遠い声
概ね、諦めはいい方だ。
でも今回は、久しぶりに―――人前で醜態を晒した。
***
「………は?」
余りに突然の爆弾投下。
数秒の空白を経て、イザベラは血の巡り始めた自分の頭から、巡った血の気が引いていくのをありありと感じた。
「…レイス、今、なんて…」
「簡易検査が終わったから、オルフェオの捜索の方に切り換える。その間、人手が不足するから、そのお人形を預かって欲しいんだ、君に」
笑顔が素敵な上司のいらえは、どこまでも丁寧で真心がこめられていて、同時にとりつく島も無かった。
「…いや、今の話の流れで何故そういう結論に行き着く…」
「要するに、その少女人形に『ワルイコト』をしない保証がある奴に管理してもらいたいわけよ」
「だから、何でそれが俺なんですかっ?」
弾かれたように叫び、焦りも露に詰め寄った。その感情の動きは、地顔となっている無表情からすれば、曙が夜へと暗転するような凄まじい変化だった。
この子がこんなに動揺するの、久しぶりに見たなー。
が、そこは然有らぬ態、切り花に混じる出来の悪い造花のようなとんでもない違和感を、レイスは見事にスルーした。
「今自分で言ったじゃないか。人形に深入りなんてできないって。ありがたい宣言だ、早速持って帰ってもらおうかね」
「俺のうちの何処にそんなの置けっていうんです」
「書庫に使ってる部屋があるじゃないか。あそこを整理してよ。日用品はこっちで揃えるから」
「いや…でもこっちの仕事が入ったら…いちいち連れていくなんて無理…」
「暫く本業に専念するんでしょ、こちらの仕事は空けてあるから、自宅に籠ってて全然大丈夫だよ」
「…………っっ!」
言質は残らず取った後なのだ。何を言っても体裁が悪くなるだけで結末は変わらない。
「待て、待て待て待て…!そんな得体の知れないもの…!廃棄された技術ったって、《水晶鏡》が機能してるってことは要は死出人形だろう、誰かの二つ目の墓なんだろう!?そんなモノと一緒に、一対一で暮らせって!?」
だんだん本音が出始め、口調も荒くなっていく。語尾は思い切り裏返った。
「うん、だから君に白羽の矢が立ったんだ」
レイスはイザベラの価値観を後押しするスタンスを取りながら、最後に綺麗さっぱり彼の逃げ道を破壊した。
「君なら間違っても間違いは起きない。それに、一人暮らしだろう?今この役目頼めそうな魔術師って、君以外だと家庭持ちの男しかいないんだ。
年頃の可愛い女の子で、しかも人間とほとんど変わらない人形なんてものが身近に居て、下司な好奇心が芽生えぬとも限らないだろう?」
そうなると、向こうにとっても悲劇だし、こっちも大迷惑なわけよ。
「と言うわけで、君以外の適任はいないという意見に、《二十人議会》も満場一致したそうだ」
《ステラ》のトップの名を出されたが、錯乱の余り分析が間に合わず、反論も思い付かない。
ただわなわなと震えている元教え子に、レイスは一見変わらぬ笑顔のまま小首を傾げた。
「もっと理由が必要かい?なんなら、書き出そうか?」
「……………………いえ、もう、結構…です…」
気圧の変化のようなものを感じ、長い長い沈黙の末、身を引いた。
どう足掻いても覆らないと察してしまった。この上理詰めで説教などされたら、立ち直れなくなりそうだ。
「じゃ、行こうか」
観念した、というより虚脱してしまった青年の肩を掴み、謀に成功した策士は、意気揚々と自室を後にする。
***
窓を開け、外気と光を取り入れる。書物が吸い込んだ埃や塵は、先刻レイスと共にやってきた『助っ人』達によって一掃されていた。
「…はぁ」
やけに重く感じる出窓から手を離し、振り返る。
元々あった本棚だけが残った部屋の中、持ち込まれたのは病院にあるような簡易ベッド。それからデパートの紙袋数個。
「こっちで用意した服だよ。ずっと同じ格好させておくわけにはいかないだろ?適当に使って」
「…あんたが買ってきたのか?」
アンダーウェアも…と、些か八つ当たりじみた問いを投げるが、「あはは」と失笑されただけで返事は無かった。真偽不明。
「今日からここがお前の部屋だ」
「……………」
「…何か言われたら、返事をしろ」
「…わかりました」
扉の前に棒立ちになっている『少女』が、小さな声で応えた。
記録をつけろと言われた以上、ほったらかしにし続けるわけにもいかない。嫌々ではあるが、これでも職務に関しての責任感は強い方だ。
「…茶くらい入れられるのか」
『お茶汲み人形』という表現が脈絡なく浮かび、特に考えなく口にすると、ビー玉のような二つの眼が微かに揺れた。
「………はい」
「じゃ、コレに入れろ」
隣接するキッチンに連れてきて、普段使っている大振りのマグカップを突き出す。
取り敢えず、この人形について分かっていること。
『命令口調で言ったことには従うけど、自発的に何かをすることはほとんど無いみたい』
…では一体どんな事を報告しろと?
