫理部と仲が悪いんだ」

「……査問に呼ばれたりとか、しないんっすか」

「俺個人にもそういう心配は無いし、まず、機密部は査問とは無縁だ」

「そういうことっすか」

なるほど、と思いながら、腑に落ちない気持ちが渦巻く。そういうのを、飲み込んで行かないと、やっていけないのだと、やるせない気分になった。


程なくして、魔法使いを幾つか発見した後、デレクとクルトはマニエロのアジトと、ドミニクの位置を抑えることが出来た。

「相手、気づかないっすね」とクルトが聞くと、そうでないと機密部はやってられないのだ、とデレクは答えた。

「このままつけるが、気づかれている可能性もあることを忘れるな」

声を落としてデレクが伝える。クルトはそれに頷きながらフードを深く被ったドミニクを眺めた。

怯えるように周囲を伺うドミニクはこの街に同化する衣装を着ていた。探査能力が無ければきっと彼がそうであるとクルトは気づかなかっただろう。







「資料は持ってきたか」

背の低い男が問った。それにドミニクは震えながらそれより、と切り返す。

「む、娘は、」

「開放してやる。受け取ってからだ」

男の声は上下しない。すべての感情を削ぎ落しただけではなく、無理矢理にイントネーションを消したような声は、聞き取りづらくもあった。

ドミニクが震えている。この緊張感にのまれているのと、もう一つ。男の後ろには黒い獣が控えていた。人の三倍の体重はあろうか、という大きな体躯の獣は大きな牙をむき出しにしてドミニクを威嚇する。

彼は生粋の研究者らしいから、戦いの心得はないのだろう。

そして、相手の背の低い男は、マニエロ本人ではなかった。それに、娘のカルラを連れていない。確実にクルトが賭けに負けた形だった。このままだと、デレクとクルトはドミニクを確保して、カルラを見捨てる形で中央に帰ることになる。監禁場所だと思われるアジトの位置もわかっているというのに。

資料でしか見たことのない人間だったが、気が進まなかった。

男とドミニクの会話を物陰で聞きながら、ぐっとクルトは唇を噛み締めた。

「行ってこい」

極力声を落として囁かれた声に、はっとクルトは意識を取り戻す。金色の目がクルトを見ていた。

「温情じゃない。マニエロを押さえて来い」

チャンスをやる、と暗に言っているのだとクルトは分かった。この男の声には感情がない、と思っていた。だけれども、向こうで話している男よりずっと人間的な声だと今やっと思った。

「ひとつ、忠告だ」

今までと変わらない鋭い目で、デレクは言う。

「絶対に気を許すな。誰にでも、だ」

それにクルトは深く頷く。もう一度、クルトの様子を眺めてから、デレクが壁の向こう側へ意識を戻した。それを行って来い、の合図だとクルトは認識した。



アジトに入った瞬間、空気が変わった。住みやすく温度管理された空間になった。ここには、環境管理の魔法がかけられている。あの、背の低い男の魔法だろうか、と頭の隅で考えながら周囲に気を配り、武器である魔法陣の刻まれた剣に手をかけた。

