プロローグ
今日はどんよりとした曇りだった。
そんな空の下、九堂神斗は往来する人の多い歩道を歩いていた。
時刻としては昼をちょうど過ぎたところだ。今日は休日なので先程まで二度寝をしていたのだが朝から何も口にしていないということでコンビニに向かうところだ。
「平和だなぁ。明日学校がなければ一番なんだけどなぁ。」
学生という立場に文句を言いつつ歩を進める。
学生は休日でも制服の着用が義務付けられているため神斗も渋々従っている。そうでなければペナルティを課せられてしまう。
バレないと思ってオシャレなどをすると必ず見つかる。なぜなら都内は監視カメラがいくつもあり、その映像は学園の監視モニタルームにも繋がっているためだ。
神斗は身だしなみに対してこだわりがあるわけでもないため部屋には下着と寝間着以外はほとんどなく制服を着ろというのならためらいなく着るのである。そのため現在ももちろん指定の制服である。紺色のブレザーに白いワイシャツ、灰色のズボン。あまりセンスがいいとは言えないが動きにくいということもないので神斗はこの制服は気に入っている。渋っているのはむしろ義務の方だ。
神斗はなんとなく空を見上げる。
依然として雲が晴れるような気配はなく、湿気の多さに小さくため息をつく。
「いっそこの場の人口と雲の量が入れ替わってくれればいいんだけどな。あー、それじゃあ息苦しくなるか。」
ククッと小さく笑う。
徒歩にして数分で目当てのコンビニを見つけて自動ドアをくぐる。するとちょうどコロッケでも揚げていたのか油のはじける音と胃にガッツリとくるような揚げ物独特の香りが神斗の空腹感をより一層強める。神斗はパンと飲み物といくつか取り、揚げ物が陳列されるのを待ってレジに向かう。ちょうど揚げ物を並べる保温ケースには何も残っていなかったため揚げたてのコロッケを手に入れることができた。
ありがとうございました!と店員の明るい挨拶とともに店を出る。このまま帰るのもつまらないということから少し遠回りして帰ることにする。
ガブッと大きく一口頬張ると肉汁の甘味と旨みが口の中が広がる。
これを幸せっていうのかな?
年寄り臭いことを思いつつ歩いていると、何やら通る人たちのほとんどが狭い路地を見て嫌な顔をする。そこはちょうど神斗が通ろうとした場所でもあるので少し歩調を早めて近づく。
「なぁ、いいだろ?悪いようにはしないって。」
「そうそう。ちょっと遊ぼうってだけじゃん。」
「ハアハア!」
そこには神斗と同い年くらいの女の子がナンパされていた。彼女は非常に困った顔でやめてください、急いでますのでと繰り返して男達の脇を通ろうとするがすぐに隙間を埋められてしまう。男達の柄は悪く、モヒカンとアフロと息の荒い変態でいかにも時代一つ二つ間違えたアロハシャツを着た不良だった。
このご時勢になっても不良は絶滅しないもんだなぁ。
昼過ぎまで惰眠を貪っていた自分を棚に上げながら角を曲がり路地に入っていく。
ちらりとこちらを見たモヒカンに仲間が気づくと自分の獲物を取られないように女の子を背中にかばい、鋭い視線で睨んでくる。
それに対して神斗は素知らぬ顔でまだ暖かいコロッケをかじりながら男達の前を通る。
それをチャンスとみた少女は男達の間を強引に抜け、神斗の腕に抱きついてきた。
「ごめんね、リョウ君。知らない人たちに足止めされてたの。」
「お前誰?っていうか俺リョウ君なんて名前じゃないんだけど。」
「「「「・・・・・・は?」」」」
一瞬、時が止まったかのような静寂が流れた。
誰も予想していなかったであろう。不良の男達も逃げられると思っていたのだから。しかし、あの状況を見て空気の読めないいや、読まない男がここに居るとは誰が予想できたのだろうか。