『とにかくいろんなことをやらせてみて、その結果。何か引き出せるかもしれないから』
………適当な指示だ。
お茶の支度をする細い後ろ姿を眺めながら、偏頭痛にきりきり痛むこめかみをさするが、ふと思い付いて。
「何か食べ物は作れるのか?」
「…………?」
《人形》が作業の手を止めて振り返ったが、ぼんやりと首を傾げている。曖昧な問い掛けでは駄目なのだ。
普段料理などしないから、何かあっただろうかと訝りながら棚を開くと、ホットケーキのミックス粉が出てきた。
「これ、作れるか」
「……作れます」
「んじゃ、任せた」
正直、視線を交わすのも寒気がするので、命じるだけ命じて早々に自室に引っ込んだ。
表情も無く、反応も鈍い。知能があるのかどうかも疑わしい相手に、何かを期待するわけではないが、少なくとも、自分がどう思っているかくらいは認識しておいてもらいたい。
最も、それについてくる繊細な感情が、有るとも思えないのだが。
***
「観察…日記…」
もうどうにでもしてくれ状態で連行される最中、新たに告げられた役目の内容に、イザベラは声を絞り出した。
「誰が…何の…」
「そのお人形さんの」
学舎を出て、神殿の一角に向かいながら、意気揚々とトドメを刺される。
空は相変わらずの快晴だった。
青天の霹靂という諺を産み出した人は、晴れ渡った日にさぞかし嫌な目にあったのだろう。今なら容易に心を共鳴させられそうだ。
「でも本当、絵に描いたような女の子なんだよ。会えば分かるけどさ、か細くて、儚げで、いかにも守ってあげたくなるタイプの」
いつからそのつもりだったのか皆目不明だが、作戦(というか策謀)が功を奏したレイスは、肩の荷が降りた様子で実に朗らかに、聞いてもいない情報をつらつらと並べ立てはじめた。
降ってわいた『災難』に意気消沈した、イザベラの気を引こうとしたのかもしれない。
人に無茶苦茶背負わせておいて、何を抜かすか。できるなら今この場でこの男の首を絞めたい。
…怒りで少し生気が戻ってきた。
「僕もちらっとしか見てないけど、同居するのが羨ましくなっちゃうよ」
「…ああ、そうですか」
じゃあアンタが引き取れよ、とは言えず。
「金髪碧眼の、美人の代名詞を備えてて、そうだなー、童話の挿し絵に描かれてる女の子みたいな、誰もが思い浮かべるお姫様って感じ?」
嬉々として語る、その説明が、唐突に記憶の底の、扉を叩いた。
『―――失礼な奴、ボクだって恋をするなら、金髪碧眼の王子様みたいな男の子が良かったよ』
何処か遠くで声がした。
それが、自らの内面から発されたものだと、悟るのは容易かった。
己の深い部分に、針で衝かれたような疼きを感じる。
眉間に微かな皺を寄せ、意識を胸奥に集中させた。
痛みがあやふやになり、その存在も希薄になる。
心の殺し方ばかりが上手くなる。
「―――おっと、噂をすれば」
レイスが急にに立ち止まり、危うくその背にぶつかるところだった。
肩越しに前方を見やると、さながら貴人の護衛のように、数名の男女が『誰か』を囲みながら、こちらに歩いてきていた。
「レイス!」
「どうも、ご足労おかけしました。話が思いの外長引いてしまいまして」
「………」
俺が悪いみたいな言い方するな、とも言えず。
黒髪の上司と、よく見れば見覚えのある顔がちらほら混じった一団が、悪びれず雑談する。
その間、現実から眼を背けるようにそっぽを向いたが、人垣が割れ、守られていた『何か』が垣間見えた。
「…………!」
視界の端にソレを捉え、釘付けられた。漆黒の双眸が意思とは無関係に、限界まで見開かれる。
そこに立っていたのは、レイスの追従じみた賛美が何一つ誇張でなかったことを証明する―――妖精のような娘だった。
豊かに流れる金の髪は、先端に少し癖があり、腰の後ろ辺りでくるくると螺旋を描いている。
細い眉の下に並ぶ大きな瞳は、雨を知らぬ空のような、淡くくすんだアクアブルー。伏し目がちに俯いているため、綺麗に並んだ睫毛の陰影まではっきり見えた。青白いその貌は能面のように表情が無く、それがまたえもいわれぬ神秘的な美しさを醸し出している。
呆然と見入っているイザベラの横顔を盗み見たレイスが、してやったりと口の端を吊り上げた。
「彼女が件の子だよ。どうだい、見た通り―――」
「…いやだ」
「え?」
なんやかんや言いながら引き受ける姿勢になっていた青年の、思わぬ引きぶりに目をしばたたく。
「ど、どうしたの?」
「嫌だ…あんなのは嫌だ…」
青ざめ、首を振り、後退りを始めた。
若手魔術師の尋常ならざる反応に、周囲の表情に緊張が走る。
まさか、彼女から何か感じ取ったのか!?
外野の思惑が問い掛けとして形を成すより早く、イザベラは少女を指差し、壁を震わす大声で―――
「俺は―――暗い女は大っ嫌いだ!!!」
絶句。
レイスは勿論、全員がマネキンよろしく硬直する中で、不躾に指差された『青い目の人形』は、けれど何も聞かなかったように、イザベラを無表情に見据えるだけで。
…それが、これから長い長い時間を共有することとなる『彼女』へ向けた、記念すべき最低の第一声だった。