別に特に傭兵になるつもりはなかったが、戦闘の訓練に出ていて、その中で好成績を収めていたので、魔法を使わない一般兵はクルトの敵ではない。

しかし、アジト内部にはそういった人の気配はなかった。警備もない。人も居ない。ここは、何か違う所だったのか。そう思って角を曲がった時、クルトは息を飲んだ。

真っ赤な薔薇があった。

此処へ来て、これほどの緑を見たことがあっただろうか。

生い茂る緑は、この街に不釣合いだった。そしてそこに咲く赤く繊細な花弁を持つ花はなおさらに。

大きな木に不釣り合いな程にたくさんの花を咲かせる木は明らかに魔法による操作が使われているものだとわかる。

濃厚な花の芳香にクルトは反射的に息を止めた。

「無粋だな」

掛けられた声にぎょっとして辺りを見回すと、物陰に男がひとり、籐の椅子に座っていた。大柄な、褐色の肌の中年の男。そのシルエットに見覚えがあった。

「……マニエロ、」

「これほどの素晴らしい花を見たときは、その芳香を楽しむべきだと俺は思うな」

「無粋で結構っす」

強い匂いは、幻術に人をかけやすくする効果がある。それを多く吸い込むことは戦いにとって不利だった。

マニエロはクルトの返答を鼻で笑って、肘掛けに両の手を乗せて腹の上で手を組んだ。余裕に見えるその動作がクルトには不可解に見えた。

「カルラ・ヴィンケルは、何処にいる」

ニヤニヤと無精髭に嫌な笑みを浮かべるマニエロには何か勝算があるのか。向こうの状況を把握してないにしろ、その余裕は不可解だった。

まず、マニエロは魔術に通じていないはずだった。「街」に関わりがあった、という事実はあるが、彼自信は魔法使いではない。

「カルラなら、隣の部屋で寝ている」

「何をした」

「なぁに、寝ているだけさ。極々平凡な、自然な睡眠だ」

男に気を払いながら、クルトは隣の部屋に移動する。魔法使いがこの場に居ないのなら、巧妙な罠を張ることは不可能なはずだった。

隣の部屋は、リゾートの宿のような装飾の施された部屋だった。大きな天蓋のついたベッドがあって、そこにマキシドレスの女性が寝ていた。それをクルトはカルラ・ヴィンケルだと判別した。

パン、と空間の割れる音がした。

何かが、破裂した。空間が破裂して、その衝撃にクルトが耐える。何が起こったのか。全身を緊張させて気を張る。

目の前を何かが横切った。それをカルラが居る方の部屋へ飛ぶことで回避した刹那、部屋を隔てていた壁が見事に吹き飛んだ。

粉塵がぶわりと舞い上がる。後一瞬でも回避が遅ければ、クルトはあの壁と一緒に粉々になっていただろう。背筋が寒くなると同時に、足元から「危機」というものが這い上がってきて、それがアドレナリンとなって頭に届く。剣を掴んだ手が、冷えていく。

この時はじめてクルトは自分が入ってしまった部署の危険性、と言うのもを身を持って理解した。

「遅かったな、カルツァ」

「そうでもないと、思います」

マニエロの声に答えたのは、あの、平板な声だった。粉塵がざあっと風に流される。熱砂の空気が流れ込んだ。死んでなかったのか、とカルツァと言われた背の低い男がクルトを見ながら言った。傍らで、壁を破壊した獣が唸る。

(デレクは!?)

頭で警鐘が鳴り響く。

目の前で見たことないとは言え、デレクはクルトの先輩だ。その、強さは折り紙つきだ。

それが、負けた、としたら。クルトに勝てるはずがない。

カルラを連れて、逃げられるか。頭の中で算段を繰り返す。どうすればいい、どうすればいい、背中を冷たい汗が伝う。

「資料は?」

「こちらを優先しました」

「こいつらがなんだかわかるか?」

「機密部です」

「なるほど」

マニエロはクルトを上から下まで見て、立ち上がりながら新人か、と言った。

「さっさとこれを片付けて、資料を取ってこい。簡単だろう」

マニエロが言う。それにカルツァは、いえ、と一言答えた。

カルツァが右腕を構える。クルトは守備の姿勢をとった。相手が、何を使うか分からないときに魔法で打ち消そうとするのは博打に近い。物理的に避けるのが正しい。

ドン、という破裂音がしたのは、クルトの後ろ側だった。

カルツァが守備の魔法を展開する。そこに青い炎の塊がつっこんで弾ける。その威力に後ずさりしながら、クルトはその魔法を放った魔法使いを振り返った。

「こっちが厄介ですから、簡単ではありません」

塀を破って現れたのは、デレクだった。暑苦しそうな黒いシャツは砂埃を被ってはいるが破れている箇所はない。彼が無事だったことに胸を撫で下ろしつつ、クルトはカルラの傍へ寄った。

「死んだのかと思いましたっす」

「お前の基準で物事をはかるな」

きゅっと眉間に皺を寄せて、クルトとカルラを見たデレクは、それか、とつぶやいて、口径の大きな銃を構えた。

「言ったことは覚えてるな」

「気を許すな、っすか」

「そうだ」

黒い獣が、低く構えた。それが飛び出したのと、デレクが発砲したのはほぼ同時だった。リボルバーが回転する。撃ちだされた炎の塊が獣を掠めて、壁を破壊する。デレクの教えに従い、クルトは剣の柄を掴んだままでその様子を見ながら、カルラの肩を揺らした。