「ちょ、ちょっと!今のは空気読むところでしょう!?なんであんなにあっさり裏切れるのよ、助けなさいよ!」
裏切るも何も約束などは一つもしていないのだが。
「だって助けてくれだなんて言われてねえし。」
「それでも普通助けるでしょ!?万一のことが起こったら取り返しがつかないんだからね!」
彼女は神斗の袖を強く握り締めながら顔を赤く染めてキッと睨む。自分で万一ということを想像して恥ずかしくなったのだろう。
「とは言っても、めんどくせえなぁ。」
はぁ、と大きくため息を吐く。
まさか生活リズムを悪くした罰なんじゃないかと苦々しくも思ってしまう神斗。
「じゃあ行くぞ。」
神斗は腕にしがみつく女の子と一緒に歩き出す。が既に三人に囲まれていた。
「おいおい兄ちゃん。後からやってきてそれはないんじゃねえか?」
「その子は俺たちの獲物だぜ?」
「ハアハア!」
三人はジリジリと距離を詰めてくる。
既に三人は説得の余地がなく、手には刃物まで握られている。いつでもさせるようにと腰を低く構えている。
神斗は面倒臭そうに空を仰ぐ。
俺も雲みたいにただ流されているだけの人生を送りたい。絶対楽だし。
女の子の手が微かに震えている。
神斗はそれを不審に思ったがすぐに思考の隅に置いた。
「覚悟はいいかい?」
言った瞬間、男達は一斉にこちらに向かって刃物を突き出してきた。
しかし、神斗は刃物が届くより以前に男の一人の足に力が入ったのをちらりと確認した後、腕にしがみつく女の子を脇に抱えて近くにたまたまあったゴミ箱を足場に路地の先側に立っているモヒカンを飛び越える。モヒカンが振り向くよりも早く着地し、そのまま走る。
待てやゴラー!!!などの怒声はどんどん遠くなる。神斗のスピードは普通の人間とはこと離れていた。
「待って待って速い速い!怖いって!」
「五月蝿い。」
モゴッ?
大声で叫ぶ彼女の口に残ってたコロッケを無理矢理ねじ込む。
「あ、おいひー。」
コロッケ一つに一喜一憂する姿に苦笑しつつ、路地の出口まで一気に駆け抜ける。さらに手を顔の前まで持ってきて日差しに備える。
眩し、いわけないか。
今日は曇りなため日差しは少しも当たってなくよく見ると先ほどより雲の色が濃くなってきていた。
「おい、無事か?」
手を下ろしつつ脇に抱えている女の子に尋ねる。
「うん、美味しかったよ。ありがとう。」
「そうか。じゃあな。」
別にコロッケの感想を聞いたわけではないが何もないようなので良しとする。
「あ、待って。」
立ち去ろうと踵を返した神斗は呼び止められる。
「なんだ?」
「私、立花咲。あなたは?制服からすると私と同じ学園だよね?」
「九堂神斗だ。そういえばお前も制服だな。」
よく見ると、真紅の生地に白い刺繍で落ち着きを持たせた制服に灰色のスカートに黒のニーソックス。これも神斗が通っている学園の指定された制服だ。さらに驚いたことに咲はかなりの美人だった。艶のある腰までさらりと伸びた髪は中心より少し横にずらして一括りに縛っていて、さらにボディラインは無駄な肉のないスレンダーなウエストに主張の激しすぎないバストにスカートの上からでははっきりしないが形の崩れが一切ないヒップはまさに男の理想だろう。
ふむ、と神斗は顎に手を当てて咲をじっくり見る。
「な、何見てるのよ。」
「いや別に、さっきの不良どもが集るわけが理解できたんでな。」
恥ずかしさに頬を染めて体を抱くように隠す咲を見て神斗はからかうように笑う。
「じゃあな。」
「うん、また明日ね。」
こうしてこのどんよりした世界に負けないくらいの笑顔を見ながら神斗は咲と別れた。