あれほどの騒動の中、眠り続けているというのはやはり何かされているのだろうか。

彼女を抱き起こそうとして、剣の柄から手を離す。

「馬鹿ッ、」

デレクが叫んだ。近くで魔法の発動があったということはわかった。ベッドが、青く発光している。

肩を強くつかまれ、引き剥がされ、突き飛ばされる。

緑が、視界を覆った。デレクの拳銃が、落ちた。

広くなった視界で、デレクの黒い上半身を緑が絡めとるのと、獣に青い炎の銃弾があたったのが見えた。


「……狙ったほうじゃなかったけど、儲けものね」

淡い茶色の長い髪を揺らして、カルラが言った。緑は、茨だった。

マキシドレスの女性は憂鬱そうに座り直して、デレクを飲み込んだ植物を愛でる。

「アンタの奴隷はまだ、使える?」

その視線の先にあるのは、黒い獣だった。奴隷、その言葉を反芻する。酷い痛手を受けたはずのそれは、腹の辺りから血を流し、そして、炎に焼かれた毛がなくなっている。

毛のなくなった肌に、何かの術式が刻まれていた。

獣は、悲鳴を上げずに、傷なんて受けていないかのように立ち上がった。

「問題ない」

カルツァが答えた。アレは、クルトの知っている調教を受けた獣ではない、とクルトは悟る。その頭にマーケットで見たハチクネコが浮かぶ。

「……禁呪……、」

「あら、よく知ってるわね」

私、カルツァに聞くまで知らなかったのに、とカルラが言った。立ち上がって、クルトはカルラから距離をとって剣を抜いた。

獣が、低い姿勢で構えるのと、カルラを同時に視界に入れる。

カルツァは、あの獣を操り、獣の周囲に防御陣を形成することによって戦う。しかし、カルツァは獣の周囲と、自分の周囲に同時に防除の術を張ることが出来ないらしく、デレクは同時に獣と本体を攻撃することによって、獣に一つ、銃弾を撃ち込んだ。

しかし、クルトの武器は剣だ。デレクのような戦い方は出来ない。それに、カルラの援護射撃があるかもしれない。

どうする、

ジリジリと、汗が流れ出ていく。その時、クルトは、デレクの足が微かに動いたのを見た。

「クソが、」

静かな怒りをたたえた声がする。

青い炎が立ち上がって、茨を燃やし尽くす。渦巻く熱気がクルトの鼻先まで伸びてきた。その中から出てきたデレクは、茨で出来た切り傷だらけで、ボロボロのシャツの残骸を纏わせていた。

煤にまみれた頬を伝う自分の血液を乱暴にぬぐい取る、金の虹彩が輝く。

ガウン、という発砲音と共に、カルラが悲鳴を上げる。デレクが彼女の足を撃ちぬいた。

「巫山戯たマネしやがって」

ざり、と瓦礫を踏む音がして、デレクが、落とした方の拳銃を拾う。白い瓦礫の上にデレクの血が落ちた。その時、クルトはデレクの背中に、刺青のようなものが刻まれているのを見ることが出来た。

「いやああっ!!助けて、助けて、お願い!マニエロ!!死んじゃう!!痛い!痛い!!」

カルラが悲鳴を上げて、マニエロを呼ぶ。それの後頭部をデレクは銃把で殴りつけて彼女を黙らせた。

「……容赦ねぇな。流石、機密部」

「お褒めに預かり光栄至極ってな」

「褒めてねぇよ……いい女だったってのによ」

「死にはしないぜ」

「俺は、傷モノはシュミじゃないんだ」

マニエロが笑った。デレクが、端切れになった、シャツを身体から剥ぎ取る。そうしたら、その身体の異様さがわかる。背面にあった刺青は、腕、引いては胸にまで伸びている。

どんな模様をしているのか、此処からはわからなかったが、その模様に既視感を覚えた。

「くっ……、は、はははは!」

カルツァが狂ったように笑い出す。それは奇妙な光景だった。笑いながら、カルツァが口を開く。

「お前、それ、奴隷印じゃねぇかよ!」

爛々と見開かれた目で、さも面白い、という嘲りを含んだ笑いをたたえて、カルツァはデレクを指さした。

奴隷。そうだ、さっき、あの、獣に刻まれていた禁呪の、

耳元に、ハチクネコのところで、「禁呪だ」とつぶやいたデレクの声が蘇る。

「うっせぇな」

吐き捨てるようにデレクが言った。

獣が跳びかかる。それにデレクが二丁の拳銃を構える。


デレクの背中についていたのは、大輪の薔薇の花のような刺青だった。





刻印を刻まれ、身体の一切の自由を奪われても、思考の自由は奪われやしない。

それが一番残酷なことなのだとデレクは思っていた。

所有物として、扱われることに反抗心だけをつのらせていたのを覚えている。

突然、それが終わった時に、彼の所有者が死んだ時デレクはどうしていいのかわからなかったことを、覚えている。

彼の最後の言葉はこうだった。

『お前は永遠に俺のものだよ』

狂った言葉だと、デレクは思う。そのことに縛られながら生きていくのだとデレクは思っていた。彼女に会うまでは。

彼女とは、デレクを学校に入れてくれた人間のことだった。彼女はこういった。

『あなたの永遠の所有者は死んだんでしょ。なら、あなたが天国に行くまで、あなたは自由じゃないの』

適当な発言だと思ったが、デレクはそれに随分救われたと思っている。

綺麗な人だった。彼女が、デレクの刺青を「素敵じゃない」と言った。それだけで、すべてが報われる気がした。





勝負はあっさりとついた。

獣は何発も銃弾を受けて動かなくなった。獣という武器を失くしたカルツァを、デレクが近接戦闘で殺した。

それを、クルトはただ見ていた。


デレクが、マニエロの額に銃口を当てた。

「おとなしく、着いてきて貰おうか」

「その義理はないな」

マニエロが笑う。それに、デレクはため息を吐いた。

「気づいてたんだろ、カルラが全部仕組んだってことは」

「さあな」

デレクが拳銃を足に付いたホルダーに仕舞った。そこで、クルトは自分が抜き身の剣を構えたままで突っ立っていた事に気づいた。慌てて、その剣を鞘に納めてカルラの止血をするために駆け寄る。

ぐったりとしたカルラの止血をする。デレクはデレクで加減をしたのだろう。でなければ、彼女の足は吹き飛んでいたはずだった。

デレクが、終わったら行くぞ、と気だるそうに言った。それにマニエロが楽しそうにそのままで行く気か?肌が焼けるぞ、と笑う。

「俺の服を貸してやるよ」

「何のつもりだ」

「別になんでもねぇよ」

そう言ってマニエロは自分が着ていた頭からすっぽり被るタイプの布をデレクに投げて寄越した。それを気味の悪そうに見ていたデレクだったが舌打ちを一つしてそれを羽織って、クルトの傍にやって来る。

「先輩、それって、」

「ただの刺青だ」

「でも、」

「何か言う前に、少しは役にたってもらいたいな」

デレクの言葉にクルトは顔を顰める。今回、クルトはデレクの役に立つどころか、足を引っ張ってばかりだった。

「……俺、ここの部署、向いてないのかもしれないっす」

「かもしれないな」

「普通、否定してくれるんじゃないんですか」

「否定して欲しかったのか」

「……やめられないんっすよね」

「さァ、俺は知らんな」

いつもの調子でデレクは淡々とクルトの質問に答える。自分から発話することはないが、彼はクルトの問にきちんと答えてくれる。

「俺は、辞めた人間がどうなったか、興味が無いからな」

「……そっか、わかんないのか」

返事はなかった。

辞めたい、という願望はあった。だけれども、やめよう、という気はなかった。デレクが怪我をしたのはクルトのせいだ。気を許すな、と忠告されていたにも関わらず、だ。

その彼に、ひとつ、何かを仕事で返したい、と思ったのだ。

それがいつになるかわからないし、その間に本当に戻れなくなるのかもしれなかった。

だけれども、クルトは、続けよう、と思っていた。

「ドミニクは?」

「昏倒させて、結界に封じている。その女と一緒に連れ帰るぞ」

「はい」

カルラの身体を抱える。小柄だがむっちりとした彼女は中々に重かった。その彼女を抱えながら、クルトは庭に咲き誇っていた薔薇の木を見た。

屋内の気温を操る人間がいなくなった今、その薔薇は熱い外気に当てられてみすぼらしく花を落とし始めていた。

マニエロは、クルトが来た時と同じようにその薔薇を眺めていた。



ちょこちょこと同じ設定で書いていこうと思っています。

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